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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
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32 Nate - Your Plan

 身動きができなくなった。頬を銃弾が掠め、頬から血が流れ出るのを感じる。女の手の位置がもう少しずれていれば、銃弾は頬を貫くどころか脳髄まで貫き、ネイトの命を奪ったことだろう。

 想像を巡らせてぞっとした。力がまるで入らなくなる。

 この女は威嚇で撃ったのか、それとも本気で撃ったのか。本気だったに違いないとネイトは思った。なぜなら女の目はネイトへの憎悪に燃えていたからだ。女はネイトと同じく憎悪に身を委ねていたからだ。

 ネイトが着る上着の持ち主だという友人の男がそれほどまでに大切だったのか。アリス自身が語るように友人とも知人ともいえないくらいの関係性の男のために、どうしてそこまで怒るのだ。ネイトは訝しんだ。そして酷薄な言葉をもう一度吐こうとしたが、結局はできなかった。レナの姿が頭の中に浮かんだからだ。自分だって犯罪で繋がった仲間のために愚を犯している。真の職業的犯罪者ならばこんな愚行はしないものだ。真の職業的犯罪者は危険が迫れば、面倒なかかわりは一切断ち切り、姿を完全に消し去る。それは犯罪に生きる者の掟といっていい。情や仁義を行動原理とせず、仲間も家族も見捨て、保身を完徹する。ネイト自身それを果たすことができず、情に流されておきながら、それでどうしてアリスの情動を痛罵できるというのか。

 ましてやこの失態。銃を再び奪われ、額に突きつけられている。

 互いの顔が近い。互いの白い吐息が混ざりあうくらいだ。

 都市の底。薄汚れた通りの上で、二人はもがきあっている。正確には、もがきあっていたというのが正しい。ネイトはアリスに馬乗りになっていたが、銃を奪われた上にそれを突きつけられ、形成は逆転していた。

「あなたの手、病気かなにかなの?」

 アリスがネイトに尋ねた。

 ネイトは返事をしなかった。

「自分の意思がまるで伝わってないような、それどころか拒否反応のように震えている。まるで病気のよう」

 アリスが分析じみた言葉をいう。

「うるさい」

 苛立ったネイトはそういった。

「それは図星ってことかしら。あまりに正し過ぎる指摘を、人は往々にして苛立ちとともに遮るものだわ」

「うるさい、黙れ」

「黙らないわ。あなたを心配しているのよ」

「なんだって?」

 思わずネイトはそういった。

「あなたを心配している。自分の手をよく見つめなさい。そしてそれがどれほど異常な動きをしているかを見つめなさい。なにかの病気のようにしか、私には思えない」

「余計なお世話だ」

 ネイトは吐き捨てた。

「…相手が病んでいる人間ならば、憎しみも和らぐ」

 アリスは呟く。アリスの目線は一瞬ネイトが着る上着に移った。

「俺たちはお互い憎しみを燃やしているわけだ」

 ネイトはアリスの思いを察して、顔を歪め、皮肉な笑みを浮かべた。

「あなたはなぜ私を憎むの?」

「…お前が俺たちの災いの源、不幸の元凶だからだ。お前の存在が、俺の仲間の命を奪ったんだ」

 覚え込んだ呪文のように、言葉がつらつらと出てくる。自分の言葉ではないような気さえする。

「とても抽象的ね。私には憎まれる覚えも、あなたの仲間の命を奪った覚えもないわ」

「行為の問題じゃない、存在の問題だ。お前の存在が、俺たちにとっての災いを呼ぶんだ」

「存在そのものを災厄や悪と決めつけるのは乱暴よ。あなたやあなたの仲間になにがあったというの?」

「AGWに仲間を人質にされた。お前を誘拐して引き渡さなければその仲間は殺すといわれている」

「仲間の命を奪ったというのは?」

「すでに仲間の何人かは奴らに殺されている。身柄を拘束されるとき、反抗したせいだ」

「…ろくでもない連中ね」

 アリスは露骨に嫌悪の表情を示した。

「ああ、そのろくでもない連中に仲間の一人がまだ人質にされている」

「私を捕まえて、引き渡すというのね」

「そうだ」

「でも私が拒否をすればどうするつもりなの? 状況は変化した。銃は私の手にある。あなたと違い、私はあなたを撃てる」

 淡々とアリスはいってのけた。銃を握る彼女の手にはなんの震えもなかった。銃口はネイトの額をしっかりと捉えている。

 ネイトは笑ってみせた。

「撃てばいいさ」

「えっ?」

「俺を殺せばいい。そうすれば、少なくとも仲間を見捨てたことにはならない。仲間のために死んだことになる」

「あなた、死にたいっていうの?」

「そういうわけじゃない。だが、気力が失せている」

 手になんの力も入らなかった。じんわりとした頬の痛みが徐々にひどくなってきている。掠った程度と思っていた傷は、意外に深かったらしい。

「私を引き渡したところで、AGWの連中はあなたやあなたの仲間を無事に解放するかしら?」

「…その保証はどこにもない」

「私を引き渡したら、あなたたちの利用価値はなくなる。利用価値のないものは処分する。私が連中ならそう考える」

「約束を反故にして、俺たちも殺すというのか?」

「そういう約束があったのかさえ、私は疑うけれど」

 アリスがそういうと、ネイトは言葉に詰まった。約束など存在しない。存在したのはアリスを攫えという強制だけだ。

「あなたも薄々勘づいているんじゃない? AGWが約束を守るような連中ではないと」

 またしてもネイトは言葉に詰まる。

「ほら、あなたも勘づいている。私を連中に引き渡しても、あなたも消されるだけよ」

「だが、仲間がいる。あいつを見捨てるわけにいかない」

 レナの姿が脳裏を過る。自分を見つめるレナの目、レナの涙を思い出す。

「…仲間の命が助かればいいわけね」

 アリスが不意にそういった。

 ネイトはアリスを見つめた。

「どういうことだ?」

「つまりあなたは仲間を救うためにAGWに利用されている。仲間の命が助かれば、あなたはAGWに利用される必要はない。そういうことでしょう?」

 アリスもネイトを見つめ返した。

「なにを考えている?」

「もし私があなたの仲間を救う手立てを用意したなら、あなたはどうする?」

 人の心を射抜くような力強い目。彼女の目の虹彩は複雑な模様をしていて、燃え滾る炎を思わせる。

「馬鹿な。そんな手立てなど、あるわけがない」

 ネイトはすぐさま否定の言葉を吐いた。悪趣味な冗談だとしか思えなかった。

 だがアリスの目と表情は真剣そのものだった。

「手立てはあるわ。あなたがそれに乗るかどうかが問題だけど」

 アリスと目をあわせる。そしてすぐに目を逸らす。考えを巡らせる。冷静さと思考の冴えを蘇らせようとする。またアリスと目をあわせる。

 早く答えを出せ。

 冷たく凍った、それでいて強烈な意志を感じさせるアリスの目がそう語っていた。

「策を教えろ」

 ネイトはいった。


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