7話 ねぇ、遊ぼう
微笑みながら手を振る土屋に、九条は息を飲む。
こうしてはっきりと姿を見られた以上、九条と日向の協力関係は露呈している。
問題は、どこから気が付かれていたかだ。
最初からが一番まずい。
まだ、あのふたりのせいでバレたと言われた方がマシだ。
「そんな怖い顔しなくても、あの子には手を出してないよ。今はまだ、ね」
”あの子”
もし、日向が土屋たちに捕まる危険があれば、斎藤は九条のことは気にせず、この場から撤退することになっている。それが、斎藤の存在は不明瞭のまま、日向を捕らえたような言い方。嘘であることは明白だった。存外うまくやれているらしい。
なら、どうしてバレたのか。姿を見られていた今なら、この布で繋がりは明白だが、その前からバレていた気がする。
「しかし、いつもひとりの君が協力とは感心したよ」
「ハァ? 協力? 利用の間違いだろ」
「利用かぁ。老婆心ながら言わせてもらえば、アレを利用はやめておいた方がいい」
「なんだよ。噛みつかれたか? アイツの周りの奴らは過保護だからな」
適当に話を長引かせながら、辺りを確認する。
土屋道山の動向を探り、阻止する。それは、ここで逃げても不可能ではない。その場合、まず土屋を振り切り、日向たちに合流もしくは危険であることを知らせ、結界外へ逃亡する。
「……逃げるのかい? 私を殺さずに?」
わかっているかのように問いかけ。
九条には、土屋道山を殺害するように命じられていた。
かつて、九条家やその分家の人間を大量殺人を犯した罪、土屋家の汚点として。
「安心しろよ。テメェは俺が殺す」
動機など知らない。
だが、恐ろしいほどに記憶と変わらない男の姿に、九条は印を結んだ。
かつて、安倍晴明も九条と同じ全ての属性の力を使うことができた。それだけで特別な存在であり、妖狐との間に生まれた安倍晴明は霊力にも精霊たちにも恵まれた。結果、魑魅魍魎ひしめく平安時代ですら稀有な存在となった。
九条もまた長く続く歴史により、知識や技術を受け継いでいた。違いがあるとすれば、時代の流れにより減った精霊たち程度。
生まれてからカクリシャを牽引する存在として育てられた。
だから、同世代の友人などいなかったし、大人たちですら任務に出れば足手まといになる奴らばかりだった。
そんな九条にとって、土屋は確かに特別な存在だった。
使役の能力に関して、彼に勝ることは無かったし、使役した精霊やカクリモノたちの能力を使えば、全ての属性を扱えるアドバンテージなど容易に埋まってしまう。
「噂は聞いてたけど、強くなったね」
「そりゃどーも!」
術は弾かれ、決定打は入らない。
加えて、向こうは数で押し切ることもできる。背後の地下牢に閉じ込められているカクリモノたちが解放されれば、均衡は崩れかねない。
「式に化けるなんて驚いたよ」
使役しているカクリモノたちをいなしながらも、隙あらばこちらへ攻撃を仕掛けてくる九条に、土屋もまた頭を悩ませていた。
例え招待状で許可をしたとはいえ、正式に登録しなければ、多少の制限はかかる。それが、招待した本人ではなく、招待した術士の式神と偽っていた人間であるなら尚更。
であるならば、複数のカクリモノを同時にいなし、こちらに攻撃できているあの状況が、彼にとっての行動を制限された状況なのか。
「クソッ」
日向の対魔による結界の不調がでなければ、九条の存在にも気づかなかったかもしれない。
「騙されたよ。本当に」
九条の姿を、その顔に着けられた布を確認するまで、日向の隣にいた式神が、人間である可能性など考えもしなかった。
あくまで、九条が協力する彼女の護衛としてつけている式神の可能性も大いにある。いや、普通ならそうだろう。だが――
パンっと打たれた、柏手に思考が現実に戻ってくる。
肌に感じる霊力の高まり。土屋もその術は知っていた。
”五行”を扱える使役者しか使うことができず、九条家に伝わる秘術。
「――――万象」
結界を破壊しかねない術を使える程、制限が緩むはずがない。
だが、九条を中心に歪み始めた空間。
「面倒な力だっ!!」
土屋は舌打ちと共に、ひとつの契約を解除した。
同時に消えた歪みに、地面に膝をつく九条。
「――――」
九条は、日向が立ち入りを許可されたことで、結界を掻い潜っていた。逆にいえば、土屋から日向自身の許可が取り消されれば、結界の制限を受けることになる。
だからこそ、決着を急いだ。
昔のように、自分の方が上だと遊ばれている間に。
「ガッ――」
イノシシのようなカクリモノに引き飛ばされても、受け身も取れず地面に叩きつけられる。鉛のように体が重い。思考すら制御するのか、考えすらまとまらず、霧散していく。
自分を覗き込むカクリモノに、それでも炎を出しては攻撃を試みる。
短絡的であれば、まだ戦える。動ける。
こちらを睨む紫紺の目に、土屋は昔を思い出し、小さく微笑んだ。
*****
風が吹き止み、ゆっくりと目を開ければ、そこは薄暗く、目を凝らしてみれば、無数の何かが蠢いていた。
「い゛っ!?」
例えるなら、何気なしに持ち上げた石の裏に大量の虫が這っていて、逃げ出した数匹が腕を這い上がってくるような感覚。
実際は、足元から這い上がろうとするカクリモノは、風鬼と雷鬼に叩き落とされているのだが、生理的な物だ。仕方ない。
「今度はなんだよ!? つーか、ここどこだ!?」
急に襟を掴まれ、投げ捨てられるように立たされれば、振り返った先には、独特な形の短刀を握った斎藤がカクリモノを切ったところだった。
「知らないよ」
「ハァ!? お前がわかんなきゃ、俺がわかるわけねーだろ! 考えろよ!」
「堂々とバカって言い張れるって本当にすごいな」
そうは言うが、先程から突然の侵入者であるこちらへ敵意を向け、襲ってくるカクリモノたちを確実に仕留め続けている芸当はさすがと言うべきか。斎藤が襲ってくる敵と処理するのなら、何もしていない自分が頭を使うべきかと思うが、日向自身も術に詳しいわけではない。あのさとりという妖怪が何かをしてきたのはわかるが、そこまでだ。
「転移だね」
「転移?」
「この布邪魔だなッ!!」
「詳しい場所はわからないが、あの結界の中ではあるね」
「あ、じゃあ、外しちゃダメだね」
返事代わりの舌打ちが返ってきた。
強制転移させられた上に、その転移先にいる大量のカクリモノ。
「トラップ部屋に落とされた勇者の気分」
「トラップ発動させたのお前のせいじゃねェか。謝れよ」
「やだ」
目の前に鈍く輝いた刃と風が吹いたと思えば、後ろにいた蜘蛛の形をしたカクリモノに突き刺さった。
出口があるかはわからないが、このままではじり貧だと出口を探す。
「いくつかヤベェのがいるな」
「ヤベェの?」
妙に広い空間は、座敷牢のような形をしていた。ただ木で作られた檻の鍵は開いていたり、破壊されていたり、土の壁が崩れていたりと、まったく牢屋の意味を持ってはいなかったが。
しかし、微妙に複雑な構造のおかげで、大量にいるカクリモノから身を隠すこともできていた。
「喧嘩の音が聞こえんだろ」
「どの音?」
日向にも聞こえていないわけではないが、カクリモノの声はそこかしこから聞こえており、どれが強いのか、断末魔なのかなんて聞きわけがつかない。
むしろ、斎藤がそれらの音だけで相手の強さを判別できていることに感心してしまう。
素直に褒めれば、鼻高々にふんぞり返る。
「普段からリスペクトが足りないんだよ。もっと俺をリスペクトしろよ」
「お前の普段をリスペクトする人間いないよ。あとリスペクトの意味知ってる?」
「あ? そ、尊敬だろ……?」
「尊敬だよ」
ちゃんと意味を知ってたかと感心すれば、また鈍い光が目の前を通って行った。今度はなにもない壁に突き刺さった。
斎藤が言っていた通り、少し開けた空間には、また多くのカクリモノがひしめき合っていた。
だが、今度は似たような形ではなく、別々の、しかも個体としては斎藤たちを優に超えるものもいる。体の大きさが今まで歩いてきた場所では入りきらないカクリモノたちが、この広い空間を奪い合い戦っているのだろう。
本来なら避けて通りたいところだが、その空間の先、出口のような格子が見えていては引き下がれない。
「共食いはしてるみたいだけど、待ってる?」
争っているなら、数が減ってから倒すのも手段のひとつだ。
「無理だろ」
上を見ながら言葉を返す斎藤の視線を追って見上げれば、そこにいたのはムカデの形をしたカクリモノが、こちらに口を向け、落ちてきているところだった。
襟を掴まれ投げられた先は、先程まで見ていた先。つまり、カクリモノたちの争いのど真ん中。
斎藤も数拍遅れて着地すれば、ムカデを睨む。
「……おい。クソガキ。自分の身は自分で守れ。これは、さすがにキツイ」
上下左右にひしめく強敵に、斎藤もさすがに頬をひきつらせた。
普通のカクリシャならいとも容易く押し切られてしまう状況。だが、状況は均衡していた。
決定打というものを与えられるわけではないが、明らかな強敵にカクリモノも斎藤を攻めあぐねていた。
「クソガキ! 出口開けらんねェか!?」
ジリ貧だというなら、見えている出口から逃げようと、日向に声をかけた時だ。
それは突然訪れた。
「!?」
何の前触れもなかった。
突然重くなった体に、斎藤は混乱しながらも、目の前に迫るそれを切り落とす。
「あ゛!? おい!! どういうことだこれ!!」
重力がバグったのではないかと思うほどの体の重さ。
だが、周りにいるカクリモノに変化はない。自分だけかと、日向に振り返れば、不思議そうな表情でこちらを見る日向の姿。
仲間の日向が平気な顔をしているのだから、どれかの攻撃かと視線を逸らした瞬間だ。
「ぇ」
天井から垂れ落ちてきた何かが、日向が覆った。
「ユーキ!?」
千年もの間、難攻不落と呼ばれた結界の防御機構は、未だ機能しており、防ぐ術を持つ人間を段階的に執拗に狙って縛り付けていった。
日向を覆った黒い何かを切りつけるが、すぐに修復してしまう。大きく切りつければ、中にいる日向すら傷つける危険がある。
「あのクソ鬼はどうした!?」
こういう時、一番に日向を助ける存在のはずだ。だが、姿は見えない。
「クッソ……!!」
悪態をつきながらも、嗤い声を上げるカクリモノに短刀を投げつけた。
「なに、これ」
脈打つたびにひどくなる頭痛に頭を抑えながらも、自分すら見えない空間に眉を潜めた。
妙な感覚だ。水のようなしかし、何かに触れる感覚は無く、自らの体の感覚すら薄い。自分が今、手を伸ばしているのか、曲げているのかも、ハッキリとしない。
「ん゛ん゛……」
ひどい頭痛に、ついに目を閉じてしまう。
「日向結城」
誰かに、呼ばれた気がする。
「力ある者は、力無き者を守る義務がある。その義務を放棄し、命を落とした者がいたなら、その責は、無念は、お前も抱えなければならないことだ」
同じような言葉を言われたことがある気がする。
そうだ。天ノ門の偉いお爺さんだ。なんか妙にプレッシャーをかけてきて、怖かったような気がする。
「逃げることなど私が許さん」
どうして、こんな時にそんな小言を聞かないといけないんだ。
だいたい、一片すらも理解できないし、同意もできない。
知らない誰かが死んだところで、苦しんだところで、私に何の関係がある。逃げるんじゃない。関係がないんだ。
でも、ニュースで知らない人間が死ぬだけで、かわいそうとか怖いとか、よくわからないけど、普通ならそう思うのかな。
『お前はただでさえおかしいんだ! 将来くらい普通の仕事に就いて、とっとと結婚しろ!』
耳にタコができそうなくらい言われている言葉。
カクリシャの仕事は、お父さんの言う”普通”じゃない。それは、昔、大喧嘩をしているのを見たから、知ってる。
だから、カクリシャを選べば、一生言われ続ける。おかしい。異常者って。
でも、”普通”の仕事を選べば、一生言われ続ける。逃げた。義務を果たせって。
ズキズキ、ズキズキ、頭が痛い。
「彼女の人生です。師匠であろうと、口出し無用に願いたい」
どうでもいい。勝手に選んでよ。
「もし、君が天ノ門の掲げる平等に納得できないなら、うちにくるといい」
また差し出された新たな選択肢。
必要ない。
自分で決めろなんて、勝手なことを言って。
ズキン……ズキン……
脳に直接注射を打ち込まれているような痛みと吐き気。
声を上げたくても、上げる声がわからない。
「ぁ……ぁ゛……」
頭がグチャグチャ。気持ち悪い。
「もぅ、やだ……」
――――壊れちゃえ
そうすれば、メンドウなこと、全部、全部無くなる。
「ユーキ」
黒く照らされた世界で、頬に触れた優しい手は、黄色いそれ。
「ねぇ、遊ぼう?」
だから、口にして。
「―――― ぶっ壊せッッ!!」
ぞわりと感じた悪寒に、距離を取れば、閃光と共に覆っていた何かを引きちぎって現れた日向。
その目はどこか別の場所を見ていて、誰かと遊ぶように腕を振り、ステップを踏む日向の表情は、鼻歌でも歌い始めるのではないかというほど朗らかだった。
しかし、ステップを踏む日向に合わせるように雷光が弾け、そして、腕を上げ、雷光は天井へ駆け、消えた。
数瞬遅れて、雷轟が結界を震わせた。