5話 嘘と真と
「道山に鬼の存在は伝えるな」
それは意外な言葉だった。
「なんで? バレてるんじゃないの?」
だからこそ招待されたはずだ。だというのに、今更隠して何の意味があるというのか。
「鬼は、普段からお前の影に隠れてるんだろ。ならたぶん、鬼のことは、道山も確信があるわけじゃない。むしろ、不確定な鬼より大精霊の方が狙いかもしれない。
奥の手は隠しておいて損はない。それと、俺の存在以外、下手な嘘は道山につくな。慣れてないならバレる」
「それ、わりと隠してる気がするけど」
黒鬼の存在に、九条に関わることとなれば、敵地に乗り込む理由のほとんどが消える。
「鬼の存在は異質なんだ。それこそ、鬼がいることが確定したら、お前を殺して、鬼を支配下に置く可能性だってある。
お前、9割一般人だし」
殺すのに躊躇うことはないだろう。
「支配下って、簡単にできるタマかよ」
斎藤も何度か見たことがあるが、言葉すら交わしていないのに、手を出したら殺されかねない殺気を感じた。
アレを無理に使役するのはできない気がする。
「道山は、カクリモノですら使役できる能力者だ。精霊も契約じゃなくて、意思に関係なく使役できる。
鬼ならそう簡単には使役できないだろうが、元の契約者を殺して契約破綻直後なら契約を挿げ替えてくる可能性がある。
お前もイヤだろ」
出会って短いが、日向の鬼や精霊たちへの感覚は、大切な友人に近いものを感じる。
理解はできないが、同じ視線に合わせなければ、会話すら成り立たない。
「うん。イヤ」
案の定、即答した日向に安心する。
過程などどうでもいい。目指す先が同じであるなら、構わない。
「気になったんだけど、その土屋道山って人と知り合いなの? 詳しいけど」
「知り合いって言っただろーが」
「結構仲良かったみたいだから」
苗字ではなく名前で呼んでいたり、妙に能力について詳しかったり、人柄についても知っていたり、顔見知り程度ではない気がした。
「…………土屋家ってのは、九条家の分家だ。つーか、九条は、京極とか四門とかの本家だから、俺の方が偉いんだよ。わかったらもっと敬え」
「「ふーん」」
全く興味なさそうなふたりに、九条は舌打ちを返す。
「天ノ門の頭って、京極のジジィだろ。何が偉いんだよ」
「いや、家の話でしょ。本家と分家…………ちょっと待った。お前、本家と分家ってわかる? ラーメン屋ののれん分けとか、コンビニの本社と店舗みたいなもんなんだけど」
「もうすぐ播磨だから、頭が心配な会話やめてくんね?」
先行きに不安に、ため息すら出てこなかった。
*****
土屋は、じっと日向の肩に乗る風鬼と雷鬼を見て、声を漏らした。
「大精霊。しかも、2体。属性は、風と雷かな。噂には聞いていたけど、珍しいね」
「彼女自身は、”対魔”の能力みたいです」
「へぇ……それに鬼の使役か。君が本当にどこの組織にも関係がないのか、心配になってきたよ」
冗談なのかわからない言葉を発する土屋に、唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。
「鬼はいないですよ?」
「ん? いない?」
打合せ通りに、黒鬼のことを隠せば、土屋は日向の影に目をやる。
「君の影にいるだろ? ほら、そこ」
そして、はっきりと影を指指す土屋に、斎藤も日向も動揺する。
ここまではっきりと言い当てられては、明らかに隠していることがわかってしまう。
「うーん……誰かの入れ知恵かな? 困ったな。そうなると、君のことを少し詳しく調べないといけなくなる」
深まる笑みに、斎藤がダメかと、その指か口か、少しでも土屋が動いた瞬間、動こうと構えた直後、聞こえてきたのは意外な言葉。
「すごいですね」
驚いたのは、斎藤だけではない。土屋もだ。
「わかるものなんです?」
嘘ではなく、本気で感心しているような日向に、土屋もつい張り付けた笑みを忘れてしまいそうになるが、すぐに口端を上げる。
「一般的にはわからないんじゃないかな? 経験だよ」
「へぇ……今までバレたことなかったんだけどなぁ……でも、困った。あんまり人目に触れさせない方がいいって言われてたんだけど、バレちゃうのは少し困る」
影に潜む鬼のことがバレたからか、自分以外のカクリシャの存在について言葉にした日向に、石蕗も葫も、警戒するように日向の様子を伺うが、どこか困惑した表情が混ざるのはきっと、先程までの無知な日向の言葉たちのせいだろう。
もし、演技だというなら相当だし、演技というには真実味があった。
今もそうだ。どこか、嘘とは思えない表情だった。
「鬼って風鬼と雷鬼みたいに、姿を消せないらしくて……なんかいい手段知ってます?」
「どうしてそんなことを気にするんだい?」
「みんなが変なこと言われるのイヤだし」
どうしてそんなことを? とでも言うように、不思議な表情をする日向に、土屋は腕を組むと眉を下げた。
「なるほど。そのタイプか」
「?」
「いや、なんでもない。君に、その助言をしたのは誰だい?」
先程までの敵意は薄まり、斎藤も日向の様子を伺うことにした。式神の振りをする斎藤が動けば、言い訳もできなくなる。
今、この状況を穏便にやり過ごせるのは、日向だけだ。
「え゛……えっと……」
言い淀んだ日向に視線を巡らせると、頬を引っかく。
「……なんか、昔会ったおっきい人」
小さな声で返した日向に、首を傾げたのはひなやかこくらいで、他は思い当たる人物がいたのか、葫は土屋へ一度視線を送っていた。
日向が天ノ門に保護されている使役者であることは、土屋たちも知っている。そのため、一度は天ノ門が接触しているはずだが、大精霊に鬼を使役している相手との接触となれば、もし交渉や話し合いに失敗し、敵対した場合でも対応できるよう接触する人間は限られる。
保護された時期から計算しても、日向は当時中学位だろう。そうなれば、大人のことを大きいと称したのではなく、実際にその人が常人に比べ大きい可能性が高い。
十人が十人、大きいと称する武装者が、天ノ門にはいる。
「君を保護するとか、困ったことがあれば連絡をしてほしいって、連絡先を置いていった人かな?」
「その人」
「その人とはそれ以降、会ってないのかい? いい助言をくれたんだ。仲良くしておいて損はないよ」
「これって尋問っていうんじゃないのか?」
「気を悪くしたかな? でも、天ノ門が君の存在を放置し続けて置くとも思えなくてね。天ノ門の連中なら、何も知らない子供に首輪をつけて、使い潰すことだってするだろうからね。心配したのさ」
胡散臭い笑みで、風鬼へ弁明する土屋に、日向は少しだけ視線を伏せる。
「心当たりがあるかな?」
「…………そのおっきい人は、好きなように将来は選べばいいって言ってた。けど、確かにカクリシャになれっていう人もいるし、普通の仕事に就けっていう人もいるし……
というか、ノリと勢いで来ちゃったけど、ここも同じノリな気がしてきた……」
今更なことに気がついた日向が、じっと土屋を見つめていれば、突然踏まれた足に肩が震えた。
「樒は悪い奴じゃないし!」
「あーこらこら……」
日向の足を踏んだひなを慌てて葫が回収していくが、葫に抱えられながらも日向に向ける目は鋭いものだった。
「はーなーせー! アイツも、他の奴と同じだ! 樒を悪い奴っていう悪者!」
「だいぶマイペースなだけで、普通の反応やさかい。人の足を踏むもんちゃうで。堪忍したって。ひなも悪気があるわけちゃうねん」
「100%の悪気だと思うんだけど!?」
「ごめんなさい」
文句はあるが、小さな子供に謝られてなお怒っては、大人げない部類に入る。
仕方なく、口から溢れ出そうになる言葉を押し込める。
「樒さんは悪い人じゃないの。ここには、私みたいな捨てられた人も多くて、樒さんが救ってくれたの」
「救うなんて大それたものじゃない。私はただ帰れる場所を作っているだけだよ。誰にも虐げられない、ね」
この結界の中は、カクリシャしかいない。皆が皆、異能の力があって、それが当たり前。それで虐げられることはない。
それはきっと、天ノ門が掲げている目的にも似ている。違うのは、カクリシャとそれ以外に線引きをするか、しないかの違い。
「もし、君が天ノ門の掲げる平等に納得できないなら、うちにくるといい」
不思議と土屋の言葉に、嘘は感じなかった。
敷地内は自由に見て回っていいと言い残すと、土屋と石蕗は部屋を後にした。
「師匠。あのままでいいんですか? 彼女、天ノ門にただ保護されてるだけじゃない可能性が」
「放っておきな」
「しかし!」
「アレは爆弾だ」
不安定で、そのくせ無自覚に譲れないものがあって、無邪気で無慈悲な子供のように。
首輪をつける? 使い潰す?
できるものならしてみて欲しい。
「石蕗。どうして、九条家ではなく京極家と四門家が天皇の守護のために、江戸、東京についていったのだと思う?」
「え……」
結界の要でもある四門家が付いていくことは理解できる。だが、統括としてついていくのは、本来、本家である九条家のはずだ。
それが、京極家に変わり、九条家が京都に残った理由。
「九条家は、重要都市である京都を治める必要があったからでは」
歴史的にも、術や封印などの重要拠点が多い京都を守護する目的と言われていた。
「表向きな理由はね」
「表向き?」
「あぁ。正確にいえば、当時九条家は動けなかったんだ。自分たちの高慢さのツケでね」
京都は何度か炎に包まれた。その内の一度、鬼による都灼きが行われた。
しかも、その鬼は、九条家が使役していたはずの鬼だった。理由は不明。だが、鬼に理由を求める方が間違っている。
彼らはただ悦に浸り、呪い、人を灼く。
鬼の都灼きにより、九条家は幼かった次期当主を除き、全員が死んだ。
「だから、九条家は江戸には行けなかった。鬼っていうのはそういうものなんだよ。猛獣のように力で抑えることも、人と同じように言葉で従えることもできない存在だ」
だというのに、彼女はまるで鬼とわかりあっているように語っていた。
それは、彼女が鬼と近いというわけで、危険だった。
「……んー対魔だったっけ。面倒な力だね。壊れることはないけど、調整に行ってくれるかい?」
土屋たちが使う根城は、元々大陰陽師である芦屋道満の作った結界であり、強力な結界だった。おかげで、敵対する相手に、場所はバレていても手を出せない状況を作り出せていた。
その強力な結界は、対魔の力を垂れ流された程度では壊れることはないが、多少の不具合は起こしていた。土屋が遅れた理由は主にそれだった。
「わかりました」
石蕗は結界の調整に向かった。
*****
「うちらは朝顔の観察してくるさかい。見てへんと、ふたりともサボるさかい。ほな、いくで」
「えー……」
「宿題やろ」
文句を言いながらも、葫に連れていかれるひなとかなを見送れば、日向たちの周りには誰もいなくなった。
「あ゛ー……黙ってるだけってのも疲れんな。って、おい」
ようやく話せるようになった斎藤は、乱暴に頭をかくと、その場に座り込んだ日向に、なにかと振り返る。
「…………疲れた」
「ハァ? 俺の方が疲れたわ!」
「大丈夫?」
「だいじょばない」
先程までとは違い、本当に顔色が少し悪い日向に、斎藤も眉を潜めた。
確かに、自分が話せない分、全て日向に任せることになった。そのプレッシャーもあったかもしれない。だが、割と気にせず話していたようにも思えた。
「意味わかんねェ……」
「人、話すの、疲れる。普通、難し……気持ち悪い」
ほぼ単語で話される言葉に、斎藤はなおさら眉を潜めた。
初めて会った時からそうだ。日向は、”普通”であろうとする。なれやしないのに。”普通”を”普通”と認識した時点で、異常だというのに。
それでも、彼女は異常のまま、興味のない普通を演じようとする。
「そんなになるなら、くだらねェこと考えなきゃいいだろ。他人よりテメェだろ」
「…………脊髄反射で会話するからチンピラなんだよ。人生くだらないんだから、イージーで生きたいんだよ。わざわざハードにするバカいるか」
「テメェ、バカにすんのか、同情してほしいのか、ハッキリしろよ」
「今の同情だったのか……」
「ぶっ殺す」
本当に短刀を作った斎藤だが、目を閉じ、寝息を立て始めた日向に、頬を引きつらせ、大きなため息をついた後、隣に座り込んだ。