65 Tommy, Gotoh - Talking Business
ネイトの顔が強張っていた。アリスは痛いほどに視線を感じた。数秒ごとにネイトは視線をゴトーに向けたり、アリスに向けたりする。ネイトの目つきには落ち着きがなかった。
逆にアリスは冷静だった。たかが連絡を入れるだけ、そのようにしか思っていない。
ゴトーも落ち着いていた。なんともない顔で、華龍盟に連絡を入れる。
「ゴトーという。俺の部下を連れ去った、そちらの馬鹿野郎を出せ」
ゴトーはなんともない顔で、声に怒りを滲ませている。
ゴトーから連絡が入った。
ついにそのときがやってきたのだ。
周囲の人間の顔色が変わる。場が緊迫する。
トミイは椅子から立ち上がり、電話に出た。
「トミイという。あんた、ゴトーか?」
自分の声が、普段よりも硬くきこえた。トミイは珍しく緊張していた。
「声に覚えがあるな、それに名前も」
相手の声がする。相手の声は殺気立っている。
「覚えてもらっているとは恐縮だ」
トミイは答えた。
「お前、街でロシア人にちょっかいをかけただろう?」
ゴトーはいう。さすがに大昔にトミイと会話を交わしたことは覚えていないようだ。相手は忌々しいロシア人たちとの抗争のことで、トミイを認識しているらしい。少しだけトミイはがっかりとした。
「ロシア人どもの話はいましたくないね。話が余計に拗れるだけだ」
トミイがいうと、ゴトーはかすかに鼻を鳴らした。
「抗争の原因になっておいてよくいう。それでお前が、俺の部下を拉致した大馬鹿野郎か?」
ゴトーがいう。大馬鹿野郎という言葉をきいて、思わずトミイは笑った。当然といえば当然だが、ゴトーは相当腹に据えかねているらしい。自分の中で高まっていた緊張が少しだけ緩んだ。
「ああ、その大馬鹿野郎さ。よかった。あと少しで、グエンの首を切り落とすところだったんだ」
愉快な口調をあえて取りながら、トミイはそう答えた。そしてゴトーの反応を窺った。
「…殺してやる」
ゴトーは敵意を剥き出しにしていった。
「その前に、グエンの命を助けないとな」
トミイはにやりと笑う。ゴトーに釘を刺す。こちらはゴトーの部下の命を握っている。こちらへの脅しは無意味だ。
「ゴトーさんよ、仕事の話をしようじゃないか。倉庫街で俺があんたにいったこと、覚えているだろう?」
トミイは問いかけた。トミイには、ゴトーがなにをいうのか大体の見当がついている。
「令嬢の身柄はこちらで押さえた。第八地区南端、ロジスティクスセンター跡地。いまから二時間後に、グエンをそこに連れてこい。お前一人でだ。他の仲間は不要だ」
「令嬢と交換ということだな?」
「そうだ。令嬢をそっちに渡す。そっちもグエンを渡せ」
「…いいだろう。それと、令嬢の声をきかせてくれ」
「なんだって?」
ゴトーがきき返してくる。その声にとぼけた調子が混ざる。
「令嬢の声をきかせろ。あんたは頭がいいからな。グエンを救うために嘘をいっているかもしれん。悪く思うな」
「少し待て」
ゴトーがいう。やや間を置いて、若い女の声がする。
「どいつもこいつも皆くたばってしまえ」
女の声は怒りを含んでいた。同時に、なにかに追い詰められた人間が発するような切羽詰まった声であるとも感じた。
「大臣令嬢にしては、えらく口汚いな」
「俺に捕まって気が立ってるんだ」
「どうやって捕まえた? 一緒にいたガキはどうした?」
「あんたがいった通りに、令嬢と小僧は俺を頼ってのこのこと姿を現した。騙し討ちのように、二人を捕まえてやった」
「…ガキの声もきかせてくれ」
「お前の望みは令嬢だろう。小僧は関係がない。声をきいてどうするという?」
「俺はガキが嫌いだ」
トミイはいった。それは本音だった。ろくな度胸も技量もなしに犯罪稼業に手を出すガキどもは、皆死んでしまえばいいとトミイは思っていた。その極めつけがあのネイトとかいうガキだった。大人たちの間をこそこそと駆け回って、一端の人間のような振りをしているあのガキが、トミイは嫌いだった。殺してやりたいとさえ思う。いや、正確には殺した方がいいのだ。トミイはあのガキとその仲間たちをAGWに売り飛ばした。噂は街に出回っている。噂を知ったあのガキが、報復心を抱いて、トミイをつけ狙う可能性も考えられた。殺せるものなら、殺した方がトミイにとっては好都合だった。
「小僧のことはどうでもいい」
ぴしゃりとした口調でゴトーはいう。
トミイは首を振った。
「俺にとっては、そうではない」
「俺の知ったことか。やけに小僧に拘るな」
吐き捨てるようなゴトーの声。
「そっちこそ、やけにガキを庇うんだな」
トミイは苛立った。なぜにゴトーはあのガキを庇護するかのような言動や行動を取るのか、トミイにはわからなかった。小賢しいガキなどさっさと売り飛ばせばいいのだ。
「…仕事の話をしようじゃないか。俺はそっちに女を引き渡す。あんたはこっちに俺の部下を引き渡す。いまできる取引はそれだけだ。小僧の件については考えるな。余計に話が拗れるだけだ」
トミイとは違って、ゴトーはどこまでも冷静だった。妥協と譲歩の気配はない。
トミイはゴトーの声をききながら、じっと窓の外を見つめた。落ち着け。トミイは自分にいいきかせる。
「わかったか?」
ゴトーが問いかけてくる。
苛立ちを抑えて、トミイは答える。
「わかった。ガキのことはいい。グエンを連れていく」
「必ずお前一人でくるんだ。お前の仲間の姿を一人でも確認したら、俺はこの取引を中止する。その場合、令嬢は他の勢力に売り飛ばす」
「…いいだろう。互いに約束を守ろうじゃないか」
トミイはそうゴトーに呼びかけた。だがゴトーはその呼びかけには応じず、代わりにこういった。
「…グエンと話をさせろ」
トミイは周囲にいた者に、グエンを連れてくるよう命じた。数分と経たずして、トミイによって痛めつけられたグエンが引き立てられてくる。グエンはトミイを見て、体を震わせた。恐怖と怯えがグエンの表情に浮かぶ。グエンになにか話すように命じる。
「ゴトーさん…」
拙い発音ながらも、グエンは懸命に呟いた。
「…必ず助け出す。心配するな」
冷静な声のまま、ゴトーはいう。
「グエンの命を預かっていることを忘れるな。そっちが約束を違えた場合は、俺はグエンを殺してやる」
トミイはゴトーにそう告げた。
息遣いを相手にきかれないように、慎重に電話を切った。
ゴトーはゆっくりと息を吐いた。ネイトとアリスが、食い入るような目でゴトーを見つめていた。
「奴らは引っかかった」
ゴトーも二人と目をあわせた。
「相手は本当に一人でやってくると思うか?」
ネイトが尋ねる。
ゴトーは首を振った。
「あいつらの言葉など、真に受けるわけがない。息を吐くように嘘をつく。お互いさまだがな」
いいながらゴトーは景色を見やった。
「俺たちに気づかれないよう、この周囲に仲間を潜ませるに違いないよ」
「そいつらの排除は、あなたの腕にかかってる」
アリスがいう。アリスの表情は険しく、そして少し青かった。緊張が漲っている。
「いまのうちに地形と自分たちが逃げる経路を確認しておけ。実際の状況で、即座に行動ができるように頭の中で想像を働かせろ」
ゴトーが指示を出した。
アリスとネイトは景色を見やる。朽ちかけた倉庫の屋根の上。眼前には、取引の舞台となる土地が広がっている。ところどころに不法投棄された土砂や砕石が積み上げられ、コンテナが横たわっている広大な土地だ。敷地の大部分は土が剥き出しになっていて、褪せたオレンジ色の柵でとりあえず仮囲いがされてある。いまは人の気配はなかった。周囲の雑音もほとんどきこえない。風が吹くと、わずかに土煙が立つ。斜陽が侘しくだだっ広い土地を照らしていた。
高みから土地の形状を確認する。事前に取り決めした、自分たちの立ち位置を見定める。敷地のちょうど中央。遮蔽物が少なく、狙撃が容易な開けた地点。そこから一番近い遮蔽物を確認する。砕石の山、横たわる錆びたコンテナ。
ネイトはコンテナを指差した。
「銃撃が始まったら、いま俺が指を差しているコンテナの陰まで走るぞ。俺はグエンをそこまで連れていく。アリス、お前は俺のことは構わず、真っ先にそこまで逃げるんだ」
アリスは視線をコンテナに向けた。取引をする地点からコンテナまでの距離を目測する。およそ四十メーター。
「わかったわ」
アリスは頷いた。
「コンテナの陰に集合し、それから脱出する。俺が先導する」
アリスとネイトは脱出の経路を視線で辿った。
ゴトーが口を開く。
「お前たちに攻撃を仕掛ける者は、俺が狙撃で排除する。お前たちは逃げることだけに集中しろ」
「あなたは大丈夫なの? あなただって銃撃を受ける危険はある」
アリスが心配そうにゴトーを見る。ゴトーが足元に置いた狙撃銃には、消音機がついていない。銃声で敵がゴトーの狙撃位置を割り出す可能性があるのではないか。アリスはそう懸念した。
「お前たちより危険は少ないさ。ここでこそこそと射的を楽しむだけだ」
ネイトは目を細めた。距離を目測する。おそらくは四百から五百メーターの距離。仮に敵が拳銃や自動小銃で撃ち返してきたとしても、射程が届かない。
ゴトーが消音機を用いないのは、相手への威嚇のためだろう。ネイトはそう推測した。それから、自分たちに狙撃の音を認識させて、乱戦の中で行動する際の手がかりを与えようとしているのだろう。
「せいぜい狙撃を楽しんでくれよ」
ネイトは嫌味をいった。
ゴトーはにやりと笑った。
「次はロシア人に連絡だ。トミイの名前を出せば、連中は命を捨ててでもここへ雪崩れ込んでくるだろう」
「トミイって奴、何者なの? やけにネイトに執着してたようだけど」
アリスがネイトを見ながらいう。
「俺もどういう人間かはわからんよ。腹は据わっているようだがな。小僧、お前は奴の名を知っているか?」
ゴトーに尋ねられたが、ネイトは首を振った。
「知らないな。顔を見ればわかるかもしれないが」
「だそうだ。だが、奴はロシア人たちに恨みを買ってる。街で起こっている抗争の原因にもなった奴だ。ロシア人たちを誘き出す格好の餌さ。屑は屑同士、せいぜい派手に殺しあってもらうさ」
きいていてぞっとするような酷薄さで、ゴトーはいった。




