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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第3部 粛清
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83 Nate - Let's Push Things Forward

「根拠のない楽観。危険は、自分や自分の親しい人間には降りかかることはないだろう。そんな勝手な思い込みをした経験はないか?」

 ゴトーはネイトに問いかけた。

「…なかったとはいえない」

 ネイトは苦い顔でそう答えた。過去が脳裏に蘇る。敵を殺さなければ、敵も自分たちを殺すことまではしないはず。ネイトの勝手な思い込みで、捕虜を生かすという誤った判断を下した。AGWに自分たちの痕跡を晒し、連中がその痕跡を辿ることを許してしまった。それが結果的に仲間たちの死に繋がった。何人の仲間が死んだという。もう生き残っているのは、AGWに囚われたままのレナだけだ。誘拐の現場で、手薄な装備のまま、多数の警備担当者と銃を撃ちあったケイジとショウが生きている可能性は、万に一つもない。

 過去を思い出すほどに、胸が痛くなり、飲み込む唾は苦みを増す。

 ゴトーは薄く笑った。

「そういう顔をするってことは、お前にも心当たりがあるってことだな」

 根拠のない楽観。それは誰にでも起こることだ、とでもゴトーはいいたいのだろうか。

「勘違いするな、どうしたって、自分の過ち、自分の判断違いだった。自分を正当化することも、責任逃れをすることもできやしない。…仲間が撃たれ、仲間の親族が爆弾で吹き飛ばされても、そのときなぜか俺は、自分の妻は大丈夫だろう、これから警備はさらに強化されるはずだ。自分も最大限警戒をしているから大丈夫だ、という思いがあったんだ。振り返ってみれば、油断していたというしかない」

「根拠のない楽観だけではなく、根拠のない自信もあったんだな。仲間が仲間を殺して回る前代未聞の事態が起きている中で」

 ネイトがいうと、ゴトーの顔が歪んだ。

「…お前の指摘は正しいよ。チグサの元へ向かおうとしたとき、同僚だけでなく、妻も俺を止めようとした。それを俺は振り切った。すぐに終わる仕事だ、自分たちなら大丈夫だろうと思った。そして罠にかかった」

「…あんたの奥さんは、その、あんたが昏睡状態にあるときに」

「…そうだ。俺が罠にかかったあと、最大限の警戒がついていたにも関わらず、ウガキにやられた。狙撃だ。顔を、吹き飛ばされたらしい。あとで内務省が残していた写真は見たよ。それはひどいものだった」

 絞り出すような声で、ゴトーはいう。

「残念ながら、法律は復讐を認めていない。あまりに前近代的な概念だからな。昏睡から目覚め、内務省に戻ったところで、俺にはウガキに報復する権利はなかった。おそらく機会もなかっただろう。五年も眠っていた人間を、まともに使おうと考える人間がどこにいるんだ? だから俺は地下へ潜った。俺から大事な人間を奪った、ウガキへ復讐をするために」

 暗い炎が、ゴトーの目に宿っていた。

「だが奴はまだ生きている。あんたが昏睡から目覚めて何年になる? 十年? いや、もっとか」

「何度か機会はあったが、失敗した。奴の組織は、どんどん人が増えている。奴に近づこうにも、人が多過ぎてな」

「いまの政府なら、あんたを積極的に利用したかもな」

「いいや、内務省との信頼関係は崩れている。妻の件も、チグサの件にしろ。…内通者や離反者が多過ぎるんだ。それがいつも失敗や問題を引き起こす」

 古巣への怒りと恨みが、一瞬ゴトーの表情に現れた。だが、それもすぐに消え、ゴトーはいつもの冷静で、厭世的な顔に戻った。

「小僧、お前の質問には答えてやったつもりだ。これで満足だろう。歴史の授業はこれで終わりだ」

 ゴトーはいった。

 ネイトはガレージの天窓を見やった。外はもうすっかり朝になっている。差し込む光の眩しさに、ネイトは目の奥が少し疼いて瞬きをした。

「あんたこれからどうするつもりだ?」

「お前たちこそどうするつもりだ?」

「俺は、仲間をAGWから奪い返す。アリスと話しあった」

「…また女を囮にするつもりか」

 ゴトーは呆れた口調でいう。

「なんとでもいえ。それはアリスも了承してる」

「華龍盟と派手にやりあったせいで、AGWも気づいている。奴らを出し抜けるとは思えない」

「だったらどうやって仲間を奪い返す? それでもやるしかない」

「手段は、方法は、戦略は? なんの考えもなしにできやしない」

 ゴトーは(まく)し立てるようにいった。

 ネイトは苛立った。むっとした顔になって、ゴトーにいい返そうとしたとき、そこに別の声が割り込んできた。

「作戦は私が考える。AGWを誘き出す。そのために、まずは街へ情報を流す」

 アリスだった。極度の戦闘疲労からようやく抜け出したのか、アリスは上半身を起こして、ネイトとゴトーを見た。言葉の呂律はまだ少し怪しかったが、目に輝きが戻りつつある。アリスは口に溜まった唾を床に吐いた。

「綺麗にした床をまた汚すんじゃない」

 ゴトーはアリスを窘めた。

 だが、アリスはなんとも思ってはいない。むしろ不遜な顔でゴトーを見た。

「いいか、もう街には情報が出回っているんだ。俺たちが華龍盟を嵌めたことも、すぐに知れ渡る。ウガキと因縁がある俺と、お前が、一緒に行動している。お前がまた囮になろうにも、情報が知れ渡っていて企みがすぐにばれる」

「あなたにお願いしたいのは、私たちは決別したと情報を街に流すこと。私たちは下層部を彷徨う。それで奴らを誘き出す」

「馬鹿な…」

「あなたから情報を流す以上の協力が得られないようなら、クロキに協力を仰ぐわ。彼や彼の部隊に支援してもらう」

 アリスがいうと、ゴトーは鼻で笑った。

「…馬鹿げている。政府も動かして、AGWも騙そうだなんて」

 ゴトーは小さく呟いた。「

「そうとも限らない。私の立場を利用する。私の血を利用する。あなたが私に語った事実を利用する」

 アリスがいう。彼女の知性と知恵が回転し始めたのを、ネイトは感じ取った。アリスの表情が引き締まってきた。

「なにをするつもりだ?」

 ゴトーは眉を顰めた。

 アリスはにやりと笑った。

「大臣の娘が、実は反政府組織の、かつての領袖の娘だった。私がそれをいいふらして外を出歩いたら、どうなるかしら?」

 あくどいいい回しで、策略の絵を提示するアリス。その目は悪辣な輝きを放っている。

 ゴトーの顔が歪む。予想はついているが、口にはしたくないという顔だ。

「…街は再び大騒ぎになる。AGWは彼女を狙う。少なくとも、AGWの中でリョクノを知っていた連中は、黙っているはずがない。当然、政府も彼女を放っておかない」

 ネイトはいった。アリスのあくどい交渉を手助けする。

 ゴトーは明らかに不機嫌になっていた。ゴトーはアリスの大胆過ぎる計画に怒りを覚えている。

 アリスは片目を瞑った。

「情報をでっち上げて、流してほしいの。あなたはその道の専門家よ」

「見返りがない」

「見返りならあるわ」

 アリスは即座にいう。

「ウガキを引きずり出す。私は過去の事実を知るために、ウガキに接触するのも吝かではない。あなた、上手く私を利用すれば、ウガキを引きずり出せるかもよ」

 アリスの頬が緩む。危ない微笑み。

 ウガキを引きずり出す、どうやって。ネイトは口を挟みたくなるのを堪えた。沈黙が交渉の重要な局面で絶大な働きをすることを、ネイトはよく知っていた。

 ゴトーはさらに不機嫌になっていく。視線は下を向いている。怒りや苛立ち、それもさることながら、過去の不愉快な出来事を再び繰り返していて、それに自己嫌悪しているような表情でいる。ゴトーが過去を語っていた際も、その表情をネイトは見た気がする。あれはきっと。

「そうやってお前は俺に計画の詳細図を描かせる腹なんだろう。AGWを嵌める段取りも、ウガキを誘き出す方法も」

 ゴトーはいう。

「あなたの手助けがあれば、心強いわ」

 悪びれもしないでアリスは答える。

 下を向いていたゴトーの顔がまたしても歪んだ。ネイトはそれで思い出す。チグサを説得し切れなかったと語ったときのゴトーの顔。それと同じだ。交渉事が捗らないとき、ゴトーは負の感情を他人ではなく自分に向ける。交渉を上手く前へ進めることができない自分を責めるような顔をする。なぜかいま、ゴトーの口から語られる存在でしかないチグサとアリスが重なって見える。

 アリスが白い歯を見せて笑う。

「さあ、なにから始める?」


Let's Push Things Forward : 英国のヒップホップアーティストThe Streetsの楽曲より。

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