63:束の間の休息
「そういえばね、第四神殿の儀式があったときに、騎士団の用事を済ますついでにエリカと街で買い物したんだ」
三人でお茶を楽しんでいると、そうイヴォンヌが言った。
「知る人ぞ知るってお茶のお店があって、親から見てきてほしいって手紙をもらってたの。カルフォン夫人のお気に入りらしいって聞いたけど、マツリは知ってる?」
イヴォンヌの家は物の流通と販売に関する事業を営む大会社だ。そのせいか神殿巡りで各地を回っているとき、彼女自身もその土地の特産物などに興味を引かれていた。
「おばさまからじゃないけど、聞いたことはあるわ。私たちも買いに行きたかったけど、機会がなかったの」
「ふふ、本店でしか扱ってないってお茶を少し多めに買ってきたからさっき使用人に渡しておいたよ。希少な茶葉だからたくさんは作れないみたい。なんでも昔、創業者の人が助けてもらった人にちなんだやつなんだって」
説明するイヴォンヌは楽しそうだ。ゆくゆくは家業を手伝う予定だという彼女は、そうなればもっと活き活きと仕事に励みそう。
「みんなで……その、ラクサとかと飲んでね」
「うん。ありがとう」
礼を言うと、エリカとイヴォンヌは何か言いだけな顔をした。
こういうときに黙ってられないのはエリカのほうで、私がどうかしたのか聞く前に彼女が口を開く。
「一応聞いておくわ。ラクサとはその後どんな感じなのかしら」
「エリカ、直球だよ。もっと聞きかたが」
「遠回しに聞いても仕方ないでしょ。マツリ、どう? 私たちとバカ騒ぎしたいならいつでも呼んでくれていいのよ」
私にはイザベラが目をつけている婚約者候補たちが五人もいる。そこにラクサは入っていない。
政略結婚には割り切りが重要。だからこの国では、婚約前に当人たちに仲のいい異性がいても周囲は多めに見る傾向がある。
ただし、あくまで周囲から見て仲のいい友人止まりでいられたら、だ。
エリカたちが心配しているのは、私が本気でラクサを好きになってしまって、叶わない想いに苦しんでいないかだ。
私は首を振った。
「いいえ、大丈夫」
「ならいいけど」
きっぱりと答えた私にどことなく納得しきれないようだけど、それ以上は突っ込んでこなかった。二人とも、こういうときに空気を読んで引いてくれるからやりやすい。
「あなたの婚約者候補たち、誰もチドリを自分たちの屋敷に招かなかったらしいわ。てっきり誰かしらが誘うんじゃないかと思ってたけど」
「それ本当? アルベールのところに行ったんじゃないの?」
エリカの言葉に驚いて聞き返す。
彼らの屋敷、というのは厳密には彼らの国が所有する屋敷のことだ。ゲームなら、恋人になる相手の屋敷に招かれて滞在する。
もし自分の借りている部屋に戻る流れだと、恋する相手とは最後の最後にうまく気持ちがかみ合わず、好きあっているけどくっつかない、という結果になる。
「チドリは大学に通うために借りてる部屋に戻ったらしいわ。首都に戻るときも、途中から急に一人だけ馬車をわけたみたい」
「嘘……」
第四神殿でアルベールを後押しして、それでうまくいったと思っていたのに。
「神殿巡りが始まって、ずーっと一緒だったのにね」
「詳しいわね、エリカ」
「付き人同士の情報網よ。今回、予定を変えて急いで戻ってきたでしょ? 泊まらせてもらう屋敷に最初の予定より人数が多めに割り振られてたし、放っておいても耳に入ってきたの」
「あれ? 宿泊場所ってそうなってた?」
私と違う。不思議に思うと、イヴォンヌが理由とともに面倒な噂を教えてくれた。
「マツリは、ラクサたち以外とは一緒にならないようにされてたみたいだね。『白銀の聖女』に選ばれそうな人物だから、疲れさせないようにされてるって言われてた」
「今度はそんな噂が流れてるわけ」
泊まる屋敷に私たちしかいなかったのは、ラクサたちが裏で手を回したんだと思う。第四神殿に祈りの儀式のために集まったとき、そういえば騎士団の管理をしている人たちに話しに行っていたときがあった。
残り少ない時間を、四人で過ごしたいと思った……のかな。
いや、大事な時期に周りの雑音に振り回されないようにってことかも。
どちらにしろ、そんなふうに誤解を生むためじゃない。
「神殿から変な噂に惑わされるなって声明が発表されたはずでしょ」
「うん。だから表だって言う人は減ったけどね。でもやっぱり、みんな気になるんだよ。不安だし。マツリにとっては重荷だろうけど」
「もしも『白銀の聖女』があなたじゃなくたって、わたしたちは気にしないんだから。それだけ覚えてばいいのよ!」
エリカの励ましに微笑みながら、私は気になるものを感じていた。
「この屋敷に招待したのは、私をエリカとイヴォンヌに引き合わせるためかと思ったわ」
「それは、思いついたついでだよ」
その夜、夕食の場にいたのは私やラクサたち、そしてイラだった。
理由をつけて姿を現さないかもなんて思ったけど、普通にいた。そして普通に食事をしている。そのことについて言うと、彼は呆れたように笑った。
「誤解してるよ、マツリ。この体は人の形をとってるんじゃなくて、ちゃんと人から生まれてるからね。簡単に消えたり、何も食べずにいられたりもしない。封印が綻んでいる影響で瞳の色は戻せるけど……これは正確には神としての俺がおこなってるんだ」
ぼんやりとわかった気になったまま、私は訊ねた。
「人間としてのあなたと、神としてのあなたって繋がってるの?」
「うっすらとね。本来の力を取り戻せば、もっとちゃんと繋がるんだけど」
「そこまで封印の綻びがあるなら、一緒に封じられてるラクサたちにも変化があってもいいのに」
いわゆる繋がってない状態だから、彼らには力がほとんどなくて記憶もない状態になっている。
「それは、元から持つ力の大きさの違いが影響してる」
「おいおい、喧嘩売られてんの?」
ラクサたちは様子を窺ってほとんど発言していなかったけど、とうとうラージェが声を上げた。
といっても、言葉の割に緊張感はなかった。
「ちょっとラージェ、買わないでよ?」
ナケイアが釘を刺すけど、本気で止めているというより宥めているに近い。
「俺は買ってくれてもいいのに」
なぜかイラは嬉しそうだ。
不安げに彼らを見ていると、ナケイアが大丈夫というように笑いかけてくる。
「心配しなくても、二人とも冗談を言ってるだけよ。本気なら、もっと殺気が飛び交ってるだろうから」
「さらっと怖いこと言わないで。神様二人分の殺気とか、私の身が本気で危ない……」
「そのときは、俺がマツリを連れて逃げるから大丈夫」
しれっと横からラクサがそんなことを言う。嬉しいけど、何と返そうか迷って口ごもってしまった。
そんなやりとりを聞いていたイラが楽しそうに笑う。
「ラクサたちとは、こうやってゆっくり過ごしてみたかったんだ。残った時間がほとんどないのが残念だ」
「私たちのことを前から知ってたみたいな言い方するわね。私たちの正体、見た瞬間にわかってたの?」
ナケイアの質問にイラは頷く。
「ずっと近くに存在を感じていたからね。すぐに気付いたよ」
ラクサが不機嫌な顔をしてイラを見た。
「ならあの廃墟になった神殿で、すでに俺のことにも気付いてたんだよな」
「もちろん。そういえば、あのときはラクサが俺に喧嘩を売ってきたんだっけ? マツリと自分は特別な仲だ、みたいなこと言ってさ」
「そんなこと言ったっけ? 婚約者候補なんて肩書きだけで気の毒だなって言ったような気はするけど」
「あ、そうなんだよな。俺はもしかしたらマツリの婚約者になって結婚できるかもしれない立場にいるんだよな」
どう好意的にとっても嫌みの応酬にしか聞こえないやりとりが始まった。なんで急に。
どうしようと横目でナケイアを見ると、平気よ、と返される。
「殺気が飛んでないし、大丈夫。というか、イラのほうが気持ち悪いくらい友好的だから、こちらとしても毒気を抜かれちゃうっていうか……」
「案外、俺らと仲良くしたかったりしてな?」
そうラージェがからかうと、イラがぱっと顔を輝かせた。
「そうなんだ。あなたたちみたいに、仲のいい相手とのこういう他愛もない時間を過ごしてみたいと思っていた」
「お、おう?」
素直に肯定されて、ラージェもそれ以上はからかえないらしい。
「アルベールたちとは? 仲良いでしょう?」
訊ねると、イラはそれまでの楽しげだった表情ではなくなり、なんだか遠くを見るような顔をした。
「悪くはないんだろうけど……よくわからない。俺は人とは違うから、どう振る舞うべきか完全には理解していないんだ。だから、正解が何かわからない」
「その体は人間だって、散々自分で言ってるじゃない」
「それとこれとは別だろ」
そう言うイラは、拗ねた子どもみたいだ。
「ラクサたちは俺と同じく人ではないものだし、存在だけはずっと感じていたからなんとなく気も許しやすいんだ」
イラって、物怖じせずに誰とも喋れそうなわりに、打ち解けるのが苦手なのかもしれない。アルベールたちのほうは、イラが正体を現す直前まで、彼を自分たちの仲間として扱っていたと思う。
「アルベールたちはあなたのこと、普通に友人だと思ってるって感じたわよ。正体がばれた今は、さすがに緊張されてるでしょうけど」
「こればかりは経験なのかな。人と仲良くする仕方、マツリにもっと教えてもらいたいと思うよ」
「え、私に? でも私だって、人間の友だちは二人しかいないし……」
家同士の付き合い上、友人と称したことのある相手を含めればもうちょっと増えるけど、イラの言う友人とは違うと思う。
ちょっと悲しくなってきた。神であるラクサたちを友人と言っていいなら、私は人間じゃない存在の友人のほうが多い。
イラにとってチドリやアルベールたちが友人なら、私、人間の友人の数で負けてないか?
それを愚痴ると、なぜかイラが期待した目で私を見た。
「マツリの人間じゃない存在の友人に、俺も入りたい」
「それ、拒否権あるの? ないよね」
この国で最高の位にある神が頼んできて、拒否できると思うのだろうか?
真顔で聞き返すと、小さくラージェとナケイアが噴き出した。
「いや、別に、あなたが本気で嫌だって言うなら、ちゃんと諦めるけど」
言葉は殊勝だけど、かなり渋々といった態度を隠さずにイラが言う。
それを聞いたラクサは……口元を抑えて笑っていた。




