43 Alice, Nate - Head to District 3
最低限の水と食料を袋に詰め、あとはその場に残していく。
時刻を確認する。夜明けから約一時間が経過。
目標を確認する。今日中に第三地区まで到達したかった。可能ならゴトーとの接触も果たしたい。障害になる事項は主に二つ。政府の検問と追っ手たち。第三地区に入る手前の検問は厳しい。治安が崩壊した第三地区の退廃と背徳を遮断するためだ。だが抜け道はある。物資の密輸のために運び屋たちが作ったトンネルが複数個所存在している。そのどれかを使って第三地区へ入り込むのだ。
扉を薄く開けた。朝の光が差し込む。眩しい。冷たい空気を鼻から吸い込むと、頭から眠気や疲労が一時的に追い出されていく。頭が冴え、感覚が研ぎ澄まされていく。
ネイトは薄く開いた扉から周囲を眺め、警戒した。ネイトのすぐ後ろにはアリスがいる。アリスはじっとネイトの動きを見守っている。
扉の向こうには、朝の静まり返った共用廊下。まだ早朝で人の姿もない。
感覚を研ぎ澄ませる。息を大きく吸い込む。
「アリス」
ネイトはアリスに声をかけた。
「どうしたの?」
アリスがいう。
「頼みがあるんだ」
「なに?」
「ちょっと先に行ってくれ」
「…それはいいけど、どうして?」
アリスは首を傾げる。
「すぐにわかる。ほら、早く。髪は隠していくんだ」
ネイトは詳細を伝えることを拒否し、アリスにフードを被せて、彼女を廊下へ押し出した。アリスはネイトを振り返るが、そのまま歩けとネイトはアリスに合図を送った。不承不承アリスが歩き出す。
アリスが角のところまで歩いていくと、突如二人組の男たちが角から飛び出してきた。外国人らしき男たちは銃を手にしていて、それをアリスに突きつける。
銃を片手に飛び出してきた男たちの背中を、ネイトは薄く開いた扉から見ていた。アリスを相手にして、男たちは自らの背中をネイトに晒している。
ネイトは無音で廊下に飛び出した。まず自分に近い位置の男に狙いを定める。背後を取り、男の膝の裏を全力で蹴る。完全な不意打ち。それによって姿勢が崩れた男の首を背後から絞める。さらには男の耳にドライバーを突き刺す。鼓膜を突き破り、さらにその奥まで刺し込む。耳から血が流れ出し、男が悲鳴を上げて銃を手放す。もう片方の男がネイトに銃を向けるが、ネイトは男を盾にして、耳に突き刺したドライバーを小刻みに動かして、下手な真似はするなと無言の脅しをかけた。
同時に、アリスには目で合図を送った。
アリスはその合図に気づき、即座に動いた。アリスは銃を抜いて、ネイトに銃を向ける男の頭に狙いを定めた。
「武器を捨てなさい」
冷たい表情と落ち着き払った声でアリスはいう。
銃を構える男の目に動揺が走る。その挙動には落ち着きがない。一方、アリスは冷酷なまでの目をして、銃の引き金に指をかける。
このままではどちらかが発砲する、そう思われた瞬間に、ネイトが拘束した男が声を上げる。ロシア語らしき発音。
男の一声で、もう片方の男は銃を捨てた。
アリスが引き続き銃を構える中で、ネイトは男たちを壁際に移動させると、男たちを跪かせ、手を頭の後ろに組ませた。ネイトは彼らの服を探り、財布や彼らの身元がわかるもの、通信機器を全部引き出した。通信機器は外に放り投げた。機器が砕け散る音がきこえる。男たちの財布からはロシア語表記の身分証が出てきた。
「…ロシア人のチンピラか」
ネイトは呟く。
「おい、お前ら、どこの勢力の者だ? 誰かに雇われてきたのか?」
ネイトは男たちに問いかけるが、言葉が通じない。男たち二人はロシア語でなにかを喚きたてている。
「アリス、あんたロシア語はできるか?」
ネイトはアリスに尋ねる。
アリスはため息をついて首を振る。
「できるわけないでしょう。英語がせいぜいよ」
「なら英語で話しかけてくれ」
ネイトはいう。
アリスは男たちに英語はできるかと英語で問いかける。
だが男たちは首を横に振る。
「これじゃ、どうしようもないわね。どうする?」
アリスがネイトにきく。
「こうするさ」
ネイトは跪かせた男たちの後頭部を全力で蹴った。男たちの顔が壁に激突する。激突の反動で彼らの後頭部が反り返ったところをまた足で蹴る。さらに奪った銃の銃把で男たちの頭部を執拗に殴りつける。男たちの鼻は潰れ、唇は裂け、顔は擦傷や裂傷で血だらけになる。ネイトは男たちが気を失うまで殴り続けた。
アリスはネイトの凄まじい暴行を冷めた目で見つめていた。暴力に対しての恐怖や嫌悪を露にすることもなく、平然とした顔で、目の前の現象をありのままになんの感情も差し挟むことなく、他人には冷酷にも思えるような視線を、男たちだけでなくネイトにも注いでいた。
男たちは完全に意識を失った。死んではいないが、意識を取り戻すには時間がかかるだろう。ネイトは額の汗を拭き、顔を上げる。アリスの視線に気がつく。
「そういう目で見るな」
ネイトはいう。
「じゃあどういう目で見ればいいの? 笑って見てろとでも?」
アリスはいい返した。
「…好きでやってるわけじゃない。こいつらと体格差があり過ぎるんだ。気絶させるにも、ここまでやらないといけない」
執拗で凄惨な暴行を加えたのは、そうしないと男たちを無力化できないからだ。ネイトの体格では、顔を一度や二度殴っただけでは成人の男を気絶させることはできないのだ。
「この男たちは何者? それと、あなたは待ち伏せがあるって気づいていたの?」
アリスはネイトに怒気を含んだ厳しい口調で尋ねた。
「俺たちを尾行してたチンピラだ。ここにくるまでに撒いたつもりだったが、俺が盗みのために外に出たときに、またつけてたらしい。待ち伏せはあるかもしれないという程度には思っていた。勘が働いたんだ」
「彼らがいきなり銃を撃ってきたら、どうするつもりだったのよ」
そういわれてネイトはにっと笑った。
「そのときは死んでるさ、あんたも俺もな。危ない場面だった。正直、かなり際どかった。だが生きてる。それでいいじゃないか」
ネイトは男たちから奪った銃や財布を上着の裏にしまった。
アリスは憤然としてなにかをいいかけるが、結局は口には出さなかった。口論をしたところでなにも有益なことがないと知っているからだ。アリスは怒ってはいるものの、さすが状況の判断は迅速だった。やはり彼女は頭が良い。
だからネイトは彼女にこう声をかけた。
「さあ、急いでここを去ろう。こいつらもそのうち意識を取り戻す。政府やAGWだけじゃない、こんなチンピラでさえ俺たちを追ってる。急いでゴトーと合流して、安全を確保するんだ」
「下層部の犯罪者たちにも私たちは追われてるの?」
「そうだ。あんたはあんた自身の首にかかってる価値を知らない。みんなあんたを狙ってる。金になるからだ」
ネイトはいう。アリスを少し脅かすつもりだったが、アリスはまったく動じていなかった。
つまらない女だ、と思いながら、ネイトは歩き出す。
「次、私を囮にしたら、そのときは政府に出頭するわ」
ネイトを追って歩き出したアリスが、ネイトの背に向かってそういった。
「俺の合図を読み取ってすぐに銃を抜いたのは、見事だった。いい連携だったと思わないか? 俺たちはいい仕事ができると思うぜ」
後ろを振り向いてネイトはアリスにいった。アリスはにこりともしなかった。氷のように冷たい顔をしている。
つまらないだけでなく、おっかない女だ、とネイトは思った。
アリスの顔を見て、ネイトは、にやりと笑った。




