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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
60/87

58 Alice - Shame

 銃を突きつけられ、仲よくネイトと並んで壁際に立たされた。次に男は床に膝をつき、手は後ろに組むよう命令する。アリスとネイトは膝をつき、手を後ろに組んだ。

 アリスは男を強く睨みつけた。初めて対面することになった男の顔には、鬱々とした怒りが充溢していた。この怒りのことを度外視したとしても、男の顔立ちには生来の陰鬱さが宿っており、暗い印象を拭い去ることはできなかった。落ち窪んだ目とその目の色の冷たさが男の陰鬱な印象の原因であろう。頬や顎は角張っていた。髪はやや長く、中分にしている。いまの男に若い印象はまるでなく、もう立派な中年であったが、もしかすると男が若いころにはその髪型や冷たい目の色が知的で野心的な印象を他人に与えていたかもしれない。それにしても元官僚とは思えないほど剣呑で荒んだ男だと、アリスは男を睨みながら思った。

 隣のネイトが身動きをする。床についた膝を少しだけ動かした。

 男はネイトの顔面に向けて銃を構えた。男はいう。

「部下を人質に取られた。女の身柄を引き渡すことが、解放の条件だといっている」

 男は苛立ちを隠さない。

「お前たちが俺を頼ろうとしたせいで、こんなことになった」

 心底うんざりとした口調だった。

「あんたには世話になった。だが、俺もあんたのためにそれなりに働いたつもりだ」

 ネイトはいった。

 男は顔を歪めた。

「だからなんだという?」

「俺たちに協力してくれ」

「ふざけるな」

 男は大声でいい、ネイトの額に銃を押しつけた。

「部下のためだ。この小娘を敵に引き渡す」

 銃口を額に押しつけられたとしても、ネイトは怯んでいない。アリス同様に強く男を睨んでいた。必然的に二人の男は互いに睨みあう。互いに敵意を高めあっている。

「ねえ、敵って、一体どこのどいつなの?」

 男の敵意をネイトから逸らそうと、アリスはいった。自分たちを追う敵について、そして男が置かれた状況について詳しく知るためでもある。

 男はネイトからアリスに視線を移した。鋭い視線でアリスを観察し、アリスがどのような人物なのかを見極めようとしているのがわかる。アリスは毅然とした表情を崩さなかった。

「お前たちを追い、俺の部下を拉致したのは、華龍盟だ。あんた、知っているか?」

 男に問われて、アリスは首を振った。

「それなりに名の知れた、そして歴史ある中国マフィアの一つだ。複数の国に跨って活動している。組織の大きさゆえに、各国政府とも裏で繋がりを持つともいわれている」

「そんな連中がどうして私たちを追ってるの? しかもわざわざあなたの部下を人質にして、あなたを脅迫してまで」

「わからないか? 連中は政府に恩を売りたいんだよ。お前をどの勢力よりも先んじて確保し、身柄を引き渡す。政府からはその謝礼をもらうつもりだろう」

「この国の政府と繋がりを持ちたいわけね、連中は」

「そういうことだ」

 倉庫でアリスたちを襲撃した者たちは、中国語を話していた。彼らは華龍盟の構成員だったのだ。

「それで、どうして連中は、私たちがあなたを頼ろうとしていると知ったのかしら? そんな話は誰にもいった覚えはないけれど」

「その話よりも先に、お前たちに尋ねたい。どうして俺を頼ろうとした?」

 男はアリスたちに問いかけた。ネイトが口を開く。

「俺たちはこの街の誰からも狙われてる。政府、AGW、犯罪組織、その他のごろつきども。信用できる奴は、あんたしかいなかった。あんたは政府もAGWも嫌ってる。犯罪組織も簡単には手が出せない。そう思ってあんたを頼ろうとした」

「買い被り過ぎだ。それに迷惑極まりない。俺がお前たちを庇護することに、なんの利益もない」

 ゴトーは締め出すようにいった。いわれてネイトは苦い顔になった。確かにネイトたちゴトーを頼ったところで、ゴトーにはなんの利益も出ない。むしろ危険を抱えることになるだけだった。そういう計算をネイトは頭に入れていなかったのだ。

 ネイトが口を噤むのを見て、アリスはいう。

「私の問いに戻りましょう。どうして連中は私たちがあなたを頼ろうとしているのを知ったのかしら?」

「連中も馬鹿じゃない。この小僧があんたと一緒にいるのを把握すると、小僧の人間関係を片っ端から調べ上げた。小僧と俺との繋がりを見つけ出し、俺を頼ってくるだろうと推測をつけて、連中は行動した。そんなところだろう」

 ゴトーはいう。その推測はネイトがしていた推測と同じといえた。

「だが倉庫での待ち伏せ以外で、華龍盟の連中に遭遇した記憶はなかったぞ」

 ネイトが口を挟んだ。

「情報は錯綜している。街はお前たちの噂で持ち切りだ。華龍盟だけではない、あちこちの勢力がお前たちを追っている。お前たちの痕跡を見つけては、街に情報を流している。敵はそれを上手に掴み取ったんだ」

「それで今度はあなたを脅迫して、私を引き渡せというわけね」

 ゴトーは頷いた。

「ああ、だから、大人しくしていてもらおうか」

ゴトーの銃がアリスに向いた。

アリスは頭を必死で働かせた。このままでは、この男は華龍盟に連絡を取るだけだ。そして自分は華龍盟に引き渡される。汚らわしい連中の汚らわしい取引の材料にされるだけだ。そんな扱いは願い下げだとアリスは強く思った。そしてそのあとはどうなるという。華龍盟の連中から政府に身柄を移され、また大臣令嬢という、あの堅苦しい肩書と立ち位置に押し込められるというのか。自分が本当は何者であるかの探求を果たせぬまま、塗り固められた嘘を真実と思いながら生きていくことになってしまうというのか。それも願い下げだった。

 アリスはいう。

「ねえ、待って、教えてほしいことがあるの」

「なんだ?」

「どうしてあなたはここの場所がわかったの?」

「その質問にはなにか意味があるのか?」

 ゴトーは首を傾げるどころか、アリスを鼻で笑った。いまさらそんな質問をしても無意味だろう、といわれたようなものだ。

 アリスは怒りを堪えた。

「私たちがこの場所に向かうなんて、それだって誰も知らないことよ。それなのにあなたはどうしてわかったのか」

「情報を上手く掴み取った。そういえば満足か?」

 白けた顔でゴトーはいう。

 今度はアリスが鼻で笑う。

「いいえ、満足しないわ。私とネイト、二人しか知らない話をどうやって知ったっていうの? そもそもこの場所についての情報が流れていないのに、情報を掴み取るだなんて、あり得ない話ね。あり得るとするなら、その情報を最初からあなたも知っていたか」

「…どういう意味でいっている?」

 ゴトーは目を細めた。

 アリスは片方の眉を吊り上げて、挑発する。

「さあ? 私は質問に答えてほしいだけよ」

 不遜ともいえるアリスの態度に、ゴトーは顔を歪めた。挑発に乗ってこい。アリスはそう願ったが、さすがにゴトーは動じなかった。ゴトーは顔を歪めこそすれども、黙してなにも語ろうとしなかった。

「答える気はないってことか。アリス、こいつへの質問は無駄みたいだぜ」

 隣でネイトが呟く。

 アリスはネイトの呟きをあえてきき流した。

「あなた、この場所のことを前から知っていたんじゃない? 私たちがここへ向かうだろうことも、前から知っていた」

 アリスはいった。頭の中に漂流するいくつかの想像を繋ぎあわせ、推論を組み立てる。なぜこの男がこの場所を知っていたのか。頭の中で最初に去来したのがその疑問であり、その次に去来したのはこの男が元官僚であり、AGWと対立していたという過去の経歴だった。想像と推理を始める。AGWと対立する官僚機構など一つしかない。父が長年牛耳っている内務省だ。年齢的に考えても、若かったころの父とこの男がなんらかの繋がりを有していてもおかしくはないのではないか。それが漂流する想像の一つであり、それを先ほどの疑問と連結させる。推論の輪郭が出来上がる。そしてこの施設にちらつく父親の影と父親が塗り固めた嘘。アリスの記憶にはないが、ここでテロ事件が起こり、父が関与した可能性は高い。父とゴトー、父とこの孤児院、もしすべてが繋がっているとしたら。想像の飛躍でも構わないと思った。ゴトーに推論を叩きつけることで、アリスは手がかりを探りたかった。本当の自分の、真実の自分の手がかりを。

「あなた、もしかすると私の父と繋がっているんじゃない? それも過去の話でなくて、現在進行形の話として」

 アリスはゴトーを見据えた。想像を論理的に組み上げていくと、その結論しかアリスは導き出せなかった。この場所のことを知っている人間がネイトと自分以外でいるとすれば、それは父だ。仮にゴトーがかつて内務省の人間で、父と繋がりがあったとすれば、それどころかいまもまだ繋がりがあったとすれば、ゴトーはこの場所のことを父から教えられ、ここへ赴いたのではないか。

「なかなか面白いことをいうじゃないか」

 ゴトーは不意に笑った。

「だが、その話はどうにも妙だと思わないか? もし俺がセガワ大臣といまも繋がっていれば、俺はお前を真っ先に政府に引き渡すだろう。華龍盟にお前を引き渡そうとはしないはずだ」

「どうかしら? 華龍盟に私を引き渡したとしても、連中は政府との取引が目的だから、私を殺したり傷つけたりしないでしょう。もちろん政府としてはそれなりの代償が必要になるでしょうけど、私の身柄を安全に確保できる機会は残されている。こんなことを自分でいいたくはないけれど、人質が内務大臣の娘ともなれば、政府もさすがに取引に応じると思うわ。まして相手はテロリストや反政府組織ではない、れっきとした反社会的勢力ではあるけれどね。そしてなによりこの話で重要な点は、あなたは捕えられた自分の部下を救うことができる、ということよ」

 アリスがそこまでいい終えると、ゴトーの表情に一瞬の変化が起きた。アリスの推理に感銘を受け、舌を巻いたのか、一瞬ではあったがゴトーは目を見開き、顎をかすかに引いたのだった。

 銃を構えたままで、ゴトーは閉じた唇を舌で舐めた。

 アリスはゴトーの動作を見逃すことなく、観察し、目の前にいるこの男の心理を見極めようとした。

 アリスとゴトーは互いに鋭い視線をぶつけあった。さながら二人は対峙しているようでもあった。銃を構えているのはゴトーで、彼がアリスとネイトの死生を握っているのは間違いなかったが、アリスとゴトーは無言の状態で互いの腹の内を探る心理的な戦いを繰り広げていた。表情と動作を互いに読みあう。アリスは口には出さなかったが、ゴトーの弱みを見抜いていた。彼は部下のためにアリスを殺すことができないのだ。いくら彼が自分たちに銃を突きつけて脅迫したとしても、それ以上のことはできるはずもなかった。なぜなら華龍盟との取引が成立しなくなるからだ。そうすれば彼は部下の命を救うことができなくなる。ゴトーは暴力による恐怖で、アリスをなんとしても屈服させなければならなかった。そうすることでしか彼は事態を切り抜けられない。アリスは状況をそのように読んでいた。

「いい読みだと思わない?」

 口元にかすかに笑みを浮かべて、アリスはゴトーに問いかけた。

 ゴトーはわずかに戸惑ったような顔をした。

「お前はなにがしたい? ここで延々と推理ごっこを繰り広げたいのか?」

「遅かれ早かれ華龍盟に引き渡されるくらいなら、ここであなたから真実の断片をききたいわね」

「真実の断片?」

 ゴトーは目を細めた。

「おかしなことをいってると思わないで。私は、本当の私の手がかりがほしいの。父はかつてこの孤児院でテロ事件が起こり、視察でここを訪れていた私たち一家も事件に巻き込まれた、といっていた。でも、私にそんな記憶はないの。おそらく、父は嘘をついている。私の生い立ちに関するなにかを隠すための嘘だと想像するけれど、手がかりが足りない」

「それで?」

「あなたは父と繋がっていて、この孤児院の情報を得た。…この孤児院で本当はなにがあったの? 父はなにを隠しているの? あなたはそれを知ってるんじゃない?」

 アリスはゴトーを見つめた。嘘と真実を見抜こうとした。

するとゴトーは笑ってみせた。それはアリスを嘲るような笑いだった。

「あんたには悪いが、あんたの推理は外れているよ。俺はあんたの親父さんと繋がってはいない」

 そういわれてもアリスは表情を崩さなかった。

「なら、あなた、どうしてこの場所がわかったの?」

 ゴトーから笑みが消える。ゴトーはアリスの眼前に銃を突きつけた。

「いちいち答える必要がない。とにかく、お前を華龍盟に引き渡す」

 アリスは舌打ちをした。一気に感情が昂った。

「それこそお断りよ。取引の材料になるなんて、まっぴらだわ」

「アリス」

 ネイトが口を開く。落ち着け、とその目が語っている。

「黙ってて。暴力や犯罪を糧にしているような人たちの取引の材料になるなんて、屈辱だわ」

「お前がそういうなら、お前を殴り飛ばしてでも、連中に引き渡すさ」

 ゴトーが強い口調でそういって、銃でアリスに殴りかかる。

「待て」

 ネイトがアリスの前に飛び出た。ゴトーによって振り翳された硬い銃床がネイトの頬骨に直撃した。衝撃でネイトは床に倒れ、苦悶の声を漏らした。ネイトが床を転がる。銃床の角張った部分がネイトの頬を切っており、ネイトの頬からは血が流れ出ていた。

「ネイト」

 アリスは思わずネイトの名を叫び、床を転がる彼を抱き止めた。ネイトは痛みで顔を歪めていた。血が流れている部分にアリスは手を当て、血を止めようとした。

 アリスが狼狽えているのを冷然と見つめながら、ゴトーはアリスの頭に照準をあわせて、銃を構えていた。

 アリスはゴトーを睨んだ。

 ゴトーは首を振った。落ち着け、冷静になれ、とその目が語っている。

 それでもアリスは敵意を燃やした。強くゴトーを睨んだ。

「ごめんね、ネイト」

 アリスはネイトに視線を落として呟く。掌がネイトの血でぬめった。血がこれほど暖かいものなのだとアリスは初めて知った。掌でぬめる血以上に、触れているネイトの頬は、焼けるように熱かった。

「大人しくこっちのいうことに従え」

 ゴトーはいった。ゴトーは銃を構えるのを止め、アリスに近づいて、その胸倉を掴んだ。

「いいか、よくきけ。俺は誰も死なない方法を取ろうとしている。華龍盟に引き渡されても、お前が死ぬことはない。それどころか、安全にもといた場所へ戻れる。これは誰も傷つかない、誰も損しない方法なんだ。お前はそれをわかっていない」

「そのために取引の材料にされるなら、そんなものくそ喰らえよ」

「命のやり取りをしたこともないくせに、そんな台詞を吐くんじゃない」

 ゴトーは激昂して叫んだ。

「命ならこれまでも狙われてる。友達だって、私のせいで巻き添えを喰らって死んでいる」

 アリスも感情を露わにして叫んだ。脳裏にニイミハナのことが過った。自分のせいで死んでいった彼を思うと、目頭が熱くなるのを感じた。

 ゴトーはアリスの胸柄を強く掴んで引っ張った。ゴトーの顔が近づく。

「冷静になるといい。生きてこそだ。命あっての物種だ」

 ゴトーのその言葉には、珍しく人間味といっていい強い感情が宿っていた。

「あなたのいうことなんて…」

 アリスは顔を歪めてそう呟くと、ゴトーはアリスから手を離し、銃を床に倒れたネイトに向けた。

「こいつを撃ち殺されても、そういうことがいえるのか? お前が強情になればなるほど、誰かが傷つく」

 アリスはちらりとネイトを見た。いまだネイトは苦痛でもがいていた。ネイトの血で濡れた自分の掌も視界に入った。

 しかしそれでも、とアリスは思った。このままこの男のいいなりになってしまうのか。果たしてそれでいいのか。自分が何者かであるかを知ることもなく、このままもとの世界へ戻ってしまうのか。アリスは強く唇を噛んだ。なぜだかわからないが、悔しさが込み上げてきた。

 互いに怒りのこもった目で、アリスとゴトーは睨みあった。そこに言葉はなかった。沈黙は痛いほど肌に突き刺さってくるが、アリスは怒りで気にならなかった。きっとゴトーも同じだろう。

 そのとき階下から、足音がきこえてきた。

 二人は同時にそれに気がついた。

 アリスもゴトーも、即座に足音がきこえてきた方向に視線を向けた。ゴトーは部屋の壁に張りつき、廊下を覗いた。足音は階段を駆け上っている。

 敵か味方か。アリスは考えた。味方などいるはずもない。すぐに暗い考えが過った。アリスとネイトが頼ろうとしたゴトーでさえ、アリスを華龍盟に引き渡そうとしている状況だった。少なくともこの足音の主は、自分たちを救いにきたのではない。おそらくは自分たちをつけ狙う者たちだろう。

 アリスはふらりと立ち上がり、ゴトーのいる壁際へ近づいた。ゴトーが手を翳し、こちらへ近づくなと合図する。だが、アリスは壁際へ寄った。廊下を覗き見た。

 暗い廊下の先の階段で、誰かが自分と同じように闇に目を凝らしていた。相手は銃を構えていた。じりじりと、慎重に、こちらへ歩み寄ろうとしている。闇に目が慣れてくる。高窓から差し込むわずかばかりの街の灯が、相手を照らす。暗がりの中で、相手の赤い髪が浮かび上がる。

 アリスは全身に鳥肌が立った。

 あの赤髪の女だ。獲物を狙う獣のような、鋭い目を持つ女。ここまで彼女はアリスを追ってやってきたのだ。

「銃を撃って」

 アリスは叫んだ。

 アリスの声を合図に、ゴトーもあの女も銃を構え直した。ゴトーの方がわずかに速かった。女のいる方向に向かって、ゴトーは銃を乱射した。激しく銃声が鳴り響く。銃弾が容赦なく壁を抉った。ゴトーが弾を切らし、再装填を行うあいだに、アリスは自分の銃を拾い、ゴトーの代わりに女に対して銃を撃った。

「あれは誰だ?」

 銃撃の合間に、ゴトーがアリスに尋ねる。

「AGWの人間よ。私たちを追ってきてる」

「この廊下の奥から、下屋を伝って外へ逃げることができる。小僧と一緒に先に逃げろ」

 ゴトーはいった。ゴトーは弾の再装填を終えていた。

 アリスは銃を撃ち尽くした。すぐにゴトーと入れ替わり、ネイトの肩を担いだ。

「いけっ」

 銃を撃ちながら、ゴトーは叫んだ。

 アリスとネイトは走り出した。廊下の奥に腰高の窓が見えた。窓の向こうには建物の下屋が見えている。アリスは銃弾を装填すると、窓に向かって数発銃弾を撃ち込んだ。窓が割れる。さらに腕で窓を払い、人が抜け出せる空隙を作った。

 背後では銃の撃ちあいが続いている。

「いくわよ」

 アリスはネイトに声をかけた。先にネイトを窓の外へ押し出した。それからアリスが続いた。廊下を覗くと、ゴトーが銃を発砲しながら、こちらへと近づいてくるのが見えた。

 下屋を伝う。背後からゴトーの声がきこえる。

「隣の屋根に飛び移れ」

 周囲を見渡すと、隣家の屋根が確かに迫っていて、飛び移ることができそうだった。

「ネイト、向こうの屋根まで飛び移れそう?」

 アリスはネイトに尋ねた。ネイトは出血している頬を手で押さえながら、こくりと頷いた。

「落ちて死ぬなんてのは、なしにしてね」

 アリスはネイトに釘を刺しておく。

 高さでいえば、三階分の高さに二人は立っている。地面に落ちれば、下手をすると命を落としかねなかった。隣の屋根までは二メートルも離れていない。先にアリスが勢いをつけて跳躍した。宙を舞う。難なく隣の屋根に着地する。

 アリスは振り返ってネイトを待った。ネイトも跳躍する。だが、勢いが足りない。ネイトは屋根の際にぎりぎりで着地する。アリスはすぐにネイトの体を掴んだ。あと一歩足りなければ、ネイトは屋根から落ちるところだった。アリスはネイトの腕を自分の首に回して、肩を担いで立ち上がった。

 ゴトーもこちらへ走ってきて、屋根へ飛び移ろうとしていた。ゴトーは手にしていた銃を先に放り投げた。そして、屋根へ飛び移る。

 その瞬間に、銃声がきこえた。敵が放った銃弾が屋根のどこかに着弾する。闇の向こうから、あの女が銃を撃っているのだ。

 ゴトーが反撃するには、時間がかかり過ぎる。

 自分がやるしかない。アリスは銃を抜いた。決然と敵を見据える。

 あの女が、自分たちが乗り越えてきた窓のあたりで、銃を構えていた。

 アリスは女に狙いを定めて、銃を撃った。女たちは互いに銃を撃ちあった。アリスは躊躇うことなく、立て続けに複数回発砲した。女も容赦なく銃弾を撃ち込んできた。互いの銃弾がわずかな時間の中で交錯する。闇の中から飛来した銃弾が自分の近くに着弾したときの風を切る音、壁や屋根にめり込む異様な音に、アリスは激しい恐怖を抱いた。恐怖を懸命に堪え、無我夢中でアリスは銃を撃ちまくった。最後の発砲の際、遠くの女が身を捩るのが見えた。そして視界から女が消える。女は被弾したのかもしれない。

 銃を構えたままのアリスを、ゴトーが見つめていた。どこか意外そうな、どこか感心したような顔を彼はしていた。

 ゴトーと目があった。

「こっちだ、ついてこい」

 ゴトーがアリスに声をかけた。

 アリスはネイトの肩を抱えながら、ゴトーの背を追いかけた。屋根を伝って逃げた。その最中に、一瞬だけアリスは背後を振り返ってみた。

 赤髪の女の姿は見えなかった。だがあの女の鋭い視線がいまだに脳裏に焼きついていて、アリスは寒気がした。

 あの女と目があってしまえば、それで最後だ。アリスはそう思った。あの女の眼差しに自分は射竦められてしまい、なにもできなくなってしまうだろう。


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