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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
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72 Alice - The Dying of the Light

 アリスが先行して仮囲いの柵を乗り越えた。ネイトは負傷したグエンをなんとか持ち上げて、柵を乗り越えさせようとした。アリスも柵の向こう側でグエンの体を支えた。ずるずると半ば崩れ落ちるようにはなったが、グエンが柵を越えた。ネイトは素早く柵を越えてきた。

 アリスとネイトはまたグエンの腕をそれぞれの肩に回して歩き出した。

 アリスの心臓は緊張と興奮で破裂しそうだった。しかし目はなぜかちかちかとしていた。強烈な戦闘疲労に襲われている。

 ネイトが傍にいて、速度を緩めないようにしてくれていることがありがたかった。これが一人の状況ならば、歩くことを諦めていたかもしれない。

 懸命に前へ進む。植え込みを踏み越えて、アスファルトで固められた大通りに出る。真っ白な光が通りには降り注いでいた。ほんの数分前の過去のことも、ほんの数分後の未来のこともいまのアリスの頭には存在していない。いまこの瞬間のことしか頭にはなかった。一歩一歩踏み締める固い地面の感触、荒い息遣い、立ち上る血と汗の臭い、自分たちの背後に迫る追跡者に対する恐怖。とにかく一刻も早く逃げなければならない。

 白く照らし出された通りの向こうに、高架道路の湾曲がすでに見えていた。その真下に逃走用の車を隠してあった。距離にして約百メーター先。

 アリスは歯を食い縛った。数秒ごとに力が抜けそうになる瞬間がやってくるので、それを堪えるためだった。極限の状態に追い込まれることで、普段は隠されている弱い自分が見えてくる。すぐに諦めようとする自分が、数秒ごとに顔を覗かせる、諦めなどくそ喰らえ、とアリスは心の中で気炎を吐いた。諦めてはならないと自分にいいきかせる。

 自分たちが歩いているのか、それとも走っているのか。少なくとも他人には鈍重に歩いているように見えるだろう。真冬にもかかわらず、じっとりと汗をかきながら、前へ前へと進む。

「もうすぐだ」

 ネイトがいう。ネイトもアリス同様に前しか見つめていなかった。過去も未来も考えず、いま現在というこの瞬間のみを見つめるネイトのひたむきであり必死の眼差しに、アリスは勇気づけられた。自分もこの歩みを止めるわけにはいかないと思った。一秒たりとも無駄にはできないのだ。グエンの命が燃え尽きる前に、敵がアリスたちを搦めとる前に、逃げ切らなければならないのだ。背後を振り返ることはなかったが、敵の気配は感じることができた。悪意と殺意が溶けあった禍々しい気が、自分たちが乗り越えた柵の向こう、荒れ果てて見捨てられた場所からアリスたちの背中に注がれていた。

 下層部に落ちてから、逃げることを何度となく繰り返している。だが、逃げることが生きることとこれほど繋がっているとは思いもしなかった。懸命に逃げるこの瞬間に、生の煌めきと躍動を感じることになるとは、なんという皮肉だろう。

 高架道路の湾曲の下、緩やかな坂になっている部分を下る。隠した車はもう見えている。ゴトーの姿はそこになかった。まだ彼はここまで辿り着いていないということなのか。

「とにかく先に車に乗り込もう。グエンを押し込んで、手当てをしないといけない」

 グエンは指を吹き飛ばされ、足を切り刻まれている。止血措置は施されているようだが、それも確認をしないといけない。華龍盟の残虐さにアリスは顔を歪めた。

 車に近寄り、その扉に手をかける。鍵は事前にゴトーから預かっていた。先にグエンを後部座席に押し込もうとする。

 高架下には照明はなく、とても暗かった。車の扉を開けると、車内灯がついた。暗闇の中に、灯がぽっと現れる。

 思えばそれが合図になったのかもしれない。

「そこまでだ」

 どこからか、冷厳な印象の声が響き渡った。高みから、一斉に照明が灯される。いくつもの眩く白い光を当てられる。目が眩む。

 物騒な足音がきこえる。重武装の兵士たちがアリスたちをあっというまに取り囲んだ。アリスたちは銃を突きつけられた。

 やがて取り囲む兵士たちを押し分けて、背広姿の男が姿を現した。アリスは男に見覚えがあった。いつだったか父を訪っていた男だ。その背広姿の彼は、同じく背広姿でひどく人相の悪い男を連れ立っている。

 男は冷たい目でアリスたちを見ながら、いった。

「セガワアリス、あなたの身柄を拘束する」


【注釈】


The Dying of the Light : ディラン・トマスの詩「Do not go gentle into that good night」より。


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