第四話 「支えという名の史香ちゃん」
「慣れ」というものには時間が解決してくれるというが、私には一向に「慣れ」が来なかった。
葬儀が終わると私は一人で生活する事となった。
祖母の葬儀の後、川之江のおじさんが私の後見人として、私が成人になるまで保護者として面倒を見てくれる事となった。
家系図を辿ると我が東暖家と川之江家は先祖が同じらしい。
ただ、どちらも家系図がないので証明する事は出来ず、きっと私が気兼ねしないように、とおじさんが気を使ってくれたのかもしれない。
そんなおじさんの恩義に報いるべく、川之江のご両親が留守の時は私が史香ちゃんと瀧君の面倒をみた。
瀧君は相変わらず寡黙な男だったのでほぼ放置ではあったが…。
朝ご飯は毎日作りに行った。
朝の早いおじさんとおばさんの分は前日作ったものを温めれば食べれるようにしておいた。
おじさんは外食する機会が減って体重が痩せたと喜んでくれた。
しかし、そんなほんわかしたおじさんとは対照的に、おばさんの方は「いくら何でも中学生の女の子にそんな負担はかけさせられない」と言ってくれたのだけど、きっと
同じ年の「お殿様」が家で何もしないものだからそれを基準にしてるのだろうけど、小学生の頃から祖母の手伝いをしてる私の手際
見せると徐々に軟化して、しまいには「明日はオムレツが食べたい」とか言い出すようになった。
和食しか作れない私の数少ない研究を重ねて完成させた洋食の一つだった。
たしかに食事を作る分量が二人から五人分になったので大変といえば大変だ。
でもご飯を作ったり、祠のお世話をしたり、家の事をやったりで、忙しい毎日だったが、余計な事を考えずに済んだので、それはそれで良い生活だった。
祖母が亡くなってから、私は家にいる時間が短くなった。
厳密にはいられなくなった。
静かになったこの家の無機質な空気が何とも言えず、耐えられなかった。
家の中に一人でいる事がとても怖くなってしまった。
朝は早く目が覚めてしまい、気晴らしにと裏の山を登り、学校からの帰りは色々と道草を食いながら帰るのが次第に習慣となっていった。
ある日の早朝、いつものように目覚ましが鳴るよりも一時間早く目が覚めた私は、紅茶を作って水筒に入れ、裏山の一番高い所まで登った。
ゆっくり登って五分くらいで登れてしまう裏山を登り、藤村のおじさんが作ってくれた丸太のベンチに腰をかける。
朝の澄み渡った空気の中、町中を見渡しながら飲む紅茶は最高に美味しかった。
ここは山に囲まれていて、夏でも涼しく、熱い飲み物を飲んでも美味しく感じる事が出来た。
ふと、隣の川之江家を見ると、丁度両親が車で仕事に出たところだった。
両親が家を出るのを見送る小さい女の子がいた。
史香ちゃんはいつも早起きだな。
史香ちゃんは眠そうに目をこすりながら両親を見送っていた。
車が門を出ると、史香ちゃんは家の方に向かおうとした。
その時、ふとどこかから視線を感じたのか後ろを振り向いた。
周りを見回しついに山の上にいる私と目が合った。
私は大きく手を振って「おはよう!」と声を張った。
途端、史香ちゃんはトタトターっとサンダルのまま門を走り抜け、私の家の門を入り山を一目散に登ってきた。
あまりの速さに驚いている私の横に、ちょこんと座り、顔をこちらに向けて、「おはよう。」と挨拶してくれた。
v私は水筒に付いている予備のコップを取り出して紅茶を注ぎ、史香ちゃんに渡した。
史香ちゃんはそれを小さな両手で受け取り、一口飲んだ。
「おいしいね。」
この史香ちゃんといるほっこりした時間が何とも言えない心地良い一時だった。
紅茶を飲み終わると同時に史香ちゃんはすっくと立ち、どこか遠くの方を見つめていた。
「ん?史香ちゃんどうしたの?」
「おじさんがいる。」
私のいる所からは木が邪魔して見えなかったので、先程史香ちゃんが座っていたとこへずれ、藤村さんの家の門を見た。
おじさんは庭を出て門の方まで歩いて郵便受けに新聞を取りに行っていた。
おじさんは新聞を取り出すと、ふと何かの気配に気付いたのか周りを見渡し始めた。
そして、こちらの山の上に鋭い視線を送る。
刹那、視線を向けているのが史香ちゃんだとわかると途端に顔がふにゃけ、だらしのない笑顔になっていく。
ここの人達は誰かに命でも狙われているのだろうか。
妙に感覚が鋭い。
「手、振ってあげれば?」
私は全身を使って大きく手を振る史香ちゃんの姿を想像していた。
しかし予想とは違い、手の平を正面に向け肘を折り曲げ、その肘から下だけで手をゆっくり振り、大きくない声で「おはよう」と言いながら首を傾け、笑顔で挨拶をした。
するとどうだろう、おじさんは新聞を下に叩きつけ、両方の拳をこれでもかというくらい強く握りしめながら顔を天高く向け、雄叫びを上げた。
「うおーーーーーーーーーー!」
「うおぉぉぉーーーーーーーーーーっしゃぁぁぁぁっ!」
おじさんが三回目の「うおーー!」に入る直前におばさんが何事かと怪訝そうに出て来て、拾い上げた新聞で頭をはたき、耳を引っ張りながら家の中に引きずられていった。
私はそれを見て爆笑した。
人様の不幸を笑うのは本当に申し訳ないが爆笑せざるを得ないくらい面白い絵面だった。それを見たおじさんは更に吠えた。
おばさんにもう一回ひっぱたかれながら家の中へと姿を消していった。
確かにおじさんの気持ちもわかる。
こんな大人な振る舞いをする史香ちゃんを見たら誰だってあんな反応をしてしまうだろう。
私もつい史香ちゃんを強く抱きしめ、誘拐し、軟禁してしまいたくなる衝動に駆られた。
祖母が亡くなり、一ヶ月が経って、季節は夏を迎えていた。
ここ最近、おじさんも元気がなかった。
私も相変わらず家にいる時間が短く、忙しい時間を過ごしていた。
あと一週間で学校が夏休みに入り、物理的にどうしても家にいる時間が増えてしまう。
私は少し憂鬱になりながら家の近くの小高い丘にある、これまた藤村のおじさん手製のベンチに座り、夕日を眺めていた。
ふっと視界に缶が見えた。
いつの間にか横に瀧君がいた。
「暑いな。」
「そうだね。」
「これやるよ、好きだったろ。」
「缶のみかんジュース好きなの瀧君でしょ。」
「そうだけど、真帆も好きだろ。」
「好きだけど、一番じゃない。」
「じゃあいい。俺が飲む。」
「あっ、嘘です、嘘です大好きです。私の体、血の代わりにみかんジュースが流れる特異体質なんで。ほら、私のお腹軽く叩いてみて。『ポン』て言うから。
「本当、女っ気ないな。叩いたら俺を「二代目藤村のおじさん』とか呼んで変態扱いするるんだろ。」
「それいいね!じゃ、瀧君の事、これから『二代目たっちゃん』て呼ばせてもらうね!瀧男だし、たっちゃんでいけるじゃん!」
「それだけは勘弁してくれーーー。」
本当に嫌がっている瀧君を見て、こんな名誉な愛称をなぜ嫌がるのか腑に落ちない私。
「で、一番好きなのは?」
「藤村のおじさん。」
私は自信満々に、誇らしげに即答したが、瀧君の望んでいた答えはどうやら違っていた。
「缶ジュースだよ!ていうか好きな人の趣味悪すぎだろ。
「お子ちゃまにはわからないよ。…きっと絶対…わからない。」
瀧君は何かを察して黙り込んでしまった。
私はそんなつもりはなかったので話題を戻した。
「で、何の話だっけ?」
「缶だよ。好きな缶は?」
「あんみつ!」
「缶詰めじゃねぇかよ!昨日美味しそうに食べてるの見たけど。」
瀧君はどこまでも私のくだらない会話に付き合ってくれる。
藤村のおじさんの次に楽しくて良い人だ。
そんなこんなで他愛ない会話をしていると、藤村のおじさんが得体の知れない物を両手に持ってやってきた。
「おー!取れたどーー!」
おじさんは右手にキジ、左手に鹿を持って引きずっていた。
キジも鹿も顔がぐったりとして舌もだらんと垂れていた。
私は悲鳴を上げて人生初の気絶を体験した。
目を覚ますと家にいた。
どうやら瀧君が家まで運んでくれたようだ。
庭が何だか騒がしく窓から外を覗いた。
十五人くらいの大人や子供が外で何やら楽しそうに騒いでいた近くに心配そうに私の様子を見ていた史香ちゃんが事情を説明してくれた。
おじさんの農家仲間が作物を荒らしに来たや猪や庭に仕掛けていた罠にかかったキジや鹿捕まえたので皆で焼いて食べようという事になったそうな。
猪の方は去年のうちに捕まえて食肉加工し、冷凍しておいた秘蔵肉をおじさんがどこかかr聞きつけて分捕ったんだそうな。
そんなこんなでおじさんがすかさず鹿肉が好物だったみっちゃん家の庭で弔いがてら焼いて食べようという提案をした後、近所から野菜や炭や気絶したお姉ちゃんが運ばれてきた、と。
確かに家には普段使わない大きい包丁や鉄板が置いてあった。
夏になるとよくここの庭でゲテモノ焼肉をしていたような気もする。
お肉は猟師さんの家で下ごしらえしてから持ってきてくれてたのであんなにぐったりした動物を見たのは初めてで、私にとってかなり衝撃的だった。
臭みを取るために下処理をしたお肉と、近所の方が採れたての野菜を持って来て勝手に台所を使い、食べやすい大きさに切り分け、おじさんが鉄板の上で混ぜ合わせながら焼いてくれた。
最初は塩と胡椒とレモンであっさりとした味付けで食べた。
それだけでも充分なほど美味しく、あんな無残な姿だった動物がこんなに美味しくなるとは驚きだった。
途中で誰かが日本酒の差し入れをしてくれてからはおじさんは焼くのを別の人に任せていつもの「みっちゃん特攻部隊」の仲間と共にもう何十回は繰り返されているであろう祖母の熱い思い出話で盛り上がっていた。
おじさんは酔うと脱ぐ癖があある。
「みっちゃーん!」と叫びながら上着を脱ぎ、タンクトップになった。
おじさんが言うには「この町でタンクトップを着ている奴はいない。皆肌着だからな。」
と、誇らしげに市内の衣料量販店で買って来たタンクトップを見せびらかしては自慢していた。
自称この町の『若大将』を名乗っている。
…もう年寄りだけど。
ただ胸の真ん中あたりに大きくクマさんとゾウさんの絵がプリントされているデザインのタンクトップを選ぶおじさんのセンスに疑問を感じながら、野良仕事で鍛え抜かれた意外とがっしりなボディに密かにときめいてしまう私だった。
大抵のお肉が焼き終わると、締めはこれまた誰かが差し入れてくれた野菜と麺を焼いて焼きそばを作ってくれた。
楽しそうな皆を見ていると私も楽しくて、嬉しくなった。
史香ちゃんに焼きそばを取り分けて一緒に食べながらこの光景を見ていた。
お腹も一杯になってきて、一旦お箸を置くと史香ちゃんがふいに手を握ってきた。
「楽しいね。」
「うん…そうだね。」
「嬉しいね。」
「うん…。」
「皆…一緒だね。」
「う…うう…ちょっとトイレ…。」
私は堪え切れなくて家の奥の洗面台へと駆け込んだ。
きっと今回の焼肉は私のためにしてくれたんだ。
寂しくないように、って。
一人じゃないよ、って伝えるために。
嬉しい。
嬉し過ぎる。
皆の優しさがどんどん体の奥まで染み込んでいく。
こんなに嬉しい事ってあったかな。
私はあまりに嬉しくて大声で泣いた。
きっと外の人達に聞こえてるんだろうな。
でもそんなの構わない。
もう言葉では表現出来ない程嬉しいのだから。
あれ程孤独感で硬くなっていた私の心がどんどん柔らかく溶けていくようにほぐれていったのを感じた。
私はひとしきり泣いた後、何事もなかったかのように皆の所に戻った。
戻ると特攻部隊の連中が「真帆ちゃんを泣かしたー。」と、コップや器を箸で叩き、やんや、やんやと史香ちゃんをからかっていた。
史香ちゃんは涙目になっていたが、泣くのを堪えていた。
私はマッチを持ち出し、火をつけたマッチ棒を彼らに投げつけた。
何本も、何本も投げつけて鬼どもを退治した(良い子は危ないので決して真似をしないように!)
部隊は全速力で門を飛び出し、田んぼ道へと逃げていく。
ここで「史香ちゃん親衛隊」が反撃に出た。
町の若い連中は大抵史香ちゃんファンであるのだが、その中でも熱狂的な因子を「親衛隊」と呼んでいた。
ちなみに藤村のおじさんはどちらの隊にも属しているが、今日は運悪く特攻部隊としての任務を全うしていた。
特攻部隊四人を田んぼに落とし、拾い上げて泥が付いたまま戻って来させた。
その隊員達に私はホースの先を狭くし、史香ちゃんに水を出すようお願いすると、水は最大の噴出力を持って泥男達へと向かっていった。
泥男達は悲鳴を上げて退散していく。
しかし、「親衛隊」が門を閉じてしまい、彼らは延々水攻めの刑に処された。
きっと復讐心に燃えていたのだろう、史香ちゃんは終始楽しそうに笑っていた。
私も、皆も愉快そうに笑い合った後、お開きとなった。
その夜はぐっすり眠れた。
そしてその日から私は家でゆっくり過ごせるようになった。