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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第3部 粛清
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77 Nate - Manipulate

 フクシマを第三十四フラットに置き去りにしたあと、ゴトーはグエンを闇医者のところへ連れていった。与えられた傷は深刻だった。グエンはすでに鎮静剤を打たれ過ぎていた。

 闇医者はいう。

「一週間はここから動かすな」

 それは闇医者からの厳命だった。ゴトーは闇医者に金を掴ませた。多めに金を払い、グエンの回復を待って連絡を寄越すようにいった。

 場合によってはグエンを国外に逃がす必要があった。

 ゴトーたちは天窓のあるガレージへ戻った。新たな夜明けがもう訪れている。

 濃厚な疲労が滲んでいた。ネイトからも、アリスからも、ゴトーからも。傷を負うこともなくこうしてこの場にいるのが奇跡のようにネイトには思えた。

 疲れは三人から言葉を取り払った。三人とも椅子に座って、誰が最初にそうなったのかわからないが、微睡の中へ落ちていった。

 眠っていても、ネイトはレナのことをずっと考えていた。レナはネイトの仲間たちの中で唯一の生き残りだ。ネイトとのつきあいも一番古かった。だから誰よりも彼女を救い出したかった。ネイトはレナを救い出す手段を考えた。しかし最悪の事態が頭にちらついた。誘拐の失敗により、もうすでにレナは処分されているのではないか。利用価値のなくなった彼女はとっくに処刑されているのではないか。最悪の事態、ネイトはその考えを遠ざけた。あえて希望的観測を行った。レナがまだ生きているという仮定を絶対のものとした。アリスを餌にして、レナを交渉の場に連れ出し、救い出す。同じ手法で華龍盟を出し抜いた。ならば、AGWを出し抜けないわけがない。いざとなれば、アリスを犠牲にしてでも、ネイトはやり抜く覚悟だ。恐ろしい考えがちらつく。その恐ろしさで目が覚める。目をぱっと開く。

 アリスがネイトのそばにいた。そしてネイトを見つめていた。

 ネイトは驚いた。彼女も眠っていると思っていたからだ。直前まで眠りの中で恐ろしい考えをしたせいもあって、ひどく狼狽したようになる。

 ゴトーはまだ眠っているようだ。

「なにを考えていたの?」

 アリスはネイトに尋ねる。

 ネイトは目を擦る振りをした。寝起きの不機嫌を装った。

「寝ているところを覗くな。悪趣味だ」

 ネイトはそういったが、アリスは気にしていなかった。

「誰かの名前を呟いていたわ」

 アリスはいう。

 いわれてネイトはぞくりとした。

「名前?」

「そう。誰かの名前。その人が夢に出てきたのかしら」

「わからない。俺は夢なんて見ていない」

「嘘。眠っていて誰かの名前を呟くなんて、夢を見ていないとなかなかそうならないわ」

「俺の場合はそうじゃない」

 ネイトはしらばっくれた。

「レナ。あなたそう呟いていたわ」

「…ちゃんときこえていたんだな」

 ネイトはアリスを睨んだ。アリスはふっと笑う。からかうようにいう。

「レナっていうのは、あなたの大事な人?」

「違う。俺の仲間だ」

 ネイトは即座に否定した。

「彼女がAGWに捕まっているあなたの仲間?」

「そうだ。あいつを助け出さないといけない。レナをどうやって助け出すのか、ずっと考えていた。眠りの中でも」

「…やっぱり夢は見ていたのね」

 アリスはいう。

「かまをかけるのはやめにしないか?」

 ネイトは不機嫌を装った。

「あなたが正直に答えればいいだけの話よ」

「きき方に問題がある。あれじゃ…」

「あれじゃ、なんだっていうの?」

「寝起きに急にきかれたら、身構えてしまって少しくらい嘘もつきたくなる」

 ネイトはいう。その発言に対して、理解できなくはないという顔をするアリス。

「…で、次は、彼女を助け出すために行動するわけね」

 アリスは話題を変えた。

 ネイトはいざとなればアリスを犠牲にしてでもレナを救うつもりだった。レナとアリスを天秤にかける。レナとともに築いた過去、記憶、思い出。天秤はどうしてもレナに傾く。アリスに悟られぬよう、ネイトはその思惑を胸の奥にしまい込む。

「俺があんたと手を組んだのは、仲間を救うためだ。あんたは自分で提案した策とやらを覚えているか?」

「覚えているわ。さっき華龍盟を欺いたのとまるで同じ手法。AGWを誘い出して、あなたの仲間を取り返す。政府の部隊にAGWを排除してもらう。基本の作戦はそんなところね」

「同じ手法で上手くいくと思うか?」

「一度成功したのなら、二度目もあったっていい」

「具体的にはどう動く?」

「それはこれから詰めることでしょう。手法は同じでも、詳細は変える必要がある。AGWと取引する場所、どのような段取りで行動するのか、またどのようにAGWに連絡を入れるのか。これはゴトーとも相談して決めないといけないわ」

 アリスはゴトーをちらりと見る。ゴトーはまだ眠っていた。椅子に座り、腕を組みながら眠っている。寝息をまったく立てていない。

「今度もゴトーは俺たちに協力すると思うか? 今度のはゴトーにとってなんの利益もない。あいつは俺たちの前から消えるかもしれない」

「そうかもね。そうしたら今度は、あのクロキって男を頼ればいい」

「あいつを? あいつはあんたにしか興味がない。あいつは俺の事情なんざ知ったことはないと明言してたぞ」

「そうしたらクロキを動かす交渉が必要になる。私が彼と交渉をする」

「クロキが俺たちに取りあってくれるのか疑問だ」

「どの道そうしないといけないのよ。私が私の立場を利用して、彼を脅すしかない」

 平然とした顔でいってのけるアリス。ネイトは首を傾げざるを得ない。不気味なほどの度胸だ。

「どうするっていうんだ?」

「ウガキに会いにいくため、あえて自分からAGWと接触しようとしている。そういうのはどうかしら?」

「馬鹿な…」

 ネイトは言葉を失う。

「別におかしなことじゃない。あなたも忘れないで。私が追い求めているのは自分の過去と記憶よ。クロキはいったわ。本当の過去を、過去の真相を知っているのはウガキだって。私の追い求めている過去や記憶についてウガキがなにか知っているのなら、私は、ウガキと会うことはやぶさかではない」

 アリスは強い意志を露わにする。その目が燃えているのがわかる。

 一方でネイトは、記憶を思い起こす。ウガキの冷酷さと非人間性を思い出す。ウガキはネイトの目の前で仲間のジュンを殺し、そしてレナを嬲った。人とは思えない、感情を有さない機械のような目をあの男はしていた。

「どうかしてる。あいつはまともに話が通じる相手じゃない」

「ウガキと会ったことが?」

 アリスが尋ねる。確かにネイトはウガキと面会した。だがいまとなっては、それは恐怖の記憶でしかない。

「冷酷な男だった。とても人間的な感情があるとは思えなかった。俺はあいつにあんたの誘拐を強要された」

「私も彼をまともな人間だとは思ってないわ。そんなの織り込み済みよ。重要なのは、私は目的を果たすためなら、そんなまともじゃない人間にも会いにいく覚悟があるってことが、クロキにも伝わればいいの。そうしたらクロキは、私たちに協力せざるを得なくなる」

「それでクロキが動くと思うか?」

「度胸較べになるかもね。でもあの男はなんにせよ私の保護に駆けつけた。今度も、内心あの男がどう思っているかはともかく、引っ張り出すことはできると思う」

 アリスの目がずる賢く光る。アリスはクロキを操る気でいる。危険。限りのない自暴自棄。

 ネイトも頭を働かせた。賢しく計算をする。果たしてクロキを意のままに操れるかどうか。生半可な度胸と覚悟ではクロキは操れない。自暴自棄の覚悟が必要だ。あくまで理性的なクロキ。もし仮にアリスが非合理的な行動を貫き通したとしたらクロキはどう反応するか。非合理的な行動に戸惑い、狼狽するクロキの姿が、ネイトには容易に想像できた。賭けをやってみる価値はあると思った。

 アリスの目が燃えている。過去と記憶への執着心にまた火がついている。きっとアリスはクロキを操るだけではなくて、ウガキにも本気で会うつもりでいる。ネイトには曖昧模糊として理解しがたい行為にしか見えないのだが、彼女は自身の隠された記憶と過去を追究すべく、静かに闘志を燃やしている。ことこの事柄において、彼女を押しとどめることは難しい。冷静で理知的な彼女による狂気の沙汰。

 この女を利用しろ。過去と記憶に執着するこの女を上手く利用し、こちら側の思うように操作操縦をして仲間を救え。ネイトは自分にそういいきかせた。自分の過去と記憶に関わることならアリスはどんな不合理なことでもやってのけるだろう。それはネイトに協力を続けるという行為も含まれる。それを利用しない手はない。

「なにを考えていたの?」

 悪辣な考えにとり憑かれたネイトを、アリスはじっと見ていた。

「…いや、仲間をどう助け出すか。それを考えていた」

 そういってごまかす。自分自身にはこう命じる。動揺するな。狼狽えるな。彼女の視線の圧力を躱せ。考えを胸の奥に潜ませて、一切の感情を表に出すな。

 アリスは手をかすかに動かした。アリスはネイトに触れようとしたようだ。だが、ネイトの視線に気づいて、アリスは静かに手を引っ込めた。その代わりにどこか優しげな口調でネイトに尋ねる。

「彼女とは長いつきあいなの?」

 ネイトを気遣うような目をしていた。

 自分の演技は上手くいったようだとネイトは思った。

「一番古い仲間だ。俺が孤児院を抜け出したときから、あいつは一緒だった。あいつも俺も孤児院の生活に耐えかねていた。孤児院を脱走して盗みを覚えたあと、孤児院に残っていたあいつの妹を連れ出す手伝いもした。…もうその妹はAGWに殺されてしまったが」

「ならあなたの一番の友達でもあるわけね」

「そうかもしれない。だけど、あいつはなんていうか、仲間という印象が強過ぎて、いまさら一番の友達といわれてもしっくりとこない」

「友達と仲間はあなたにとって違うものなのね」

 アリスは笑う。

「何年も一緒に盗みをやってきた。一緒に危ない橋も渡ってきた。友達ってだけなら危ない橋は渡れない」

 ネイトは真面目な表情でいった。

「そうかもね」

 アリスはまた笑みを見せる。なにがおかしいというのだ。少しばかりネイトはそう思った。

「私もあなたと危ない橋を渡ったと思うけど、それじゃ私は仲間ということになるのかしら?」

 アリスは面白がっていう。それがネイトは気に入らない。

「あんたとは協力関係だ。数日行動をともにしただけじゃ、まだ仲間とはいえない」

 厳しい口調でいう。アリスの顔から笑みが剥がれ落ちる。

「もちろん協力関係だから、あんたが望むことには手を貸す。あんたがいう本当の過去や記憶を探り出す手伝いはするつもりだ」

 一転して厳しい表情を浮かべるアリス。

「…協力関係ね」

 彼女は苦い顔で呟く。

「ならとことん協力してもらうわ。そういう関係だもの」

「そっちこそ。AGWも政府もいいように扱うには、あんたが必要だ」

「なんだか私の荷が重いような気がするけど」

「そうでもないと思うぜ。自慢する気はないが、俺がいなけりゃやばかった状況がいくつあったと思う?」

「いくつか、何回か」

「いくつも、何回も、だ。下層部をうろつくっていうのは、そういうことだ」

 明らかに不愉快な顔をするアリス。

 アリスは銃を抜いた。

「なにを…」

 ネイトは呟く。

 アリスはゴトーに狙いをつけた。

「あんたも協力してもらうわ」

 ネイトに対し、アリスはそういう。

「ねえ、起きてるんでしょう? 過去に起きたことを、すべて、洗いざらい教えて」

 微動だにしない銃口。苛立ちと衝動に突き動かされたアリス。目の色が変わっている。深窓の令嬢から、傲岸で尊大な女王へ。

 ゴトーは目を開ける。薄く開いた目で、アリスを睨み返していた。


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