64:結果がすべて
結局、夕飯後も五人でアルコールを手に少しゆったりした時間を過ごした。
会話は弾んでいるようないないような、でも沈黙も大して気にならないような……そんな居心地のいい時間だった。
外は雨。遠くで雷が鳴っている。
その意味するところを知っているけれど、私たちは気にしていないように振る舞った。こんな時間がもう来ないだろうと感じていたからかもしれない。
まさか最後の最後に、イラと共にこんなときを過ごせるとは思わなくて意外だったけど、とにかくイラの機嫌がとてもいいのが印象的だった。
そろそろお開きとなって、最後にイラが私だけを引き止める。
なにかを察したようなナケイアとラージェは素直に自室に戻って行き、ラクサもまた少し悩んだあとに部屋を出て行った。
「あなたたちと、こんな時間があるとは予想してなかった。嬉しかったよ」
「私も、イラと今夜みたいな時間を過ごすとは思いもよらなかったわ」
当たり障りのない会話を交わしてから、本題に入る。
「私に何か言っておくことがあるのね?」
イラには、前世の記憶についてはアルベールたちと一緒のときに語った以上のことは教えていない。彼から聞きたがることもなかったからだけど、このタイミングで私に用があるとすれば、それ絡みとしか思えない。
しかし彼は違うと首を振る。
「あなたのほうこそ、何か聞きたいことはないかなと思ってね」
「私?」
「ラクサたちに答えられないことでも、俺が答えられることもあるかもしれないよ」
詳細を話していないけど、彼は人の形をとっているラクサたちにほとんど力がないことを知っている。記憶がほぼないことも。さっき話しているときに直接確認された部分もあるけど、聞く前からだいたいの状態は把握していたようだった。
四人目の黒い騎士に対するイラの態度が強烈だったから、さっきみんなで話していたときは黒い魔女だとか、封印のことだとか、あまり触れていない。
でも聞いていいのなら、解消したい疑問はある。
「明後日には、黒い魔女の封印が解けて、それをもう一度チドリが封印し直して……ラクサたちも一緒に封じられてしまう。それって、ラクサたちが黒い魔女を守る騎士をしていたことと関係しているのよね」
「まさか早速、俺にもよくわかっていない部分を聞かれるとは思わなかったな」
「よくわからないんだ」
「彼らの繋がりは、俺が語るべきではない気がする」
やたらはっきりと言い切られる。
ならば、と少し違う話題に移した。
「あなたも、封印のためにまたその身を捧げるんでしょう? イラという存在も、いなくなってしまうの?」
「ああ。綻びかけた封印が直されれば、こんなふうに人として存在する理由はなくなる。封印祭のどさくさに紛れて行方不明だ」
そんなふうにいなくなってしまうのか。
彼を引きとっているバルドー家では騒ぎになるだろう。私もきっと、人のことは言えないけれど。
「マツリは悲しんでくれる? 俺が消えたあとで、俺を思って悲しむ?」
「知り合いが消えたら寂しいだろうと思うわ」
私の答え方に、イラは目を細める。見透かされているようで落ち着かなくなった。
「あなた、前に話してみたい相手がいるって言ってたわね」
「覚えてたんだ」
第三神殿の中庭で、待ち合わせをすっぽかされかけていたアルベールを見ながら、そんな会話をした。
「話したい相手ってどんな人?」
「気にしてどうするの。あなたにとって大した疑問じゃないだろ」
「でも聞ける機会はもうこないじゃない」
「まあね……」
含みのあるような表情で私を見る彼には、知られている気がする。私が、明後日が終わったあとに何食わぬ顔でマツリ・カルフォンをやるつもりがないってこと。
例えばイラが何かの弾みで、問題がすべて片付いたあとにまた人の形を取ったとして、質問できる私はそこにいないこと……。
同じ神という存在だから、ラクサが私にした提案のことも予想がついてしまうのかもしれない。
「それで、その相手とは話せそうなの?」
「心配してくれてるのか」
「そういうわけじゃないけど。気になるだけ」
イラは面白そうな顔をすると、なぜか逆に質問を返してきた。
「あなたが四人目の黒い騎士を解放するのはいつ?」
「明後日よ。中央神殿に捧げる祈りの儀式が行われている裏で実行するの」
明後日、白銀騎士団は中央神殿に捧げる祈りの儀式を行う。
そしてそのまま、封印祭の最後に行われる聖女選定の儀を行い、あらためて守護神オトジへこの世界の安寧を願う祈りを捧げるのだ。
黒い騎士の解放なら明日のうちにどうにかして忍び込んでっていう手もとれた。でも、やめることにした。三人の悪神が解放されている今の時点でこんな影響が出ている。その状態で四人目を解放すれば何が起こるかわからない。
だからできるだけ、四人目の解放から黒い魔女の封印を解くまでの時間を短くしたい。
幸いに、私はすべてのやり方や影響を――黒い騎士や黒い魔女の封印の解き方から、それを行った際の結果までをゲームをやっていたおかげで知っている。
「もしかして、話したい相手って、中央神殿に封じられている悪神のことなの?」
尋ねながらも、驚きを隠せない。
話したい相手がいると言ったときのイラと、中央神殿の悪神の話が出たときの彼の態度は、全然違っていた。
「そうだとしたら、おかしいかな?」
否定されない。本当に?
イラは殺気とまではいかないけど、威嚇するような、挑むような目を私に向けた。威圧感に息をのむ。
話題を出した私にいら立っているのか、それとも四人目の黒い騎士を考えるとそうなってしまうのか、どちらとも判別できなかった。
「け、決着を……つけたいって言ってたわよね。そこにはとても……話したいってあなたが言ったときのような好意を感じる雰囲気はなかったから……」
「へえ。決着をつけたいって言った俺はどんな感じだった?」
「わからないわ。あなたは何の表情もなくて……。でもどこか攻撃的な気もした」
いっそうすごみを増した目で、彼は私に笑いかける。
すっと席を立った彼は、そのまま私のほうへとやってくる。私は座ったまま動けず、彼からも目を離せずにいた。
「ふ、触れられたくないことだったなら……謝る」
「中央神殿に眠る黒い騎士のせいで、歯車は狂った。あるべき形を変えられたんだ」
「ええ、聞いたわ……」
同じことをイラが正体を明かした晩にも言われた。語るイラの様子があまりに他のときと違いすぎて、詳しい事情なんて誰も突っ込めなかった。今も、同じだ。
すぐそばに立った彼を、椅子に座ったまま見上げるかっこうになる。片手をあげた彼は、そっと私の顎を挟むように掴んだ。いや、掴んだっていうか優しく添えただけだ。だけど私は顔を動かせなくなった。
そうして私の視線が彼と真正面からぶつかるように固定して、彼は話を続けた。
「あなたには覚えていてほしい。俺はあそこに眠る存在のことをずっと考えていること」
「私?」
「そう」
イラの表情が消えて、何も読めない顔になる。
「そいつが俺にどうやっても消えない何かを残してしまっていることを、あなたは知っておいて」
私の目の前にいるのは、とてつもない力を持った畏怖すべき相手。直視するのも辛いくらいの。こんなにもそれを感じたのは初めてだった。
ぎこちなく、小さく頷く。イラはそっと私から手を離した。そして自分の席に戻っていく。
「明後日、四人目の悪神を解放するときは、俺もあなたたちと一緒に行くよ」
「な、何をする気なのか教えてもらったりは……できないのね?」
思いきって聞いてみる。
でもイラはにっこりと笑うだけだった。答えない、という意思表示だ。
「心配しなくても、俺はあなたの邪魔はしない」
「それは……信じるわ」
ふっとイラからの威圧感が消える。
「さて、他に聞きたいことはないかな。神としての俺は、この領域を統べるとも言って過言じゃない存在だ。そんな俺に質問をぶつけられる機会なんて、普通の人間には得られない」
質問を二つも流したくせに……。
そうは思いつつも、もし答えてくれるのなら聞いてみたいことはある。先ほどのことは一旦脇に置くことにして、私は他の疑問をぶつけてみた。
「魔法石が使えない体質って、神に祝福されてない現れとかじゃないよね」
「それを確認してどうするんだ?」
「守護神オトジから違うって言葉が得られたら、余計に自信がつくじゃない」
私自身、あの体質が神に祝福されていない証なんて考えていない。
ただの確認のつもりだった。せっかくだから、私がお墨付きをもらっておいてあげようなんて思っただけだ。
だから、信じたくないほうを肯定されることを予想していなかった。
「大きな力を持つ者は、ときにふとした心の動きが驚くような結果をもたらしてしまうことがあるんだ」
「え?」
「あれを神に祝福されていない証だと言うなら、あながち間違ってはいない」
まさか、そんな……人びとが勝手に想像して言い始めたことだと思ったのに。
イザベラを体質を理由に当時の聖女候補から外した、神殿の上層部や彼女の元婚約者のほうが正しかったということなのか。
動揺する私にイラは淡々と説明した。
「別にいま、あの体質を持つ者に怒りを向けているわけじゃない。俺がかつて気に入らないと思ったことのある人間へ向けた怒りなんだ。でも、その血が薄くでも流れる者には、ときどきああやって影響が出てしまうらしい。呪いのように」
「その呪いは解けるものでしょう……?」
「意図してやったことじゃない。今さら、根付いてしまったものを変えるのも難しい。万能じゃないって言っただろ? いま俺が改善されることを願うことで、何代もかけて、あの体質を持つ人間が生まれなくなっていくことは可能だろうが」
「すぐには結果はでないのね」
チドリやイザベラ、あの孤児院にいた子供たちが魔法石を発動させられる体質に変わることはないということだ。
何代もかけてということは、彼らが死んでもっとあとに、いつかそういう日もくるということ。
「怒りを覚えた理由は聞かないの?」
「聞いたら、教えてくれるわけ」
勘だけど教えてくれない気がする。教える気があるのなら、こちらが聞く前にさっさと話してくれていそうだ。
案の定、イラは「教えないな」なんて悪びれずに言う。
「わざわざ私を引き止めて、私の質問に答えてくれる時間のはずじゃなかったの」
「だってあなたが、こんなにも答えたくない問いばかりしてくると思わなかったんだ」
わざとらしく困った顔をして、それでもイラは楽しそうだった。
そして最後に真面目になって私に告げた。
「あなたが世界を救いたいと思うのなら、やり遂げられると俺は思ってる。結果的にみなが救われれば、その方法はあまり重要じゃないからな。それを俺は知ってるんだ」




