最終話 私の最初の求婚者様
「……エーデル様」
私は四王国の重鎮達の手を避け、離れて見ていたエーデル様に手を差し伸べた。
夜の闇を思わせる黒髪を揺らして、エーデル様が微笑む。
「あらあら。意気地なしね、アプリル様。でも選んでいただけて嬉しいわ。私が男性パートを踊ったので良くって?」
「お願いします」
いくら国王陛下に婚約解消(破棄だけど)を受け入れてもいいと許可をもらっているとはいえ、やっぱり簡単に結婚相手を決めるわけには行かない。
ラストダンスだけとはいえ、魅力的なあの方達と踊ったら勘違いしてしまいそうだもの。私は恋への憧れが強い。いつかグランツ様を愛せる日が来たとしても、彼に恋はできないと知っていたから。だって恋はするものでなく落ちるもの。幼いころから知っていて、愛する努力を重ねてきた相手に対して、いきなり落ちるのは難しいだろう。
旋律に合わせて踊り出す。エーデル様は男性パートがお上手だった。
「ねえアプリル様、私の魔力を食らったことがある?」
「いいえ。勝手に魔力を食らうのは失礼ですし、いつもグランツ様の光の魔力を食らっているので、相反するエーデル様の闇の魔力は食らいにくいのです。それに、私が食らう必要もないくらい、エーデル様は魔力の制御がお上手ですもの」
ザトゥルン王国の王族は、闇の魔力に恵まれている。
闇の魔力は持ち主の内に籠もると言われていて、どんなに強くても暴走しないそうだ。内に籠もる性質があるからこそ、優れた結界が作れるのだと聞く。
魔道学園の授業で学んだり図書室の本で読んだりした知識を口に出すと、エーデル様は首を横に振った。
「そうでもないの。内に籠もるから外から感知されにくいだけで、闇の魔力も暴走するのよ」
「もしかして今、暴走してらっしゃるんですか?」
「ええ、親友のあなたが婚約破棄されたのに腹が立ってね」
「エーデル様……苦しくていらっしゃるのなら、魔力を食らってもよろしいですか?」
「お願いできる?」
「もちろんです!」
私はエーデル様の闇の魔力を食らった。
いつもグランツ様の光の魔力を食らっていたから少し抵抗を感じるけれど、大切な親友のエーデル様のためなのだから──
「え?」
「ああ、良かった」
私の目の前に、黒髪の青年が現れた。
エーデル様にとても良く似ている。
でもエーデル様はひとりっ子だ。兄弟はいない。従兄弟もいないと聞いている。
「君への想いで解けかけていたけれど、最後のひとかけらを消しきれなかった。ありがとうアプリル嬢、愛している」
「あ、あなたはだれですか?」
「エーデルだよ。ザトゥルン王国の跡取りさ」
「エーデル様は女性ですし、ドレスを着ていました」
突如現れた黒髪の青年が纏っているのは、雅で麗しい礼服だ。
エーデル様の着ていたドレスの意匠と似ている気がする。
でもそんなことあるわけない。声も似ている気はするけれど、この青年の声はエーデル様より低い。……低くて甘く、耳の中に忍び込む。
「礼服に魔道をかけてドレスに見せかけていたんだよ。いつ呪いが解けてもいいように」
「呪い?」
「闇の魔力の暴走はそう呼ぶんだよ。悲しみ、苦痛、嫉妬から今の自分でなくなりたいと願って暴走した魔力が、呪いとなって持ち主の姿を変えるんだ」
「姿を変えたくなるくらい、お辛いことがあったのですか?」
思わず心配してしまう。
エーデル様だというのは信じられないが、似ているのは事実だ。
親友に似た方が、闇の魔力の暴走で姿を変えるくらい苦しんでいたのだと思うと悲しくなる。
「心配してくれるんだね、アプリル嬢。でも……私の場合はそんな負の感情とは無縁なんだ。いや、失恋のせいだから、やっぱり負の感情かな?」
「失恋ですか?」
「思い出して、アプリル嬢。幼いころ六王国会議で各国の王と跡取りがヴェーヌス王国に集まったとき、初めて君に求婚した男のことを」
「そんなこと……」
あっただろうか?
話しながらも、彼は私を支えて踊っていた。
周囲の生徒達が怪訝そうに彼を見ている。だれも彼を知らないようだ。
「こうして一緒に踊って、私が求婚したら君は言ったんだ。……私には婚約者がいるので恋などできません、って」
「あ」
思い出した。
確かにそんな過去があった。
どうして忘れていたのだろう。
「ねえ。恋などできないと言ったのは、私に恋をしかけていたからじゃないかい? 君は自分の力の重要さに気づいていた。あの、我儘で身勝手な王子様の魔力を自分が食らわなければ、すぐにでも暴走してしまうだろうことにも。大切な人達をヴェーヌス王国を世界を救うため、幼い君は自分を犠牲にする覚悟をしていたんだね」
そうだ、そうだった。
だから忘れてしまっていた。忘れようと努力して、頭の中から追い出していたのだ。
黒髪の少年への淡い想いを魔道学園に入学して出会った親友のエーデル様への友情にすり替えて。だって私は恋などできない。グランツ様の婚約者である以上彼以外に恋してはいけないのだから。
「そんな君が心配でずっと側にいたいと願ったら、闇の魔力が暴走して呪いで女になってしまったんだ。女になれば婚約者じゃなくても恋をしなくても一緒にいられると思ったのかな。ただ……呪いだから、元に戻りたくなっても自分だけでは戻れなくなってて」
「本当にエーデル様なのですか?」
「……卒業までに呪いが解けなければ諦めるつもりでいた。でもあの莫迦王子は婚約破棄なんかして君を傷つけるし」
「私もグランツ様を愛していなかったのですから仕方がありません」
「だけど君は愛する努力をしていたし、ヴェーヌス王国の民として彼を敬っていた。努力しても愛せなかったのは仕方がないよ。自分の失敗を他人のせいにする莫迦男なんて、権力と財産に目が眩んだ女くらいしか欲しがらない」
その言い回しに笑みがこぼれてしまう。
エーデル様だ。
「ほかの男達まで君を狙っているとわかったから、恥を忍んで君の力を借りるつもりになったんだ。笑みを浮かべているように見えただろうが、求婚される君を見ている心の中では嫉妬が暴れていたのさ。……まあ当然のことだけどね。魔力食いでもそうでなくても、魅力的な君が求められるのは。もちろん女のまま戻れなくても君が苦しんでいたら助けるつもりだったよ」
そこで、彼は言葉を切って私を見つめた。
「君が私を選んでくれたとき、どれだけ嬉しかったかわかるかい? せっかく君のおかげで男に戻れたんだから、もう一度求婚してもいいかな? そうだね。……ラストダンスが終わったら」
胸が弾む。
幼いころの面影と魔道学園の在学中、心の支えになってくれたエーデル様、そして目の前の青年の顔が重なっていく。
こういった呪いの危険を慮り幼いころのエーデル様は性別を明かさず中性的な服装をしていたため、だれも本当の性別を知らなかったのだという。呪いで姿が変わったまま生涯を終えた方もいたらしい。
会場の壁際には私がラストダンスを断った求婚者の方々が立っていて、不機嫌そうな顔でこちらを見ている。
グランツ様とベギーアデ様も近くで踊っていたが、グランツ様がベギーアデ様の足を何度も踏んだので、もう踊るのを止めたようだ。
ベギーアデ様が拗ねた声でグランツ様に怒っているのが聞こえる。
ラストダンスが終わったら──
ラストダンスが終わったらどうしよう。
私がヴェーヌス王国を去っても、エーデル様なら闇の魔力で結界を張って民を守ってくれるだろう。強い結界ならグランツ様の暴走も抑えられるはずだ。なんなら、私が暴走できなくなるほど彼の魔力を食らってから出て行ったのでもいい。
闇の魔力の呪いが解けて男性の姿に戻ったエーデル様の腕の中は離れたくなくなるほど居心地が良くて、私は甘い吐息を吐いた。