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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
38/87

36 Nate, Alice - Looking for Gotoh

「ゴトーという男がいる。闇市場の商人だ。そいつなら頼りになる」

 ネイトはいった。

「商人? 具体的にはなにをしているの?」

「情報の仲介、資金洗浄、物資の密輸」

 ゴトーはヤマを踏む人間を繋ぎあわせる。ヤマを踏むのに必要な情報を揃える。ヤマを踏んで得た金を洗浄し、物資がある場合は金に換えるか、物資を外国へ吐き出す。いわば犯罪の後方支援に当たって金を稼ぎ、権力を増大させている。狡猾で抜け目なく、かつ信用と信頼がなければ務まらない稼業をしている。

 ネイトはゴトーの世話になっていた。それまでヤマを踏んで盗んだ物資はすべてゴトーに金に換えてもらっていた。一方のゴトーもネイトに何度か頼みごとをしたことがある。別のヤマで必要な資源を、ネイトが調達したことがあった。

 あのときの貸し借りの関係がまだ生きているのなら、ゴトーはネイトに協力をするだろう。ゴトーは警戒心が強い。他人から信頼はされても、彼が他人を信用することはない。いつも取引の際には代理人を立てていた。そういう用心深い性格の男だから、セーフハウスを複数所有していてもおかしくはなかった。さらには、ゴトーはAGWを嫌ってさえいる。

 ネイトはアリスにネイトが知っている限りのゴトーの人となりを伝えた。

「どういう人なのかはわかったけど、それでも信用できるのかしら?」

「俺が知る人間で、現状もっとも頼りにできるのはそいつだけだ。あとは取るに足らない奴らばかりだ」

「どうして彼はAGWを嫌っているの?」

 アリスが問いかけてくるが、ネイトは首を横に振った。

「詳しくは知らない。だが奴の経歴が手がかりになるかもしれない。奴は元政府の官僚だ。AGWと敵対する立場にあった」

「元官僚ってこと? そんな人が、いまは故買人とはね」

 アリスが嘆息する。

「大臣令嬢ともなれば、そういう輩は容認できないか?」

「いいえ。こういう混沌とした時代だもの、政府の職を辞して、非合法な世界に潜るのも生き方の一つね。AGWの人間たちだって、元政府の軍人がたくさんいるときいているわ。実際、司令官のウガキは元軍人だときくし」

「AGWも裏社会も、そういう奴らはごまんといる。金は稼げる。命の危険はあるが、こういう時代だ、政府の側についていても命の危険は同じくらいだ。だから非合法な組織への人の流入が止まらない」

「知ってた? かつての中南米の麻薬カルテルは、政府軍人、警察関係者を積極的に買収し、そして組織に雇い入れたの。さらには中南米に影響力を持ちたい外国の諜報機関とも提携し、支援を受けていた。そうすることでカルテルは軍隊並みの力を手に入れ、一般の国民も巻き込んで政府と血みどろの闘争を繰り広げた」

「まるでいまのこの国と同じだな」

「そう、歴史は繰り返すってわけ。AGWも政府の軍人をどんどん雇い入れている。それだけじゃない。中国やロシアの援助も受ければ、麻薬取引も行っている」

 少なくともウガキという男は歴史を知っている。その歴史がいかに凄惨で、悲惨で、大多数の人間からすれば繰り返したくないものであったとしても、それを自身の組織運営に活かすことで勢力を拡大し、政府と真っ向から対立することができている。なんの援助もなしに政府と対抗できる組織は稀だ。AGWはその点狡猾で、いまだ他国に自身の影響力を及ぼしたいという膨張主義の夢を見続けている中露から支援を取りつけることで、内戦が本格化する以前の段階から資金と物資を整えていたのだ。

 ウガキ以外にも歴史をよく知っている人間は多くいる。また、歴史を知らずとも、この時代の空気を敏感に読み取り、血塗れの栄誉と富裕を求めて非合法の世界に潜る人間は無数にいるのだ。それが理に適う時代になってしまった。

 アリスの落ち着き払った表情の下では、嘆かわしいという思いと仕方がないという思いがぶつかりあっている。

「ゴトーもある意味で理に適った生き方をしている。それに頭は切れる。その点、あんたとは話があうと思う」

 ネイトはいった。アリスと話せば話すほど、この女の知的水準の高さがわかってくる。洞察力の高さもさることながら、哲学や歴史の話をやたらと会話の節々に盛り込む癖や知的ないい回しは、学問を修めた人間にしかできないものだ。ともすれば衒学的で頭でっかちな人柄に思えるが、冷静沈着でいて品のある態度も手伝って不思議と嫌味はなかった。ただなんとなくではあるが、アリスは自分が愛するものの話になると、語り口が熱っぽくなるのをネイトは感じていた。おそらく自分と同じ程度の教養や知性を持った人間を前にすると、彼女は会話に熱中してしまう性格なのだろう。 

「そのゴトーという人には、どうやって会うの? 代理人を寄越すくらいに用心深いのなら、私たちと直接会ってくれるのかしら?」

「それが厄介なところだ。だが俺は奴と取引をする予定があった。俺がドジを踏んだせいでなくなった取引だが、それをネタに使うことはできる」

「彼に連絡は取れるの?」

「それができる場所は知っている。第三地区の臨海部だ」

 ネイトたちがAGWに捕らえられた臨海部の施設、そこからほど近い場所にある市場に、ゴトーは拠点の一つを置いていた。

「…第三地区、前線の近くだわ」

「ああ、だが事実上の緩衝地帯だ。犯罪窟にもなってる。潜り込んでしまえば、追跡の手も少しは緩む」

「ただそこに辿り着くまでが問題だわ。ここから距離もある。追っ手もいる。これという移動手段もない」

「何時間かかってでも辿り着くさ。移動手段がなければ、盗めばいい」

 第三地区はここから北東。歩いて向かえば半日はかかる距離だ。いくつもの検問を潜り抜ける必要も出てくるだろう。

「簡単にいってくれるわね」

 アリスは呆れ顔でいう。

「事態を難しく考えるな。どの道やるしかないなら、腹を括るしかない」

 ネイトはいった。頭の切れる者はすぐ悲観的になるからいけない。

「こちらに利点もある。まず追っ手は俺たちの目的地を知らない。だから捜索も検問も都市全域に広がるせいで逆に手薄になる。それから政府領域に忍び込むにあたって、俺は検問の位置やその対処法を事前に教えられた。いまの時点でどこまでその知識が通用するかわからないが、それでもないよりはましだろう」

 アリスは腰に手を当てて、ため息をつく。

「…わかったわ。あなたの腕を信用する。とにかく第三地区へ向かいましょう」

「その前に、一つききたいことがある」

 ネイトがそう切り出す。

「なにかしら?」

 アリスはネイトを見つめる。

「どうして俺に手助けを? 俺を見捨てることだってできたはずだ。あんたは頭がいい。慈善の精神でこんなことをしているわけじゃない。なにか考えがあるはずだ」

 ネイトもアリスをじっと見つめ、そういった。

「…そうね。考えがあるのは間違いないわ。でもここで説明するには時間がかかり過ぎる。もう少し安全な場所まで辿り着いたとき、教えるわ」

「…もし俺があんたなら、俺のような奴は見捨てただろう」

 ネイトは暗い顔をして呟く。

「考えがあってのことよ。でもそれがなくとも、苦境にある人に手を差し伸べたくなるのは人間の自然な感情よ」

 アリスの声が少しだけ柔らかく優しくなった。

「あなたは人間の善性にもう少しばかり信頼を置いてもいいと思うわ」

 アリスはネイトの肩に手を置いて、そういった。

 それは都市下層部を生きたことがない者の言葉でしかない、下層部に生きていれば人間の善性などまったく期待できなくなる。そう食ってかかろうとする気持ちを、ネイトはなんとか押さえ込んだ。アリスが善意でそういっているのはわかっていたからだ。素直にアリスの言葉を受け入れることもできなければ、露骨に否定することもできず、芋虫を潰したような顔で突っ立っているしかなかった。

「どうしたの? ききたいことはきけたのかしら?」

 アリスはネイトの苦い表情を見て、きいてきた。

「…あんたにききたいことはたくさんある。だが、いまはいい。それよりここから移動を始めよう」

 ネイトはいった。

 アリスも頷く。

 二人は扉を開けて備品室を出ると、下の階へ向かうエレベーターに乗り込んだ。作業着を着込んだ二人の姿が、エレベーターの中の鏡に映り込む。少し服のサイズが大きかったが、逆にそれが二人の細い体格をごまかす意味でちょうどよかった。

 アリスは服に染みついた臭いに、まだ慣れていないようだった。

 エレベーターの扉が開く。ホールに出る。そのままアリスが建物の外を目指して歩き出そうとする。

「待て」

 ネイトはアリスを制止した。アリスの腕を掴み、引き寄せて、建築物を支える巨大な柱の陰に二人で身を隠した。

 ネイトは建物の外から誰かが入ってくるのが見えていたのだ。二重三重に設けられた入口の扉が開かれていく。

 女が建物に入ってきた。髪は輝くような赤毛。そして凶暴な目。

 ネイトは息を呑んだ。アリスも目を見開く。

 女、それは間違いなくエマだった。エマが入口からまっすぐにこちらへ向かって歩いてくる。

 二人の跡をつけていたのか、それとも二人の場所をもう特定していたのか。とっさに推測してみるが、確たることはわからない。

 アリスが銃を抜く。アリスもエマが敵であることを認識している。

 エマをやり過ごすことができなければ、不意打ちをするしかこの場を切り抜ける方法はないだろう。ネイトはそう判断した。

 柱の陰からエマの様子を確認する。エマは靴音を立てぬよう、静かに歩いている。動作は自然で、歩みはゆったりとしている。自然な表情を装いながら、視線をあちこちに向けている。慎重に周囲を確認しているのが窺えた。

 アリスが両手で銃を握る。彼女の顔が強張る。

 エマは二人が身を隠す柱のすぐ近くまできていた。

 やり過ごすべきか、それとも不意打ちをかけるべきか。こちらは二人で、銃もある。

 ネイトはアリスの顔を一瞬見た。緊張で研ぎ澄まされた刃のように鋭くなった表情。ネイトは彼女の銃を握る手を掴んだ。アリスの手を引いて、エマの死角に移動する。

 二人と柱を挟んでもっとも距離が近づいたところで、エマが歩みを止める。わずか一瞬のことだった。だが二人には無限に長い時間に思えた。

 エマが歩き始める。エマはエレベーターホールに向かうのではなく、階段室に向かった。一瞬立ち止まったのはどちらかを選ぶのに逡巡したためか。

 エマの姿が視界から消える。

 十秒待った。エマが戻ってくる気配はない。

 ネイトは天井を見上げ、安堵のため息をつく。

 アリスも冷静な顔ではあったが、静かに息を吐く。

 二人は見つめあう。語るべきことは山ほどあったが、ここでそれをするわけにはいかない。早くこの建物を出て、脅威から遠ざかる必要がある。二人はそれがわかっていた。互いの視線がぶつかる。互いの意思がわかる。

 二人は建物を出た。


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