59 Emma - Not Such Thing
あの女が放った銃弾が、エマの肩を掠めた。エマは服と皮膚の浅い部分が裂けたのを感じた。鋭い痛みが走り、エマは思わずその場に倒れ込んだ。銃弾が掠めた部分に手を当ててみる。あの女が放った銃弾は、エマの皮膚を抉り取っていた。徐々に血が滲んでくる。掌と指のあいだにぬめる血に、エマは顔を顰めた。
「大丈夫か?」
グロスマンが駆け寄ってきた。
「ああ、生きてるよ」
エマはいった。
「傷は?」
グロスマンが心配そうにエマの肩を見つめた。
「たいしたことはない。弾が掠めただけさ」
「すぐに止血しよう」
「必要ない」
「馬鹿いえ。お前は体力が削られているのを自覚しろ。この傷以外にも、あちこち痛みを抱え込んでる。それから、ろくに睡眠もとっていない」
「それで判断や行動に遅れが出たとでも?」
「そう食ってかかるな。お前を心配しているんだ」
グロスマンはいった。
「立てるか?」
「ああ」
エマはグロスマンの手を借りながら、立ち上がった。
アリスたちの姿はもう見えなかった。
「あの野郎、いきなり銃をぶっ放しやがった」
忌々しそうにグロスマンがいった。
「相当私に怯えているらしい」
苛立つグロスマンとは対照的に、エマは軽く笑った。
「あの男のことは知っているのか?」
「名前だけは知ってる。だが、よくは知らない。いきなり銃を撃ってくるとは、思いもしなかった」
エマは正直にそういった。
「あんたとつきあっていたら、命がいくらあっても足りない」
グロスマンがぼやく。
「この二十四時間で、寿命が縮む思いが何度もした。あんたが死神に見えてくるよ」
「なら、私から離れるといい。命が惜しいなら、それが賢明だ」
エマは片目を瞑った。
「…いや、いい。どうせボスの近くにいても、命を狙われるんだ。どこにいったって、変わりはしない」
「華龍盟との抗争が始まってから、何時間が過ぎた?」
「まだ二十時間も経ってない。だがこっちは華龍盟に対して為す術なしだ。本部に籠城して、いつかくる死をじっと待つだけだ。それが一週間後か、一か月後か、もしかすると半年後なのか、いつになるかはわからないが」
「戻った方がいいんじゃないか?」
エマがいうと、グロスマンは首を振った。
「いいや、俺はあんたと動きたい。ボスへの恩義に報いたいんだ。あのトミイとかいういかれた野郎の首を持ち帰れば、ボスも正気に戻るだろう」
グロスマンはいった。
「そうすれば、こんな無意味な抗争も終わる」
二人は、アリスたちが潜んでいた部屋に戻った。グロスマンがベッドのシーツを細かく裂いて、包帯代わりにそれをエマの傷に巻きつけようとした。
「たいした傷じゃない」
エマはそういったが、グロスマンはしっかり止血をしろといい張った。
「お前は若いからいっていられるが、傷を放っておけば、じわじわと体力を削られる。大事なときに動けなくなる」
エマは真面目には受け取らなかった。
「たかがこんな傷で」
「年長者としての忠告だ。きいておけ」
グロスマンはエマの上着を脱がせた。細かく裂いたシーツを傷がある肩に巻きつけた。処置を終えると、グロスマンはエマに上着をかけた。
エマは裂かれたシーツの残りで、掌にこびりついた血を拭った。それから部屋を眺めた。あの女の痕跡を探した。あの女とあの小僧が横たわっていただろうベッドに手を触れる。二人が熾した火の跡を見つめる。どういうわけか部屋の扉は吹き飛ばされていた。闘争の痕跡にも見えるが、なにがあったのかはわからない。
「これからどうするんだ?」
グロスマンがエマに尋ねた。
「あと二か所ほど、回るところがある」
「今度は誰のところへいくんだ?」
「いけばわかるさ」
エマはそれだけ答えた。
「あんた一体何者なんだ? AGWの一員でありながら、華龍盟にかつて身を置いていて、素性のわからない連中とも繋がっている。その年齢で、その若さで、どう考えてもまともじゃない」
グロスマンがそこまでいったとき、エマはグロスマンの前に手を翳した。
「詮索なんざ無意味だよ、エヴゲニー。私とあんたが組んでいるのは、あのトミイとかいういかれた奴をぶっ殺すためだ。そのためならなんでもするといっただろう?」
「それはそうだが」
「私が持っている繋がりはすべて使う。仲間を失った憎しみを忘れるな。憎しみはすべてを凌駕するんだ」
「死んだ仲間を忘れることなどない」
「なら、そのためにも、なにも考えずにトミイに向かって突き進まないとな」
「あの小娘を捕まえることは、寄り道なんじゃないのか?」
「小娘を捕らえれば、トミイをおびき出すこともできた。だが、小娘には逃げられた。だから、今度は別の方法を考えるしかない」
「策は考えているんだろうな?」
「もちろんだ」
エマは獰猛な笑みを浮かべた。




