40:話したい相手
夕方になり、私は第三神殿の神官長に挨拶するために部屋を出た。今夜は最初に泊まらせてもらう予定だったこのあたりの領主の屋敷へ向かう。そのことを報告するためでもある。
一緒に行くと言うエリカたちのことは、悪いけれど断った。
今日、この時間。第三神殿にいるからにはちょっと見てみたいものがあった。
「私の知る展開通りなら、中庭でチドリとアルベールが花を愛でてるはずなのよ。仲良くね」
「他人の逢瀬を見て、何か楽しいことあんの?」
部屋を出た途端に丁寧語モードでなくなったラージェが、不思議そうに訊ねてくる。
昨夜ここに泊まったラクサと、移動するなら準備の手配を受け持つというラージェも私と一緒に神官長の元に向かっていた。
「別に楽しいことはないけど、確認よ、確認」
ラージェの素は今のような感じらしい。私は多少迷ったけど、ラクサとは普通に話しているのだし、ラージェとも彼の態度に合わせて喋ることにしていた。
「ちゃんと私の知る物語みたいに進んでるか、興味あるじゃない。ここで二人が一緒にいなかったら、二人の恋はうまくいっていないってことなのよね」
チドリがちゃんと聖女として覚醒するのかとは別に、アルベールとの恋が成就するのか否かの一つの指標になるのが、ここでの逢瀬なのだ。
第二神殿でもこの前の元神殿を訪ねたときも、アルベールとチドリの二人の場面が違うものになっていた。今日、もし中庭に二人の姿がなければ、彼らの恋は切なく胸に秘めて終わる……といった展開に進み出す可能性は高い。
「恋? 世界を救うってほうは?」
「中庭に二人がいなくても、そっちには影響はないわ。……だから、ただの興味だってば。物語がどう転ぶか知っておきたいの」
「なんだ、それなら早く言えよ。あと、その物語の詳細はいつ教えてもらえんの」
「第四神殿に向かう道中でたっぷり聞かせるわ」
「そりゃ楽しみ」
昨晩会ったばかりなのに、まるで前から友人だったみたいな気安い態度を気負いなくとれるのは、ラージェの性格だろうか。喋っているうちに彼が人ではないものだという緊張が薄れてくる。
ふふ、と小さく笑っているとラージェとは逆側からラクサがすっと肩を軽く抱いてきた。
「え、ラクサ? なに?」
驚いて彼を見ると、優しく微笑まれる。
「まだ背中の打ち身が治りきったわけじゃないだろ。歩くと負担になるかもしれないから、きついときは俺に寄りかかって」
「う、うん……ありがと」
引き寄せられて突然縮まった距離に、ちょっと照れる。体を心配してくれてのことだとわかってても。
横でラージェが「ラクサ、お前さあ、それ……」と呆れた様子だけど、ラクサは何も反応しない。ラージェは結局ため息をついてそれ以上は追及しなかった。
何人かの神官とすれ違い、中庭にたどり着く。建物から出ずに様子を窺えば、手入れされた花壇の脇に立っている二人の人影。しかしそれは予想したのと違う光景だった。
「アルベールと……イラ?」
アルベールが話しているのはチドリではなくイラだった。
「あの二人も、マツリの婚約者になるかもしれない男たち?」
「ええ、一応……」
「ふうん、結構男前じゃん。あんたの伯母さん、見た目もきっちり選んでんな」
「そういうの、はっきり言うのあなたくらい」
ラージェの物言いが遠慮なさすぎて苦笑する。あと、ラクサと同様どこか人外めいた整った顔をしている彼が、誰かを男前なんて評するのが不思議な感じだった。
「チドリってやつがいないってことは、恋は成就しないのか」
「そう、なるのかな」
だけど、少なくともアルベールは中庭にいる。断定しきれないまま、不意に思いついたことを訊ねてみた。
「ねえ、あの右側にいる男性、見ていて何かおかしなところはある?」
「おかしなところ?」
「……人じゃない感じがするとか」
右側にいるのはイラだ。彼は、どことなく元気のないアルベールを励ましているようにも見えた。
「人じゃない感じって言われてもなあ。ここから見る分にはなんとも。ラクサは?」
「あいつのことは俺もマツリに訊かれたけど、特には。触れるほど近づけば何か感じとるかもしれないが――」
「普通、人じゃない存在ってのはそこまで近づかなくても気付くよな」
そういうものなのか。でもまだ納得しきれず、私は畳み掛ける。
「目の色はどう? この距離じゃわからないと思うけど、今度どこかで機会を設けて――」
「薄い茶色だろ。人としておかしくない色だ」
「わかるの?」
この距離ではっきり言い切れるほど目の色を確認できる?
びっくりしていると、ラージェは悪戯っぽく笑う。
「耳と目はいいんだ。弓をくれればあの彼のカフスボタンを撃ち抜くこともできるぜ」
「大げさじゃなく、本当のことだ。こいつはそういう性質だから。俺が人を惑わすのが得意なのと一緒だよ」
「神様にも得意な分野ってあるのね」
言われてみれば、神話でもそういうことを示す逸話は多い。けど、実際に目の当りにするまであまり意識してなかった。
「イラがこっちにくる」
ラクサの声に視線を戻せば、アルベールたちは会話を切り上げたらしい。ベンチに力なく座るアルベールと、こちらに歩いてくるイラがいた。
目が合う。様子を見ていことに気付かれていた。
はっきりと視線がぶつかってしまったから、無視するわけにもいかない。そのまま待っていると、少し離れた扉から建物に入った彼は、やはりまっすぐ私たちの元にやってきた。
「やあ、マツリ。あとラクサ……と」
「ラージェです。二人の世話係ってところですね」
「そう、ラージェか。よろしく」
早速演技を始めたラージェに、イラは詳しいことを聞くこともなく頷く。
そういえばここには、私とイラと、そしてあとは本当の瞳の色を隠している神様のみ。そんな状況は今が初めてだ。
イラのことは私の中で、よくわからない存在として判断が保留のままだ。いずれ彼から何かを話してくれるようではあるけど、それを待つだけでいいのかという気持ちがないわけじゃない。
注意深く私以外の三人の様子を観察しながら、私は口を開いた。
「アルベールとは何を話していたの?」
「彼の待ち人が来ないみたいで落ち込んでいたから、少し話をね」
「チドリでしょ、それ」
外を見れば、アルベールの後ろ姿が見える。特にうなだれているわけでもないけど、好きな相手に約束をすっぽかされかけていると思ったら、ちょっと切ない。
「喧嘩でもしたのかしら」
「心当たりはないと言ってたよ。俺も喧嘩の仲裁なんて頼まれても困るけど。ただ、話をしたい相手がいるって気持ちはよくわかる。俺にも似たような相手がいるから……そういう話をね」
「あなたが話をしてみたい相手?」
「うん。一言でいいから言葉を交わしてみたい存在がいるんだ」
そう語るイラは、思いを馳せるようにどこでもない場所を見つめていた。
安易に反応できなくて視線をずらすと、廊下の向こうに見知ったシルエットを見つける。
――あんなところにいるなんて。
「ちょっと、ごめん」
断ってその場から早足で見つけた人影へと歩き出す。
今さらだけど、肩に添えられたままだったラクサの手をそっと外した。婚約者になるかもしれないイラの前で、まずかったかな。もう言っても仕方ないけど。
目的の人影は、窓枠の横からこっそり中庭の様子を窺っていた。
「チドリ? 何してるの、こんなところで」
「あ、マツリ……」
チドリは、気まずそうに「ええと」と口ごもった。
「アルベールとの約束があるんじゃない?」
「ええっと……」
はっきり聞いても口ごもる。
後ろからラクサたち三人が追い付いてきて、四人でチドリを追及するみたいな形になる。さすがに可哀想になって、気持ち体を動かしてラクサたちから見えにくくした。
「喧嘩でもした?」
「そんなことないよ。ただ……会いに行っていいからわかんないっていうか……。ねえ、私なんかが行ってもいいのかな」




