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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
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63 Tommy, Emma, Alice - The Trio

「ロシア人どもの動きが気になる」

 トミイはいった。

「連中の動きはどうなっている?」

 電話の向こうにいるリャンに、トミイは尋ねた。

「こちらの襲撃で沈黙状態に陥っている。スースロフは本部に配下を集結させて、籠城を決め込んでいる」

 リャンはいう。冷たい声の中に、どこかロシア人への軽蔑の響きがある。

「最終的にどうする気だ?」

「戦争を続ける気なら、徹底的にやるだけだ。どれだけ犠牲が出ようと、スースロフの首を奪う」

「本気でいってるのか?」

 トミイがいうと、リャンは鼻で笑った。

「生憎私は手加減という概念を知らん。ここで奴らに手加減でもしたら、この国でいうところの、我々の面子に関わるからな」

 トミイは膝を叩いて笑った。

「なるほどな。それはそうだ。あんたのいう通りだ」

 この戦争はそもそもロシア人どもの無作法が原因だった。犠牲を恐れて戦争を生温く手打ちにすれば、それはそれで華龍盟という巨大組織の名が廃る。だから組織は徹底してロシア人どもを粉砕するつもりなのだ。

「それで、どうしてロシア人が気になるんだ?」

 リャンがきいてくる。

「ゴトーの立場になって考えてみた。あの男は悪知恵が働く。俺たちへの脅しとして、ロシア人を利用するかもしれない。そう思ったのさ」

「取引を潰させるためか?」

「いいや、保険かもしれない。まともに交渉に応じないなら、ロシア人たちを利用して、俺たちの命を狙わせる。そんなところだな」

「だが、ロシア人たちはいま沈黙している」

「あのいかれたスースロフのことだ。俺の首が取れるとなれば、それこそ捨て身で向かってくるだろう。だから、あんたに手を打ってほしいんだ」

「私になにをしろと?」

「もぐらに伝えろ。上手く立ち回れと。俺とゴトーの取引に邪魔が出ないよう、ロシア人どもを抑えつけろと」

 ロシア人どもの内部に潜む、華龍盟の協力者。つまりは金で華龍盟に買われ、この戦争でも命を狙われなかった裏切り者だ。華龍盟のロシア人たちに対する攻勢も、この裏切り者の情報があったから、成功した。

「協力者には伝えておこう。だが、スースロフは怒り狂っている。協力者でも抑えつけるのが難しい場合もある」

 リャンはいう。

「俺の取引の邪魔にならなければいい。上手くやるように伝えてくれ」

 トミイはいった。ゴトーとの対峙に、闖入者の存在などあってはならない。

「わかった。伝えておこう」

「神聖な対峙の瞬間なんだ。邪魔者はいらない」

「そういえば、お前は奴と因縁があったな」

「西部劇の主役の気分だ。ずっと意識していた相手と、対峙できる」

「せいぜい楽しくやるがいい。私が気にするのは小娘の身柄だけだからな」

「小娘を手籠めにして、小娘にくっついている小僧は惨く殺すかもしれん」

「小娘が生きていて、こちらの手の内にあればそれでいい」

 リャンは平然と、人間味のない声でいう。

「あんたは椅子に座って、部下に指示を出し、そして俺からの連絡を待っていろ。吉報を祈っていてくれ」

「お前にいわれなくても、そうさせてもらうさ」

 リャンは冷たくそういった。

 

 兵士たちの目が光っている。兵士たちは、自分たちが支配する施設に紛れ込んだ外国人を奇異の目で見つめている。

 兵士たちからの視線を浴びるグロスマンは、ずっと緊張した面持ちだった。グロスマンのがっちりとした体つきも、このときばかりは委縮したように見えた。落ち着かない表情で、あちこちを見る。

 エマはグロスマンを兵士たちが大勢屯しているAGWの施設の前に置いて、施設の内部へ入っていった。階段を上り、目的の部屋に入る。軍人にしては神経質そうで、痩せた男が扉の先に立っていた。

「状況の報告を」

 チョウはエマの姿を見るなりそういった。

「令嬢の行方は進展がない」

 エマはぶっきらぼうに答えた。チョウが眉を吊り上げた。

「それだけでは不十分だ。これまでどういう行動をしていた? 令嬢に関する情報はなにか得られたのか? どうしていまになって、ここへ現れた?」

 チョウは神経質な声で追及を始める。その姿にエマはうんざりとする。休みもなしに下層部を駆け回ってきたというのに、なんの労いも気遣いの言葉もない。

「確たる情報はなにも掴んでいない」

 エマはチョウの追及に怯むことなく、そういった。

「なら不確定な情報は? お前は下層部で遊んでいたのか?」

「報告できる程度の情報はない。ここへきたのは、令嬢を追うのに必要な情報収集のためだ」

 チョウがエマに詰め寄る。

「そんな状態でよくもここへこれたものだ。それに、その口の利き方は一体なんだ? 貴様が上層部の覚えがいいことは私も知っている。だが、私への口の利き方には注意するといい」

 チョウがいうと、エマは挑発するように嘲りの笑いを浮かべた。

「確かにあんたの方が階級も上だ。AGWに所属している年数も、私に較べれば随分と長い。だが、あんたは一度も戦場に立って、戦ったことがない。いつも戦場の後方にいて、こそこそと鼠のように動いている。いまだってそうだ。私があの忌々しいガキどもと無茶な作戦をこなし、それでも生き延びて、下層部でごろつきどもと殺しあいをしながら、必死で令嬢を追いかけているのに、あんたはここに突っ立ったまま、偉そうに私に対してものをいう。一度くらい現場に立ってみたらどうだ? 銃弾が飛び交う戦場で、男らしく戦ってみればいい」

 いいながら、チョウに対する激しい怒りが込み上がってくる。戦場に立ったこともなく、現場で這い回ることもなく、偉そうにものをいう人間が、エマには我慢がならなかった。エマはチョウの経歴を知っている。AGWに所属する者なら、そのほとんどが知っているといっていい。実戦経験のない元政府軍人。いまも昔も専ら後方支援と諜報活動に従事し、拷問の技量で名を上げた。真正のサディストであり、臆病者でもある。

 チョウのこめかみの血管が浮き立つ。その顔が紅潮する。

「私もあんたと同じように被虐より加虐が好きな人間でね。ああだこうだ追及を受ける気はさらさらないんだよ」

 エマは悪魔的な笑みを浮かべていった。

「お前は一体なにがしたい?」

「華龍盟との取引に関する情報が欲しい。奴らとは、麻薬取引で繋がっているときいたことがある。華龍盟の弱みを知りたい」

「なぜ華龍盟なんだ? 一体なんのために?」

「令嬢を追うためといったろう。下層部で一番情報を掴んでいて、一番令嬢に接近しているのは、華龍盟だ。奴らを強請る。そのために奴らの弱みが知りたい」

「具体的にどうしろという?」

「取引の情報を寄越せ。それから連中との間で、なにか連中の不義理や不手際がないかを調べて欲しい。粗探しはあんたの十八番だろう?」

「貴様のいいなりになど…」

 忌々しそうにチョウはいう。そんなチョウに対し、エマはにたにたと笑う。

「見返りは用意している。あんたの出世に繋がりそうな情報だ。上手くやれば、あんたが長く望んでいた、前線部隊指揮官への出世も叶うかもな」

「私の出世に繋がるだと?」

「そうだ。令嬢誘拐の際に、都市上層部で拾った情報だ。司令がいっていた、組織内の裏切り者に関する情報だ」

 エマはいう。

 チョウの目の色が変わる。

「詳しく教えろ。お前が知っているすべてを、私に教えろ」


 アリスはゴトーが作業しているのを見守っていた。ゴトーは市街地用に迷彩塗装が施された狙撃銃を組み立てている。アリスには、ゴトーが組み立てている銃は、狙撃銃というよりは自動小銃のように見えた。引き金の先に、箱型の弾倉がある。さらにその先には、長時間銃を構え続けるためのフォアグリップもついている。銃身の長さと狙撃用の立派なスコープがなければ、アリスには自動小銃にしか見えない代物だった。

 ネイトは外に出ていた。煙草を吸いにいったのか、それともAGWに捕まった仲間のことを思っているのか。

 ゴトーはアリスの視線に気づいた。

「こんな作業を珍しいと思うか?」

 アリスは首を縦に振った。

「ここへ落ちてこなければ、目にすることもなかった。あなた、政府の官僚だったってきいているけど、実際はどういう仕事に就いていたの?」

「いわゆる公安ってところにいた。そこで、反体制的な組織の調査に従事していた。だが、あのころはただの公務員に過ぎなかった。銃の扱い方をまともに覚えたのは、官僚でなくなり、下層部に落ちてからだ」

 ゴトーは組み立てた銃を構え、スコープを覗き込んだ。

「どうして官僚を辞めて、下層部に落ちてきたの?」

「官僚でいても、することがなかったからだ」

「じゃあ、下層部でなにをしたかったの? まさか犯罪稼業? そうは見えないけれど」

 ゴトーは試しに引き金を引く。銃弾は装填されていない。アリスの耳にかちりと鋭利な金属音がきこえただけだ。ゴトーはスコープから目を離し、一度セーフハウスの出口を見つめた。

「女がいた。女を追いかけようとした」

「さっきあなたがいってた女性のこと?」

 ゴトーは肯定も否定もしなかった。頷くこともなかった。ただ、代わりにこういった。

「…自分の人生だからな。他人には愚かに見えるだろうが、俺はただ自分が望むことをやっただけだ」

 それは自己正当化の言葉だったのだろうか。アリスにはわからなかった。ただ、ゴトーに言葉には共感を覚えた。自分の人生。他人の視線はどうだっていい。ただ自分がしたいことをする。アリスもいま、まさに同じことをしていた。下層部を駆け回り、過去の記憶、真実の自分を追い求めている。それは他人から見れば、狂気の沙汰なのだろう。

「あなたが職を辞して、下層社会に堕ちていく。それほどの価値が、その女性にあったということなのね」

 アリスがいうと、ゴトーは目を閉じて、軽く笑った。

「残念だが、そんなロマンチックなものじゃない。責任感や罪悪感、そういうものに引きずられて、女を追うことだってある」

 アリスは首を傾げた。ぱっときいただけでは、ゴトーの言葉の意味を掴むことは難しかった。

「それは、どういうことなの?」

「わからなくていい。お前だって、まだ子どもさ」

 ゴトーはいった。

 アリスはむっとした。もう二十一歳にもなるというのに、自分が幼く、だから理解ができないだろうといわれたようだったからだ。

「あなたが思ってるほど、子どもでもないわ。もう二十一よ」

「俺からすれば若過ぎる」

 アリスは鼻で笑った。乾き切っていない髪をかき上げた。煙草を取り出し、咥える。

 ゴトーが顰め面をする。

「そういう仕草が、幼くて気に入らないのさ」

「そのくせ、あの子は庇護するのね」

 アリスはいう。

「誰のことだ?」

 アリスは外へ通じる扉に視線を向けた。

「馬鹿をいうな」

「そうかしら? 考えてみたの。あなたが不可解な行動を取るわけを。それを解き明かすのは、ネイトの存在なのではないかって」

 アリスは煙草に火をつけた。ゴトーを挑発するように、煙を吐く。

「ここは禁煙だといっただろう」

「一本くらい、どうってことないわ。以前からネイトと取引をしていたのも、あの孤児院へやってきたのも、それから華龍盟を出し抜こうとしたのも、全部ネイトを庇護するためじゃないの?」

「またお得意の推理か?」

 蔑むような口調。アリスは気にすることなく、発言を続けた。

「なんだっていいわ。どうしてあいつを庇護するの?」

「どうしてお前がそう思うのか、俺にはわからんな」

「いくらネイトが犯罪稼業の役に立つからって、あなたがいうようにあの子だって若過ぎる。それなのにあなたは、どういうわけかネイトと接点を保とうとしている。それどころか、彼を保護するかのような行動を見せている。そこにはなにかしらの理由があっていいいはずよ」

 紫煙を燻らせる。煙越しに、アリスはゴトーを見据える。

「…頭が切れるガキは嫌いだ」

「理由を教えてくれるかしら?」

「お前はセガワさんの才能を受け継いだのか、それとも…」

 そこまでゴトーがいったとき、ネイトが扉を開いて、外から戻ってきた。

 アリスとゴトーは二人で、ネイトを見た。

 二人から視線を向けられたネイトは、肩をすくめる。

「どうした? なにかあったのか?」

 ネイトはいう。

 アリスは煙草を吸う。苛立たしげに。眉根を寄せて、口の中に紫煙を充満させる。

「とんだ不良娘になったもんだ」

 ゴトーは呆れたようにいった。

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