6話 心に触れる者
”結界”
偏に、結界と言っても種類がある。
危険なものを封じ込める結界。内側にあるものを守るため、外からの侵入を防ぐ結界。
この結界は、後者だ。中の人物を守るための結界。
かつて、安倍晴明のライバルであった、芦屋道満が播磨に流され、晩年を過ごした場所であり、居場所がはっきりとしていたにも関わらず、誰も手を出すことができなかった難攻不落の結界。
だというのに、意外にもあっさりと侵入できてしまった。
手引きされれば、どれだけ強力で緻密な結界であろうと、この程度の物ということだろう。
結界の中はといえば、既視感を感じるのどかな風景。結界の狙い通り、ここに住む人も人ならざる者も、皆穏やかに暮らしていた。
外で語られる過激派の様相など一遍も感じない。
「……」
ここは、彼らが望む世界が縮小された世界だ。狭い、狭い箱庭の世界。
「バカだなぁ……」
ここにいる奴らは、この狭い世界が最も幸せな世界だと、平和な世界だと思っているのだろう。
外の世界と大して変わらないというのに。
結界がひとつ隔てただけの、何の変哲もない世界が、危険で恐ろしいと勘違いして。
土屋たちの計画を調査し、阻止しろ。
それは、身内から出た汚点だからという理由だけではない。外にいる一般人からすれば、この中にいるカクリシャはむき出しの刃か、爆弾にしか思えないのだ。
だから、早々に処理してしまいたい。
くだらない。
互いに笑顔で手を取りあえる、なんてことは言わない。言わないが、ほとんどが無能力者と大して変わりないのに、振り回される身にもなってほしい。
表面上に見えた建物はおおよそ見て回った。戦闘員という戦闘員も見かけなければ、道具もない。あくまで、非戦闘員の居住区のようだった。
実は、この難攻不落の結界は囮で、戦闘員は別の場所に潜んでいるのだろうか。
だが、ここ以上に潜入しにくい場所というのも、そう簡単に存在しない。
それに、協力を仰いだ全員が帰ってこないのも、ここが当たりということを示している。
「ん?」
回転する絵が描かれた扉。回してみれば、十二支が描かれている。
この絵合わせが鍵なのだろう。実際の鍵よりも、奪われて開くことはないし、触れれば感じる、この鍵に繋がっている結界の気配。
結界の一部となれば、鍵を壊せば通れるわけではない。正しい手順で開ける必要がある。
後ろ手に閉めた扉に違和感を感じ、振り返れば、見たこともない式が、手を差し込み、こちら側へ侵入しようとしていた。
「なっ――!?」
「しぃーっ」
口を塞いだ式は、指を立て口元へやり、明らかに言葉を介した。
ありえない行動に脳が冷え込んだ気がした。
「さて……こっちが本拠地ってわけか」
扉の向こうとは違い、照明は全て火で補われており、揺らめく炎の影は禍々しい雰囲気を演出していた。
時々聞こえてくる声は、幼子なんてかわいいものではなく、唸り声のようなものばかり。
気絶させた男を縛り、適当な場所に押し込むと、探索を始める。
「樒さん、またカクリモノ捕まえてきたんだってさ」
樒。土屋道山の精霊などとの契約に使っている名前に、足を止め、物陰に隠れる。
扉の向こうとは違い、出歩く式の姿を見かけなくなったため、見つかれば戦いになる可能性がある。
「だから、アイツらの声がひどいのか。あの牢、大丈夫なんだよな?」
「元々蟲毒をしてた牢屋らしいから問題ないんだってよ」
「蟲毒? カクリモノでか?」
「らしい。今は別に蟲毒してるわけじゃないらしいけど、このまま増えれば神の力が宿ったカクリモノができるかもって言ってたよ」
「マジか……」
”蟲毒”
毒虫100匹をひとつの壷に入れ、1匹になるまで殺し合わせ、最後の1匹には、神の毒が宿るという呪法。
それをカクリモノでやっているとなれば、危険だ。
先程の会話の主たちは、あまり詳しくないようだが、土屋が使役するカクリモノは、一度は倒す必要がある。そのため、あくまで土屋たちが倒せるカクリモノに限られるが、蟲毒で生き残ったカクリモノとなれば、倒された事実はあるが、呪法を完遂したことによる力を得ることになる。
それがどれほどの効果を持つかは計り知れないが、手が付けられなくなる可能性があるとなれば、阻止する必要はある。
「…………」
格子の向こう側。
確かに、彼らが心配するのも理解できるほどの大量のカクリモノが蠢いていた。
新しく入ったカクリモノに興奮しているのか、暴れる音が威嚇、悲鳴、絶叫に搔き消されている。
京都で最強の一角を担っている九条ですら、中にいるカクリモノを倒すのを一時諦め、安全に排除する方法を考える程度には、中に捕まっているカクリモノたちは危険だった。
地下牢へ来る前に、土屋たちの動向についての調べはできた。
日向たちを長期間放置すれば、ボロが出る危険もある。そろそろ一度引くべきかと、地下牢のある建物を出た。
「やぁ、久しぶりだね」
そこに、昔と変わらない微笑みが立っていた。
*****
ぼんやりとした視界に、何度か瞬けば、視界に映る黄色いそれ。
「おはよう。ユーキ」
雷鬼に挨拶を返し、携帯を見れば、どうやら1時間ほど寝ていたらしい。
「こいつも寝てたのか」
隣には、同じように眠る斎藤の姿。任務のほぼ全てを九条がすることになっているとはいえ、敵の領域内でふたりして眠る度胸に、自分でも感心してしまった。
蹴れば、呻いて丸くなるので、もう一度蹴れば、目の前に一瞬足の裏が広がったと思えば、ダンサーもびっくりの一回転を披露して、床に転がった。
「クッソ……そもそもテメェのせいだろ。人の家で寝るとか、常識どーなってんだよ」
「そのまま返すから、自分で答えといて」
「イカれてんだよォ!」
「イカれてんだって」
他に聞いている人がいたら、頭を抱えそうな会話だが、生憎ふたり以外に人はいなかった。
好きに見て回っていいと言われたが、楽し気に遊んでいる人たちと積極的に関わる気にもなれず、自然と足は人気のないところへ向かう。
やることもなくなり、いい加減、九条と合流して帰りたくなってきたが、九条の仕事があとどれくらいかもわからなければ、電波も届かない山では、携帯も繋がらない。
「はぁ……置いていこうかな」
強いらしいし、置いて行っても問題ないかもしれないと、本気で考え始めた日向に、斎藤も特に否定はしなかった。
九条の手伝いではなく、日向の護衛として来ている斎藤としても、日向が危険地帯である結界から外に出るなら、任務としては問題ない。
それに、九条の話では、協力を仰いだ使役者は皆、姿を消し、帰ってこなかったという話だった。今のところ特に何もないが、日向に何かあってはいけないのだから、このまま九条を置いて帰るのも手かと、斎藤まで本格的に帰る方向へ頭を切り替え始めた。
その矢先、頭上から声がかかった。
「おやぁ? これはこれは迷い子ですかな?」
天井の梁から顔を出すのは、サルともヒヒともいえる動物。
こちらを見ている割に、その零れ落ちそうな目は焦点が合わない。
「「なんだアイツ」」
きれいに揃った言葉。
「「キメェな……なんのつもり――あ゛ぁ゛!? イライラすんな!?」」
「おぉっと」
作り出した小刀を投げるが、間一髪で避けられる。
揃い続ける言葉に、日向も感心したように見つめ、声を漏らす。
「”さとり”だね。心を読む妖怪だよ」
「おぉ! 其れ為るは大精霊! 成程。人間を連れ込む式使いなどとは、情緒外れてるかと思いきや、是は人均しく使役する者か。
んんん~~素晴らしき」
ニヒルに笑うさとりに、斎藤が息を飲む。
この妖怪、斎藤をとはっきり”人間”と言った。今まで顔につけた布さえあれば、式神や術師、誰一人として斎藤を人間だと気づかれなかったというのに。
「えぇ! えぇ! そうですとも! そうですとも! 人の秘密は蜜の味と言うでしょう。暴かれて暴かれて、その先の混沌、激怒。その味は実に堪え難く」
「おい。アイツキメェから殺していいよな」
「んんん。素直、実直、単細胞。ぶっちゃけ、吾は好みではありませんので、帰ってよろしい――おぉっと!?」
また天井に刺さった小刀。
心が読めなくてもわかる。斎藤のそれは脊髄反射的なものだ。心を読むとかそういう問題ではない。
おかげで、心を読めるはずのさとりが梁に身を隠してしまっている。
「よくゲームでハプニングで倒す奴だろ。アイツ」
「んんん……其の方、口の中に心でもあるのですかな? しかぁし! 残念なことに、吾は血肉滾る戦いは求めぬ性質故ぇぇええ!?」
燃え上がった梁から転がり落ちてきたさとりに聞こえてきた斎藤の呆れ声に、燃やしたのは斎藤ではなく日向の方だということはわかる。
だが、日向の声は未だ聞こえない。
「ん、んんん……! 吾対策に無心かと思いきや、是は一体」
「大丈夫。考えてるよ。その目ん玉ひっくり返るのかとか、あとアレでしょ。お前がチクり魔だろ」
協力者が軒並み見つかり、帰ってこなかったのは、このさとりが見つけ、土屋に密告しているのだろう。
つまり、このまま逃がせば危険が及びかねない。それならば、逃がすつもりなどない。
「成程。成程。相当の術師と御見受け致した。為れば!」
突然なにかに掴まれた足を反射的に払えば、白い何かが周辺に散らばる。なにかの骨だ。
ガラガラと聞こえてくる足音に目をやれば、人の骨がひとりでに動き、こちらに向かってきていた。
「餓者髑髏の為り損ない。いや、汝らが見捨てた同志ぞ」
妖怪に転じさせられた仲間に動揺すれば良し。倒せなくとも、得られるものはある。
だというのに、
「何が同志だ!!」
このふたりは、全く動揺していなかった。嘘偽りなく、心の底から敵として切っている。
「……であるなら」
動揺しないのなら、数で押している今行動するしかない。
素早く日向の背後に移動する。
「ユーキ!」
風鬼が動くよりも早く、心の中へ触れる。
「人の子よ! 吾の目を見よ!」
どれだけ術で守ろうと、心の臓へ触れてしまえば、人の心を握りつぶすなど容易なこと。
目は口ほどにものを言うというが、合った目は、心に直結する。
彼女の心へ、指先が触れる瞬間――黒い炎が瞬いた。
「あぎゃ――?」
理性が理解するよりも早く、床を転がる。
長く生きた経験だ。転がらなければ、消える。存在そのものを掻き消される。
転がる視界の中、確かにそれを見た。深淵のように黒く、深い赤。
「――ッぁ゛ぁ゛あ゛ア゛ぁ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ア゛ッッ!!」
長らく忘れていた生存本能が床を叩きつけ、その存在を遠くへやろうと術を発動させた。
灼ける痛みと乱れた呼吸が、少しずつ整う兆しが見えた頃、ふと聞こえた足音に過剰な程、体を震わせた。
「さとり? 何か騒ぎがあったようだけど、どうしたんだ?」
「童……」
そこには、心配そうにこちらを見下ろす石蕗の姿があった。