65:第一神殿
自由にできるのは、もう今日一日だけ。
イラやラクサたちと、予想していなかった夜の時間を過ごした次の日、朝起きて最初に思ったのはそれだった。
目覚ましに、ベッドで半身を起こしたまま使用人が淹れてくれたお茶を飲む。
年かさの使用人の女性が、イヴォンヌがくれた茶葉だと教えてくれた。そして一緒に小さなカードをトレイに置く。
「一緒に入っていたカードです。お渡ししておきますね」
白地に黒いインクで店の名前が印刷してある。お得意さまへ店のアピールを兼ねたものだろう。
何気なく裏返して、私は動きを止めた。
それを見た使用人の彼女は、「気付かれましたね」と嬉しそうに言った。
「量産しない、貴重な茶葉だと聞きました。名前を見て、きっとマツリ様に飲んでいただきたいと思ったんでしょうね」
裏面には、茶葉につけられた名と簡単な紹介文が手書きで綴られていた。
なにも言えずにいると、さらに小さな包みを渡される。
「それから、この包みがマツリ様に。カルフォン家の屋敷のほうに送られていたようで、今朝早くにこちらに届けられました」
差出人を確認すると、あの廃墟になった神殿を管理している神官のミユからだ。中身は、すぐに予想がついた。かつてあの場所にいたという罪人を世話したという神官の書いたなんらかの記録だ。実家で探して見つかり次第、送ってくれる約束をしていた。
使用人に下がるように言い、一人になってから包みを開けてみる。中には、ミユからの手紙と一冊の古びた日記らしきものが入っていた。
『……お約束していた日記を見つけたので、送ります。あの部屋にいたという罪人についての記述があるページには、紙を挟んでおきました。
ただどうか、ご覧になってもお気を悪くしないでください。
私は今もなお、あの部屋には失くしてはいけなかったものがあると感じているのです。あの罪人には、何らかの理由があったのかもしれません……』
妙に私の感想を気にしている様子だった。あの城に捕えられていた罪人に対して、私は特に怒りや不快感を示した記憶がなかったので不思議に思う。
日記にはたしかにいくつか紙が挟まれたページがあった。思っていたよりも少なく、最初のほうから確認していく。
ほとんどが、ただ罪人の健康状態などに軽く触れるだけで、大して実のある内容じゃない。
だけど読み進めるうち、そのいくつかの記述に顔が強張っていった。
『――罪人と呼ばれる彼女が、私にはどうしても狂人とは思えなかった。彼女が最期に言い残した言葉がずっと頭に残っている。彼女は言ったのだ。「神など信じてもろくなことにはならない」と。では信じるべきはなにかと問うと、悔しげに「それでも、神にしか導けないこともあるようだ」と――』
ミユが私が気分を害さないかを心配した理由もわかった。
かつてあの神殿に閉じ込められ、毒によって死んだ罪人の名前が「マツリ」だったからだ。
それに――。
茶葉の名前が書かれたカードを見やる。
そこにあるのも「マツリ」という名前。そして、茶葉を表すマークなのか、見覚えのある五つの点で作られたしるしが書いてあった。
第二神殿で、ラクサの封じられた空間へ繋がる場所の目印になったしるし。
そして、あの廃墟の神殿で、かつて罪人が使ったらしい机の上にされていた落書き。
そして私はもうひとつ、今になって前世の記憶のひとつを思い出していた。
忘れていたことにも気付かないほどのちょっとした情報だ。でもその情報は、私の目の前にある謎の答えに繋がる気がした。
「憂い顔だな。昨日の夜、イラに嫌なことでも言われた?」
屋敷の玄関で落ち合ったラクサが、心配そうに顔をのぞきこんでくる。とっさに私は顔を逸らしてしまった。読んだばかりの日記のことが頭にあったせいだ。
「何も、大したことは言われてないわ」
「……そう?」
「それより、神殿は私たちに何の用かしら」
第一神殿――またの名を中央神殿から私たちへの呼び出しがあった。明日の儀式の前に白銀騎士団から話を聞いておきたいなんて、曖昧な理由だ。
私一人で来いとは言われていないから、ラクサたち三人も一緒に行く。
まだナケイアとラージェは姿を見せておらず、玄関には私とラクサの二人だ。イラは用事があると朝早くに出ていったままらしい。
「せっかく中央神殿に行くんだし、今日のうちにアルベールを『白銀の騎士』にしてしまうのはどうだ?」
「そうね。うまく機会があれば……」
現在、非常事態ということで中央神殿は一般の立ち入りをすべて断っている。明日の儀式の準備や不安がる人びとへの対処で神官たちはみな忙しい。
ラクサたちの力を借りれば侵入することは可能だろうけど、黒い騎士の解放はともかく、「白銀の騎士」は周囲に眉をひそめられるような方法で誕生させたくはない。彼らは、今のオトジ国の人びとにとって希望の象徴ともいえる存在にならなくてはいけないのだから。
ゲームだと、アルベールはマツリがそそのかしたことで儀式直前に広間に飾られていた絵に触れ、そこから短剣を得る。それで無事に四人の「白銀の騎士」が誕生するのだ。
本来なら、その時点から封印祭の最終日までは一か月ほどある。荒れ始める天候や、頻発する地震に不安を覚えながら、チドリたちは神殿の資料室を調べ、なんとか自分たちが手にした道具の使い方を知る。
さらには大神官から「白銀の聖女」をアルベールたち四人に選んでほしいと告げられるのだ。
あと、この期間に婚約者候補の中からチドリと一番仲の良い相手がマツリの婚約者となり、それを大勢の前で破棄される場面なんかもあったりする。今の私たちには関係ないけど。あまりに非常事態すぎるし、時間もないから、イザベラもいますぐ婚約者どうこうなんて決められるわけがないだろう。
本当に、私の知っていた物語とは違うかたちになってしまった。
それでも、最後にはなんとか辻褄を合わせられる。チドリたちには、短剣を得る方法も、その後なにをすべきかを既に説明してあった。首都に帰ってくるまでに手紙でも改めて伝えたし、承諾の返事ももらっている。
多少強引でもいいから、私の言った通りにしてくれればなんとかなるはずだ。
――そう、なんだかんだと辻褄を合わせて、「世界を救う」という一番の目的にはたどり着ける。
それは、前世で遊んだ「乙女ゲーム」のおかげ。
あれをやりこんで、考察して、小さなヒントを拾い集めて、表面的な内容だけではなくその裏にある繋がりを予想していたおかげだ。
それはまるで、多少のイレギュラーが起こっても目的を果たせるように仕掛けられたと言えないだろうか?
でも、物事に絶対はない。
そこまでお膳立てされていても目的が果たせないことがあったら?
……過去に、あったとしたら?
お膳立てされて失敗した人間が、過去にいたとしたら――。
「お待たせ。……どうしたの、マツリ。険しい顔してるわよ」
遅れてやってきたナケイアにまで指摘され、慌てて笑顔を作る。
どうであれ今は、中央神殿に行くだけ。何が起こっても、やるべきことをやるだけだ。
「君たちも呼ばれたのか」
「ええ……」
神殿には、チドリやアルベールたち四人もいた。彼らもまた、呼び出しを受けたらしい。
わざわざこの面子を揃えられたことは、偶然には思えない。
「こちらです」
全員が揃ったところで、神官が私たちを案内した。若い男性について、中央神殿の中を行く。
祈りの儀式が行われる予定の広間を見ることはできないかと聞いたけど、無理だと言われた。明日の儀式には王族も参加するらしく、準備やらなにやらでそんな余裕はないらしい。
空は灰色の雲に覆われていて、昼間から神殿内は薄暗く、ところどころに魔法石のランプが置かれていた。神官の手にもそれはある。
昨夜、イラから聞いたことを思い出して少し気が重くなった。
チドリたちの体質は、たしかにかつて神の怒りを買った人間の証なのだ。
「あれ、例の……神を怒らせる原因になった女の子じゃないか? 噂で聞いた見た目にそっくりだぞ」
「信じられない。どうしてここにいるのかしら……」
「もしかして、裁かれるために――」
数人の神官たちとすれ違ったあと、そんな囁き声が聞こえた。
ゲームのことを思い出して反射的に自分のことかと思ったけど、明らかに俯いてしまったチドリを見て、間違いに気付く。
エリカたちに聞いた通り、噂は完全に収まってはいない。
むしろ、チドリ一人が悪者のように語られるようになっている。最初は「白銀の騎士」たちも間違っているって責めるような噂だったのに。
神に選ばれた人間は悪くなく、そそのかした真犯人がいるって方向に完全に変わっている。
私やチドリ以外のみんなにも聞こえたはずだけど、誰も触れないのでそのまま無視する形で歩き続ける。ただ、チドリは俯いて気付いてないみたいだけど、アルベールが心配そうな視線を彼女に送っている。ユウたち三人も浮かない顔だ。
途中、三階の廊下の窓から中庭が見下ろせるところにくると、アルベールが思わずという感じで声を漏らした。
「あれが、例の」
「どうかしましたか?」
先頭を行く神官が歩みを止めて振り返った。
「いや、中央神殿の中庭は手入れがされて綺麗なものだと聞いたことがあったんだ。……それだけだ」
「そうなんですか? 光栄ですが、特別凝った庭というわけでもありません。広さだけは無駄にあるとよく言われるんですけどね」
「他の国の者から見れば、珍しい部分もあるよ」
不思議そうな神官に、ユウが補足する。神官はなるほどと納得してまた歩き出した。
ほっとした様子のアルベールと視線が合ったので、私は小さく頷く。
明日、あの中庭で「白銀の騎士」が各神殿で手にした道具を使うことになるのだ。
本当は資料室でいろんな本を確認してやっと見つけるものだけど、私がいるのでわざわざそんな手順を踏まなくていい。
すべては私の記憶にあるから。
世界を救うのにとても便利な記憶を持った私が、ここにいるから。
「お待ちしていました」
案内されたのは、なんとこの神殿の長である神官長――そして、この国のすべての神官たちのトップに立つ大神官の執務室だった。
何も説明されないまま通され、戸惑ううちに案内してくれた神官はさっさと部屋から出ていってしまう。
執務机に座っていた初老の男性は、立ちあがって私たちに優しく微笑みかけた。
「あなた方をお待ちしている方がいるのです」
もう一度投げかけられた言葉は、最初とちょっと違っていた。
「……私たちを呼んだのは、大神官さまではないのですか」
「私はあの方の代わりに呼んだだけです。さあ、こちらへどうぞ」
そう言った彼が向かったのは、棚の横に目立たないように作られた隣室へと続くらしい扉だ。
「俺、あの向こうにいるやつの予想つくかも」
ぼそりと呟くラージェは、嫌そうに眉を寄せている。彼だけじゃない、ラクサとナケイアもどこか冷めた目をして扉を見ていた。
「行っても平気……?」
「身の安全という意味なら、全く問題ない」
ラクサがその目と同じくらい冷めた声で言った。
聞こえていたらしいチドリたちが、どういうことだと戸惑うのがわかった。けど、大神官がすでに扉を薄く開けて私たちが来るのを待っている。
危険がないなら、行ってみたほうが早い。
少しの不安と共に、大神官が開けた扉の向こうへと入った。




