53 Tommy - Finger Trick
哀れな中国人の人質。トミイたちを睨みながら、怯えている。ときおりなにかを吠え立てる。トミイにはその言葉の意味がわからないが、どうも罵りの言葉らしい。トミイの仲間の一人が、いまにも殴りかかりたくて仕方がないという顔をしている。
とにかく寒かった。雨に打たれただけでなく、泥の上を転がり、這った。雨と泥に塗れた全身が冷え切っている。服の袖からは汚れた雨粒が滴り落ちていた。唇に舌が触れると、ざらついた土の味がする。
雨と泥に塗れた男たち。銃を手にして、錆びた鉄骨の柱に縛りつけた中国人の小男を囲んでいる。
暖房のないがらんどうの倉庫のせいで、ひどく底冷えする。断熱性能などあるはずもなく、床一面の殺風景なモルタルは冷気を吸収するどころか、それを突っぱねていた。
体を痛めつけるような寒さに対して、男たちができることといえば、怒りを燃やしてそれを忘れることしかなかった。怒りの対象は、姿を現したゴトーであり、姿を消した小娘と小僧だった。三人ともこの場にはいなかった。男たちの怒りは屈折し、捻くれる。憎悪と同じ作用をする。怒りの対象が、あの三人から、目の前にいる哀れな小男の中国人にすり替わる。
トミイはにやつきながら小男を眺めている。笑みを浮かべながらも、そのくせトミイも怒りに囚われていた。薬の効能は切れている。いまは姿を消した三人に対する怒りで、すべてが満たされている。いまこの瞬間は、どんな残酷なこともできる気がした。トミイの目から光が消えていき、その代わりとして酷薄さと残忍さがその目に宿り、煌めく。
小男が喚く。
仲間が小男の罵倒に我慢ができず、ついに小男の顔を殴りつけた。拳が鼻骨を震わせる。小男の鼻から血が流れる。
仲間たちが野太い歓声を上げる。調子づいた仲間が目を血走らせながら、さらに小男を殴りつけようとする。
トミイはそれを制した。
「俺にやらせろ」
トミイはいった。トミイが小男の前に立つと、小男の怯えはさらにひどくなり、哀れにも足を震わせていた。
「お前の名前はなんだ?」
トミイはゆっくりと、言葉を区切りながら、小男に尋ねた。
小男が口を震わせる。歯が噛みあわない。カタカタと音が鳴る。言葉の意味が伝わっているのか、いないのか。恐怖だけは伝わっているらしい。
「…グエン」
小男はいった。どうやらトミイの言葉は通じていたようだ。
「グエン。それが名前か」
トミイはにやりと笑う。
小男、グアンが頷く。目が恐怖と怯えの色に染まっている。暴力、苦痛、拷問への恐怖と怯え。目を何度となく瞬かせる。
「お前の主人である、ゴトーについてきかせろ」
トミイはいった。トミイは背後にいる仲間に言葉を訳させた。
「なんでもいい。お前が知っているゴトーのすべてを教えろ」
二つの人生が交錯したあの日暮れ。あの奇妙なまでに静かで、記憶の底に刻み込まれている茜色の光が差し込んだ部屋。それ以来トミイの人生と交錯することのなかったゴトーという男の人生、歴史、道程を、トミイは知りたかった。あの陰気な顔をした男が、どのようにしてあの日暮れ以降に人生を歩んでいたのか、虚実が定かではない噂話や流言ではなく、あの男と直接かかわった人間から、トミイは話がききたかった。
グエンは意外そうな顔でトミイを見ていた。グエンは暴力を振るわれると思い込んでいたのだろう。
トミイはグエンの、中年にしてはやけに白く血管さえ透けて見えるような細長い指に目を向けた。
「お前から見て、ゴトーはどんな男だ?」
トミイはグエンに尋ねた。
グエンは慎重に言葉を選んでいるようだった。しばらく沈黙が続く。
トミイはなにかに憑かれたように、グエンの指を見ている。
「教えてくれ」
トミイはいう。いいながら銃をちらつかせる。左手の指でグエンの人差し指の先を摘まんだ。右手に握る銃の銃口を、グエンの人差し指の第二関節に押し当てた。トミイの目から光は消えている。憑かれた表情で、指を見ている。
グエンの指が震え出す。これからなにをされるか、それを想像して震え始めたのだ。恐怖が脈動している、恐怖が震動している。グエンの指先を摘まんだトミイの指に、その脈動と振動が伝わっていた。指にまとわりつく筋肉が震えている。指を構成する骨が震えている。
「…ゴトーは、どんな男なんだ?」
トミイはグエンの指と押しつけた銃口を見つめながら、いった。
グエンが唾を飲み込む。震えながら、口を開く。
「…寂しい男だ。復讐にとり憑かれている」
グエンはいう。
「それは誰に対する復讐だ?」
「AGW、政府、内務省、自分の妻の死に関与したあらゆる勢力、あらゆる人間に復讐を考えている。妄執に囚われている。結局のところ、あの男の頭の中には、復讐の念しか詰まっていない」
「あの男になにがあったんだ?」
「…詳しくは知らない。語ろうとしないんだ。俺が知っているのはただ、あいつがこの下層部に落ちてきたのは、妻の死がきっかけだったということ、妻の死にAGWや政府が関係しているということだけだ。そして、あの男はいまでも復讐を、報復を考えている。復讐という名の妄執にとり憑かれているんだ」
「それは結構なことだ」
トミイはいう。
「あの男がいっていた言葉がある。誰かの格言なのだろうか。憎しみはすべてを凌駕する。あんたにその意味はわかるか? あの男はそういって、恐ろしい形相をしていた。なぜかいま、それを思い出した」
独り言のようにグエンはいう。
トミイは笑う。
「その調子だ、グエン」
グエンがトミイを見る。
「その調子で、話し続けるんだ。そうすれば、お前は指を吹き飛ばされずにすむ」
トミイはいまだにグエンの人差し指の第二関節に、銃口を押しつけていた。




