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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
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60 Kuroki - New Dawn Fades

 内務省に戻ったクロキのもとに、警察の捜査担当者から連絡が入った。クロキが出した指示の進捗報告だった。

 中国マフィアの華龍盟とロシア人勢力の抗争。警察は身柄を取り押さえた両勢力の構成員から、抗争に至った経緯を洗いざらい吐かせた。構成員たちによると、華龍盟の構成員が、令嬢を追う過程で、同じく令嬢を追っていたロシア人勢力の頭目スースロフの息子ニコライを殺害してしまったらしい。それがきっかけで両勢力は抗争に突入したのだという。両勢力の抗争の多くは、ロシア人勢力の拠点付近で発生したことがわかっていた。華龍盟が組織力を活かした強襲作戦を行ったためだ。だが例外的に、両勢力の拠点が存在しない、まるで無関係な場所でも抗争が発生していた。なぜその場所だったのかをクロキは警察に調べさせていた。捜査担当者からの報告で浮かび上がってきたのは、クロキの予想していた通り、令嬢の影だった。その例外的な抗争現場において、若い男女の目撃証言があった。第八地区の公営住宅、第三地区の倉庫街。どちらの現場でも証言が上がっていた。おそらくその男女を捕らえようとして、両勢力が鉢あわせとなり、抗争が起こった。若い男女がどうなったかについての証言はない。どちらかの勢力の手に落ちたともいえるし、そうでないともいえた。ただ、いずれの勢力も政府に対して接触を試みていない。これはつまり、まだ令嬢たちは逃走を続けている可能性があった。目撃証言及び抗争の発生時刻から推測すると、令嬢と令嬢に同行している少年は第八地区から第三地区へ移動していたことがわかる。二人は下層部の中でもより危険な地域に向かおうとしていた。これはどういうわけなのか。手がかりは第三地区の現場にあった。警察が現場となった倉庫街を調べてみると、クロキにとっては実に懐かしい名前が浮かび上がってきた。

 ゴトー。

 現場となった倉庫街には、ゴトーの拠点があった。おそらくは密輸した物品を保管しておくための拠点だと捜査担当者は見ていた。

 クロキは令嬢に同行する少年についての資料を手に取った。資料によれば、少年は下層部で強盗を働いていた。ゴトーは少年が盗んだ代物の換金役を務めていたようだ。

 クロキの中で、推測がまた一つできあがる。少年はゴトーを頼ろうとしていた。

 捜査担当者がゴトーの名前を告げたとき、クロキは懐かしさで口元が少し緩んだ。記憶が蘇る。若かりし自分と、若かりしゴトー。いまから思えば、ゴトーとともに仕事をしていた日々が、人生で最良の日々だったかもしれない。入省してわずか数年のクロキはセガワが新たに省内に立ち上げた組織に引き抜かれ、そこでゴトーと出会った。そのころからすでにゴトーは優秀な警察官僚として名前が知られていた。セガワが立ち上げた組織は、サイバネティックオーガニズムの権威として著名だったリョクノ教授が政治研究会と称して有志とともに立ち上げた反体制組織の内偵を主要な任務としていた。リョクノ教授は、以前から政府に批判的な立場を取っていることで知られていたが、彼が有志とともに立ち上げた研究会は、年々規模の拡大化と過激化の傾向を見せ始めていた。特に、過去に犯罪歴がある者や元軍人などを急速に組織に取り込もうとする姿勢が、政府に危機感を抱かせる契機となった。政府は、というよりも当時大臣政務官の地位にあったセガワは、リョクノの研究会を反体制的組織と見做し、組織の実態を調査すべく内偵活動に乗り出すことを決定し、セガワ自らがリョクノ内偵のための組織の責任者を務めることになった。ゴトーはその内偵任務において重要な役割を果たした。リョクノの組織に潜入する政府側人員の選定、協力者の獲得工作の指揮、組織に潜伏させた政府の人員や協力者との連絡調整作業を担った。クロキはゴトーの補佐役を務めた。この任務を通じてクロキはゴトーから仕事の基本を学んだ。

 あの内偵任務、最終的にはリョクノの暗殺にまで発展したあの任務が、多くの人間の人生を変えたことは間違いなかった。ゴトーもクロキも、人生を変えられた。あの任務が、それぞれの人生から大事な人間を奪い取った。それについては無限の怒りも、悲しみも、遺恨もある。だが同時に、あの任務に従事していたころが、人生においてもっとも輝いていた時期でもあった、とクロキは思う。セガワは内偵任務のためにあちこちから優秀な人材を引き抜いていた。クロキはそんな優秀な人々から、さまざまな知識を吸収することができた。ウガキやフジイといった軍人からは軍事に関わる知識を、ゴトーからは警察機構や諜報活動に関する知識を、セガワからも政治や哲学、国際情勢に関する知識を学ぶことができた。クロキにとってみれば、さながら優秀な教師たちに囲まれ、英才教育を受ける生徒の気分でいられた。年齢的にもクロキがあの組織内では一番若かった。寝食をともにした仲間であると同時に、彼らはクロキにとってかけがえのない師でもあった。どれだけ歳月が流れようとも、あのころの記憶が薄れることはない。

 かつての仲間であるゴトーの関与が判明したという事実を、クロキは急いでセガワやフクシマ、フジイに伝えたくなった。緊迫した情勢であるにも関わらず、どこか喜んでいる自分がいることに気づき、クロキは自制心を働かせた。まず自分がすべきことはなにか、それを考えた。

 推測を思い出す。少年はゴトーを頼ろうとしている。そうだとすれば、ゴトーが拠点としている場所、あるいはゴトーと関係がある場所を捜索するべきだ、との考えが浮かんだ。

 クロキは捜査担当者にゴトーと関係がある場所や施設をクロキは思いつく限りに教え、警察隊にそれらの場所へ急行するように命じた。

 しばらく警察隊からの連絡を待った。やがて各所から次々に連絡が入ってくる。

 結果はどれも悉く外れていた。ゴトーの姿はなし。ただし、一箇所のみ、不審な形跡が残されている、との連絡が入る。

 第三地区東部にある、打ち捨てられた孤児院。つい先ほどまでそこに人がいた形跡が残っており、さらには、廊下の一部には複数の弾痕が見つかった。どうやら銃撃戦の跡らしい。 

 推測が真相の輪郭を掴みかけている。周辺を捜索すると同時に、手分けしてゴトーを追えとクロキは指示を出した。

 間違いない、少年と令嬢はゴトーを頼ろうと動いている。クロキはそれを確信する。だが、他の勢力も彼らに迫っている。

 警察からの連絡を待つあいだに、別の連絡が入る。フクシマからだった。

「死人が蘇ったぞ」

 クロキはフクシマより先に口を開いた。

「どういうことです?」

 フクシマが尋ねる。

「ゴトーだ。奴の名前が浮かび上がってきたよ。令嬢たちは、ゴトーを頼ろうと下層部を彷徨っているようだ。令嬢にくっついている例の少年は、ゴトーと手を組んで犯罪行為を行っていたことがわかっている」

 少年についての資料を片手にして、クロキはいう。

「少年が仕事のパートナーに助けを求めるのは、理解できます。しかしどうして令嬢は政府に助けを求めず、少年と一緒にいるのでしょう? あの娘の考えることは、理解しかねます」

 フクシマが首を捻る姿が容易に想像できた。

「あの親にしてこの子ありというやつだ。育ての親の努力も虚しく、あの娘は本当の親のとち狂った部分を受け継いだのかもしれない」

 クロキは珍しく感情を露わにして、辛辣な言葉を吐いた。きいていたフクシマは押し黙り、それ以上なにもいわなかった。

「もしかすると少年に脅迫されて、一緒にいるのかもしれない」

「その可能性もあるでしょうな。事情はどうあれ、彼らの確保を急がないと」

「わかっている。いま警察隊にも指示を出して、捜索させている」

「ゴトー自身の身柄は?」

「関係先も捜索したが、奴の姿はなかった」

「ずっと地下に潜り、行方が知れなかった男です。本来なら彼の様子がきけて、喜ぶべきなのでしょうが、こんな状況ではそうもいっていられませんな」

「まったくだ。彼の身柄も押さえる必要がある」

 クロキはいった。

「ところで、どうした? なにかあったのだろう?」

 クロキはフクシマに尋ねかけた。

「…それが困ったことになりました。ウエハラ局長からの使者が、私のもとに。フクダをいますぐ解放しろといっています」

 フクシマの声は、どこか気まずそうだった。

「それがどうした? 使者など追い返してしまえ」

「それができれば苦労しませんよ。かれこれ二時間ほど、押し問答を私の部下と繰り広げています」

 クロキはため息をついた。

「食い下がるようなら、無視しておけ。どうせ奴らに正当な権限などないのだから」

「局長も面子がかかっているせいか、むきになっています。我々の動きを、組織の管轄や権限をないがしろにする行為だと騒いでいます。我々が壟断的であることは私も認めますが」

「こっちは次官の許可を得ている。お前が警備局付でありながら、ウエハラを無視して私の下で働いているのも、大臣直々の命令があるからだ。安心するがいい、我々には上がついている」

 ウエハラの面子など、クロキの知ったことではなかった。他の世界の仕事ならともかく、国家国民に奉仕する仕事は、立場や面子を守るためにするものではない。

「…わかりました。使者にはお帰りいただくよう、私が出て伝えます」

 フクシマはいった。

「それで、そっちはなにかわかったか?」

「警護課の勤怠記録や職場に彼らが提出した書類の解析から、イワマ、フクダの足取りがわかってきました。それから彼らの経歴も調べています」

「不審点は?」

「経歴的には二人とも綺麗なもんですよ。エリートだ。勤務態度も誠実そのもの。ただ足取りについては、二人とも、足取りが記録に残っていない時間が多過ぎる。いまの時点ではなんともいえませんな」

「人を使っていい。調べるんだ」

「審議官、いま何時かわかっていますか? 朝の六時ですよ。人を動かそうにも、まだ人が出てきていない」

 呆れたようにフクシマはいった。

 クロキは窓の外を見た。真冬の朝六時の風景。まだ外は薄暗い。

「我々も、さらには私の部下も、二日ばかり眠っていない。時間がないのはわかっていますが、限界がある」

 フクシマはいう。声に疲労が滲んでいた。

 泣き言をいうな、とクロキはいいかかったが、それをぐっと堪えた。

「…わかった。適宜、休息を取れ。とにかく他の部下が出てきたときでいい、指示を出して、フクダとイワマの足取りを洗え」

「承知しました。審議官も、少し休んでください」

「…ああ、時間ができたらな」

 クロキはいった。

 警察からの短い連絡が入る。孤児院周辺を捜索したが、ゴトーや令嬢たちを発見できず。

 報告をきいて、クロキは机を蹴り飛ばしそうになった。眠っていないせいか、苛立ちを抑え込むことができなかった。引き続きゴトーと関連がある場所を徹底的に調べろとクロキは声をやや荒げて指示した。

 椅子に座り込む。深く背を凭れた。緊張の糸がぷつりと切れ、猛烈な睡魔に襲われた。気がつけば目を閉じて眠り込んでいた。

 部下に肩を揺すられて目を開けた。時計の針が午前十時を指していた。次に午前十時の空に目を向ける。空はどんよりと暗く、この都市に一番似あっている空模様だった。

「次官からです」

 部下がいった。

 クロキは目頭を指先で揉みながら、次官との電話に出た。

「例の警護官の件だ」

 次官はいった。

「彼については、フクシマに徹底的に調べさせています」

 クロキは機械的にそんな言葉を発していた。まだ頭は寝ぼけていた。

「フクシマをいったん退かせろ」

「なんですって?」

 そのとき頭の中にかかっていた靄が吹き飛んだ。

「しかし、彼への尋問の許可はいただいていたはずでは…」

「…警護課長が心労で倒れた。一時間前のことだ。関係者への追及は当然だ。だが、関係者が追及されて、皆悉く心労で倒れられても困る。一時的にフクシマを退かせるんだ。そのフクダとかいう職員にも、休息を与えてやれ」

「いつまでです?」

「それはこちらで判断する」

 次官がそういったとき、ウエハラのことがクロキの頭の中にちらついた。

「ウエハラは尋問の再開を先延ばしにしようと、また吠えてくるでしょう。あの男はいま自分の面子を守るのに必死になっています」

「ウエハラ君は私が抑え込むつもりだ」

 次官はそういうが、クロキはそれで満足しなかった。

「次官、フクダへの尋問は重要なんです。フクシマを一時的に退かせるにしても、早急に再開しないといけない…」

「それはわかっている」

 次官はクロキを遮った。

「だが、この三日間ほど、ろくな休息もなく人が動き続けている。人が倒れるのも無理はない。お前だってそのうち倒れるかもしれん。だから、フクシマをいったんフクダから退かせろ。お前やお前の部下も含めて、休息を取るんだ。いいな」

 次官はそういって電話を切った。こちらのいうことをきこうとしなかった。

 クロキはとうとう机を蹴り飛ばした。クロキを揺り起こした部下がその様子を見ていて、凍りついた。

 激しい苛立ちはクロキの頭から眠気を追い出した。

 情勢は差し迫っているというのに、なにをやっているのか。クロキは思わず唇を強く噛んだ。


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