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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
4/87

3 Kuroki - Assault on Arcology

 二十時間前。

 その地区に、もはや朝陽は届かなかった。数十年前から天を覆うように無数の超高層建築が建ち並び、朝陽を遮っているのである。そこは常に薄暗く、淀んだ空気が漂っていて、ときには腐った卵の匂いさえする。

 そんな地区に、猛烈な風と音を発しながら、黒々とした三機のヘリが急降下してくる。

 その地区は、AGWの勢力下にあった。下層部第十四地区と呼ばれている。

「作戦を開始しろ」

 ヘリの機内で、作戦を統括する内務省審議官のクロキは、他の二機及び地上に展開する部隊に指示を出した。

 ヘリ二機が先行する。目標は正面の建物。築半世紀が経過してなお、正常に稼働する環境建築。その三十階に多数の熱源反応がある。AGWの会合が開かれていたのだ。そこに猛烈な射撃を放つ。

 それを合図に、地上の部隊も、環境建築目がけて突入を開始した。

 猛烈な銃声が街区に響き渡る。

「与えられた時間は四十分だ。それまでに、制圧しろ」

 クロキは各位にそう伝達する。四十分を越えると、おそらく別の地区からAGWの増援が到着し、反撃が始まるからだ。こちらの被害を出さぬためにも、四十分以内に作戦を終えねばならない。

 環境建築内部に突入した部隊が敵との交戦を開始したと連絡が入る。目標とするAGWの幹部たちの姿はまだ確認できていないという。

 数日前、AGWに潜伏させた情報員から、今日の会合の情報が届いた。五名の幹部が出席し、首領であるウガキも顔を見せるかもしれないということだった。

 会合の内容は不明だが、幹部たちを一掃できる千載一遇の機会だった。クロキはなんとしてもこの機会にウガキたちを抹殺したかった。

 クロキはウガキとの闘争の月日を思った。

 ウガキとの闘争は、もう十七年になる。

 十七年前の若き日には眉目秀麗と称えられたクロキの顔にも、疲弊と労苦の象徴のような深い皺が刻まれている。

 あの男を消すことが、自分に与えられた使命だ、とクロキは思っていた。長く、果てがないように思われた闘争を、今日で終わらせたかった。

 ヘリにはモニターが設置されていて、兵士が装着しているカメラの映像が流れ、戦況を確認することができた。

 祈るような気持ちで、クロキはモニターを見つめた。


 環境建築が激しく揺れる。ガラスというガラスがことごとく砕け散る。

 三十階から三十三階にかけて配された三層吹抜の大ホールは、すでに瓦礫の山と化している。

 部下に導かれ、ウガキは政府の部隊から逃れていた。

 すでに政府の部隊は、突入を開始し、一階でウガキの部下たちと交戦していた。

 ヘリからの銃撃で、数名の護衛、それから一名の幹部が傷を負っている。死人が出なかったのは幸運というしかない。環境建築の倒壊を恐れ、政府の連中はミサイルを使用しなかった。もしミサイル弾を撃ち込まれていれば、間違いなく数名は死んでいただろう。

 ヘリからの銃撃が止まる。ヘリのハッチが開き、政府の兵士たちが室内に乗り込んでくる。連中の兵装は正規部隊のそれと明らかに異なっていた。特殊作戦用の部隊。

 戦力差を冷静に検討する。政府部隊は、二十名弱。こちらは三名の幹部、九名の護衛、しかも数名は手負いだ。圧倒的な不利であることは明らかだ。

 だが、増援が到着すれば、状況は変わる。ここは曲がりなりにも自分たちの勢力下であり、この襲撃をききつけ、警邏中の部隊が駆けつけるだろう。その時間はおそらく三十分。三十分を耐え抜き、増援の部隊と合流すれば、ウガキたちの勝ちだ。

「敵を近づけるな。エレベーター付近に陣取り、増援を待つ。三十分を耐え抜け」

 ウガキはいった。

 迫りくる敵に威嚇射撃を行いつつ、エレベータホールへ移動する。物陰を利用し、銃撃する。機関銃からの乱射を前にして、敵も安易には接近できない。

 襲撃開始から十五分近くが過ぎた。あと十五分。手負いの護衛や幹部たちだけで、あと十五分を乗り切れるか。

 エレベーター、ないしは、その隣の非常階段でいますぐにも下へ降りるべきではないか、という考えがちらつく。だが、エレベーターに乗り込めば、エレベーターごと銃撃で蜂の巣にされる恐れがある。階段で逃げるのも、手負いの部下がいては、逃げ切れる可能性は低い。となれば、ここで持久戦を行い、増援を待つのが得策といえる。もっとも、増援の到着が遅れれば、政府の特殊部隊に自分たちは一人残らず撃ち殺されているだろう。

 そんな逡巡をしているときに、エレベーターが動き出す。上昇を始めている。エレベーターに乗り込んでいるのは、敵か味方か。敵の部隊が現れれば、そのとき、ウガキの死は決まったといえる。

 ウガキは不敵な笑いを浮かべた。自分の生死の審判を、上昇と下降を繰り返すだけの鉄の箱が演出しているのだ。敵味方が激しく銃撃を繰り返す緊迫した状況下にありながら、泰然としてその状況を嘲笑う。

 その表情を見た者は、敵も味方も、誰もが狂気を感じるに違いない。

 エレベーターが間もなくウガキたちのいる階に到着する。扉が開く。開かれた扉からは銃口が真っ先に見える。

 敵か味方か。

 訪れるのは、生か死か。

 ウガキは銃を構えた。

「撃つな」

 女の声だった。女もウガキを視認する。撃つなと女は叫ぶが、ウガキも女も銃を構えたままだった。

「味方だ」

 女はいう。服装はこちら側のものだ。軍帽の下から覗く髪が赤い。

 女を先頭に味方の兵士たちが続々とエレベーターから降りてくる。他のエレベーターも到着し、そこからも味方が出てくる。

「名は?」

 ウガキは女に声をかけた。

「エマ。一階の部隊を引きつれてきました」

「状況は?」

「一階はなおも交戦中。状況は五分五分。現在十数名がこちらの救援に回ったため、他からの増援がないと、そのうちに一階は不利になります」

「こちらは見てわかるだろうが、圧倒的不利だ。手負いの者もいる。相手は政府の特殊部隊だ」

「ここからどのように動きますか?」

「階段を使って下まで降りる。牽制しつつ、徐々に撤退。負傷者を優先させろ」

「私が先導します」

「任せよう」

 エマが配下の兵士たちに、ウガキの指示を説明する。各員隊形を組み、撤退を始める。

 ウガキはエマのあとに続き、非常階段を降りてゆく。たびたび上から激しい銃声がきこえた。ウガキは振り返ることなく、一階へ向かった。

 一階の大ホールも、すでに銃撃戦で瓦礫の山と化している。反政府組織の兵士たちが、机や椅子、ソファなどを持ち出し、即席の遮蔽物を作り、敵と応戦していた。

 お決まりの市街戦の風景だ。

 散発的に鳴る銃声は、ウガキを興醒めさせる。ウガキが欲するのは、とめどなく降る雨のような銃声であり、血を血で洗う泥沼の戦闘だった。いま眼前に顕在しているこの景色は、ウガキが真に欲するものではない。

 敵と味方の中間地点に、死体が転がっているのが見える。死体は額を撃ち抜かれて仰向けになって倒れていて、血が流れ尽くしたあとの額の穴、そして見開かれたままの逆さの目が、ウガキを見つめている。

 醜く歪んだ顔をした仲間の死体を見て、ウガキは少しだけ興奮を覚えた。命が惨たらしく消し飛ぶのを見て、自分の生を実感する。

「建物外部からの増援はいつ到着できる?」

 ウガキは側近のスギヤマに問いかけた。スギヤマは手負いの部下を手当てしたせいか、全身が血で染まっていた。

「もう間もなくかと思われます」

 スギヤマはいう。

「幹部、負傷者を中心に先に撤退する。政府の連中は、外からこちらの増援が到着すれば、撤退を始めるだろう」

「やつらは本当にそう動くでしょうか?」

「俺たち幹部の殺害という目標を失敗した以上、交戦を続ける必要性がない。それに、連中は増援まで対応しきれるような兵力ではないはずだ」

「わかりました。この下の階にある連絡通路から、いまは使われていない高速鉄道の線路を伝い、こちらの勢力圏まで脱出しましょう」

 ウガキは、戦場を見つめた。

 瓦礫の山に身を隠しながら、先ほどの女兵士が、涼しげな顔で、敵方への射撃を行っている。

「あの女兵士に先導させろ。なかなかどうして、見事なポイントマンぶりだった」

「もとは最下層の闇市場やスラムでごろつきども相手に暴れ回っていた女です。腕っぷしは保証します」

「軍の訓練は受けているのか?」

「我々の部隊に入り、正式な訓練を受けています」 

「純然たる、我々の兵士ということか」

 ウガキはいった。ウガキ率いるAGWには、元政府の軍人も多かった。ウガキ自身も、政府の部隊に所属していた過去がある。こちらの訓練のみを受けて育った兵士がいるということは、それだけ闘争が長期に渡ること、そして組織が拡大をしていることの証明といえるかもしれなかった。

ウガキと幹部、そして護衛役の兵士たちは撤退した。

膠着化した戦場では、硝煙と粉塵が立ち上る中、延々と銃声が鳴り響いている。


 クロキはモニターから目を離した。

 目標を見失ったとの報告が、無線機を通じてクロキの耳に届く。

 クロキは肩を落とした。作戦は失敗したのだ。

 ヘリに同乗していた、実働部隊の指揮官であるフジイ大佐が、クロキを励ます。

「まだ次はあります。幸いなことに、こちら側に死者は出ていません」

「一思いにミサイルで連中を吹き飛ばせばよかったかな」

 暗い声で、クロキは皮肉をいった。

「あの環境建築内には、民間人もいたでしょう。また、爆撃は周辺への被害も避けられません。最初の銃撃を回避した連中が、幸運だっただけです」

 フジイは落ち着いた声のままで、そう答えた。

「撤収の指示を。もうすぐ、反政府の増援が到着するだろう」

 クロキはいい、フジイは頷いた。すぐさま無線で指示を飛ばした。各部隊が撤収を開始する。

 クロキの乗るヘリも上昇する。

 クロキは外を見つめた。撤退を始める政府の部隊の数ブロック先には、AGWの部隊が、救援として環境建築に向かっていた。

 無線からは負傷者の情報や撤収作業の状況について、続々と連絡が入ってくる。そうした無線に、フジイが淡々とした声で応答し、指示を出す。

 クロキは席に座り込み、両手で顔を覆いながら、考え込んでいる。

 セガワ内務大臣に、作戦の結果について報告をしなければならなかった。

 

 逃げ出した環境建築から、夥しい量の煙が立つのが見えた。煙の中にやがて焔が生まれ、焔はマトリクスを走る電子のごとく垂直に鮮やかな線を結ぶ。高層建築の東端に、何十階にも渡る垂直な炎の線が刻まれ、火の粉が風に乗り煙とともに空を舞い、閉塞された都市の空気をさらにもまして汚染していく。

 避難先の廃棄された高架高速鉄道の駅舎で、ウガキは部下たちをまとめ、会議を開いた。東欧の鉄道駅舎を真似た造りで、プラットホームは広大だった。

 ウガキと行動を共にしていた以外の幹部も、無線にて会議の内容を傍受している。

「組織の中に、情報を漏らした犬がいる。今日の会合を知りえたのは、せいぜい幹部連中だけだ。幹部か、幹部に近い人間を探る。犬は必ず見つけ出し、処分する」

 幹部を前に、ウガキは落ち着き払った声で宣言する。幹部たちの表情に緊張が走った。

「今日の情報を喋った人間を、すべて調べることだ。近しい者でも、裏切るときは裏切るものだ。わかったか?」

 ウガキの問いかけに、幹部たちは一様に承知したと口にする。

「犬の話はここまでだ。被害の報告を」

 ウガキは側近のスギヤマに目を向けた。スギヤマは頷いて、席を立ち、口を開く。

「負傷者が約五十名、建物一階を守っていた部隊から、死者が八名出ております。人的損害はもとより、二か月前にわれわれが多大な労力をかけて制圧したあの環境建築が、今回の襲撃で使いものにならなくなったという点、これが一番の被害といえます」

 ウガキたちが逃げ出した環境建築は、一つの巨大な建築物内で生産と消費活動が完結できるほどのさまざまな設備が整う、都市の超高層化の黎明期に建築され現在もなお稼働を続けるかつての行政拠点だった。

 領域が限定され、垂直方向にのみ成長する都市において、何百何千と建つ環境建築は、それぞれが地域の拠点たりえる存在であり、それの奪取と制圧は重要な意味を持つ。

二か月前の制圧以来、ウガキたちAGWは拠点化を行っていたが、今回の襲撃で環境建築は火の海となってしまった。AGW側で消火作業が始まり、数時間内に火は収まるにしろ、今後拠点としては使いものにならないだろう。

「数百棟あるうちの一棟を失っただけだ。たいした損害ではない」

 ウガキは今回の拠点の失陥を、そういい切る。AGWは都市の東部を制圧し、数にして数百棟の環境建築を占拠制圧している。

「だが、連中への報復は必要だ。こちらが出した死者の分だけの報復はしなければならん」

 幹部たちは、その通りだと口を揃えていう。

「民間人の被害はどうなっている?」

「数名の民間人、といってもあの環境建築に居ついていた浮浪者ですが、死傷者が出ています」

 スギヤマがいう。

「スギヤマ、ハタ」

 ウガキは二名の側近に目を向ける。

「報復の案を検討しろ。政府の連中に、痛撃を与えてやるのだ。それから、その浮浪者の死を上手く使え。民衆に政府への怨念を喚起させるのだ」

 ウガキの言葉にスギヤマとハタは、承知したと答える。

「私からの指示は以上だ。他に議題は?」

 ウガキはいう。幹部や出席者からは、さまざまな議題が寄せられ、長い時間をかけ議論をしていく。占拠した地区の統治、部隊の統制など、議題が尽きることはない。

 ウガキは部下たちの議論にあまり深入りをしない。元軍人という気質のためか、議論の過程よりも議論の結論とその議論を踏まえどのように決断するかが重要だと考えている。そのため、部下たちには好きなように議論をさせている。

 たまたま支配下にある地域の治安が議題になった際、ウガキの興味を引く話があった。ウガキたちが政府の襲撃にあっているころ、物資庫の一つが何者かに荒らされたという。

「物資庫を荒らしたのは、どういう連中だ?」

 ウガキは、治安担当のニノミヤに尋ねた。

「襲撃された兵士たちの証言では、十代前半から半ばの少年少女の集まりだそうです。全員が武装し、ある種の強盗団のような存在です。報告によれば、我々だけでなく、政府側にも盗みを行っているようです」

「食糧や武器を盗まれたが、人的な被害は出ていない」

「はい。襲撃された兵士は全員縄で縛られておりましたが、死人は出ていません。政府の襲撃で我々の警備が手薄になったのを見計らった上での行動です」

「子どもながら、鮮やかな手並みだ。何者だ? 手がかりは?」

「素性については、最下層部を根城にする手合いとしかいまのところは。ただ、少年たちの風貌は掴んでおります。それから、連中の首領は、仲間から鳩の大将と呼ばれていたそうです。兵士がそう証言していました」

「それが手がかりだ。最下層の闇市場で情報を流してみろ。口の軽い浮浪者が、連中の情報を喋るだろう」

「はい、そう指示します」

「なかなか興味深い連中だ。捕獲したなら、顔だけでも見てみたい」

「迅速に対処致します」

「抵抗するなら容赦なく殺せ。それから、あの女兵士はいるか?」

 ウガキは声を上げ、部下たちを見回した。

 数十名の部下を押しわけて、あの赤毛の女兵士がウガキの前に出てきた。

「お呼びでしょうか?」

 落ち着き払った声で女はいう。

「お前、最下層の闇市場で暴れ回っていたらしいな?」

「軍に入る前までは」

「そのころの人脈は生きているか?」

「多少は」

「お前に任務をやろう。詳細はニノミヤからきけ。ガキどもの捜索だ。見つけたら、捕らえろ。抵抗すれば容赦なく殺せ」

「わかりました」

「なら、さっそく捜索にかかれ」

「すぐにでも。ところで、私の名前はエマです」

「エマか。覚えておこう。お前には、先ほど命を救われたようなものだからな」

 ウガキは笑顔を見せて口ではそういうが、すでにエマには興味を失っていて、もう下がっていいと手を振った。

 エマが背中を向けるころには、ウガキはもう強盗団のことさえ興味を失っていた。幹部たちと他に議論をすべきことが山積していたのだ。


【注釈】


環境建築:”Arcology”のこと。建築家パオロ・ソレリの考え出した造語で、建築と生態学を掛け合わしたもの。都市のスプロール化を解消する考えとして提唱され、狭義には多くの人口を収容しながらもその生産と消費が自己完結可能な建築物を指す。環境建築という翻訳は、ギブスンの「ニューロマンサー」内で使われた"Arcology"の翻訳に従っている。

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