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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
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40 Tommy - The Clue

 店が開いてから約二時間。多くの夜間労働者たちが盃を重ねている。工場勤めの者、警備員、配送業者、土建屋。夜間労働者といってもさまざまな業種の者が店に集っている。その中には情報屋、強請屋、盗人、麻薬密売人といった犯罪稼業の者たちが紛れ込んでいる。表向きは真っ当な労働者を装いながら。

 店に入るなり、誰が犯罪稼業の者なのかトミイにはすぐにわかった。犯罪を生業にする者には独特の仕草や独特の態度があり、独特の空気を纏っている。トミイの分類では情報屋は極めて饒舌か寡黙、強請屋は強迫観念に取りつかれて情緒が不安定、盗人は戒律的か享楽的。戒律的な盗人ほど仕事ができる。麻薬の売人は目立ちたがりでいきがっている。いまこの店にいるのは情報屋だった。カウンター席で一人酒を呷っている。

 情報屋に近づこうとする。すると店の店員がトミイの前に立つ。

「お一人様でしょうか?」

「そこのカウンター席にいきたいんだが」

 トミイはいった。いいながら店の暖簾に視線を向ける。華龍盟の紋章を堂々と掲げている。店は華龍盟の庇護下にあると宣言しているようなものだ。豪放な店主の性格が透けて見える。

 トミイが暖簾に目を向けたことで、店員の顔が変わる。またか、という顔。華龍盟の関係者が他にもきているのか、きていたのか。

「どうぞこちらへ」

 店員はそういい、トミイを席まで案内する。

 情報屋の隣に座る。自分と同じ長髪をした男。年齢はトミイよりも下に見える。派手な見た目だが、寡黙な雰囲気を持っている。

「やあ」

 トミイは情報屋に声をかけた。にこやかに、どこか狂気的な笑みで。

 情報屋はトミイを見て、どういう筋の人間か一目で理解する。なるべくトミイと関わりたくないような顔をした。

「なにか用かな?」

「用があるから声をかけたのさ」

 トミイはにっこりと笑う。店員には酒を頼んだ。即座に酒が出てくる。安っぽい造形のジョッキに注がれた、中国製の安物ビール。

「気乗りはしないが、なにかな?」

「情報を持ってないか? 昨夜からの大騒ぎを知ってるだろう。この近くに迷い込んだ、小娘を探しているんだ」

 トミイはいう。

 情報屋の顔。席へ案内をした店員と同じ顔。浮かび上がる三文字はこうだ。またか。

「なんだここは。どいつもこいつも同じ顔をしやがる」

 トミイは鼻で笑う。

 情報屋はうんざりした顔でいう。

「さっきも同じことをきかれた。どいつもこいつもその娘に狂ってやがる」

 情報屋の言葉にトミイは笑った。

「ああ、みんなその娘に一目惚れなのさ。その女を落としたくて仕方がないのさ」

「さっきもおっかない女にきかれたよ。小娘の情報をくれってな。あの赤毛の女、どこか心がぶっ壊れたような奴だった」

「で、あんたはその小娘の情報を持っているのかい?」

「情報は有料さ」

 情報屋はいう。

 トミイはリャンから渡された金をちらつかせた。

「十でどうだい?」

「倍は必要だな」

「ガセってこともあり得る」

「いいことを教えてやろう。そのおっかない女のことだ。情報を伝えると、すっ飛んでいった」

「…いいだろう、二十だ」

 トミイは男に金を渡した。どうせ自分の金ではない。足りなくなればリャンに請求をすればいいだけのことだ。

「それで、情報は?」

「夜更けにスースロフのところの馬鹿息子が、それらしき小娘とガキを見たと興奮していた。俺の友人に電話をかけてきて、そいつを呼び出そうとしていた。俺は隣でそれをきいていた」

「スースロフってのは?」

「表向きは金持ちのロシア人。複数の事業を手掛けている。本当の顔は、ここらに住むロシア人たちの取りまとめ役で、いってみればロシア人勢力の頭目だな。スースロフはインテリを気取った男だが、それだけの実力と人望がある。だが、奴の息子はどうも手癖が悪くて評判がよくない」

「それでそのスースロフの息子はどこにいる?」

「奴は俺の友人を第八地区の公営住宅が密集する地域に呼び出した。そこから先はわからんよ。親父のもとに戻ったか、それとも本当に小娘を追いかけているのか…」

「スースロフはどこに?」

「この近くのロシア人街にいる。スターリン様式を模倣したビル、その中層部に堂々と事務所を構えているよ」

「なんだ、スースロフは自分で故国の様式を取り入れた超高層建築を建てちまったのか?」

「建築物を合法的に乗っ取って、外観を自分好みに変えたんだよ。さすがに建てるだけの資力はないよ」

「どうして外人は自分たちの故国の様式を他国に持ち込みたがるのか、俺には理解できんね。郷に入っては郷に従え。その諺をまるで知らないようだ」

 トミイが嘆くようにいうと、情報屋は笑う。

「逆に俺らが彼らの故国ほどの様式を捨て去ったからだろう。この街は上に伸びるだけで伝統もなければ様式もない。ただ無機質な景色ばかりが広がる街だ。だから外人たちは自分の色を出したいのさ」

「理解できんというよりは、気に入らないというのが正直なところだな」

 トミイはいった。

「なら私の店も気に入らないっていうのかね?」

 女の声がした。声の主は、この酒場の店主であるソンだった。くたびれた中年女で、煙草を指に挟んでいる。ソンは険しい顔でトミイを見ていた。

 大昔に仕事をしたことが一度ある。あのころはこの女も節操がなかった。あちこちに情報を売り捌いていた。トミイはこの女の情報を基に動いて、最終的にドジを踏んだ。関係は拗れた。だが、華龍盟という大組織が、二人を再び繋いだ。

「やあ、邪魔してるぜ」

 トミイはあえて友好的に返事をした。

 ソンはにこりともしなかった。白髪の目立つ中年女だが、剛直な性格で知られている。組織の人間にも平然とした顔で辛辣に意見を述べる女なのだ。かつて抗争で死んだ亭主よりも黒社会の人間らしいといわれていた。年老いたが、歳月は、この女の剛毅な性格を変えることはできなかった。

「組織の飼い犬が、どういう用件でここにきたのかね?」

 非常に厳しい口調でソンはいった。

「それこそ組織の求めに従ってきただけさ。もう用事はほとんど済んだがね」

 トミイは臆さずに答えた。

「話をきいていたら、あんた、スースロフのところへ向かうつもりかい?」

 ソンの詰問にトミイは肩をすくめる。

「それが仕事だからな。なに、話をききに行くだけだ。殴り込むわけじゃない」

「その小娘はAGWの獲物だ。あんた、AGWと揉めることになるよ」

「それは承知している。組織も承知している。その上で俺に依頼がきている。俺は組織の飼い犬だからな、主人の命令には忠実に従うさ」

「馬鹿な…」

「馬鹿なもなにも、依頼主からのちゃんとした依頼だが、なにか文句でもあるのかい?」

「今回のことに関しては、組織の判断もどうかしてるよ。下手をすればAGWと抗争になりかねない」

「俺の目的は小娘を攫う。それだけだ。AGWも同じ目的で動いているだろうが、それは俺には関係がない。誰であろうと、なんであろうと、俺の邪魔をする者は、排除する」

 トミイはそれまでの愛想笑いを封じ込めて、深刻な表情と口調でソンに対していってのけた。

「どうかしてる。まともな依頼じゃないね」

「それでも金になる依頼さ。それなら俺は受ける」

「私なら手を引く。きっと抗争の火種になる。あんたのボスに、一度相談したらどうだい」

「謹んでお断りする。あんたもこういう世界にいるんだからわかるだろう? 依頼を取り消すなんてのは、簡単なことじゃないんだ」

 トミイはいう。動き出した仕事を止められるのは、屈辱に等しい。それにこの仕事のために、直接の関係がないとはいえ、もう人も殺している。

 ソンはトミイの言葉に苦い顔を浮かべた。ソンもこういう汚い仕事の依頼主になることがあったはずだ。動き始めた汚い仕事を止める。それがどういう事態に繋がるか、ソンもわかっている。

「…あたしは忠告したからね」

 ソンは捨て台詞を吐く。

 トミイは笑う。

「忠告をどうも。…それにしても、この件から手を引けとやけに熱心にいうのはなぜなんだい?」

 トミイはいった。先ほどから疑問に思っていたことを口にする。そしてソンの顔色の変化を探る。

「なにか他に理由があるんじゃないのかい?」

 トミイは問いかける。ソンの顔色に変化はない。

「抗争になって迷惑を被るのは、私らのような店なんだよ。あんたらのような始末屋にはわからんだろうがね」

「抗争を避けたいのはわかるさ。だが、この件でAGWとの抗争が起こるかなんて、実際のところまったくわからん。考えてみれば、たかが小娘一人のことだ」

 トミイは反論する。ソンは平然としている。

「この隣の情報屋によると、小娘の情報を求めてスースロフのところに向かった女がいる。さっきまでこの店にいたようだ。組織の関係者かどうかわからんが、俺の勘だとあんたがやけに手を引けというのは、この女のためじゃないのか?」

 揺さぶりをかける。あえて問いかけることはせず、推論を直接ぶつける。

 まだソンの顔に動揺はない。

「昔の義理ゆえか、恩義ゆえか、どういう理由なのかはわからん。だがあんたはその女を先にいかせて、俺のことは遠ざけようとする」

「自意識過剰だね」

「いいや、冷静な推論さ」

「あんたは私を知らない。これでも黒社会に属する人間だ。義理、恩義、仁義、そんな価値観を私が重んじるとでも?」

 ソンはトミイをせせら笑う。

 トミイもソンにあわせて笑った。

「そうだな。あんたとこれ以上討論をしても意味がない。あんたにいっておく。俺は組織の依頼をこなす。誰も邪魔はさせん。もちろん、あんたも含めてな。そしてあんたは組織の人間だ。組織に楯突くようなことはするな」

 トミイはいう。酒を飲み干す。不味くもなければ美味くもない。金を置いて、店を出ていく。ソンの横を通り過ぎる。

 ソンはまったく動じていなかった。ただし激しい敵意をトミイに向けていた。中年を過ぎた醜い女の敵意はどろどろと粘着質でありながら、熱がある。それを向けられることは恐ろしくもあり、同時にぞくぞくとした快感も覚える。

 確率でいえば九割九分。ソンは情報屋がいうところのおっかない女を先行させたがっている。その女に手を貸そうとしている。根拠は義理やら恩義やらを持ち出したこと。ああいう剛毅な人間は、口では否定しても、古臭い価値観を絶対に捨てられない。必ず義理や恩義を重んじる。

 ソンが手を貸そうとする女のことが気にかかる。何者なのか。組織が自分以外に雇った人間なのか。

 ともかくもスースロフのもとへ急ぐ必要がある。


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