66:人の形をとる神様
扉の向こうは特段変わった部屋ではなかった。
大神官の執務室と同じように、大きめの執務机に来訪者のためのソファとテーブルのセット、半分ほど本の詰まった本棚。机の上には確認待ちの書類の山が築かれている。
窓の外に見える景色も、隣と続いている。
「待っていました」
ただおかしなところがあれば、出迎えた神官らしき姿の相手が子供の姿をしていたことだ。
そして、その瞳が金色であったこと。
「あなたは――」
「この神殿に祀られている神の一部、と言ってわかりますか?」
幼い容貌とは裏腹に、発せられる言葉はまるで大人のようだ。
深緑色の髪は耳の下あたりまでの長さで、可愛らしい顔をしている。背格好だけならば、だいたい十歳くらいだろうか。声も高めだけれど、緩いローブのような神官服からは、その子供の性別ははっきりとしなかった。
口調と表情だけは子供には思えない大人びたもので、見ていると落ち着かなくなるような奇妙なアンバランスさがある。
「ど、どうして?」
「それは私がここにいる意味ですか? それとも、どうしてそんな力があるのか、という問いでしょうか」
「……教えてもらえるのなら、どちらも」
なんとかそう質問する。
子供の隣に立った大神官は、ちょっと驚いた顔で私を見ていた。一目で人ではないとわかる存在相手に、強気な態度をとったのが意外だったのかもしれない。
けど、私はじゅうぶん驚いている。だって私が知る物語には、こんな要素はなかった。
ここに祀られているのは、かつて白い騎士と呼ばれた善神のはず。
善神たちも同じく、ぎりぎりまで力を使って黒い魔女を封印している。ただ、封印をし直すために少しだけ「白銀の騎士」たちに力を貸す。それがユウが手にした枝であったり、セルギイが得た楽器だったりする。
「人々が文明の壁と呼ぶあの仕切りは、この白の領域には完全にはきかない。それは知っているでしょう」
「ええ」
「私は調整役としてここにいます。どの程度の文化が行き来すべきか否かを人に伝えるために」
「あなたが決めているということですか」
「いいえ……。私はあるべき流れを読むだけです。かつて去っていた偉大な神の一人が、そういう役目と力を私に与えたのです。文明の壁と呼ばれる仕切りを不完全なものにしてしまった、白の領域のために」
不完全なものにしてしまった?
チドリたちのなかで、いちはやくショックから立ち直ったのはユウだった。
「白の領域が他の領域と行き来ができるのは、各領域がより発展できるようにじゃないんですか。自由に行き来できなくても、文化や技術を伝え合うために神が与えた場所だと……」
子供――神と名乗った存在は、いいえと答える。
「人間は誤解している。ここが他と繋がり、誰もが言葉の違いに苦しまず交流できているのは、ここに封じられているものの影響です。だからこそ、この世界を去る神たちは私に力をほんの少し貸してくれたのです。あの仕切りが不完全になってしまうから、その穴埋めに」
「白の領域は……各領域が手を取り合い、よりよい世界を作るために設けられた場所ではなかったのですか……?」
セルギイが肯定してほしそうな顔で聞くけれど、目の前の存在は薄く笑顔を浮かべたまま「違いますよ」と告げた。
「しかし、人間がこの地を善いことのために使おうとしていることは喜ばしいことです」
一応、褒めてはいるようだ。
「私たちを呼んだのはどうして?」
私は、一番の疑問を訊ねた。
もしかして、アルベールをここで「白銀の騎士」に任命してくれるのだろうか。
「あなたたちが、なにかをなすだろうと知ったからです。そして、聖女に選ばれるだろう人間と会っておきたかった」
「アルベールを四人目の騎士にしてくれるわけじゃないの?」
「この体はそのためのものではありません。言ったでしょう。調整役のためだと。ですがきっと、手順を踏んでいただければ私は彼を選ぶでしょう」
「彼が絵に触れれば光が辺りを包んで、選ばれた証の短剣を手にする。それで合ってる?」
「ええ」
何を聞いても、優しく微笑む表情が変わらない。それは作った笑顔というわけではなくて、本当に目の前の相手はこちらを優しく見守っているのだと感じた。
「私以外の善神と呼ばれる神は三つともすべて、封印を強固にするためにその身を捧げています。私も、そのほとんどを捧げている。封印の綻びについても気付いています。だからこそ、人間に力を貸す。道具という形であなたたちの手に」
「綻びに気付いてた!? それで放置してたっていうの!? 大神官と繋がるあなたならもっと――」
「この体と力は、あの仕切りを超えて行き交う情報の調整役をするためのもの。それ以外にできることはほとんどありませんよ。それに……私は、きっと人びとの善き心が世界を救うと信じていますから」
私の文句を穏やかに遮ってくれた相手は、心の底から感慨深そうにこう言った。
「私は人々を信じていましたよ。きっとその封印を結び直す日がくると」
責めるように横の大神官を見る。頭の固いこの子供はともかく、彼なら何か手を打てただろう。
だが彼は力なく答えた。
「封印の綻びだとか……私もつい最近教えていただいたのです」
「どうか、彼を責めないでください」
大神官への追及を許さないかのように私をじっと見つめた子供は、次に後ろのほうに立っていたラクサたちを見た。
「あなたがたにこうして会う日がくるとは」
「……特に会いたいとは思ってなかったけどな」
つまらなそうにラージェが言い捨てる。
「君たち、どういうことだ」
アルベールが訊いてきて、ラクサたちは一瞬、どうすべきか互いに問いかけるような視線を交わし合った。
善神と呼ばれる神は、それを不思議に思ったようだった。
「ここで隠す必要はないのでは?」
「あなたに指示されるのが気に食わないだけだわ。ここまできたら見せてもいいけど」
ナケイアが言うと、三人はゆっくりと一度目を閉じて――そして目を開けたときには、その色が人ではない存在のものに戻っていた。
チドリが小さく叫んで口元に手をやる。アルベールたちも、そして大神官までも驚愕して目を見開いている。
善神だけが満足げだ。
「共に信じましょう。人びとの良心を」
「それだけを本気で言ってるうちは、俺たちとは気が合わないな」
「あなた方は、手を出しすぎですよ」
ラクサの笑顔は嫌みっぽい。対照的に、相手は多少困り顔にはなったものの、やっぱり心の底からの優しい微笑みを浮かべたままだった。
神の瞳の色をしたラクサたち三人があきらかに気分を害したせいか、私たちの顔を見たかっただけという善神の目的が達せられたからか、子供の姿をとった神様との時間は早々に終了した。
大神官とチドリを部屋に残し、私たちは隣の部屋へと返される。
「チドリに話したいことって何かしら。『白銀の聖女』に選ばれる相手に何を言うつもり?」
「心配なら、今すぐチドリを連れ戻そうか」
「いえ、そこまではいい」
本気のトーンでラクサが言うから、私は強めに断った。曖昧に返すとすぐに行動に移しそうだ。
そんなことを言い合っている間に、すぐにチドリが隣室と続く部屋から出てきた。
「あ、みんな……」
「チドリ、なにを言われたの?」
「ちょっとした心構えみたいなことを教えてもらっただけだよ」
「大神官とあの神様は?」
「仕事をするんだって。調整役っていうやつ……。他の国とのやりとりについて確認しなきゃいけないことって多いんだって。しばらく待ってれば迎えの神官が来るから、玄関まで案内してもらえって言われたよ」
それよりも、とチドリは話題を変えた。
「ラクサたちも、人じゃなかったんだね」
そういえばいまだにラクサたちの瞳は赤と金のままだった。三人がゆっくり瞬きすると、その瞳の色が変化し、人間と変わらない見た目になる。
そこで気付いた。アルベールたちがずっと静かなのは、イラやさきほどの子供の姿をした神に加えて、ラクサたちもが人ではなかったと知って驚いているからだ。
なにかしら言っておいたほうがいいかと思ったところで、廊下側の扉がノックされた。
「どうぞ」
迎えの神官かと思って返事をすると、入って来たのはイラだった。
「なんであなたがここにいるのよ……」
「驚いてるかなと思って、様子を見にね。あの扉の向こうにいる存在に、君たちのことを教えたのは俺だから」
「あなたが? じゃあ、あなたが教えなければ気付かれることはなかったの?」
「うん。あの子供の姿になった状態は、調整役のためのものだ。自ら積極的に調べようとすれば気付けただろうけど、どうせやらないだろう」
イラが何も動かなければ、人の姿をとった善神とは会うことはなかった。
私の知る物語にない要素を、目にすることはなかったということだ。
「会ってみた感想はどうだった? 君たちに加護を与えて『白銀の騎士』にした神たちの仲間だよ」
イラが訊ねて、アルベールたちがたじろいだ。そして、大きく呼吸をする。
緊張を解くためかと思ったけど、質問したのがイラであることを考えると、さらに緊張した現れかも。
最初に口を開いたのはユウだ。
「なんというか、ちょっとイメージとは違った。なにが違うっていうと難しいんだけど」
「善神と呼ばれる神は、みんなあのような……感じなのでしょうか」
セルギイがそうこぼした。
彼は、さっきから落ち込んでいるようでもある。
セルギイの故郷の緑の領域諸島は、たしかオトジ国に眠っている神とは別の善神の一人を信仰する宗教国家だ。彼自身が真面目な神官でもあるから、もっと違う神のイメージがあったのだろう。
「俺も全員は知らないけど、だいたいそうなんじゃないか? あれでもじゅうぶん、人間らしい方だと思うけどね」
人間らしいってどこが、と言いたい。
何を言ってもただ優しく微笑むだけのあの子供は、なんだかとても気に食わなかった。
そこまで思ったところで、ずいぶんと過激な感想を抱いた自分に驚く。ラクサたちに感化されすぎだ。
「彼らは本来なら人の形なんてとらない。君たちがわざわざ『白銀の騎士』として選ばれたことを考えてもわかるだろう? 善意を信じ、なすべきことをなすだろう人間を選んで託す。もしくは、運命が選ばれた人間を運んでくるのを待つ、かな」
「選ばれたということはすなわち、俺たちは失敗することはないと考えてよいのだろうか?」
「まさか」
ファルークの確認を、イラはあっけなく否定した。
「失敗してもまた、それもやむなし。それも含めて許し、見守るって神だからね」
「しかし、世界が壊れてしまっては」
「うん。だから人間が、君たちの良心がきっとそうなるのを止めるだろうと心の底から信じてるんだよ」
ファルークは途方にくれたように黙り込む。
選ばれた者としてプレッシャーを感じているのかもしれないし、ある意味無責任な期待だけかける神に呆れているのかもしれない。
私は……呆れているほうだ。
ユウもセルギイもファルークも黙ってしまって、次に質問したのはアルベールだった。
「善神は人の形をとらない。しかしそれは、人とは違う存在だから当然とも言えるかもしれない。持っている感覚も価値観も違うのだろう。しかしイラ、いえ守護神オトジ……ここにいるあなたは人間のようだ」
「それは、人間のようであってみようとしたからだ。ちなみに、なぜか伝承にある白い騎士のことをそのまま善神と呼ばれる神のことだと思う者が多いけど、あれも君たちと同じように、選ばれたただの人間だったんだよ」
その答えにチドリがはっとしたように口を開いた。
「黒い騎士って呼ばれていたのは、人間じゃなくて悪神と呼ばれる神さまたちなんですよね? あの人たちは、自分の代わりになる人間の騎士を選んだりしなかったんですよね?」
「ああ。彼らはまた違う性質を持っているから。自ら人の形をとって人に紛れる。そうやって人間に寄り添う」
「寄り添う? 悪い神なんて言われてるのに、ですか……?」
「寄り添うからこそ、人には善意だけじゃなく悪意もあると知ってるし認めてるのさ。それで結果的に悪いことが起きる場所に居合わすから、そう呼ばれたんだろう。彼らが実際に何をしたのか、正確に知る者は少ない」
「じゃあ、本当はいい神様なんだ」
ほっとしたようなのは、例の黒い魔女の記憶に共感していたからだろうか。
詳しくは知らないけれど、黒い魔女と呼ばれた人物は黒い騎士の一人――この神殿のどこかに封じられている悪神にとても心を許していたようだと、チドリは言っていた。
「いい神様かは、どうだろうな。迷いや汚い心まで認めるというのは、ときに人間にとって毒にもなりかねない。……君はそれを例の記憶で知ったんじゃないのか? 黒い魔女と呼ばれた彼女は、黒い騎士の一人に過剰に心酔していたんだろ?」
「それは……」
「まあ、いい神か悪い神かはさておいて、悪神と呼ばれている存在は俺も気に入っているよ」
そう言ってそのままラクサたちを見る。
一拍置いて、チドリたちはその意味を把握したようだった。
「え……ええっ!?」
チドリたちは隣室にも聞こえてしまいそうな声を上げ、ラクサたちは面倒くさそうにそれを見る。
私はといえば……私の知っていた物語を崩すのは、最初から最後までほとんどがイラという存在だったんだな、とぼんやり考えていた。
私がカルフォン家の跡取り娘として、すんなり引き取られる流れにならなかったのも。
アルベールたちが最初からやたら警戒してきて、やりにくかったのも。
人の姿をとった善神の一人が私たちに会おうとするのも。
ラクサたちの正体がチドリたちに伝わるのも。
ああ、物語を崩すのとは違うけれど、私に接触しようとしていた神としてのラクサを邪魔したのもイラだった。
しかし、世界を救うのに最低限のことはやれている。
私に、そのための知識があったからだ。いくつもの可能性の物語を読んだおかげで、やらなきゃいけない最低限を予測できていた。
今朝思い出したのは、そのいくつもの可能性の物語が読める「乙女ゲーム」についてだった。前世で私がやり込んだゲームを作った会社のロゴマーク。それはあの五つの点を使ったしるしだった。
私をこの世界に転生させた存在は、今のようにシナリオが崩れることも想定していたのかもしれない。




