59:イラの告白
誰もが驚きで黙って、しばらく時間が過ぎた。
実際には大して長い時間ではなかったかもしれないけど、ようやく私が尋ねられるようになるまで体感だとかなり経った気がした。
「あなたが、守護神オトジと呼ばれる存在? で、でも……黒い魔女の封印は? あなたがこんなふうに現れてしまったら、封印が解けてしまうんじゃないの!?」
少なくとも、前世でやりこんだ「乙女ゲーム」の中ではそうだったはずだ。
オトジはかつて力の限りで封印を施し、国の中心であるソア山で眠っている。余分な力なんてほとんどない。だからこそチドリたちの力が必要となる。
守護神オトジがチドリたちの前に存在を感じさせるのは、黒い魔女が完全に目覚めてからのこと。マツリ・カルフォンが各神殿で四人の悪神を解き放ち、ちょっとずつその綻びを大きくして、チドリの覚醒に合わせて黒い魔女の封印を解いてからのことだ。
「『封印された黒い魔女』はもうすぐ解き放たれる。それを察知した俺は、自分の力をほんの少しだけ切り離して人に紛れさせた。それがこの俺だ」
「あなたは人間ではなかったの? 私のいとこだというのは嘘?」
「この俺は人と変わらないよ。ちゃんと人から生まれた存在だし、マツリ、あなたとは本当にいとこ同士だよ。でも一方で、人間ではない俺もいるだけだ」
人の形をとっているラクサたち、神殿の地下のあの部屋にいまだ封じられたままのラクサたち、その両方が矛盾せずに存在するのと同じようなものだろうか。
「そんなことが可能なんですか……?」
震える声でセルギイが問う。
「可能だけど、普通はやらない。人として生まれては使える力はほとんどないし、自分の存在についての記憶は曖昧になってしまう。人ではない自分のことを思い出せない可能性もあった……。だけど俺に出来ることはこれしかなかったんだ。自由にできる力はほんの少しだけで、無理をすれば大事な封印がほどけてしまうから」
ため息をついてイラは窓に目をやる。
「それでも、封印の綻びは思ったより大きくなってしまった」
雨は一向に弱まらず、壁や屋根を打つ雨音が酷い。
セルギイの表情が深刻なものになる。
「最近の異変は、神の怒りなどではなく黒い魔女の封印が解けかけていたから……? それが本当なら、世界全体のバランスを崩すほどの力が動き出すということです。このままでは、他の領域もみな滅んでしまう……」
話を聞いているうちに理解が追い付いてきたのか、セルギイ以外も顔色が変わった。
「私たちやチドリなら、本当にそれをどうにかできるのですか」
「マツリの言葉に従っていれば、なすことができるだろう。彼女はかつてこの世界から旅立ってしまった力ある神の采配で、知識を得たんだよ。マツリ、あなたは夢を見たと言ったっけ?」
「え、ええ、まあ」
「未来を見通すのが得意な神もいたからね。不思議ではない」
言い方からして、本当は夢じゃなくて前世の知識ってこと気付いている……よね。
「俺たちが『白銀の騎士』となり、チドリが『白銀の聖女』となれば、黒い魔女に世界を滅ぼされたりはしない……のですね?」
ユウが訊ねる。ぎこちないところがあったのは、たぶん、相手が少し前まで気さくに話せる相手だっただからだ。
これまで友人のように接してきた相手が、実はこの国で最高の位に位置づけられる神だなんて困惑するしかない。
対するイラのほうは、当然とも言えるけど余裕なままだ。
「ああ。『聖女として選ばれた人間によって、災いは鎮められる』。それがかつて交わされた約束なんだ。俺は、その約束が果たされるのを見守っていた」
「他にやり方は……ないということだろうか」
念のため、というふうにファルークが確かめた。
「約束を破って他の方法をってこと? 相応の対価を払う覚悟があれば、探せばあるかもしれないな。でもどうせ君たちには不可能だ」
みんなこの世界の危機を乗り越えられるかどうかを気にしているけど、私は別の部分が気になった。
「あなたは、これまで見守っていただけなの?」
「ま、マツリ……」
責めるような口調の私に、チドリが止めるように名前を呼ぶ。でも、気にしない。
「あなたにできること、もっとあったんじゃない?」
彼には、私のやることを微妙に邪魔をされたって印象が強い。
神として身動きがとれない代わりに自分の一部を人間として転生させたのなら、今の彼にはもっとやれることがあったんじゃないの?
「人として生まれた身は、思った以上に力がなかったんだ。神としての力もそうだし、人としての権力という意味でもそうだ。瞳の色を戻せるようになったのだって、封印祭が近づいてきてやっとだよ。人に紛れて生きるのは、それだけでなかなか大変なことだった」
「でも……」
「あなたの見た夢の内容についても俺は知らないんだよ。ただ、マツリが世界を救ってくれるだろうという予感だけはあった。だから、できることは見守るだけ。偉大な神なんて言われても、万能じゃないんだ」
そんなふうに言われると、これ以上は責めにくかった。
個人的には何かもっと文句を言ってやりたいって衝動はあるけど。
黙ってしまった私と代わるように、チドリが口を開く。
「あの、私たちが感じたあの記憶は……本当に伝承にある黒い魔女のもの、なんですよね」
「話を聞く限りはたぶんね」
「どうして彼女は、世界を破滅に追いやる存在になってしまったんですか。私、なんだか信じられない」
イラはどこか遠い目をしながら答えた。
「世界が壊されそうになったのは、ただきっと……虚しくなったからだよ」
「虚しい?」
「世界が平穏であれ。この国が豊かであれ。そう願って、そのおかげで人びとは平和に暮らしていけている。そういう存在だった。でもそんな自分に気付いて寄り添うものは誰もいない。それが虚しくなって、つい思ってしまったんだ。――この世界が壊れてもいい、とね」
「そ、そんな! でもそんな酷いこと思うなんて……」
チドリは否定するように首を振る。
「一瞬の迷いでも、一度崩壊し始めたものは止められない。それに、相反する二つの気持ちがあるのは不思議かな。こんな世界いらないという気持ちと、なにものにも省みられることがなかろうと世界を守りたいという気持ちと、両方持っていることもある」
「記憶の中で、黒い魔女には恋人がいたみたいでした。誰にも省みられなかったわけじゃ――」
「その恋人のせいで、彼女は世界ではなく自分を優先したくなってしまった」
ショックを受けたように、チドリは小さく泣きそうな声で「そんな……」と呟いた。
「世界を救う存在は、自分のことなんて考えてはいけなかった」
そうこぼすイラは寂しそうだった。
そんな彼にチドリは「もう一つ」と問いかける。
「恋人のほかに、すごく信頼して頼っていた相手がいたみたいなんです。黒い騎士のうちの一人らしくて……その神様のこと、何か知ってますか?」
一瞬にして、イラの表情が抜け落ちたのがわかった。
見ていた全員が、彼の何かを刺激したのだと緊張するくらいの急激な変化だった。
「中央神殿に封じられている悪神のことだ。そいつのせいで、歯車は狂った。そいつがいなければ、今、こんなふうに封印が綻びることはなかっただろう」
「で、でも、すごく信頼してたみたいなのに」
どもりながらも、チドリは一生懸命だ。例の記憶とやらに、よほど共感してしまっているのだろうか。
でも答えるイラの声に温度はなかった。
「味方のふりをして言いくるめ、封印を不完全なものにした。チドリ、君が見た記憶の持ち主からすれば、これ以上ない味方にしか思えていなかっただろうな。だけど、俺からすれば――」
イラにとって、それがどんな存在なのか。彼は最後までは言わなかった。表情からも声からも読み取れない。
「『聖女として選ばれた人間によって、災いは鎮められる』。マツリの言うことを聞けば、それはなされるはずだ。でも同時に、俺はそいつと決着をつけなくてはならない。そうでないと完全には世界は救われない」
だから俺の邪魔はしないようにと無表情のまま言う守護神オトジになんて、誰も反対なんてできなかった。




