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39:それとこれとは別らしい

 なるほど……そういう流れができちゃうんだ。


 ゲームだと、私がチドリをわざと突き落したんだ、と言われるところ。マツリ・カルフォンがただの傲慢で嫌みな存在から、本格的に要注意人物だとチドリや周囲に認識され始めるきっかけである。

 チドリを突き落していない今、そこが変わっていくかなと思っていた。けど、別の形で私は悪者になってしまうのか。


「ちょっと、黙ってないでよ。平気よ、ちゃんと嘘だってわかってるわよ、みんな!」

「マツリが落とそうしたなんて酷い嘘だって、私たちちゃんとわかってるよ? だから気にしないで」

「だ、大丈夫よ。予想外のことでびっくりしてただけ。ありがとう」


 黙っていたら、焦ったようにフォローをいれてくれる二人に礼を言う。

 こうやって二人はどうあっても私側に立ってくれるんだろうか。でもそれなら、そろそろ区切りをつけ始める時期かもしれない。最後に私が破滅するような場合、巻き込みたくない……。


 寝不足の頭でそんなことを考えていたら、部屋にノック音が響いた。


 すぐにラージェが扉へ向かう。尋ねてきたのはセルギイだった。なんだろう。物語だと彼と接触する場面はもう少しあとにあったはずだ。

 少し話があるというので、とりあえず通してもらう。


 セルギイは他には誰も連れておらず、ラクサやエリカたちを見てやや怯むような様子を見せた。


「マツリ、怪我のほうは大丈夫ですか」

「ええ。今は念のためってことで休んでいるだけ。あなたは? 特に怪我はなかったって聞いてはいるけど」

「医者から何も問題ないと、自信を持って言われるほどです」

「ならいいけど……」


 そういえば、私の婚約者候補となっているアルベールたちからはそれぞれ見舞いのメッセージが午前のうちに届いていた。具合が悪くなければ直接伺いたいとのことだったけれど、面倒で明日以降にと返事を頼んだはずだ。

 そんな私の困惑を読んだのか、彼が突然の来訪について説明した。


「すみません。明日以降にということでしたが、どうしても早くあなたに謝っておきたくて」

「謝るってなにを」


 私以外の者たちも黙って見つめる中、緊張した様子でセルギイは切り出した。


「あなたが階段を落ちるきっかけになったのは、私があなたの腕を思いきり払ってしまったからでしょう」

「ああ、あのときは……」


 たしかに彼を引き止めようと咄嗟に掴んだ腕を振り払われ、私は体勢を崩した。そして階段を踏み外した。

 

「ううん、私の方が失礼だったわ。腕を……握ってしまったから」


 少し体勢をととのえ、やや改まって返事をする。

 彼は、私の微妙なニュアンスに気付いたらしい。


「もしかして知っているんですか? 私の腕の――」

「ま、まあ、婚約者候補だしね。事前情報として聞いていたのよ」

「そうなんですか……?」


 エリカとイヴォンヌが、意味が分からないという顔をしている。けれどこれは説明はしないでおく。口にしなければ、突っ込まないほうがいい事情だと察してくれるだろう。


 私が咄嗟に掴んでしまった箇所には、神官としての証明である小さな入れ墨がある。彼の故郷の緑の領域諸島と呼ばれる場所では、神官となるときに腕に印を刻むのだ。そして滅多なことではその場所をさらさず、人にも触らせたりしない。腕を出さなくてはならないときは、その場所に布をわざわざ巻いたりする。


 さらにセルギイにとっては、印を刻む際にすんなりいかなかったことがあり、ややコンプレックスがあるというか、とてもデリケートなものになっている。ゲームでも、チドリとの恋物語を紡ぐときだけ、仲が深まってから詳細を教えてくれる。


 そんな部分を背後から突然掴まれた彼が、反射的に思いきり振り払うのは当然のことだった。私も握った瞬間にしまったとは思ったんだけど、遅かった。


「だからとにかく、今回のことをあなたが気にする必要はないわ。むしろ私が巻き込んで落ちちゃったようなものよ」


 一緒に落ちたのは、私が明確な意思を持って彼の腕を掴み直したからだ。


「私の方こそ、ごめんなさい」

「いえ、私こそすみません。……それに、あのときのせいであなたに不名誉な噂が流れているとも聞いて」

「私があなたを突き落そうとしたってやつね」

「どうしてそんな誤解が起きたのか、私にもわからないのです」

「よければ、事情を聞かれたときは否定しておいて」


 そんなものでいいのか、と不思議がる様子がわかる。

 でも別にいい……というか仕方がない。

 ゲームだと一旦広まった噂は、事実がどうこうに限らず面白がって広める者たちがいたって印象だった。白銀騎士団としての任務にも慣れ、退屈し始めている者は多い。こういうゴシップは、ちょうどいい娯楽になってしまうのだ。


 むきになって否定しようとしてもきっと逆効果。人脈をあえて広げてこなかった私に、うまく収める力もない。

 私が悪者として噂されること自体は元々半分諦めていたことでもあるし、どうやっても覆してやるという気はない。そんな気力はもっと別のことに使う予定で、余計な分はないのだ。

 むしろこうなれば、悪役としてどう立ち回るか考えたほうがいい。


 気にせずお茶のカップに手を伸ばす私に、これ以上食い下がるのはやめたのかセルギイは小さく息を吐いた。


「あと一つ、よろしいですか」

「なにかしら」

「踊り場に落ちたとき――正確には、私が落ちたあとにあの神の加護の与えられた楽器を手にするまでのことなのですが」


 途端に緊張した。彼が言いたいのは、倒れ込んだ彼の手を、無理やり壁に彫られた楽器のところに押し付けたことだ。


「あなたはあのとき」

「落ちた時のことは、あまり覚えていないの。とてもびっくりしてしまって……。私、何か失礼なことをしてしまったかしら」


 セルギイは納得がいかないような顔をした。でもどんな顔をされても、私は「なにかしら」と首を傾げるだけだ。


「覚えていない……ですか。失礼なことなどはされていませんよ。むしろ、あなたがいたから私は、『白銀の騎士』に選ばれたと言えなくもない……」

「だけど『白銀の聖女』にふさわしいのは、別の女性だって思ってるんだっけ」

「エリカ」


 困ったように名前を呼ぶと、エリカは肩をすくめて知らんぷりをする。


「私は……」


 セルギイは悩ましげに、でもはっきりと告げた。


「この件に関して、私は誠実にありたいんです。何のしがらみもなく、ただ世界の平穏を心から願える方に『聖女』として選ばれてほしい。……すみません」


 そこでわざわざ私に謝るのが余計だよね。私がふさわしくないってはっきり言ったようなものじゃない。


 いわゆる私の味方と言っていい人ばかりに囲まれて、そこまで言える度胸は感心する。

 セルギイに関しては私がわざと悪者やらなくても、「白銀の騎士」としての覚悟が結構出来がってるんじゃない? 手間がはぶけた。


 けど、ちょっと拗ねた気分になるのは仕方ないと思ってほしい。

 こっちは、ただ世界の平穏を心から願って昨日の夜から行動していて、寝不足なのだ。


「百点満点の答えだと思うわ。……これ以上は話しても無駄なようだし、今日はもう帰ってくださる?」


 本心を嫌みっぽく告げると、これ以上用はないと私は彼を部屋から追い出した。

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