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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
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61 Alice - Garage

 朝の光が眩しい。

 そこは天窓のあるガレージだった。頑丈なコンクリートとシャッターに囲われた空間に、朝の光が落ちている。ここは第三地区から遠く離れた場所。それだけしかアリスにはわからない。

 孤児院から逃げ出したあと、ゴトーは車でアリスたちをこのガレージまで連れてきた。

「右の扉の奥に、シャワー室がある。使え」

 車から降りたゴトーは、アリスにいった。

「ここは?」

 アリスは周囲を見回した。

「俺のセーフハウスの一つだ。といっても、ガレージと水回り、部屋があるだけのちっぽけなセーフハウスだが」

「ここは安全なの?」

「安心しろ。ここだけは誰も知らない。あと一日くらいは安全かもな」

 周囲を見渡しても、天窓以外になにも目を引くものがなかった。最小限主義を気取るにしてもあまりに極端であり、あまりに人間味がないインテリアだとアリスは思った。

「見回してないで、さっさといけ」

 ゴトーはいう。

 アリスはネイトを見た。隣に立っていたネイトは、お前が先にシャワーを使えと顎をくいと上げて、扉の方向を指した。

 アリスは頷いた。扉を開けて、通路の奥にあるシャワー室で熱いシャワーを浴びた。生き返ったような気分になる。曇った鏡を手で擦り、自分の姿を見つめる。濡れた金髪をかき上げた。この髪形にこの髪色だと高圧的な女に見えて、なんだか違う自分がそこにいるみたいだった。整えた髪を乱す。水滴が滴る。体の垢が落ちていく。首筋に両手を当て、瞳を閉じた。

 シャワー室を出る。バスタオルや着替えについてまるで考えていなかったことをいまさら気づく。アリスはガレージに戻った。

 アリスの姿を見たネイトとゴトーは、それぞれアリスから目を背けた。

「タオルは洗面台の下だ。着替えは我慢しろ。俺の服ではサイズがあわないだろう」

 咳払いをしながらゴトーはいう。

 アリスは無言で踵を返した。

 背後でネイトとゴトーがぶつぶつといっている。令嬢の考えることはわからないとか、羞恥心がどうだとか。下層部を彷徨っている身で、いまさら羞恥心がどうだのといわれても、アリスはまったく気にならなかった。

 タオルで体を拭いたあとで、服を着た。臭いが気になった。それを紛らわせようと、煙草に火をつけた。

 ガレージに戻ると、煙草を口に咥えたアリスを見て、ゴトーがいう。

「ここは禁煙なんだよ」

 アリスは不満げに眉を顰めて、煙草を床に落とした。足で煙草を踏み潰す。

「ごみ箱はあっちだ」

 ゴトーがごみ箱の位置を指差した。

 アリスは吸殻を拾った。殺風景なインテリアに合点がいく。ゴトーは極端に綺麗好きか、あるいは潔癖症で、かつものを置かない主義の人間なのだ。

 次にネイトがシャワーを浴びた。ネイトがシャワーを浴び終えると、ゴトーはアリスとネイトを居室へ案内した。居室も、ほとんどものが置かれておらず、設えもされていなかった。

 そんな殺風景な部屋で、三人は立ったままで話をする。当然、部屋には家具もないからだ。

「最小限主義もここまでくると困ったものね」

 アリスは皮肉をいった。

「誉め言葉だと思っておくさ」

 皮肉をいわれてもゴトーは平然としていた。

「それで、やっぱりあなたは私たちを華龍盟に引き渡す気?」

 アリスがいうと、ゴトーは頷いた。

「そのつもりだった」

 そこでゴトーは一度言葉を切った。

「…だが、気が変わった」

 ゴトーはアリスを見つめた。

「華龍盟を出し抜くのも悪くないと思った。お前の真似ではないが、あいつらのいいなりになるのは、屈辱だ」

「どういう風の吹き回し? さっきまでの話とはまるで違うわ」

 アリスがそういうと、ゴトーは肩をすくめた。

「それがどうした? 気が変わってなにが悪い。お前だって、連中の取引の材料にされたくはないだろう?」

「それはそうだけど…」

 ゴトーの飄々とした態度に、アリスはやや戸惑った。思わずネイトを見た。ネイトがアリスに代わって口を開いた。

「どうやって出し抜くっていうんだ? あんたには、なにか考えがあるのか?」

「奴らと取引を持ちかける。俺はこのお嬢様を奴らに引き渡す振りをする」

「それで?」

「俺の部下が解放されれば、取引をぶち壊す」

「だから、どうやって? あんたの部下たちに、取引の現場を襲わせるのか?」

「倉庫で部下が捕らわれたあと、他の部下たちには皆逃げるように指示を出しておいた。いまごろは高飛びしてるさ。お前たちのせいで、あちこちの勢力から追われてるからな」

「じゃあ、どうするんだよ?」

 ネイトは頭をかいた。

「ロシア人どもに一役買ってもらおう。知っているか? スースロフは華龍盟と戦争を始めた。スースロフは華龍盟に恨みを持っているんだ」

 ゴトーはアリスたちに、街で発生したスースロフと華龍盟の戦争について説明した。

「…つまり、華龍盟に恨みを持つロシア人たちに情報を流して、現場を襲わせるわけか」

 ネイトがいうと、ゴトーは頷いた。

「そうだ。現場を混乱させて、その隙に俺たちは現場から離れる」

「でも待って」

 アリスが口を挟んだ。

「そういう作戦でいくとしても、華龍盟やロシア人たちの銃撃に巻き込まれる危険性は高いわ。無事に逃げ切れるの?」

「危険はあるだろうな」

「敵がどういう条件、状況であなたの部下を引き渡すのかもわからない。あなたは部下の対応に手一杯になって、思うように動けないことだって考えられるわ」

「取引条件や場所については、こっちから指定する。当然こちらに有利な場所で、取引をするに決まってる」

「私一人で切り抜けられると思う?」

 アリスがいうと、ゴトーはにやりと笑った。

「お前が、自分一人で? そんなことできるわけがない。だが、お前には相棒がいる。お前はこの小僧の腕前を知らないようだが、こいつは盗みに関してはいい腕を持っている。こういう荒事のときにも役に立つ」

 ゴトーはいう。アリスはネイトを見た。ネイトもアリスを見た。視線が絡まりあう。ネイトの盗みの腕前を、アリスは知っていた。アリスとネイトは互いに見つめながら、頷きあった。

「わかったわ。その話、乗るわ」

 アリスはゴトーに向かってそういった。

「よし。取引の場面でどう振る舞うのか、それを詰めるぞ。それから、華龍盟に連絡を送る。あいつらを出し抜いてやる」

「どうして気が変わったの?」

「お前の目が気に入った」

「え?」

「お前の目は、昔会った女を思い出させる。意志が強くて、勇敢だった」


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