01:ゲームの始まり
一人の少女が丘の上で海を眺めている。
彼方に広がる水平線。日没が迫り、太陽がその向こうへと隠れていこうとしている。
手前に視線を戻せは大きな港がある。オトジ国と呼ばれるこの島国のなかでも、特別な貿易港だ。他では見ることのできない、さまざまな国の船が停留していた。
港を行き交う人々はみな点のように小さい。向こうから彼女の姿に気付ける者はいないだろう。
夕陽に照らされた海、帆船たち、そして石造りで綺麗に整理された街並み。
景色に魅入られる一方で、彼女は、これからほぼ半年をかけて行われるある祭事のことを考えている。
十年に一度の、国をあげてのお祭り。その中でも重要な意味をもつその祭事を、粛々と、この世界の平穏のために果たさなくてはいけない。
「お母さん、お父さん、私……頑張るよ!」
亡くなった両親に向かって、彼女は声を上げる。
反応するように、すぐ近くの木から、鳥が鳴きながら羽ばたいていった。
与えられた幸運を逃さぬよう、一人きりでも頑張るしかない。きっと彼女はそう覚悟を決めているはずだ。
彼女は知らないのだ。あの港に停留した船に乗って、自分の運命を左右する者たちがこの国へ既にたどり着いていることを――。
***
みたいな感じかな?
夕やみ迫る丘の上……のちょっと下あたりの茂みのかげから、私は一人の女の子の後ろ姿を盗み見ていた。
本当に、記憶の中にあったゲームのオープニングと同じだ。
驚いたのと、若干腰にくる体勢でじっと盗み見しているのに疲れて、つい適当なナレーションを脳内で作り上げてしまった。
あ、いや、彼女が声を上げたところは本当に起こった出来事だけど。
あのセリフもゲームまんまである。すごい。やっぱり……私の記憶は間違ってはいなかった。
安堵と、そして少しの落胆を覚えながら、私は彼女の後ろ姿を見続ける。
ここは魔法と科学が混在する、たぶん不思議な国。ここで生まれ育った私には、そこまで不思議さを実感することはできないけど、前世の私がいた世界では、「不思議」だと称されるような世界。
今の私にとっては現実そのものだけど、前世でたしかニホンと呼ばれる国で生きていた私からしたら、「乙女ゲーム」と呼ばれるフィクションの舞台である。
あの丘に立ってたそがれているのは、ゲームの主人公、チドリ。
そして茂みのかげから彼女をストーカーしつつ、いい加減に腰が痛くて辛くなっているのがこの私、ゲーム内で悪役となる、マツリ・カルフォン。
たしか、ここでオープニングムービー挟むんだっけ? いや、あともう一言くらい「気合い入れていかなくちゃ」とかセリフがあるんだっけ? ともかく主人公が丘に登って夕焼け見たら、オープニングである。ゲーム開始だ。
とうとう始まってしまったのだ。
これから私は彼女と、この国に伝わる聖女選定の儀式で争い、親に決められた婚約者候補たちを取り合う。劣勢だと感じた私は、嫉妬に駆られて封印された悪神を解き放ち、最後には世界を破滅させるほどのやばい存在まで参戦させる。
しかし、覚醒し真の聖女となったチドリとその仲間や善神たちによって、まとめて一緒くたに封印されてしまうのだ!
なんという面倒な星の元に生まれついてしまったのか、私。
拳をぎゅっと握った。
記憶に間違いはなかった。ならば私はゲームのシナリオに沿った流れを作り、無事にハッピーエンドへ繋げなければならない。
ゲームとしてのハッピーエンド。それは悪役ポジションの私にとっては、破滅エンドでもある。
物語のなかで、私は最後まで聖女チドリとわかりあえない。そして悪神たちと一緒に封印されてしまう。人間なのに。一応、「いつかまたこの世界に転生する時が来るだろう」という短いフォローはされていた。でも要は、マツリ・カルフォンとしては死を迎えるわけである。
もし、とばっちり封印をうまく免れたとしても、私は悪神を解き放った大罪人だ。未来は暗い。
それでも私はやりとげなくてはならない。
自分の身を二の次にすること。
妙な記憶を持ってしまった意味を悟ってから、時間をかけて覚悟してきた。今さら迷っている場合じゃない。ちょっと体が震えてきているのは、青の大陸で言う武者震いというやつだ。たぶんきっと。
丘の上に立つ少女の元に、一つの影が近づく。
うまく話が運べば、彼女といずれ恋人同士になる相手。
二人きりで夕焼けを見つめる、年頃の男女。遠目に見ても、なんかいいい雰囲気だ。
でも彼は、私の婚約者候補として、この国にやってきた相手でもある。
最初からわかっていたし、片思いしてた相手だったわけじゃないし、別にいい。別にいいけど、少し前に私と婚約者候補として互いに自己紹介したばかりなんだよね。一応、これからいい関係を築きましょうみたいな空気だって出したりもした。……いやほんと、別にいいけど!
ゲームだと、ここで主人公に話しかけたキャラクターとの物語が、これから展開される。そして主人公の行動次第――つまりプレイヤーの選択次第で、バッドエンドや、ハッピーとは言い切れないけど悪くもないって感じのグッドエンドなどに分岐していく。
しかし、ここに彼女の行動を操るプレイヤーはいない。
私が、悪役令嬢としての役割をこなしながら、ゲームと同じハッピーエンドへ導くしかないのだ。
……世界を救うために。