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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第3部 粛清
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74 Nakiri - Innocent

 異形の怪物たちが夢に紛れ込んでくる。人間の姿をしているが、目から血を垂れ流し、こちらへ這い寄ってくる怪物。背中から翼の生えた天使のような姿をしつつも、顔がない怪物が空を舞っている。森の中に自分は立っていて、足元にも、そして頭上にも怪物がいる。彼らは自分を狙っているのだ。恐怖に戦きながら、夢中で逃げる、走る。鬱蒼とした森の中を走り抜ける。無我夢中で森を走り抜けた先に、陽光が降り注ぐ開けた場所があって、そこには口が頬の両端まで裂けてしまい、文字通り血塗れになってしまった女の姿をした怪物が、手を広げて待ち構えていた。怪物を避けるには十分な距離があったはずなのに、また避けるためのなにかしらの行動が起こせたはずなのにもかかわらず、手を広げている怪物に自分は向かおうとしている。空を舞い、地面を這う怪物は自分を狙っている。自分はなぜか、誰かに突き動かされるようにして、口が裂けた女の怪物に向かって駆け出している。そしてその怪物に抱き止められる瞬間で、夢が終わる。ぷつりと映像が途切れるあの瞬間のように、そしてまるで死が唐突に訪れたときのあっけなさをもって、夢は終わる。そして覚醒する。

 目を開けると、そこには表情のない顔で見つめる男が、ベッドの端に腰かけている。自分を見つめている。黒い軍服。ナキリはこの男が誰なのかを知っている。チョウの部下だ。

 目覚めたナキリを見て、チョウの部下が微笑む。

 病室。外はまだ暗い。夜明けが訪れる前の時間。向かい側の壁に設けられたカウンターの上に置かれたテーブルランプはぼんやりと暖色の光を放っていた。男はその光を背にしている。

「嫌な夢でも見たか?」

 シーツが冷たい。額からは汗が流れている。

「寝姿まで監視されている。いい夢なわけがない」

 動揺を抑えながら答える。悪夢と大量の汗は、二十四時間の監視による影響であるかのように装う。

 組織による追及。ナキリは組織から疑われていた。ウガキの右腕であるスギヤマの襲撃には内通者が関与していた。組織内に潜む内通者を狩り出すために組織はいま躍起になっている。正確には組織の一部の人間たち。ハタとチョウを中心とする、組織の諜報部門に属する人間たちだ。彼らの思考はナキリでも推察することができる。裏切り者を狩る、痛めつける。裏切り者から最大限の情報を引き出し、利用する。政府への逆襲の謀略を仕組むきっかけを掴もうとしている。諜報、謀略、陰謀も報復の連鎖の中にある。敵への憎しみが謀略を激化させる。諜報部門の人間たちはいま躍起になっている。彼らはいまが一番彼らの権力を最大限に行使できる時期だと確信しているからだ。

「君がうなされているのを見たよ」

 男はいう。

 悪夢を見るようになり、うなされるようになったのは、組織による追及が日々激しさを増しているからだ。異形の怪物たち。あれはナキリの心の内に潜む、自分が本当に恐怖する存在を具体化したものだ。地面からも、空からも、敵に追われる。逃げ出した先でも、敵は待ち構えている。逃げ出したい、危険から遠ざかりたいという強い思いを持ちながらも、結局は敵の懐へ飛び込んでいる。敵が手を広げて待っている場所に向かおうとしている。あの夢はまさしくナキリがいま置かれている状態を警告するものではないのか。危険を知りながら、そして危険から遠ざかりたいと思いながら、危険に向かっている。数日前にチョウがナキリの枕元で追及の始まりを宣言してから、監視と尋問が始まった。まだ傷も癒えていないというのに、まだベッドから動くこともできないというのに、黒い軍服姿の男たちがナキリを尋問する。彼らはすべてを語ることを要求する。過去、来歴、人間関係、日常の様子。ナキリにすべてを語らせて、不審点を炙り出そうとする。男たちの態度は紳士的でもあり、高圧的でもある。彼らは態度を巧みに使い分け、そうすることで尋問対象を懐柔しようとする。尋問が終わってからも、男たちはナキリを監視する。すべての動作を観察しようとする。神経がおかしくなるのも無理はない。

「ずっと監視されているんだ。そうなるのも当然だろう」

 ナキリは苛立った口調でいった。

「どうだかな。本当は怯えているんだろう?」

 男はいう。微笑みは徐々に消えていく。核心に迫ろうとするとき、この男は表情を失う。男が意図的に作り出す静寂が恐ろしい。チョウの執拗で狂気的な尋問とは性質の違う恐ろしさだ。

「俺は潔白だ。俺を調べてもなににもならない」

 ナキリは男から視線を逸らした。一つ覚えの呪文を口にする。

「その言葉を口にしていれば、潔白であると証明できるわけではないぞ」

「何度でもいうさ。俺は潔白だ」

 ナキリは男を見据えた。

 ナキリの強情さに男の表情がわずかに緩む。

「必ず口を割らせてやるさ」

 男は静かに宣言する。男から表情の緩みは消えている。その目は冷たく光っている。ナキリは恐怖を覚えた。

 男は立ち上がった。

「朝がくれば、尋問が始まる。覚悟しておくといい」

 男はいう。

 朝がくるまであと何時間だろうか。日が昇った瞬間に、また長い戦いが始まる。おそらくは勝利も敗北も決まることのない戦いが。

「語ることはなにもない」

「我々を甘く見ないでもらいたい。これでも何人もの人間を尋問し、ときには拷問にかけてきた」

「どれだけ俺を調べても、なにも見つからないよ」

「どうかな。組織は徹底的に追及をする。細部に渡って調査する。あらゆる人間に疑いの目を向けている。当然、君に親しかった人間も」

「俺に親しい人間などいない」

 ナキリは首を振った。この組織に入ったのは生きるためだ。誰かと親しくなるためにこの組織に入ったわけではない。

「それは本当かな? 彼女についてはどうだ?」

 男は去り際に写真を見せつける。鋭い目つきをした赤毛の女。エマ。

「当然、組織は彼女にも目をつけている。必要とあらば彼女にも尋問をかける」

「あいつは同僚だ。友人ではない」

 ナキリはいい切った。

「…いまはそういうことにしておこう」

 男はいう。

「組織は着実に内通者狩りを進めている。猜疑心を高めている。ありとあらゆる人間を調べ尽くすだろう」

 口笛を吹きながら、男が立ち去る。余裕の態度。怒りが湧き上がる。

 ナキリは男が置いていったエマの写真を見つめる。赤毛、鋭利な目。生まれながらの軍人。戦闘や暴力が生きがいになってしまった女。あれほどの者でさえ組織は疑うというのか。

 エマは唯一の友人だった。


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