58:明らかになったことは
結局、ラクサたちの説明をどうするかは上手く決めきれないまま、夜を迎えてしまった。
適当な理由でパーティーから早々に引き揚げ、私たち四人がまとめて宿泊している屋敷に戻る。あまり時間をおかずに、使用人が客人の来訪を伝えにきた。チドリたちだ。
屋敷に戻る途中で雨が降り出し、雨脚は強くなる一方だ。普段ならこのくらいの雨の夜もあるだろうで終わるけど、今は状況が違う。酷い雨音に、どうしてもオトジ国の異変を意識してしまう。
「あなたも来たのね」
訪ねてきたのは、やはりというか五人ではなく六人だった。イラがいるのが、そろそろ当たり前な気がしてくる。
「彼がいると何か不都合があるのか?」
アルベールの問いには、いいえと肩をすくめる。
「こちらも、彼らが同席するとは思っていなかった」
対抗するように彼がラクサたちを見るから、にっこり笑って告げる。
「じゃあ、お互い様ね」
納得してはいないようだけど、それ以上のことは追及してはこない。もう少し突っ込まれると構えていたので拍子抜けだ。他の皆も何か言いたげな顔をしつつも口を開かない。
全体的に、チドリたちは遠慮気味に私たちの様子を伺っている気がした。
微妙な緊張感が漂うなか、私は彼らに楽にするように告げた。人数が多いので、ソファや椅子にそれぞれが好きに腰かける。この中では使用人に近い立ち位置であることを忘れていなかったラージェとナケイアが、皆にお茶を淹れてくれた。
向こうが何も言ってこないから、切り出したのは私からだ。
「第四神殿でのことだけど。ファルークは気になることを言っていたわよね。まずは、あなたが言った、忌まわしい存在の記憶って何かを話してほしいわ」
ファルークを見ながら訊ねると、彼は眉をひそめて視線を落とす。
不快だとかじゃなくて、ちょっと困ったような顔だった。
なんだか、彼らの反応が予想と違う。アルベールだけが、落ち着かないようにチドリたちを気にしていた。
「忌まわしい、とは違う気がするの。ううん、違う気がしてきたっていうのかな……」
答えたのはチドリだった。
「たぶん、黒い魔女と呼ばれる存在の記憶なんだ。伝承にある、世界が危機を迎えたときのものだと思う」
「たぶん?」
「すごく断片的なんだよ。自分を黒い魔女と呼ぶ人たちのことを恨んで、聖女とされる人間のことを悪く言いながら、悩んでいるほんのひとときの記憶なの。それ以上のことはよくわからなくて」
そう言って、チドリはユウを見る。
「初めてそれが頭に流れこんできたのは、ユウが『白銀の騎士』になったとき……あの不思議な光に包まれたときだったの」
「最初は、『白銀の騎士』たるものはこういう人物に注意しろ、というお告げだと思った」
ユウは引き継ぐように話し始める。
「聖女のことをけなすし、貶めるようなことを考えているし、世界よりも自分の幸せを優先したいようなところがあるしさ。だから、その記憶の持ち主のような人物を聖女にしないようにってことだと思った」
「思いたかった、の間違いだったりしてな」
ぼそっとラージェがもらすと、ユウは顔を歪める。
「……そうだよ。だって俺は伝承にある『白い聖女』側に選ばれたはずだろ? それ以外の理由で、もしかしたら、俺が本当は黒い魔女の仲間として選ばれただなんて考えたくなかったし」
苦しそうに吐きだして、ユウは表情を隠すように完全に俯いてしまった。
隣に座っていたセルギイが、励ますように肩を叩いて「私もです」と同意する。
「私も、ユウと同じことを考えました。あれは、こうなってはならないという警告なんじゃないかと。私も、故郷で神に仕える身として真面目に生きてきたつもりでしたから……」
少し気まずそうに私を見るのは、その記憶の持ち主のようなタイプが私だと思ったことを気にしているのかもしれない。
ユウの説明するような記憶を覗き見たあとでは、余計に私の言動は嫌悪されるものだったに違いない。聖女という役を家の利益のために利用しなきゃ損、みたいなことも口にしたから。
黒い魔女の記憶のせいだかおかげだかで、彼らは余計に「白銀の騎士」や「白銀の聖女」はこうあるべきと意識していたということか。思えば、第二神殿でチドリが予想より強く私の言葉に反発していた。
「でも今日、ファルークが『白銀の騎士』に選ばれたときに流れ込んできた記憶は、どこか違ったんだ」
チドリが、ね、とファルークたちに同意を求める。
アルベールは少し置いていかれたような顔でそれを眺めている。いまだ「白銀の騎士」に選ばれていない彼には、チドリたちに流れ込んできたという記憶について、完全には共感できないんだろう。
イラも同じだろうけど、彼に気にした様子はなかった。……むしろ、涼しげな顔で成り行きを見守っている。
「違ったって何が?」
続きを促すように尋ねると、チドリが私に向き直った。
「彼女は……ええと、黒い魔女って呼ばれてた人は、自分の存在が世界を滅ぼすからって自分の命を差し出そうとしていたみたいなの」
「え、誰に」
「誰に……? 人々に、なのかな。詳しい事情はわからないんだ。ただ、自分が世界の危機の原因になってるから、命を諦めるって感じがした」
黒い魔女は自分から世界を滅ぼそうとしたわけではなかった?
「あのとき流れ込んできた悲しい気持ちと、それでも自分の命を諦めなきゃいけないって強い気持ちは絶対に嘘じゃない。それに、黒い騎士に対する信頼の気持ちも。悪神とも呼ばれる黒い騎士たちってね、弱ってる彼女を守っていたみたいなんだ。もちろん、世界を壊したいとかも思ってなかったみたいで……信じられないかもしれないけど……」
「信じるわ」
思わず答えてしまったら、不思議そうに見られる。
「ほ、ほら私、大学で神話学を学んでいるでしょ。だから悪神と呼ばれる存在は本当は世界の敵じゃないって説も、資料で目にしたことがあって!」
咄嗟に誤魔化した。まさか当の本人たちが「世界を壊すわけにはいかない」と主張するのを聞いたからとは言えない。
ラクサたちに確認してみたかった。いくら今は覚えていないといっても、チドリの話を聞いて何か心当たりとかないのかな。
「ねえ、マツリ。あなたは一体、何者なの? どうして、ユウたちを『白銀の騎士』にすることができたの?」
そう聞いてくるマツリの目は、かなり思いつめたものだった。
「私は……夢を見ただけよ。この封印祭の最後に世界の危機が訪れ、それを救えるのがあなたたちだって夢をね」
前世だとか「乙女ゲーム」だとかを説明しても話がこんがらがるだけだ。彼らの言う忌まわしい存在の記憶については理解したけど、私の前世がどうこうという説明が必要とは思えなかったので、予定通りに予知夢で説明することにする。
案の定、セルギイは「それは、予知夢というものですか」と驚いて確認してくるので「おそらくね」と頷いた。
第四神殿の広間でファルークと話した直後は、私が世界を救うために予知夢に従っていたなんて語って果たして信用されるかと心配だった。でも、今の感じならうまくいくかも。
「あなたたちってのは、チドリと俺たちが世界を救うってこと?」
ユウの問いにも頷く。彼の表情が明るくなった気がした。
「そうなるわね」
「なら、四人目はアルベールかイラなのか」
当然のようにイラの名前が出て、ああそうかと納得する。私にとっては本来ならここにいることさえ想定外な人物だったけど、彼らにとってはそうじゃない。この世界が描かれた「乙女ゲーム」のことを知らない彼らにとっては。
「第四神殿では、アルベールが『白銀の騎士』になる。私の予定ではね」
正直に教える。アルベールを見るとほっとした様子だったけど、私と視線が合うとなんだか居心地悪そうに顔をそむけられてしまった。
腕組みをしていたファルークが、不思議そうに首を傾げる。
「だがどうして、その予知夢を見たのはマツリなんだ? チドリや俺たちの誰かが見るべきだったんじゃないか」
「それはこっちが聞きたいけど」
たしかに、彼らが前世の記憶を持って世界を救ってくれても構わなかった。
記憶のせいで、人生を割と早い段階で諦めなくてはならなかったことを思うと、ちょっとうんざりした気持ちになってしまう。
その嫌そうな雰囲気が伝わったのか、ファルークがむっとした。
「世界を救えという夢ならば、神から選ばれたということだろう。もっと喜んでこなす、ふさわしい者もいたはずだ」
「彼女の与えられた役を喜んでこなす者がいれば、よほどの破滅願望の持ち主だな」
口を挟んだのはラクサだった。
驚くファルークに、ラクサは笑って告げた。
「俺が言うのもなんだけどね」
私の役を喜んでこなす、か。
ラクサを第二神殿で解放したときに、そういう会話をした。私はけして、私の与えられた役をいいものだとは思っていない。
「自分が悪役を演じてまであなたたちを盛り上げて、誰にもその努力を知られないって損なこと、普通はしたくないわよねえ」
わざとらしくナケイアが言うと、アルベールが反応した。
「悪役を演じてまで?」
「予知夢がどうこうとか、あなたたちを『白銀の騎士』にしたところから推測できない? マツリが悪者だったおかげでよかったことがあるでしょう。あなたたちはチドリを聖女にしたいとはっきり意識できたし、選ばれた者としての自覚も持ちやすかったはずよね」
おっとりしてるのに、やけに有無を言わせない感じで一気にナケイアが語る。
孤児院でチドリたちに会ったあとから少し感じていたことなんだけど、彼女は彼女たちに対して結構厳しい。
「結果論だけど、自分が悪神に関わる者じゃないって信じることもできたわよね。例の忌まわしい存在の記憶とやらは、マツリを聖女にさせないようにって神のメッセージだと、自分を納得させたんでしょう?」
そう聞くナケイアは、私にとっては心強いけど、最高に悪人みたいな笑い方をしていた。
……悪神って呼ばれる神さまは、人間の持つずるいところを否定はしないけど、容赦なく突くこともするようだ。
アルベールは呆然として私を見た。
「これまでの態度は演技だったのか? なぜ……」
「そういう予知夢だったから」
「だが、しかし」
ユウたちもみんな、なんとも言い難い表情で私を見ていた。
すぐにはすんなりと納得できないような顔だ。急に自分たちの認識が覆されて、簡単にはいそうですかとも言えないのだ。
「で、でも、そんな必要なかったよ。そんなことしなくたって、みんな世界を救う者としての自覚をちゃんと……」
チドリは最後まで言えなかった。
孤児院で、噂を気にして自信をなくしていたことを思い出したんだと思う。
「ごめん、私が言えたことじゃないよね」
「いま世間に流れている噂については、私も想定外なの。本当はもっと単純に、私が悪者でチドリが聖女にふさわしいって流れがお膳立てできてるはずだったのよ。私がもっと極端に悪役を演じているべきだったかもしれない。だからあなたが悩むのも、仕方ないというか……」
チドリは余計に落ち込んだように「うん……」と力なく答える。
ユウやセルギイやファルークも力が抜けてしまったように肩を落とし、アルベールだけが怪訝そうに訊ねてきた。
「想定外というのは、君が見た夢と今は違うということか?」
「ええ」
「なら、君の予知夢は間違っていたということではないのか」
「え……。いいえ、そういうわけでもなくて」
やはりここまで悪役をやってきて、急に彼らに手放しで信用されるというのは難しいか。
どう説得していくか、考え始めたときだった。
「この世界を危機から救うには、彼女の言葉に従うのが正しいよ」
静かに告げたのは、これまでずっと黙っていたイラだった。
あまりにも自信のこもった言葉だったからか、全員が彼に注目する。
「マツリのことは俺が保証しよう」
ガチャンと誰かがお茶のカップを落とした音がした。言葉にならない小さな叫び声を上げた者もいる。
だってイラの瞳は――見間違えではなく金色の輝きを帯びていた。
「あ、あなた、やっぱり」
四人目の黒い騎士、悪神と呼ばれる存在なのか。
そう続けたかったけどイラに強く見つめられて出てこなくなった。ラクサたちを解放したときのような、威圧するような感じがした。
瞳の色と、この威圧感。
ただの人間ではないことを明らかに示している。
「……君は誰だ」
ラクサが訊ねた。
「ここにいる人としての俺はイラ。でもラクサは、神としての俺について聞いてるんだよな」
「当然だろ」
「神という存在としてだと、みんなには『オトジ』と呼ばれてるよ。この国の名前と同じだな」




