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74:そして世界は救われる

 叩きつけるような大雨と、空を裂くような雷が鳴り響く。

 地鳴りのような音が遠くに聞こえた。

 すぐに地面が揺れ、全員が転ぶか自らしゃがんで膝をつく。


「祈りを捧げるんだ!」

「オトジ様、私たちをお守りください……」

「きっと聖女様や騎士様が、なんとかしてくださる」


 人々の祈りがソア山に捧げられるとき、一つ一つの力は弱くても、集まれば強大になる。

 かつて聖女と呼ばれ、魔女とも呼ばれた一人の人間が、いつか来るときのためにと願ったかたち。

 守護神オトジを思って、人々が祈りを捧げますように。

 そしてそれが、人のために眠りについた神さまたちの力になりますように。


 たくさんの混じり合った思いは神にも届く。

 そこにはたしかに、利己的で、勝手で、誤解に基づいた一方的なものも混じっていたが、それでも各々が自分の生きる世界が壊れないようにと祈っていた。


     ***


「約束だったわ。『聖女として選ばれた人間を、あなたの傍らに眠らせる』。その存在があなたの魂を癒し、慰めるように。『そうすればあなたは世界の破滅を願わない』」


 神が力をのせて言葉にすれば、それは果たされるべき契約だ。ときには発した本人にかけられる呪いともなる。

 かつて彼が告げた約束を、今こそ果たすことになる。


「そんな……めちゃくちゃだ。そんなことをして、神としてのあなたにも無事でいられるかどうか。だいたい、俺は『四人の神が選んだ者』だともしていたはずだ」

「神ならここに四人、いるじゃない。選ぶのがどの神かは指定されていなかった」


 イラだけでなく、ラクサたちも驚いた気配がする。と同時に呆れた気配もした。


 人間として生まれたこの身を捧げたあとどうなるのか――。

 正確なところは何も予想できない。でもきっとオトジを封印したときと同じように――いや、今度は完全に意識のなくなった状態でただ存在するだけになるんじゃないだろうか。

 それでも私はこの方法を選択する。


「ラクサたち三人に、私で四人。私は自分を自分で推薦する」

「どうしても、あなたは人間を俺に捧げたくないらしい」


 顔を歪めて、イラは私を責めた。


「あなたは他の世界に去った神の用意した物語を利用したんだな。あのときと同じく、選ばれた人間が迷うさまを俺に見せつけた。俺が完全に諦め、あなたの提案を受け入れるように」


 そういう面があったこと、否定はしない。


「さすが悪神と呼ばれるだけあるよ」

「すべてが完ぺきな答えは用意できなかった。でもせめて、一度失敗した私にチャンスをちょうだい。私だってあなたの条件に合う。迷って失敗して、完ぺきじゃない存在でしょ。今だって、色んな後悔が残ってるし、本当はもっと違うやり方があればよかったのにって思ってる……」


 はっとしたイラが、身じろぎした。私を抱き寄せたままのラクサが苦しげに小さく息を吐くのも、すぐ近くで聞こえてしまった。

 今度こそ自分の身を捧げると決めたはずなのに、迷いを捨てきれなかった自分が情けない。


「まるで、かつて聖女に選ばれた人間のようなことを言う」

「神も人間も、迷うときは迷うってことなんじゃない」


 それでも、気付いてしまったから。

 未練を残した人間を守護神オトジに捧げずに済む方法。人間よりは力のある自分が、やるべきなんじゃないかと思う。


 人間として生まれて、前世の記憶として自分の破滅が必要だと知って、この世界の神様に八つ当たりした。今思えば、その八つ当たりしたい神様たちの一番は、こういう選択をしてしまう自分自身かも。


「お願い……私でもいいと言って」

「あなたのその魂が傍にあるなら、俺は嬉しいよ――」


 イラは悲しそうに笑った。


「だけど寂しいって気持ちは、きっと完全になくなることはない。意識のない、あなたの力のひとかけらに慰められ、同時にきっとこれ以上ない寂しさを感じるんだ」


 ため息をついたのはラクサだった。


「贅沢だ」

「そうだ。俺は贅沢になってしまった」

「その寂しさはきっと、完全に消し去ることは無理だろう。それでも……多少の慰めになるなら、俺のこの身も連れていってくれないか?」


 私はラクサから少し体を離して間近の彼を見る。

 さっきまでの苦しげな様子とは一転し、にっこりと宣言したラクサに、全員がきょとんとした。


「おいラクサ、お前、これまでの流れちゃんと理解してるか?」

「してる。面倒くさいくらい寂しいって言ってるやつがいて、人間を一人必要としている。でも人間以外にもいちゃ悪いってことはないだろ。俺のことはマツリのおまけ程度に考えてくれればいいよ。この体に宿るくらいの力だと、やっぱり意識はなくなるだろうが……一人よりは二人の気配があったほうが寂しくはない」

「ラクサは、俺のことを気に食わないと思ってるかと」

「気に食わないのは当然だろ。お前は一度俺から彼女を奪ったようなものだ」


 堂々と言い切った。


「二度目は我慢ならないから、俺も一緒に連れていってくれ」


 頼んでいるのに、命令しているような有無を言わせない声だった。


「ま、待って。ラクサがありなら、私のことも連れていってちょうだい」


 横からナケイアが自分もと主張する。

 それを聞いたラージェは、降参だというように両手を小さく上げた。


「あー、仕方ねえな。俺も一緒に頼む」

「だが……」

「一人より四人だろ。別にこの身にある分くらいの力を渡したって、俺たちにとっては大したことじゃない」


 それに、とラージェは続けた。


「どうせあの仕切りに阻まれて、大きな力の移動はできなくなってる。お前に渡す分以外の、神としての俺たちも、この地に眠らせ続けることになる。そんな俺たちと少しでも繋がりがあれば、動けないお前でも会話くらいは好きにできるかもな」

「好きに話せる……?」


 呆然として、イラがラージェの言葉の一部を繰り返す。

 それを横目にナケイアが不満げな声を上げた。


「でも、善神の祀られる神殿とは拠点をわけたいわ。どこか人の来ない山奥とかでいいから。だって今回のことも、絶対に手を出しすぎだって苦情を言われるのよ。……前にマツリを封じたときみたいに」

「力を貸してくれたことには感謝するが、あいつらとは気が合わない」


 ラクサが本気で嫌そうに言う。

 ふとラージェが真面目な顔つきになった。


「なあ、イラ。いやオトジって呼ぶ方がいいか。さっきは一人より四人って言ったけどさ。本当は感じてるだろ。お前を思う国中の人間の想いを。これだけ人から気持ちを向けられて、お前の寂しさを慰めるのが傍にいる神だけなんて思ってやるなよ」


 ラージェの言う通りだ。国中の人間の想いがまるで大きなうねりとなって、私たちを囲んでいる気配がする。

 もしオトジの力が大きすぎて小さな人間の思いに気付けなくても、ここまで大きなものとなったら嫌でも感じとらずにはいられない。


「でもマツリが……」

「もしうまくいったら、みんなで私に話しかけてよ。意識のない存在になったとしても、神様四人がかりで声をかけられたら、気が付くかもしれないわ」


 強がりだけど、笑ってそう言う。

 ラクサは少しだけ言葉に詰まったような反応をしたけど、ゆっくりと頷いてくれた。


「俺は君を捧げられるべき聖女に推そう」


 それはけして、彼の心からの言葉とは思えない。そんな表情をしている。それでも、冷静に私を推薦してくれた。約束の通りに。

 ナケイアとラージェも、凪いだ声で「私も」「俺も推してやるよ」と同意してくれる。


 イラは――泣きそうな目のまま笑顔を作った。


「俺はマツリを捧げられることを受け入れよう。……ありがとう」


 私はラクサに支えながら立ち上がる。人間の体でこの空間に居続けるのはきつかった。いつもならあと数年は持つ体が、限界を訴え始めている。


 このまま、オトジの元にいってしまえるけれど――。


「ねえ。最後に一つ、付き合って」


 まだ、やりたいことが残っている。


     ***


 ユウが手にした枝を中庭の土に刺し、ファルークが水差しを傾け、枝に水をかける。枝はまるで魔法のようにすくすくと育ってやがて一本の木になった。

 セルギイが鈴を鳴らすと、枝の一つに花が咲く。

 アルベールがその花のついた枝をナイフを使って切り取った。


 その一連の光景をみなが固唾を飲んで見守っていた。


「今こそ『白銀の騎士』たちに『白銀の聖女』を選んでいただくとき……」


 大神官が静かに告げる。


 私は……私は、ただ震えて枝を持つアルベールを見つめていた。

 彼もまたその手が震えている気がする。

 硬い表情の彼はじっと私を見ていた。ううん、アルベールだけじゃない。隣に立つユウもセルギイもファルークも。みんなが辛そうに私を見ている。


 彼らが一言、チドリ、と私の名前を呼んだなら。

 私は「白銀の聖女」に選ばれる。そして今度こそ、聖女として選ばれた人間が生贄になることで世界を破滅から救うのだ。あの黒い魔女と呼ばれた人間の記憶のおかげで、それがわかってしまった。


 震えが止まらなかった。

 世界は救われるけれど、私は死ぬんだ……。


 あの流れ込んできた記憶の、後悔や苦しみが、いま本当にわかる。


 世界を壊すわけにはいかない。

 きっと今度こそ、人間がその身を捧げなくちゃいけないんだ。


 でも、でも誰か……助けて。

 こんなときに、そんな情けない思いが湧いてどうしようもない自分のことも、どうしようもなく自覚して、悔しくて恥ずかしかった。


 その悔しさと恥ずかしさをばねに、震える体になんとか力を入れる。アルベールたちに私の名を呼ぶようアピールするがごとく、一歩踏み出したときだった。


「その役目は、私が担うわ」


 凛とした声が響き渡った。

 声の主はいつのまにか私のすぐ近くに立っていて、その目はじっと不思議な枝を持つアルベールに向けられている。


 自ら名乗り出たことへの非難のざわめきがおきかけたけど、すぐに収まる。むしろ誰もが言葉を忘れたようにしんと静まり返った。

 理由はすぐにわかった。彼女を囲んだ三人の目が赤や金色の、どう見ても神の瞳の色をしていたから。

 いや、瞳の色だけじゃない。彼らが人ならざるものだと本能でわかるくらい、まとう空気が違う。


「マツリ……」


 呼びかける声は小さくしか出てこなくて、きっと誰にも聞こえていない。

 なのにマツリはぴくりと肩を動かしたようにも思えた。


「ま……マツリ・カルフォン」


 その視線をずっと向けられていたアルベールが震える声で彼女の名前を呼ぶ。

 それは別に「白銀の聖女」に指名するためじゃなくて、マツリに睨まれてつい名前を口にしてしまっただけのようにも聞こえた。

 だけどマツリは口角を上げて小さく笑った。


「はい」


 指名に応えるかのように彼女が返事をする。

 ラクサやラージェやナケイアを従えて、アルベールの元へと赴くとそっと手を差し出した。

 ちょっとだけアルベールの肩が揺れる。何かを囁かれたのかもしれない。


「僕たちは、あなたを『聖女』に選ぼう……」


 アルベールが震える声で、そう宣言する。

 枝を受け取ったマツリは私たちのほうを振り向いた。


「チドリ」


 名前を呼ばれてびくりとする。

 周囲が道をあけるようにさっと引いていったので、私はそろそろと彼女の元へと歩いていった。


「人々を慰めるほうの聖女の役は、あなたに任せるわ」


 そう言って、マツリは枝に咲いていた小さな花を摘み取ると、私の手に載せた。


「世界を救うほうは、私。役割分担よ」

「人間を捧げなきゃいけないはずじゃ……」


 浮かんだ疑問がそのまま口に出る。


「なぜそれを……。ああ、もしかして例の記憶なの?」


 マツリは内緒話をするように顔を寄せて囁く。


「この体は人間よ。それでわかるでしょ?」

「あ……」

「振り回して悪かったわ……。こっちも記憶が上手く戻ってなかったの」


 私はぶんぶんと首を振る。

 わかったのは、目の前の相手がまた自分を使って人を救ってくれるつもりなんだってことだ。

 マツリは悪戯っぽく笑う。でも私は泣きそうだ。


 ……あれ? マツリの周りにいるの、四人?

 いるのはラクサたち三人のはずなのに、なぜか四人いると思った。姿をはっきりとは認識できないけれど、人ではない誰かがもう一人いる。


 ふと気付く。

 これは四人の神様と一人の人間の聖女という画なんだ。

 きっとみんな、これでおかしくなった世界は救われるって信じられる。


 ううん、伝承と一つ違う。

 みんな……真っ黒な服装をしてる。黒い魔女と黒い騎士と呼ばれた存在のように。


 マツリは私に小さく頷いてからくるりと踵を返した。


「あ――」


 言いたいことがいっぱいある気がするのに、何も言葉にならなかった。彼女が空を見上げれば、そこから光が差してきて、それで――。



 

 そのときのことを、私たちははっきりと語ることはできない。

 ただ覚えているのは、とても恐ろしくてそして神々しい何かが現れて、マツリを連れていってしまったということだ。


 地面の揺れが止まり、雷がやみ、雨が上がる。

 ソア山のある方角から急速に雲が消えて青空が現れていくのを呆然と見ていた。

 そして綺麗な空が広がっていくのと少し遅れて、人々の歓喜の声が徐々に広がっていくのも。


 私にわかるのは、カルフォン家の娘、マツリはいなくなってしまったこと。


 みんなのほっとした、嬉しそうな声を聴きながら、私もアルベールたちも、ただ目の前から消えていった存在のことを思っていた。

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