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69:最後の夜

 カルフォン家の屋敷を出るころには、雨が降り出していた。

 今夜はラクサたちも含めてこちらに滞在すればいいとイザベラとマックスが言ってくれたけれど、丁重に断ってイラのいる屋敷へ戻る。彼には、何を思ってラクサたちの正体を明かしたのか聞いてみたかったからだ。


 と思っていたのに、イラは屋敷には戻ってこなかった。

 夕食の場にもいなくて、今日は戻らないと使用人から伝言が告げられた。


「まあ、せっかくだし最後の夜を俺たちでゆっくり過ごそうぜ」

「最後かあ、実感わかないわ」


 ラージェとナケイアは、明日には封じられてしまうなんて思えないほどのんびりした調子だ。一応、怖くないか訊ねたら世界が壊れるよりましだと言われてしまった。

 ラクサもだけど、三人ともそこだけはぶれない。


「三人とも記憶がなくても、世界を壊さないってところにだけは譲れない感じよね」


 感想のような、質問のような、半々の気持ちで言った。

 そうしたらナケイアが笑った。


「マツリが言う? あなただって同じでしょう。わざわざ損な役回りを真面目に引き受けちゃって」

「それは……だって、さすがにね」

「当たり前のことでもないでしょ」

「でも別に立派な理由とか持ってない。気付いちゃったから仕方なかっただけって気もするし、ただやらなきゃいけない気がしてて」

「きっと無視できない性質なのね」

「誰でもあるでしょ、そういうの」

「かもね。上手く折り合いがつけられるかは、難しい問題。いいことしたって、周りの評価はめぐり合わせに時の運、本人の資質もあるし……」


 ナケイアは、記憶を辿るように斜め上の虚空を睨む。


「世界を壊したくない理由……。私、()()のために絶対に世界を守ってやろうと考えてた気がするわ……」


 それは独り言のようだった。

 明日には、何のために世界を守りたいのか思い出すことができるのだろうか。




 最後の晩餐とは思えない、いつも通りな夕食の時間が過ぎる。食後にラクサに誘われて、二階にある広いバルコニーに出た。


 ここに戻ってきたときは雷も遠くで鳴っていたほどだったのに、今だけ雨はやみ、風もなく静かだ。ただ曇った空は相変わらずで、部屋の中に置いてあるランプのほのかな灯りだけが頼りだ。

 手すりも床も濡れているから、ただ外に出て真っ暗な空を見上げるだけ。


 彼が誘ってきたのは、周りに誰もいないところで話そうということだから問題はなかった。ラージェが人払いはちゃんとしておくと言っていた。


 暗い中で並んだ私たちの指先が触れる。そのまま、自然と手を繋いでいた。


「そういえば、あなたが出てくる夢を見た夜は月が出ていたの。それが一瞬、赤く見えたのよね。あなたの瞳みたいに」

「俺の仕業かもしれない。俺たちを解放しようとする君と、どうにか接触できないかとあがいていたら……ありえる」


 一度瞬くと、ラクサの瞳は赤くなる。不思議なことに彼の赤い瞳は、暗闇の中でも気付ける。光っているわけでもないのに、そこにあるとわかるのだ。

 でもそれ以外はというと、ラクサは黒髪に加えて今夜は真っ黒な服を着ているから、そのまま闇に溶けていけそうだった。


 黒髪に黒い服なのは私もだから、彼から見れば、私も暗闇に紛れてしまいそうな見た目だ。


「ラクサは……」


 聞きかけた質問を引っ込める。

 彼を解放しようとした人間相手になら、誰にでもああいうふうに接触を図るのかとか、今ここでぶつけたってあんまり意味がない気がした。

 私が彼に惹かれたのは、出会い方が不思議だったからじゃない。出会ったあとに、彼と一緒にいるうちに惹かれていったのだ。


「君じゃなければ、たぶんちょっかいなんて出さなかったよ。どうにも、最初から君のことは気になって仕方ないんだ。自分が惹かれる相手だと、心のどこかでわかっていたんだろうな」


 まるで、私が飲みこんだ質問に答えてくれたみたいだ。

 というか期待してしまった以上のことを言われてしまった。


「今日はカルフォン邸でなにを話したんだ?」

「おばさまとおじさまのことで気になってたことを確認したの。それから、私を跡取りにするって言われた。あの二人とはうまくいってないと感じてたけど、少し改善したみたい。二人とも、気を許してくれたみたいにして――」

「二人と話すのも今日が最後だって思ってる君の空気に、あてられたのかもしれない」


 今日が最後。彼は私の反応を探るため、意図的にそんな言い方をしたとすぐ気付く。けど、わかっていても鼓動が早まった。


「そ、そうね。でもそういうのとは関係なく、これから時間をかければ、あの二人とはもっと仲良くなれたかも……」

「マツリ、明日どうするかは決めた?」


 この質問のために、ラクサがここで二人きりの時間を作ったのはわかっていた。またあの空間に封じられるだろう彼の傍らに、意識のない魂だけの存在になって一緒にいるかどうかの選択だ。


「決めたわ」

「どうする?」


 私は一呼吸してから答える。


「一緒にはいけない」


 繋いだ手に力が込められた。


「いかない、ではなく、いけない、か」

「ええ」


 私を見る彼の赤い瞳が細められる。息が詰まるような感覚がした。……気分の問題とかではなく、物理的に。

 力がないとか言う割に、本気を出せば殺気は飛ばせるらしい。

 そしてそれを執着の証かもなんて考えた私は、絶対にどうかしている。


「ラクサ、私、あなたのことが好き」


 すっと息苦しいのが消えた。


「先に言わないでくれ。俺が言おうとしてたのに」

「あ、ごめん」


 まさか、告白しようとしてあんな殺気飛ばしてた?


「俺も好きなんだ」


 ぐっと手を引かれ、距離を少し詰められる。

 暗いなか見つめ合って――彼の顔が近づいてくる気配があったから、私はそっと目を閉じて待った。

 唇が軽く触れあって、離れる。

 目を開けても、近すぎて彼の赤い瞳くらいしかよくわからなかった。


「絶対に、一緒にはいけない?」


 珍しく、彼が聞き分けのない、諦めの悪いことを言う。

 初めて明確な恋人らしいことをして、その直後にこんな弱々しく言うなんてずるい。いつもならしないような手をここで使わないで。

 心がぐらぐら揺れるのを感じて、私は目を瞑った。彼の瞳を見ていたら、流されてしまいそうだ。

 でも目を閉じたら余計に周囲の気配を感じてしまって、彼がすぐそばにいることを意識してしまった。


「私が前世で遊んだゲーム、もしもハッピーエンドを目指すなら、なにをしてもマツリ・カルフォンは破滅する。黒い魔女たちが封じられるときに、一緒に封じられてしまう。そう、言ったわよね?」

「ああ……」

「あのゲームのおかげで、私はやるべき最低限のことをやれて、明日を迎えられるの。多少物語から外れようが、軌道修正できたのよ。いろんな展開の可能性を知っていたおかげで、なになら違っていて大丈夫か、どれが変わってはいけないのか、予測できたから」


 察しのいい彼は、私の言いたいことが予想できたらしい。


「なにをどうしても、君は物語の最後にチドリたちの横で笑っていることはない。……それにもきっと意味があるってことか」

「そうよ」


 チドリの体質。

 彼女の生い立ち。

 善神の一人は子供の姿で中央神殿にいたこと。


 こんな大きな事情が、あのゲームの物語では語られていなかった。


 それって、私が世界を救うのには必要のない情報だったから、ではないだろうか。

 イザベラはチドリが自分の子どもだからと、特別な手段は講じなかった……いや、何もせずに様子を見ることにした。私が知らないふりをしていれば、それで終わった話だったのだ。

 子供の姿をとったあの善神だという存在も、与えられた役目以外のことをする気はなかった。イラが教えなければ、私たちと会うこともなかっただろう。


 私を転生させた存在は、最初からこの世界を救わせるためにあのゲームを作った。そして私をマツリ・カルフォンにした。


 これまでにもそうやって、誰かを転生させて世界を救わせようとしていたんじゃないだろうか?

 あの五つの点で作られたしるしはその痕跡――もっと言えば、かつて失敗した誰かの痕跡だと思う。


 予想が当たっていれば、あのゲームの見方が変わる。

 どうやってもマツリ・カルフォンに未来がないなら、何か意味があることなのだ。物語にそれが描写されていなかったことにも、きっと何か理由がある。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが何か見つけることはできなかったけど、あとはもう、知る限りで正しい物語を紡いでみるしかない。

 確信してしまえば、いっそ清々しかった。


「ずるいな。そういうことなら素直に頷くしかないだろ」


 私は、ようやく目を開いた。

 さっきより離れてたけど、それでも近い場所にラクサの顔があった。


「君が疲れて倒れるときは引き継ぐと約束した。そんな俺が、君の邪魔はしない」


 恐ろしいほど冷静な目だった。


「そういうところも、好き」


 最後だしと思いきって照れながら言ったのに、彼はまたため息をついた。


「俺も、ここで冷静に俺の申し出を断った君を好きだとも思う……まったく自分の感情なのに手に負えない。嫌いだとも思うのに」

「嫌い?」

「自分を犠牲にする道を、どうってことない顔で選ぼうとするところは大嫌いだ。いや、どうってことない顔でもないか。今日はいつもと少し様子が違ってた。自分の死が何かの意味を持つと覚悟してたからか」

「……やめて」


 本気でやめてほしい。低い声で告げるのに、ラクサは煽るように続けてくる。


「カルフォン夫妻のことは全部解決したのか? アルベールたちとの婚約問題は? チドリはこのあとどうする? 何も知らないエリカとイヴォンヌは? もっとやっておくことはなかったか?」


 繋いでいた手を勢いよく放して距離をとろうとするけど、手首を掴み直されて逃げられなかった。


「や、やめてよ! 今ここでそういうこと言うの!」

「今しかないだろ。俺は明日いなくなるんだから」

「やめて! 私は覚悟を決めてるし、それ以上でも以下でもないの! そういうことにしといてよ!」

「喜んで人に恨まれて悪役になるわけじゃないって、君は言ったんだ」


 ラクサに握られた、手首が痛い。


「俺を解放したとき、そう言っただろ。好きな相手と好きなように過ごしてみたかったって」

「言ったのなんて、その一度きりだけでしょ……」

「でも忘れない。君が色んな感情を飲みこんでたことは、誰が知らなくても俺は絶対に覚えてる。だから俺にまでなんてことない顔をしないでくれ」


 彼の手を取ったときと同じだ。

 彼に与えられてから初めて、自分がそれを心のどこかで望んでいたものだと自覚する。


 誰か一人くらいには、私が自分の役回りに心の中で文句を言いたいこともあったってことを、知って、そして肯定しておいてほしい。

 いや、誰でもいいわけじゃない。好きな人にだけでいい。

 無意識のうちにわがままだと抑えていた気持ちに、ラクサのせいで気付いてしまう。


「ほ……本当は全部中途半端よ。封印祭が始まる前は、やり残して後悔するようなものは持ってなかったはずなのに……」

「持ってたのに気付こうとしなかっただけだ。それよりもっと厄介なことに気付いてしまっていたから」

「そうよ。世界を救えるって気付いちゃったんだから……」


 だけど、もし私に前世の記憶なんて厄介なものがなかったとしても。あれもこれも手に入れるなんてことはできない。神にだってできないのだから。


 何をどうしようと、私がやることは変わらない。

 でも一つ、わがままを言っていいならば。


「……私の邪魔はしないって、本当よね?」

「信用ないかな、俺は」

「ううん、信じてる……」


 信じてるから、こんなお願いをできてしまう。彼は、きっと何があっても私の考えるのと同じ優先順位で行動してくれる。


「ねえ、ラクサ、もし私の予想が外れたときは連れていってよ。もし私が死ぬ必要なんてないハッピーエンドなら、私の魂を傍に置いて」

「それが君の一番の望み? カルフォン夫妻は? エリカやイヴォンヌたちは? 得られたかもしれない人生は?」

「どれかを選ぶなら、ラクサがいい」


 ここまで耐えたのに、結局、私も諦めの悪いことを口にしてしまった。可能性があるのなら、私だって好きにしたい。そして好きに選べるなら、目の前の存在以上のものなんてない。

 彼は空いているほうの手で、軽く私の目元を撫ぜた。


「そんな切羽詰まった顔しなくていい。ちゃんと連れていく」

「絶対だからね」


 念を押すと、彼はなんだかこっちが恥ずかしくなるほどの嬉しげな笑い声を漏らした。


「な、なによ」

「もし予想が当たって、君がどこかにいってしまうとしても……可能なら俺のほうが君についていこうかな」

「え。素直に封印されないの」

「ああ。君の傍にいるんだ。みっともなくしがみつく」


 あえて笑い話みたいにして明るくしてくれた。私もラクサに答えるように笑って――そしてまた、私たちは口づけを交わした。


 倒れるときも見守ってくれる完全な味方がいるから、前に進んでいける。

 明日、何が起こるとしても。

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