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54:差し出された選択肢

「イラが来たって?」


 戻って来たラクサが最初に訊ねたのはそれだった。

 ラージェとナケイアより一足早く帰ってきた彼は、ソファで考え込んでいる私を見てそっと隣に座る。


「何を言われたんだ?」

「特に何を言われたってわけじゃないけど……よくわからなくて。ねえ、イラにおかしなところはないって言ってたよね? ナケイアも」

「まだ疑ってるんだな。あいつが人じゃない存在じゃないかって」

「どうしてもね……」


 三人の神様は、イラは人間だと言っている。でも私にはどうしても疑ってしまう気持ちが湧いてしまったのだ。

 彼が四人目の黒い騎士ではないかと聞いた後、イラは帰ってしまった。私はあれ以上の追及はできず、それを見送るだけで終わった。


 四人目の黒い騎士。つまり、ラクサたちの仲間だ。あんなふうに私を惑わしてばかりの相手がラクサたちの仲間かと思うと違う気もする。でももし彼が四人目なら、辻褄の合う部分もある。

 嵐や、荒れた海や、地震はゲーム内で四人すべての黒い騎士が解放されたあとに起こることだ。彼が悪神の一人であるなら、現在既に四人の黒い騎士が解放されていることになる。


 ああでも、彼の出自ははっきりしている。イラはマックスの甥で、ラクサたちのように突然現れたわけじゃない。そもそも、地震や海の荒れは、ナケイアを解放する前から始まっていたわけで……。


「だめだわ。考えても混乱するだけだし、解決策は思い浮かばないし」


 イラがもし本当は四人目だとしても、彼は否定した。こちらとしてできることはない。


「あいつと二人で話したあと、君は疲れた顔をする。次に会うときは俺や、ラージェやナケイアでもいいから一緒にいるようにしたほうがいいよ」


 行き詰った様子の私を気遣うようにラクサが言った。


「まだ少し明るいけど、星が出てきてる。今日は綺麗な月も出てるんだ。見ない?」


 そうして立ち上がると、私の前に手を差し出す。

 しばらく見つめ合ってから、私はその手に自分の手を乗せた。

 大げさだけど彼に手を引かれて窓際までエスコートされると、そのまま手を繋いで外を眺める。


 窓から見える空は、まだ完全には暗くない。夕焼けの赤い色が消えて、薄暗い空にぽつぽつと星が見えた。

 特に綺麗な光景というわけじゃない。互いに寄り添う口実だ。

 ただ手を繋いで並んでいるだけで、沈みかけた気持ちが慰められるのって不思議だ。相手が誰でもいいってわけじゃないのも、どうしてだかラクサじゃないとだめというのも。


 わかりやすくて、特別な出来事があったというわけでもないのにな。


 もちろん最初に私の味方になってくれた神様だというのは大きい。でも、例えば彼じゃなくてラージェが最初に解放する相手だったとしても……こういうふうに隣に並びたくなったのはラクサなんじゃないかって思う。彼といるとなぜか心が安らぐ。弱っているときに隣にいてほしいと思ってしまう。


 いつの間に彼の存在が私のなかで大きくなってしまったのか。改めて実感してしまって、少し怖くもなった。


「明日、第四神殿での祈りの儀式が終わる。明後日からはこの地方の各神殿を手分けして訪問する。それが当初の予定だったよな」

「ええ」

「でも明後日からの予定は全て白紙にして、中央神殿に出発することになるかもしれない」


 一瞬、理解するのに時間がかかる。

 予定をすべて白紙にして中央神殿に向かう……?


「どうして? ずいぶんと急すぎるわ」

「現在のオトジ国の状況を見て、強引だがそう決める可能性が高いらしい」

「嘘……」

「予定を繰り上げ、できるだけ早く『白銀の聖女』を選んで祈りを捧げる。人びとの不安を抑えるために、希望の象徴である聖女を少しでも早く決めたいということだ」


 私の手をぐっとラクサが握りしめる。焦った私はつい体を動かしかけたけど、繋がれた手がそれを止めた。まるで動揺するのを抑えようとしているかのようだった。


「そんな、それじゃあ私の知る物語から完全に外れちゃう!」

「こっちも強引な手に出るしかないな。あとは白銀の騎士を二人誕生させ、黒い騎士を一人解放する。その流れさえ守れば、最低限の条件は満たせるだろ」


 本当にそれでいいんだろうか?


 ええと、物語だとこれから重要になっていたのはチドリたちがマツリの暗躍に気付き、それを暴くことだ。その行動が、マツリが四人目の黒い騎士の解放をタイミングよく行うかどうかに繋がっていく。


 でも私はチドリたちが何をしようと、タイミングを計って四人目の黒い騎士を解放――そして黒い魔女の封印を解く予定だから……。

 たしかに、最低限の条件になる流れは満たせるかもしれない。


 いくつか、彼らが中央神殿の書庫で見つけくちゃいけない情報もあるけど、時間が足りないなら私のほうで見つけて届けることもできなくはない。ものすごく最終手段って感じだけど。


「でも、チドリが聖女としての自信を無くしているわ。どうにかしないと。それにチドリたちを責めるような噂が広まりすぎるのもまずいのよ」

「その噂なんだけど、どうも神殿が事態を鎮静化させるために動くかもしれない」

「神殿が?」

「関係者を身内に持つ、名家ってやつの長男からの情報だ。なにか緊急事態が起こったときは中央神殿から各神殿に連絡が行き、人々に情報を伝える。そんな仕組みがあるらしい」

「そんなに早く情報が届く? それにそんな仕組みのこと、聞いたことがないわ」

「一応、あるらしいよ。各地の主要な神殿にはそのための神官がいるらしい。いざというときに馬を飛ばす係っていう」

「あったかしら、そんな役目……」


 神話学を学んでいることもあり、神殿の仕組みにも普通の人たちよりは詳しいと思う。そんな私でも、彼の言う役目に心当たりがなかった。すべての細かい仕事を把握しているわけじゃないけど、そんな特別そうな担当のことなら覚えていそうなのに。


「ほぼ形骸化して名前だけの役らしいね。慣習だから置いているだけ。それが今回使われるかもしれないって、そういう意味で盛り上がってたな」


 名前だけの肩書か。名誉ある職というわけでもないなら、私の記憶に残らないほどでも仕方ないかも。


「でも一体、どんな風に人びとに言うつもりかしら。噂を信じないでくださいって? それだけじゃ納まる気はしないわ」

「さあ、そこまでは。君から明日、神官長に聞いた方が早いかもしれない」

「わかった。カルフォン家の名前に役立ってもらうわ」


 第四神殿の神官長相手なら、多少は通じるはずだ。これまでの神殿でも、神官長はカルフォン家という名前に弱かった様子だった。

 イザベラの影響が強そうな首都にある中央神殿だと、私もそう好き勝手はできそうにないけど、ここならまだ。


「チドリが聖女に選ばれる時に合わせて、黒い騎士を解放できればうまくいくのかしら」

「信じるしかない」


 急速に事態が動き始める予感がした。

 そしてそれは、より早くこの物語の終わりに近づくということでもある。まだ二ヶ月弱あると持っていたのが、急に期限が目の前に迫ってきた気分だった。


「うまくいけば、俺はそこまでだな」


 ラクサの言葉にどきりとする。

 彼は、理由はわからないけど私の記憶通りなら、黒い魔女と共に封印されてしまう。ラージェも、ナケイアも。


「マツリ、終わったあとのことは考えてる? このまま順調なら、君は黒い騎士を解放した大罪人にはならないよ」

「まだわからないでしょ。四人目を解放するときに目撃されるかも」

「されなかったら? アルベールたちとはわだかまりが残るだろうし、上手く乗りきるための計画は立ててる?」


 答えを曖昧にさせないというように、ラクサは私の目を見て訊ねてきた。

 逆に私は、なんと言えばいいかわからなくてそれを避けるように視線を動かしてしまう。


「君の知る物語によれば、俺たちは聖女に封印される。すべて終わった後の君の手助けはできない」

「ええ、そうね。わかってる」

「君がやったことを完全に隠し通すことができたなら、君はカルフォン家の娘として生きていける。もし隠せなかったときは……逃げる手伝いくらいならできるかもしれないな。どちらにしろ、そろそろ真剣に考えておいたほうがいい」


 終わった後のことは、具体的には考えられていない。下手に期待を持つのも嫌だし、それに途中からはあまり想像したくないというのもあった。

 ラクサたちがいなくなって何食わぬ顔をして、カルフォン家の娘として候補者の誰かと婚約して――?

 必死で破滅を回避して手に入れたい未来がそれかと思うと、なんだか心がときめかない。

 でもじゃあどんな未来だったらいいかというと……。


「それとも、俺と一緒に封印される? 君の記憶の中の物語みたいに」


 私は、ゆっくりと視線を彼に戻した。


「それ、は……えっと……」

「物語じゃ、マツリ・カルフォンは最後まで悪神と一緒にいて、巻き込まれて封印されてしまうんだろう?」

「私は、死ぬ、のよね……?」

「俺が君を離そうとしなければ、死ぬことはない。魂だけになって神の傍にいることになるだろう。ただし、人の力では意識を保つことはできない。君という存在を、俺が永遠に感じていることができるだけだ」

「永遠に……」

「俺は人に悪神と呼ばれる存在だからな。どうしてもと望んだものを、物分りよく諦めることができない」


 すぐに返事をするには、重たい決断だった。


「君が嫌がれば別だけどね。返事はいつでも」


 ラクサは優しく笑う。私が嫌だと言ったら強制はしないんだろう。

 本当、この人は悪い神様だと思う。だって一瞬、魂として寄り添うだけでもいいんじゃないかって気分にさせられてしまったから。投げやりな気持ちじゃなくて、なによりも素敵な未来なんじゃないかって。


 私は黙ったまま外の景色を眺めた。

 彼が聞いてきた噂が正しいなら、思っていたよりも決断しなきゃいけない日は近い。

 その日が来たとき……私は一体なんて答えるのだろう。


 彼らが封印なんてされない道があればいいのに。そんな考えがちらりと浮かんだけど、世界を救うためには願ってはいけないと慌てて打ち消した。

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