73:神たちの回想2
一時的に力を切り離して、人として生まれる。
オトジの封印が完全に解ける前になんとかしなければ。
世界には「文明の壁」ができ、力ある神々はほとんどが眠りにつくか別の世界へと旅立ってしまっていた。だから頼れない。
私にできるのは、オトジがそのまどろみから覚醒したとき、約束通り聖女として選ばれた人間を捧げること。一度は人に情を移しすぎてしまったけれど、本来ならあんな危険な橋を渡るべきではない。次はちゃんとやらなければいけない。
だがオトジが眠りから覚めるというのは、世界が破滅の危機にさらされるときでもある。失敗はできない。
人間として生まれた私には記憶が残らなかった。断片的な思いだけは引き継がれるが、それがどういう意味を持つのか正確なことを理解するのは、死の間際になってからだ。
さらには人間の私は二十数年くらいしか生きられない。切り離せる力の量があまりに少ないせいだった。
どの生でも人間関係は希薄だった。家族は早死にするか、元から私に興味を持っていない。私自身も、誰かと濃い繋がりを持つことには消極的になりがちだった。
「あなたが無意識にそれを望んでいたからだ。だから、そういう運命にある場所に生まれつく。あなたは生まれたあともその運命を変えようとはしない……」
人として死に、少ない力が神としての私に戻ってくるたび、もう一度と切り離して生まれ変わった。
「よくそんなに何度も試せたな……」
「マツリの体には、かつてマツリにこれ以上なく心を寄せた人間の血が薄くだが流れている。その血は、彼女の力を受け入れやすい」
そう。この体は、かつての白い聖女と白い騎士の血を引くものだ。オトジの怒りをかってしまった人間たち。
私の中に生まれていた感情が「恋」だって気づくきっかけをくれた。あのころの私は自覚できなかったけど、きっと私にとって友と呼んでいい存在になってた。
私は彼女を守った気でいたけど、ちゃんとできたんだろうか。
確かめる術はもうない。
「それに俺のすぐ傍にいたせいか、マツリの神としての力も少しだけ増している。だから何度も生まれ変わるなんて無茶ができた」
でも、完全な記憶を持って転生するには足りなかった。
せめて生まれ変わる次の自分への手がかりを残せないかと、五つの点で作るしるしを魂に刻み付け、無意識のうちに使うように仕向けたりもしていた。
あるときは、神官として生き、封じられた悪神を解き放とうとした。しかし直前で力が尽きて断念した。
あるときは、中途半端に持っていた黒い魔女の真実について語り、重罪人として捕まって毒をあおることになった。
また、単に困っていた商人を助けることしかできなかったこともあった。
ラクサの体が少し強張る。
「俺が眠っていた場所に続く階段に、松明があっただろ。あれは君の力の残滓があったからだ。あの場所の死んだ神官の体は、いつか生きた君だった」
あのときはもう少しだったのに……思い出すのが遅すぎたのだ。
「すぐ近くに君を感じたのに手が届かなかった。どうしてそこにいたのかもわからないままで……。だから、次に君の気配を感じたときは見逃さない。そうやってずっと神経を研ぎ澄ましていた」
だから彼は、封印祭前に私に夢や幻という形で干渉したのか。
悪神の解放を強く願ったせいで目をつけられた、という予想は当たっていたらしい。
「久しぶりに見つけた君は人間で、うまく意思疎通できなかった。なんとか幻として姿を見せても、軽口を叩くのが精一杯。だから人の形をとったが……」
幻でもラクサに会えたのはよかった。
怖くもあったけど、私にとっての仲間になる相手がちゃんといるって、初めて意識できたから。
それに記憶がなくても、人の形をとって傍にいてくれて、私はとても救われた。
「マツリは、生まれ変わるたびに少しずつ影響は残していたのね」
七十年に一度の封印祭だけは神の声を聞くよう、きっかけを作ったのもいつかの私だった。傍系とはいえ王族の家に生まれ、少しだけ祭りの形を変えられたのだ。
人間たちのほうから積極的に耳を澄ませてくれたら、神としての私の声もなんとか届けられる。守護神オトジが気に入りそうな人間を指定できる……。いま思えば、成功の一番近くまでいけたのはあのときだろう。
「聖女が生贄になるってしきたりまで作れれば、解決だったのに。あなたは、またためらったのか」
嘲るような言い方をするイラに首を振る。断片的な記憶では、そこまでできなかった。
でもたしかに、可能だったとしても躊躇した気はする……。
「今回は、これまでとは違ったよな」
ラクサの言葉に頷く。
少しずつ影響は残せても、ずっと成功しなかった。うまくいかなかった私は、あるときふと切り離した力を、かつてこの世界にいた神が旅立っていった世界の一つへと飛ばしてみることにしたのだ。
不安定な力で辿りつける場所はほとんどない。賭けのような試みだ。
だけど、かつて私に剣を渡した、大きな力を持つ神のいる世界に辿りつけた。
あちらの世界でも私は記憶を失くして生まれる。でも、存在に気付いてくれた神が私に語りかけ力を分けることで、思い出すことができた。
世界が違う影響なのか、その神はいくらかオトジ国のことを未来視できると言った。
今度こそ成功したと思った。
私は、オトジ国で人間として生まれた後にどんな人生を歩めば世界を救えるのかを教えてもらった。力を借りれば、この世界に生まれ変わった後も覚えていられると踏んだのだ。
しかし目論見は外れ、ほとんどを忘れた。
他の世界に渡った神が、去った世界に直接干渉はしない……そうしないと決めたかつての規則に反してしまうらしい。
また失敗だ。そう思いかけたけど。
私ではない、ただの人間の人生についてならば少し覚えていることができる。それに気付いたとき、一縷の望みを抱いた。
何度かの試みののち辿りついたのが、創作物として嘘も交えたこの世界の物語を読み、記憶を引き継げないか試してみることだった。
私の取るべき人生を描いたものではだめだ。
私ではない、ただの人間の物語。それも何通りかのありえる可能性の話。きっとすべては覚えてはいられないから、短い時間の中で終わる話。情報量も可能な限り減らす。
それを読んで覚え、結果的に私のとるべき行動を推測する。
「よく上手くいったな……」
だめだったら、また他の方法を試すだけだった。
可能性があるのなら、どんなことでもやるしかなかった。世界の破滅はもうすぐそこに迫っている。
人の作った娯楽のためのゲームが、一つの世界を救う道具に変わるかもしれないなんて。神にだって予想のつかないことが起こる。
でもまさか封じられているオトジまで、人に転生するとは誤算だった。
力が大きすぎる存在の行動は、予知できなかったらしい。
だからイラという存在は、私の知る物語をひっかき回してくれたのだ。
「予感があったんだ。今度こそ、あなたは人間を俺に捧げて約束を果たすんじゃないかと。だから、邪魔しようと思った」
「おい……」
「単に憎らしいあなたの邪魔をしたかった。あなたと話してみたかった。世界など壊れてもいいと思ったし……やはり壊れてほしくもなかった」
相反する気持ちが両方あっても不思議じゃない。
イラがチドリたちに言った。あれは自分のことだったのか。
「あなたが『聖女』に選ばれて、目論見が失敗すればいいと思った。過去に自分の身を捧げたあなたが、今度こそ形だけでも正当な評価を受ければといいと思った」
「あなた、それって……」
「あなたの代わりに人間の魂など、もう欲しいとは思えなくなっていた。今なら、俺に捧げられようとした人間の迷いが少しわかる……特定の存在に、執着してしまう迷いが」
苛立ったように彼は両手で顔を覆った。
「すべて俺の感情だ。嘘じゃない……」
目の前にいる神は、途方に暮れている。
だけど、今のままじゃだめだということもわかってる。
「マツリは、本当はどんな物語を思い描いていたの?」
ナケイアに訊ねられ、私は自分の記憶を辿る。
あの物語は、たしかにこの世界のことを予知した内容を含んでいる。でも最後にいくほど実際とはかけ離れていく。中庭で『白銀の騎士』のアルベールたちがチドリを選んだところで、かつての聖女の魂が光となって現れたりなんてことは起きない。
転生した目的を忘れた私が、信じやすいようにしていただけだ。物語をなぞる必要性を強く感じるように。
ラクサたちの誰かを解放できれば、状況は大きく変わるはずだった。
伝承の真相を知るラクサたちと、私の物語の記憶が揃えば、私の正体も、本当は何をすべきかも推測できる予定だった。
「オトジがイラとして人に転生したのは、見事にマツリの邪魔になってたってわけだな。こいつが無茶しやがったせいで、俺たちは記憶を持った人型をとれるほどの力が使えなかった。マツリのことさえ気付けなかった」
別の世界で、私が頼った神の作ってくれた物語。
かつての失敗を踏まえて、聖女となる人間が人びとに悪感情をぶつけられることがないようにという意図のもとに作られた話。
チドリは正しい。私はそれを補強する。
だけど、恋は実らない。
恋が実ったら迷ってしまうかもしれないから。
チドリをできるだけ気持ちよく、未練なく神の生贄になるよう仕向ける。それが、私に用意された本来の正しい物語。
そして同時に、強い力を持った神から私に下された使命でもあったのだ。
一度やらかした私に選択肢はなくて、そうすべきと言われれば強く反対はできなかった。
チドリやアルベールたちは、選びに選び抜かれた英雄じゃなかった。
選ばれたのは、マツリ・カルフォンとして生を受けるこの体の近くにいて、役目を積極的に受け入れてくれて、行動が予想しやすい人間だったから。
チドリに出会い、惹かれてしまう四人。彼らは、善神が代理人として認める程度に善人。
私が悪者ぶって敵意を見せる限り、聖女にチドリを選んでくれるのは確実。
そして、極端なことがない限り、聖女の役目を積極的にこなすだろうチドリ。彼女はオトジの望む条件を満たしている。
多少予定外の出来事が起きようと、物語を壊す行動に出る可能性がとても低い者たち。
すべてを考慮して、私が頼った神は彼らを選んだ。
もっと、なにかおかしいと疑ってもよかった。
だって彼らが「白銀の騎士」と「白銀の聖女」になるのは、私がそう導いたせい。
「そうね。マツリが導かなければ、彼らが『白銀の騎士』の証を手にすることはなかった。善神はただ運命が世界を救う人間を連れてくることに賭け、あの証を準備していただけ。あなたの気まぐれ一つで、別の人間がなることもできたんだわ」
用意された物語通りなら。
私は悪者を演じながら、チドリの恋を邪魔しきらなくてはいけなかった。
「あなたの正しい物語は崩れた。チドリの恋は実ったし、きっと迷うだろう。前のときと同じように」
わかっている。
いやそもそも、なんの未練もなく自分の身を捧げられる人間なんてそうそういないのだ。
神としての私だって、人に生まれ変わった私だって、結局はなんらかの未練を抱えてしまったんだから。
「でもこんなにも世界の危機を感じている今ならば、チドリは迷いながらも最終的には諦めるだろうな。これも前と同じだ。違うのは、今度こそ俺は人を捧げられることになり、約束は果たされること……」
だめだ。
万が一、彼女が自ら望んで神の傍に侍りたいと思うのだったら、それでもよかった。でも違う。
……私にとっての正しい物語は違う。
「マツリ、君はまた……」
全体を救うために、個を諦めることもある。
そうすべきなのはわかっているし、いざとなればそうする覚悟はある……あるはずだ。
だけど別の世界の神から用意された物語を知ったとき、愚かな私はもっと最後まであがきたくなってしまった。
神は万能な存在じゃない。
ただ少し特別な力を持ってしまった存在なだけ。
すべてを望んで選べない。それは人と同じ。
だけどやっぱり力を持っている以上は。
その分、できることはできる限りやるべきじゃないかって、そう思ってしまったのだ。
特に、自分にできることに気付いてしまった以上は……。
「あなたは力を持つべきじゃなかった。きっと神なんて存在に向いてない」
イラの言う通りかもしれない。
私は、用意される物語にいくつか注文をつけていた。
まず、恋愛が主題のものであること。それも悲恋ではなく恋が成就する物語を。悲恋であることがハッピーエンドに必要となってはダメだ。
成就の仕方を知っていたほうが逆に邪魔しやすいなんて、頼った神を上手く言いくるめた。
ラクサたちと合流さえすれば、本当は悲恋にすべきだと気付けるから大丈夫だなんて説明して。
「彼らの恋をむしろ応援するつもりだったの? ……前と同じように」
邪魔をしないというだけ……。
結局は多少の後押しをしてしまったけど。
イラの転生がなく、私の知識とラクサたちの情報が揃えばちゃんと推測できていたはずだった。
物語を用意してくれた神を少しだけ騙して、私が目論んだこと。
何度も生まれ変わるあいだに、気付いた方法を。
「あなたは、なにをしたかったんだ……?」
恋が成就してもなお、チドリが心の底から神の身許に侍りたいと願うのなら、それが一番理想ではあった。もしかしたら今度こそオトジの願いと上手く合致する人間かもと、ほんの少し期待もしていた。
でも違ってもいい。彼らには意味がある。
一時的にでも、嵐や海の荒れや大地の揺れでこの国はおかしくなる。そのときに人びとが安心できるよう、象徴的な存在が必要だ。
チドリが迷うのは想定内。
ちゃんと保険は用意してある。
むしろそちらが本命だ。
「イラ……あなたのその身は人から生まれて、人と同じ。自分で散々言ってたわね」
「ああ、そうだけど――」
怪訝そうにしたイラは、すぐにその意味するところを察したらしい。徐々に驚愕に目が見開かれていく。
私がもう一つ、神をそそのかして物語に入れさせた設定。
ハッピーエンドをむかえる場合、どうやってもマツリ・カルフォンは最後に死ぬ。不自然なくらいに生き延びる方法はない。
物語を用意してくれた神は、私が人間でないことを示すメッセージだと信じていた。
けど違う。
あれは、私が、記憶が曖昧になるであろう私に送ったあのメッセージは。
私が生き延びないことで、やれることがある。
「私のこの体も人と同じ。だからこの身を捧げることでも、約束は果たせるはずだわ」




