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41:崩れ始める物語

 彼女は聞く相手を間違っている。

 前世の記憶がない私なら、即行で「会いに行っていいわけない」と答えていたかも。

 ただ、そういう判断ができないくらい迷っている状態とも言える。この時期にアルベールとの付き合いを悩むシーンなんてなかったはずけど……。

 チドリは落ち着かなさそうに中庭をチラチラ見ていて、気になって仕方ないのが丸わかりだった。


 私はゆっくりと記憶の中にある、物語のなかのマツリ・カルフォンのシーンを思い出す。

 アルベールではない相手との恋物語の中ではあったけど、チドリの背を結果的にマツリが押すという場面があったはずだ。


「会いたくないなら帰ればいいんじゃないかしら。ふふ、待ってる彼はお気の毒」

「そういう言い方は……」

「それにしても、人との約束を簡単に違えられるような人が聖女だなんて、セルギイたちもよく言うわ。良識を疑っちゃうわよね?」

「それとこれとは違う……!」

「別に、違わないでしょ。あなたなんかが聖女に選ばれたら、一体どうなるのかしら」


 私の言葉に、チドリは目の色を変えて叫ぶように答えた。


「わ、私は……もし私が聖女に選ばれたら、絶対に役目を全うするわ! どんなつらいことがあったって、みんなのために義務を果たすもの! 変なこと言わないで」


 おお、力強い返答。そこまで心を決めてるなら安心だ。


「……私、行く。アルベールが待ってるから」

「どうぞ、ご勝手に」


 チドリはラクサたちをちらりと見て、でも何を言うべきかわからなかったのか、そのまま中庭への扉へと駆けていった。

 外に出た彼女はアルベールの元へと走っていく。チドリに気付いた彼は、ぱっと顔を輝かせてベンチから立ち上がった。


 別に二人の恋愛がどうなろうと知ったこっちゃない。でも目の前で本当なら想いが成就するはずの二人がすれ違うのは、見ていてあんまり後味がよくない。

 誰かを好きになって上手くいくかもしれないなら、そんなせっかくのチャンス、逃すのはどうしようもなくもったいないと感じてしまっただけだ。


「お人よし」


 一緒に黙って経過を見守っていたラージェがぽつりと言った。


「好きに言えばいいわよ」

「あのチドリって子は、あの王子様に惚れてんのか」

「言いきれないんじゃないか? 彼女はユウたちとも仲がよかったようだけど」


 冷めた目をするラクサに、私は首を振った。


「アルベールは特別よ」


 私の知る正しい物語からはちょいちょい外れてるけど、でも全体的に見れば、チドリとアルベールの恋物語が紡がれているのはたしかだ。


「異国からやってきた王子様で、生きる世界が違うのに価値観が通じるところがあって、自分のこと理解してくれるの。……女性が胸をときめかせる恋物語でしょ」


 だからこそ、「乙女ゲーム」という恋愛を楽しむゲームのストーリーになっている。

 きっと、前世の私も楽しんだんだろうな。今の私だって、全然関係ない立場だったらチドリたちの様子をそわそわしながら見守ったかもしれない。


 前世の自分がゲームのどこらへんにはまって、今の私が引くほどやり込むことになったのか、それは覚えてない。けど、一般的に何が売りにされていた要素が何かはわかる。

 アルベールとの恋物語では、正統派な感じの「王子様」と「名もない田舎領主の娘」という身分違いの恋がフォーカスされていた。身分違いだけど、話していればそんなこと忘れてしまう。だから諦めきれない……という恋だ。


「どうかした?」


 気付けば、ラクサもラージェもイラまでも、微妙な表情で私を見ている。一番眉をひそめていたラージェが、恐る恐るって感じて訊いてきた。


「あんたもそういうのに憧れるクチ? 異国の王子様とか」

「どうして私が」

「なんか実感こもってたから」

「一般論よ! それに私だって、創作物として読んだりする分には、ときめく気持ちもわからなくないし……って、なんで三人ともため息つくわけ!?」


 妙にあからさまな感じでため息をつかれる。

 急に何を考えているのかわからなくなった三人を怪訝に思う。すると、にやりと笑ったラージェがさらに訊ねてきた。


「ときめく気持ちがわかるってことは、あんたも夢見たりしたことあんのかな? 王子様とか……もしくは神様が現れて、自分を見初めてほしいとかさ」


 神様……神様が私を?

 そんなこと、夢見たことあったっけ。


 冷静に考えれば、ラージェはおそらくラクサのことをからかったつもりだった。でも私の脳裏に最初に浮かんだのは全然別のことだった。


 まだ神様に期待できたとき。――どうしようもない運命に生まれついた自分を自覚したときのことだ。

 前世の記憶を取り戻して、心の中でどれだけ「どうにかしてほしい!」って念じてもなーんにも起こらなかった三日間。


「王子様はともかく、神様には文句言いたいって思ったことのほうが多い」


 驚くほど低い声が出る。

 え、とラージェが固まった。そういえばここには二人も神様がいるんだった。私は慌ててフォローに入る。


「別に神様が悪いって言いたいわけじゃなくて……! でも神頼みは役に立たないじゃない? もうここ数年、それが私の中での信条で……」


 あんまりフォローっぽい言葉が出てこない。

 しん、と一瞬場が静まって、そして――ラクサたちは小さく噴き出した。


「なんで笑うの?」


 なぜかラクサもラージェも、イラまでも堪えるように笑い出した。しかも楽しそうに。

 私一人が置いてけぼりになって、不安げに視線を動かすと「ごめん、ごめん」とラクサが弁解する。


「その考えは正しいよ。神は万能じゃないし、そもそも無条件に人間の味方なんてこともない。期待なんてされないほうがいい……ふっ」


 言いながら、また笑ってる。

 肯定されているのはわかるけど、笑うところがいまいち理解できない。楽しげな三人をじとりと睨んだ。


「私は神様にも人にも、過剰な期待はしないの。というか、どうしてイラまで笑うのよ」

「ん、俺? だって――」


 名指しされてきょとんとしたイラが、答えようとしたときだった。

 がた、と何かが軋む音がした。

 それが何の音か考える前に答えがわかる。がたがたと建物が揺れ出し、足元がぐらつく。小さい揺れから大きなものへと変わるのは早かった。


「地震!?」


 立ってられないほどではないけど、不安になって思わず近くの窓枠を握ってしまう程度には大きく、さらに長い揺れだった。


 しばらく揺れは続き、そして始まったときと同じく急速に小さくなり終わった。


「今の、なに」


 聞いても、答える者はいない。

 近くの部屋から驚いた様子の神官たちが出てくる。建物の中にいるのが不安なのか、焦ったように中庭に出ていく者も多い。

 誰かが「神の怒りでは!?」と叫ぶのが聞こえた。

 ラクサやラージェに視線を向けるけど、彼らも困惑した表情だ。


「神頼みは役に立たない……。きっとそれは正しい」


 悲しげにイラが呟くのが聞こえる。それが私の不安を煽った。


 思えばこれは、私の知る物語が本格的に崩れ始める合図のようなものだった。

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