45 Emma, Tommy - Hand to Hand Fight
その部屋の扉に鍵はかかっていなかった。室内には人が忍び込んでいた形跡がある。玄関の扉を開いてすぐに、蓄積した埃の饐えた匂いがしたが、それだけではなく人の体臭もその部屋にはかすかに漂っていた。
第八地区。スースロフに教えられた公営住宅の一室。
ネイトたちが利用した部屋はすぐに見つかった。エマが住人に話をきくと、早朝にチンピラどもが公営住宅内で騒ぎを起こしていた。犯罪組織の抗争、刃傷沙汰は頻繁に発生するため、それに巻き込まれぬよう住人たち皆は無視を決め込んでいたが、どの階で騒ぎが起きたのかはしっかり覚えていて、住民はそれをエマに教えた。
エマはすぐにその階に上がり、ネイトたちがいた部屋を探った。あの二人がもうこの場所にいないのは明らかだったが、部屋に残された二人の痕跡から、なにか読み取れるものはないかを探ろうとしたのだ。
居間の埃だらけの床には、ある部分だけ埃がなかった。それはここに人がいた証拠だ。埃の状況からして、靴跡以外に人が床に伏せたと思しき跡と壁に凭れかかったと思しき跡が見つかる。二人は休息を取っていたのだろうか。他に床には二人が放棄していったと思われる食料品の包装や水の入っていたボトルが散らかっていた。下層部に落下し、そこからどうやって食料などを調達したのだろう。そんな疑問が自然と浮かんだ。あの不遜な少年、ネイトが調達したというのか。そうだとしかエマには思えなかった。ネイトは反政府組織を相手に強盗をしでかすような少年だ。食料品などを盗むことなど、容易くあの少年はやってのけるに違いない。
だが、これは一体どういうことなのか。アリスとネイト、あの二人が行動をともにしているということはわかる。だがその目的はなんなのか。アリスはなぜネイトと一緒にいるのか。ネイトがアリスを暴力的な手段で脅迫し、従えているということか。それとも、アリスの自発的な意志で、あの少年とともにいるということなのか。エマは落ち着いて考えてみた。逃避行を行いながら、女とはいえ一人の人間を脅迫し、自分に服従させるというのは、非常に困難なことだ。隙はいくらでもできる。アリスにとっては、逃げ出すことも、それだけではなく反撃することも可能なはずだった。だが、そういう抵抗の形跡は、二人の行動からも、そしてこの部屋からも読み取ることはできない。だとすれば、アリスは自発的にネイトに従っているということなのか。だが、その目的はなんだ。アリスはどうしてネイトに従うのか。エマには理由が思い浮かばなかった。まさかアリスはネイトの境遇に同情したとでもいうのか。しかし聡明で、冷静な性格のアリスならば、情に流されて、自分の身を危険に晒すということは、常識的にはしないはずである。エマはアリスの目を直接見た。聡明さと冷静さを湛え、意志の強さを発散させているあの目。ああいう目をした人間は、良徳や良心を備え、他人にも親身に振る舞いながら、それでいて自身は、理性が弾き出す冷徹なまでの計算に従い、極めて慎重でときに極めて狡猾な行動をするものだ。つまり、危険や無謀、無計算といったものをもっとも忌避する人間であるはずなのだ。目的もなしにネイトと一緒にいるはずがない。
エマはアリスの行動の不可解さに首を傾げた。アリスはなにかを企んでいる。その考えが頭の中にちらつくのだが、アリスがなにを企んでいるのかは見当もつかなかった。
部屋の探索を続けた。居間と繋がった部屋の窓ガラスが一部割れていて、そこから外気が入り込んでいた。どうやら二人はここから忍び込んだようだ。
エマは、室内側に落ちていたガラスの欠片を拾った。
ガラスは実に無駄なく、綺麗に割られていた。これはかつてエマも習ったことがある割り方だった。盗みに入るための初歩的な知識だが、これを温室育ちのアリスが知っているとは思えない。ネイトの仕業に違いなかった。
下層部で強盗稼業をやっていたあの少年を追うとなると、相当に手がかかるかもしれない、とエマは思った。あの少年には下層部についての地理感覚がある。それだけでなく、盗みについての知識も経験もある。追っ手を撒き、行方を晦ますのはあの少年にとってお手のものだろう。
一体なにから逃げている。エマは二人が逃げる理由を考えた。なぜ二人でいるのかはともかく、それは容易に推測できた。ソンがいうように、華龍盟などの下層部の犯罪組織が二人を追っているからだろう。エマがここで手がかりを探っているいまこの瞬間にも、あの二人に別の誰かが迫っているのかもしれない。
エマはガラスの欠片を手で弄びながら、急がなければならないという思いを強くする。
だが二人がどこへ向かっているのか、その手がかりがない。目的地もなく、二人が街を彷徨しているということも考えられる。だが、ネイトがいれば、一時的に身を隠すためのセーフハウスやそれに類する場所を知っていて、そこへ向かっている可能性がある。途轍もなく広大なこの街の中で、そうした場所をなんの手がかりもなしに見つけるのは極めて困難だ。
エマはネイト率いる強盗団を拘束したときの過程を思い出した。あのとき、エマは下層部の市場でネイトたちの情報を情報屋たちに求めた。まだネイトの一味の仕業かどうかも判明もしていなかったが、一味の人間が犯行の際に発した鳩の大将という言葉から、ネイトの身元が割れた。人殺しを避ける強盗の手法から、ネイトが鳩の大将とあだ名されていると、エマに情報を寄越した者がいた。さらに決定的だったのは、一味の者が取引のために市場をうろついているという情報を寄越した者がいたことだ。エマはその情報に従い一味の者を捕らえ、拷問にかけて口を割らせ、一味の居場所を特定した。探索を開始してから約十二時間で、一味を拘束することに成功した。
情報屋は金になるとわかれば、すぐに情報を流す。情報は彼ら独自の情報網を伝って、街の隅から隅まで流れ込む。情報が流通する潤滑剤はすべて金だ。直接の情報主から依頼を受け、情報を街に流して手数料を稼ぐ者もいれば、情報主と情報を買いたい者とを仲介する者もいる。エマに決定的な情報を寄越した者も、仲介人を立てていた。直接の情報主が誰なのか、エマも詳しくはわからなかった。
またあの情報屋たちを頼るしかない。エマは思った。他の追跡者より先行するために金を積まなければならないが、仕方がない。
事態は面倒な方向に転がりつつある。ネイトも目障りであること極まりないが、それ以上にアリスの不可解な行動に苛立ちを覚える。アリスの身柄の確保。それだけがエマの目的だった。だが、エマの思惑を知るはずもないアリスは、どんどんエマから遠ざかっていく。
エマは唇を噛んだ。あの女を必ず捕まえてやる、と自分で自分に誓いを立てる。
「よお、姉ちゃん」
そのとき不意に、背後から男の声がした。
背後をちらりと見る。長髪の男が立っていて、エマを見て顔をにやつかせていた。銃を構えている。
エマは振り返らずにその場で両手を上げた。
「お前は誰だ?」
エマは男に問いかける。
「誰でもいいだろ」
男はそう返事をする。一歩、二歩、足を踏み出す音がする。男との距離が狭まる。
「なんの用だ?」
「どうだ? 部屋の捜索は終わったか?」
「それがどうしたっていう?」
「俺は情報が欲しい」
「なんについての情報だ?」
エマがいうと、男は笑い声を上げた。
「わかってるだろ、街を逃げ回っている小娘の情報だ。どうだ、なにか手がかりは見つかったか?」
男はいい、銃を構ながら、さらにエマに近づく。
「私がお前に教えるとでも?」
「ああ、教えてもらうさ」
「お断りだ」
エマは男を挑発するように、言葉を吐き捨てた。
男がまた笑う。奇声のようにもきこえる、甲高い笑い声だった。男はエマを面白がっている。
「自分が置かれた状況がわかってないらしいな」
男が持つ銃の先が一瞬エマの後頭部に触れた。男との隔たりはないに等しい。
「必要ならば、どういう手段を使っても教えてもらう。わかるだろう?」
男は下劣な欲望が滲んだ声で、エマの耳元で囁く。男の手がエマの尻に触れる。
その瞬間、エマは怒りを爆発させた。
反撃に出る。掌に隠してあったガラスの欠片を握り締めた。
女の手に、なにかきらりと光るものが見えた。
だが、トミイは気づくのが遅かった。
女が振り向く。同時に女の手が振り下ろされる。トミイの首を狙っていた。回避する時間がなく、トミイは空いていた左手で自分の首を守ろうとした。
次の瞬間、左手に鋭い痛みが走った。手の甲が切り裂かれた。床に血が飛び散る。
女はガラスの欠片を手に忍ばせていた。その欠片は、まだ女の手中にある。
女がガラスの欠片をトミイに突き刺してくる。今度はトミイの目を狙っていた。トミイはその一撃を躱した。だが右手に衝撃を感じる。女はトミイに目への一撃が躱された瞬間、そのまま手を引っ込めずにトミイの右手を払ったのだ。銃がトミイの手から離れ、床に落ちる。
トミイの切り裂かれた左手は、出血がひどく、力が入らなかった。右手で女を殴るには、体勢的に時間がかかり過ぎる。トミイは女の額に頭突きを食らわせた。女がよろめく。右手で女を殴る。女の顔面に拳を打ち込んだ。女の鼻から血が流れ出たが、女はそれでも倒れなかった。トミイと間合いを取り、構え直す。
トミイが先に動いた。右手で殴りかかる。女がその右手を払う。女の反撃がくる前に、トミイは女に対して突進した。膝蹴りを行いながら、女を壁に押しつける。女の髪を掴み、床に引き倒そうとする。女が反撃する。脇腹にガラスの欠片を突き立ててくる。痛みが走る。
女もトミイも痛みを堪え、互いに屈しまいとする。
荒い息遣いが交差する。互いに生命を激しく燃やす。二人とも、ここが命を懸ける瞬間であると悟っている。
女はトミイの脇腹への攻撃を止めて、トミイの股間に膝蹴りを行った。股間に鈍痛が走る。だが、耐えられないほどの痛みではなかった。拷問で男根も睾丸も失った体だ。いくら蹴られたとしても、鈍痛が走るだけだった。
女は膝蹴りに集中していたせいで、上半身に隙ができていた。トミイは渾身の力で女の髪を引っ張った。そのまま床に引き倒した。勢いを緩めず、女の顔面に上から拳を打ち込む。一度では足りなかった。二度、三度、拳を全力で打ち込んだ。それでようやく女が抵抗を止める。女は鼻から下が血塗れになっていた。
トミイは銃を拾った。女の顔を足で押さえつけ、銃を突きつけた。
女が屈辱に震えた顔で、トミイを見ていた。
トミイはぞくぞくとした快感を覚えた。こういう女を暴力で屈服させた瞬間ほど快楽を得られる瞬間はない。
トミイは女を押さえる足に力を込めた。女は呻く。
「お前が知っている小娘の情報をすべて教えろ」
トミイはいった。
女は答えなかった。
トミイは足に力を込めた。血が出ている女の鼻を足で押さえつける。女の顔が苦痛に歪む。苦悶の声を上げる。
「教えろ。次は手足に銃弾を撃ち込むぞ」
トミイはいった。あえて銃をちらつかせた。トミイは本気で女を撃つ気だった。
「さあ、答えるんだ」
トミイは女に迫った。
女が忌々しそうに口を開く。
「あの娘は、ガキと一緒に逃げてる。行先は知らない」
「ガキとは、誰だ?」
「…ガキはガキだ。コソ泥をやってた。我々が手先として使っていたが、なぜか女と逃げている」
ガキ、そしてコソ泥。それらの言葉に、トミイは引っかかりを覚えた。
「そいつの名前は? どういう素性の奴だ?」
「その質問にはなんの意味がある? たかが、小娘と一緒に逃げているだけのガキだ」
「いいから教えるんだ」
「ガキの名は、ネイトだ」
女がそういうと、トミイは大声を上げて笑った。気が触れたかのように笑う。なにか歌を口ずさみたくなる。こういうときこそ歓喜の歌がふさわしい。
「気が狂ったのか?」
「いいや、これでも正常さ。だが気が狂いそうなくらい笑えてくるね」
「たかがガキのことで…」
女が呟く。
この女には、なにもわかるまい。トミイは思った。
ネイト。下層部をうろつく、強盗気取りの目障りな子ども。かねてからトミイが忌々しく思っていたあの子どもが、まさか大臣令嬢と一緒に逃げているとは、思いも寄らなかった。AGWにネイトの情報を売り飛ばして、それでネイトはAGWに居場所を掴まれ、処刑されたのだとてっきり思っていた。だが、どういう因果か、再びトミイの前にネイトは現れようとしている。
「女、俺は手がかりを得たぞ」
トミイは得意気に女にいった。
女の目が変わる。なにをいっているのだ、とその目は語る。
ネイトと小娘が逃げている。二人はどこへ向かっているのか。トミイの推測では、彼らが向かう場所は一つしかない。トミイにとっては目障りで忌々しい存在のネイトだが、あれはあれで頭が切れ、冷静な判断ができる子どもだった。そんな知恵が回る人間なら、必ず信頼に足る者の庇護を求めるはずだ。ネイトが信用を置く人間とは誰か。AGWにも、下層部の犯罪組織にも与しない、しかしそれでいてそれら勢力が簡単に手出しできない者。トミイが思い当たる人間は一人しかいない。
「貴様にはわからんだろうよ」
にやにやと笑い、女を見下しながらトミイは女にいった。
女はトミイを睨みつけていた。
女からもらった傷が痛む。切り裂かれた左手、脇腹の刺し傷。傷は深くはないが、浅くもない。
「…女にしては見事な腕前だった」
女の激しい抵抗を思い出しながら、トミイはいう。
「死ぬ前に教えてやろう。俺はトミイだ」
「殺すならさっさと殺せ」
掠れた、弱々しい声で女がいう。
「お前の名は?」
トミイは尋ねる。名前をきくに値する女だ。この闘争心の塊のような女の顔が吹き飛ぶのを、トミイは心待ちにしている。
エマが口を開こうとする。
トミイが引き金に手をかける。
その瞬間、銃を手にした男たちが部屋に雪崩れ込んできた。
自分の上を、銃弾が飛び交っていた。
エマはその場を動くに動けなかった。体に力が入らず、頭がふらつく。やがて頭が割れるような痛みが襲ってくる。鼻から下が血塗れになっていて気持ちが悪い。
そんなことを思っているあいだに、壁には銃弾がめり込む。ガラスの窓は砕け散る。部屋が一瞬で荒廃し、戦場と化した。
男たちはエマに見向きもせず、銃を撃ちあっている。
トミイは壁際に移動して、身を隠しながら、無駄な発砲を控えて的確に反撃を行っていた。室内では、人数の多さによる利点は上手く活かせない。室内に雪崩れ込んできた男たちは数的には優位でも、実質はトミイと一対一で銃を撃ちあう状況に陥っている。
男たちが乱入してきた瞬間から、トミイは即座に彼らを敵と見定め、彼らに対してなんの躊躇もなく発砲した。最初に部屋に突入してきた男は、腹に銃弾を二発喰らって、床に倒れ込んだ。仲間を撃たれた男たちは狂乱状態に陥って、銃を乱射した。彼らの乱射が収まった瞬間に、トミイは壁際から銃撃し、別の男の肩を射抜いた。
部屋に突入したのは撃たれた者も含めて三人。玄関付近にも人影が見えることから、おそらくそこにも仲間が待機しているのだろう。
ロシア語の喚き声がきこえる。撃たれた男が、痛みを訴えている。
銃撃がいったん止んだとき、エマは渾身の力を振り絞って、流れ弾を避けるために部屋の隅に這っていった。トミイや男たちからなんとか距離を取ったその瞬間に、また激しい銃撃が始まる。男たちが一方的に銃を撃っている。制圧射撃の真似ごとを彼らはしているつもりらしい。
乱入者たちの銃の撃ち方は、素人に毛が生えた程度だった。銃の構え方などを見ても、軍事的な訓練は受けていないと思われた。
対するトミイはどういうわけか、銃の扱いには非常に慣れていた。銃の撃ち方からして、この状況下ならどういう風に銃を撃てばよいのかを理解している。銃弾の消耗を避け、効果的な発砲を心がけている。
男二人が、トミイがいた壁際に近づく。トミイが壁際から飛び出す。トミイは銃撃される前に男たちに突進し、距離を詰め、近接戦に持ち込んだ。取っ組みあいになった男の腹に銃弾を撃ち込む。その男を盾にして、もう一人の男と銃を撃ちあう。男が目玉を撃ち抜かれて、倒れ込む。脳漿が炸裂し、血とともに宙に舞う。トミイが盾にした男も絶命していた。
トミイは休まずに玄関に向けて銃を乱射する。玄関付近で待機している敵を牽制した。弾倉が空になるまで発砲し、銃を持ち替えた。男たちが落とした銃を拾う。
部屋は荒れ果てて、血の海が広がっていた。
トミイが一歩踏み出そうとすると、血で足が滑り、転びそうになった。トミイはまた壁際に隠れると、荒い息遣いで、奇声を上げる。トミイも確実に疲労困憊している。
エマもろくに動くことができなかった。黙って目の前の血みどろの乱戦を見ているしかなかった。
トミイは窓際に目を向けた。ネイトが割ったガラス窓に注目する。エマにはトミイの思考経路が読み解けた。ガキと小娘の侵入経路。つまり、脱出経路にもなりうる。
トミイは窓に向けて発砲する。窓ガラスが砕け散った。バルコニーに出る。トミイの姿が見えなくなる。
やがて玄関付近に待機していた男たちが部屋に押し入ってくる。彼らは床に転がった仲間たちの死体を見て、顔を青くした。その蒼ざめた顔でエマを見つける。
ロシア語で男たちが会話する。さっきボスを訪ねてきた女だ、とエマを見て誰かがいう。
彼らはスースロフの手下たちであるとエマは理解した。自分を尾行していたのか、まさか自分を助けにきたのか。正答を見つけ出すのは困難であった。
エマは彼らにロシア語でいう。
「奴を追わないといけない。奴は小娘の手がかりを掴んだといっていた」
その言葉に男たちは顔を見あわせた。
急いで手当をしよう、と男たちのうちの一人がそういった。
バルコニー伝いに下へ下へと降りていく。上階からロシア語で叫ぶ声がきこえる。
当然敵は追跡を止めないだろう。だが、すでにトミイと男たちとの距離は開いている。
地上まで降りた。公営住宅を抜け出す。車を停めた場所まで戻ろうとする。警戒を怠ることはなかった。敵の仲間が待ち伏せしている可能性はあった。神経を尖らせ、四方八方に目を光らせる。
自分の車が見えてくる。数十メーター先。周囲を見る。二台のバンが視界に入る。それに注目する。曇りガラスで車内の様子は見えない。だが、そのバンの陰に、人の気配がある。陰からちらりとこちらを覗く目が見えた。
トミイは銃を構えた。走ってバンに近づく。地面に伏せる。陰に隠れる敵の足元に向けて、発砲する。敵の足を銃弾が抉る。男が悲鳴を上げる。
車の陰に回る。悶え苦しむ男の頭を吹き飛ばす。銃を奪い、自分の車に戻る。すぐに発車する。身を屈めながら、運転する。案の定、銃弾が撃ち込まれてくる。方向はわからない。だが敵の銃撃に違いない。
加速する。長い直線の通りに出る。さらに加速し、敵から遠ざかる。
ダッシュボードを探る。錠剤を見つけ出す。それを口に放り込む。傷の痛みも興奮も恐怖も忘れ去りたかった。
あの連中はなんなのだ。トミイは襲ってきた男たちに対して激しい怒りを抱いた。男たちが喋っていたロシア語を思い出し、もしかすると朝方に撃ち殺したロシア人の仲間が、報復で襲ってきたのかもしれないとの考えが浮かんだ。それ以外でロシア人たちに命を狙われる心当たりがなかった。
忌々しい、とトミイは思った。ロシア人は向こうからトミイを襲ってきたにもかかわらず、逆恨みで報復をしようというのか。しかも誤解を避けるために、あえて一人を生かしたというのに、それでも襲ってくるのだ。
厄介な事態になった。リャンに連絡を入れる必要がある。華龍盟の力で、あのロシア人どもを抑えなければならない。
だが、手がかりは得た。小娘たちの行き先を知っているのは、自分だけだ。
第三地区。
あの小僧が頼ろうとしているのは、ゴトーに違いない。
トミイは逸る気持ちを抑えられず、強くアクセルを踏み込んだ。




