第二話 「暴走という名のおじさん」
私の家の隣には川之江家がある。
私が越してきた頃から入り浸っている家だ。
今では冷蔵庫を開けて勝手にジュースを飲んでも何も言われない間柄どころか、私の分までヨーグルトを買い置きしておいてくれる。
おじさんもおばさんも良い人達で面倒見が良く、祖母が忙しい時は車で彼らの家族と共に色々な場所へ連れていってくれた。
だけど、平日は共働きなので留守にしている事が多い。
だから私が入り浸るようになってからはここの長男で同級生の瀧雄君と四歳年下で妹の史香ちゃんの面倒を見ている。
瀧雄君は友達と外で遊ぶ時以外は家の中で黙々と何かを作っている。
手のかからない良い子だ。
史香ちゃんはいつも私にべったりだった。
何をするにも一緒で、私も本当の妹が出来たようで、とても嬉しかった。
髪型も私のを真似していて、史香ちゃんは小学校一年生から髪を伸ばし始め、三年生の頃には私と同じくらいの背中まである黒髪ロングになり、前髪も額が隠れる程度に伸ばし、右に分け目を作り左へと流す、私の思う「大人っぽい女性」の髪型にしていた。
だからよく一緒に出かけると姉妹と間違われた。
悔しい事に史香ちゃんの方がこの髪型は似合っている。
二重瞼の丸く大きい目、鼻筋の通った高めの鼻、上品で可愛らしい小さいお口が笑うと小悪魔笑窪を形成する。
それを見て瞬殺されない男子はいない。
実際相当モテるらしい。
藤村のおじさんなんか、
「史香ちゃんの笑顔は万札を出してでも見たい。」
と、生々しい発言をしていた。
私は二度とこの変態爺さんに史香ちゃんを会わすまいと心に強く、強く誓ったのだった。
一方私はと言うと、まつ毛が長いくらいで、全体的には丸いが少しだけ吊りぎみの目尻、鼻も口も輪郭も大した特徴のないのっぺらりんとした顔で反対にくっきりしている祖母が羨ましかった。
そして、何と言っても祖母には最強の武器「泣きボクロ」がある。
せめてそれだけでも遺伝してほしかった…。
話は戻って…そもそもの話、史香ちゃんならどんな髪型でも似合うのかもしれない。
この髪型は次第に町の人から「ふみカット」と呼ばれるようになった。
私が元祖なのに、なぜ史香ちゃんの名前が付けられているのか、どうも腑に落ちない。
もちろん命名者は藤村のおじさんだ。
私も好きだが、史香ちゃんも藤村のおじさんが大好きだ。
学校から帰ってくると近所におじさんがいないか探してから家に入るくらいだ。
私にもなのだが、おじさんはよく女の子の細かい所を見ている。
「髪型変えた?前のも良かったけどその髪型も可愛いよ。」
とか、
「その服かわいいね。今年の新作?」
とか、
「元気なさそうだね、聞くよ?」
とか…。この人は本当に農家の人なんだろうか?と疑問に感じる。
一番驚いたのは誰にも言っていないのに風邪で学校を休むと果物を沢山持ってお見舞いにやって来る事だ。
私は祖母に「この家には監視カメラが付いているの?」と真剣に聞いた事がある。
史香ちゃんも同様にお見舞いに来てくれたそうなのだが、私よりも果物の数が多かったそうな。
心の中で女の「若さへの嫉妬」が始まったのもこの時からだった。
私はそんな面白い二人に救われた…心から。
そんなある日、私が中学一年の時、六月の梅雨の晴れ間が覗いた日曜日の午後の事だった。
祖母が体調を悪くしたとの事で、私が代わりに町まで買い物に出かけた。
戻ってくると祖母は台所の前にうつ伏せで倒れていた。
一目散に藤村のおじさん宅へ向かい、
「すぐに戻って病院に向かう準備をするように。」と指示を受けた。
おじさんはいつもの優しくのんびりした態度とは違い、とても冷静だった。
私はすぐに家に戻り保険証と財布を箪笥から取り出し祖母を担ぎ上げようとした。
中学一年の私にとって祖母は重く、運ぶのにもたついていると車の音がして、家の庭に止まるのが聞こえた。
藤村のおじさんは玄関から入ると私の名前を呼び、台所まで来ると祖母を軽々と担ぎ上げた。
車の後部ドアは開いていて、私と一緒に後ろへ乗りこんだ。
随分と慣れた調子で車に乗り込み、私はシートベルトを締めて祖母の頭を膝の上に乗せた。
おじさんはおもむろにアクセルを踏むと文字通りぶっ飛ばした。
制限速度をちらと見たが恐ろしくなったので、見てないふりをする。
ミラー越しに見るおじさんの目はキリッと真剣でいつもの目尻の下がったゆるいおじさんとは別人のように感じた。
田んぼ道を猛スピードで駆け抜けながらおじさんは祖母について話してくれた。
「ったく、こんなんになるまで無理しやがって。これで二度目だってのに。」
私は以前に祖母が倒れた事なんて知らなかった。
「まだ真帆ちゃんがこっちに来る前の時なんだけど、家の前で倒れてるのが見えてな、まぁ命に別状はなかったから連絡してないんだろうな。あれから毎日みっちゃんの様子見てて、しばらくは大丈夫そうだったけど、十日前から急に顔色が悪くなりだしてたからな。」
「十日も前から!?気付かなかった…。」
「いやぁ、よく見ないとわかんない程度だったから、本当に悪くなったのは三日前からだけどな。俺が病院行けって言っても行かないし、きっと孫の前で弱ってるとこ見せたくなかったんだろうなぁ。」
私はおじさんの話を聞いているうちに恥ずかしくなってきて、この場からドアを開けて逃げ出したくなった。
三日前だって、いつもより元気ないなぁ、と感じていた程度でそこまで深く心配なんてしていなかった。
その事をおじさんに話すと、
「当たり前だ。愛の深さが違うからな。」
と、冗談なのか、本気なのかわからない冗談を言った。
その後も何かと色々話をしてくれた。
きっと私を不安にさせないために余計な事を考えさせまいとしてくれているのかもしれない。
おじさんの優しさが心に染みてきた。
きっと私達の事を必要以上に見てたのも祖母が心配で観察しているうち、自然と観察する癖が身に付いていったのだろう。
私は藤村のおじさんに危うく惚れてしまうところだった。
心の中で変態とかエロじじいとか暴言を吐いた事を悔いた。
ちなみに後日瀧君にこの事を話すと、
「俺は服装を変えても髪型変えても何も言われた事ないどころか、史香に風邪もらって一緒に休んだら、史香様に風邪うつすな!って俺が怒られたんだぞ?」
と、ため息混じりに話してくれた。
私は瀧君が不憫になり無言で頭を撫でてあげ、物凄く嫌がられたのを覚えている。
スピード違反全開の弾丸車両は間も無く国道に出た。
相変わらず、車は暴走を続け、パトロール中の警察車両を平気な顔をして追い抜いた。これにはさすがの私もびっくりした。
スピード早いなぁ…とは思ったけど、まさかパトカーを追い抜くとは…。
当然の事ながらサイレンが鳴り、私達の乗る車を追いかけてきた。
おじさんは止まるどころか速度を更に上げて振り切ろうとした。
しかし、軽自動車が勝てるはずもなく、横に並ばれてしまう。
この人の持つ「引き」の強さなのだろうか、向こうの窓が開いた。
「おう!誰かと思ったらタツじゃねぇか。俺達を振り切ろうとしてまで急用なんて、お前にあんのか?」
「みっちゃんが倒れた。」
藤村のおじさんの名前は「達夫」なので、周りから「タツ」とか「たっちゃん」とか言われていた。
ちなみに私と史香ちゃんはたまに「変態おじさん」と呼んでいた。
おじさんにしてみればこの状況でおちゃらけるかと思ったが、説明しようとも挨拶すらもしようとしていない。
私は気付いた。
おじさんは冷静なんかじゃない。
祖母の事しか頭にないんだ。
私は窓を開けこの先にある総合病院に急いで行きたい旨を伝えると、隣の警察車両は私達の車の前を走り、信号の色に関係なく最高速度に近いスピードで走ってくれた。
おかげで普段なら三十分かかる距離を十三分に短縮出来た。
私は警官の方々に挨拶とお礼をした。
しかし、彼らは帰ろうともせず診察室まで付いて来てくれた。
最初は親切で色々してくれているのかと思ったが、何やら様子がおかしい。
全員が待合室まで押し返されると年配の警官がどすん、と深く椅子に座り、目を閉じ
後に手を合わせ祈り始めた。
この人もか…。
おじさんの言う事は案外大げさではなかった。
この町に来てからしばらくすると私が「みっちゃんの孫」として認識されるようになってきた。
町行く人からよく『最新のみっちゃん情報』について聞かれるようになった。
こんなに町の至る所で祖母の事を慕っているどころか崇拝している人がいるなんて思わなかった。
その中でも度を越している人の事を私はこっそりと「みっちゃん特攻部隊」と名付けていた。
祖母のためなら何をしでかすかわからないという意味で命名した。
…この人も特攻部隊だ。
もちろん部隊長は藤村のおじさんだ。
おじさんは待合室の椅子に座ると下を向いたまま微動だにしなかった。
警官二人に挟まれ、項垂れているおじさんは明らかに「何かをやらかしてしまった人」の図になっている。
周りでは看護師さんが、やたらバタバタとせわしなく動き回っていた。
日曜日なのに急患が多いようだった。
私はそわそわしてきた。
何か気の紛れる事がないかとおじさんを見たが、やはり微動だにしていなかった。
私はもう気が気ではなかった。
何か別の事を考えていないと祖母の事ですぐに頭が一杯になり、不安で心が押し潰されそうになっていた。
両親を失ってまだ四年しか経っていない。
唯一の肉親である祖母まで失ったら私は…。
きっとおじさんは私の中で、心の緩衝剤だったのだ。
藤村のおじさんにどれだけ救われてきた事か、その事に今更ながら気付かされた。
祖母は一旦痛み止めを打たれて落ち着いていた。
翌日に精密検査をする事になり、入院が決まったので、私は祖母の着替えを取りに一旦自宅へと戻る事になった。
おじさんに家に戻りたいので車を出してもらおうと呼びに行くとおじさんは下を向いた
ぴくりとも動かなかった。
肩を揺らしたが何の反応もない。
おじさんは前かがみのまま両足間に腕をたらし目を閉じながら口には微かに笑みさえ浮かべ恍惚とした表情に満ちていた。
首には濃厚時に使うタオルをかけていたので、何だか戦
だった。
おじさんは祖母の事をお医者さんから聞く少し前から気絶をしていた。
警官の方々が病院から自宅に戻すのに大変だったようだ。
そして数日後、医師より癌が数カ所に転移しており、「末期」である事が告げられた。