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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第2部 逃走
31/87

29 Tommy - Organized Crime Associate

 街が荒れ狂っている。

 リャンはそういっていたが、トミイにとってはどうでもいいことのように思えた。AGWの奇襲、政府の逆攻勢、政府中枢でのテロ事件、AGW幹部への襲撃。ここ数時間で大きな事件が立て続けに起きている。リャンのいわんとすることはわかる。だが、トミイには、街の状況を気にするよりも先にやるべきことがあった。トミイは掌に包み込んでいた錠剤を口に放り込んで噛み砕いた。錠剤の効力が現れるのを待つ。錠剤はトミイをハイにする。頭にこびりついて離れない痛みをかき消してくれる。多幸感をもって仕事に臨める。神と精霊が身近にあると感じることができ、彼らの加護を確信する。

 自然と鼻歌を歌っていた。ベートーヴェンの歓喜の歌を歌いながら、鼠が走り、埃が堆積した共用階段を上っていく。

 同伴するフェイがトミイの姿を見てぞっとしている。これから仕事だというのに、緊張感のないトミイの姿に呆然とした目をする。トミイからすれば所詮このフェイという男は三下、半端者、組織が派遣した立ち合い人に過ぎない。フェイからどう見られようが思われようが、気にすることはなかった。

 黒社会の人間も、リャンやフェイのような人間ばかりになった。汚い仕事や暴力沙汰は人に任せて、自分は立ち会うだけ、もしくは報告を受けるだけ。役所にいる人間のようになってしまった。

 亡霊が住み着いていてもおかしくはないほど汚らしく、古びた共同住宅であった。それでも五十階ほどの高さがある。各階の戸数は十戸だが、空き部屋も多く、鼠だけでなく浮浪者も潜り込んでいる気配がある。また、一部の傍若無人な住人たちが、空き部屋を自分の部屋のように利用しているようだ。

 目的の階まで階段を上り切った。歓喜の歌は歌い切り、次は威風堂々を歌いながら、部屋の扉の前に立つ。

 フェイに手で合図を送った。ここで見張りをしろと合図する。フェイは頷いた。

 錠剤が陶酔と高揚の二つをトミイに与える。仕事を始めるにあたっては最高の状態だ。

 幸福感に浸りながら、人を殺せる。

 トミイは扉に向かって銃を発砲した。扉の鍵の部分を散弾で破壊すると、扉を蹴破って中へ突入した。

 部屋から悲鳴がきこえる。近いところにある部屋からトミイは確かめていく。間取りからして部屋は三つ。まずは主寝室。誰もいない。上着が脱ぎっぱなしのまま床に置かれている。次は二つの子ども部屋。そこにも人はいない。リビングも無人だ。テレビはついたままだ。浴室の周辺も探したがいない。

 威風堂々を歌い終わる。次はドボルザークの新世界だ。

 トミイは気づいた。この家は納戸が多い。人が入り込める広さがある。リビングに設けられた納戸の扉を開けた。

 正解だった。

 下着姿の中年女に、子どもが二人、体を震わせながら隠れていた。三人は窮屈そうにしている。

 トミイは彼らを見つけて微笑んだ。女の髪を掴んで壁に叩きつけた。子どもたちの頬にも拳を叩き込んだ。三人は一瞬で気絶した。

 だがこの三人では不十分だ。肝心の家主がいない。

「トミイ」

 フェイの叫び声がした。その直後に、銃声が鳴り響く。銃の撃ちあいが始まった。

 トミイはフェイのもとへ向かった。

 銃を構ながら、慎重に玄関から廊下の様子を窺った。

 腹を撃ち抜かれて赤い花を咲かせ、フェイが床に倒れ込んでいた。

 廊下の端で、火花が散る。トミイはすぐに体を引っ込めた。でたらめな銃撃。家主が拳銃を乱射している。

「ウォン」

 トミイは家主に向かって叫んだ。銃撃が止まった。家主のウォンが弾の再装填をしている。

 トミイは玄関に飛び出し、ウォンに向かって銃を撃った。弾はウォンを掠めただけだ。トミイは連射した。するとウォンが銃撃に怖気づいて、階下へ逃れようとする。

 トミイは手にしていた散弾銃を捨てた。腰に差していた拳銃を抜き、階段を駆け下りていくウォンを追う。

 ウォンが逃げていく。姿を見失う。トミイは耳をすませた。階段を下りていく足音がきこえない。この階のどこかの部屋に逃げ込んだようだ。木目調の玄関扉が中途半端に開いている部屋がある。そこに踏み込んだ。照明のない真っ暗闇の部屋で、トミイは銃を構ながら目が暗闇に慣れるのを待った。

「ウォン」

 トミイは叫んだ。その声の調子は笑い声のようでもあり、悲鳴のようでもある。

リビングに入る。光はまるでなく、街の灯さえ入ってこない。カーテンで閉め切られている。

 物陰からウォンが飛び出してくる。ウォンの突進を側面から受けて、床に倒れ込む。ウォンが殴りつけてくる。トミイは歓喜の声を上げ、ウォンと揉みあった。ウォンはトミイに馬乗りになって、トミイを殴りつけながら、中国語でなにかをいっている。どうやらトミイを罵倒しているようだ。

 トミイはウォンの股に挟まれていた左手を抜くと、ウォンの金的に拳を打ち込んだ。何度も殴りつける。ウォンが痛みでこちらへの殴打を止める。その隙に形成を逆転させる。今度はトミイがウォンに馬乗りになる。倍返しをしてやらんとばかりに、執拗に頬を殴りつける。そのうちウォンが気絶する。

 トミイはふらふらと立ち上がった。鼻血が出ていて、殴られた痛みで顔を顰める。

 リビングの明かりを探る。明かりをつける。

 カーテンで閉め切っているわけがわかった。窓ガラスは防犯用で異様に分厚く、ロックの数も多い。

リビングに大量の段ボール箱が積まれていた。箱を開けると、そこには粉末、錠剤、さまざまな種類の薬物が入っていた。誰もが薬物に手を染める時代であっても、売り捌けば相当な額になるだろう。

 トミイは錠剤を数錠そこからくすねた。即座に口に放り込み、噛み砕く。間違いがなく上物だった。背徳の味がする。

 ウォンが組織からくすねた薬物。絶対に手を出すべきではない代物に、この男は手を出してしまった。

 トミイはウォンを引き立てた。上の階へ戻る。気絶していた家族の横に、ウォンを置く。トミイは彼らを縄で縛り、自由を奪った。

 フェイが死んだ以上、自分で報告を行うしかない。

 トミイはリャンに電話をかけた。

「誰だ?」

 素っ気ない声、もっといえば血も涙もない男の声。

「俺だよ」

「フェイはどうした?」

「ウォンに不意打ちを喰らって、腹を撃ち抜かれて死んだよ。まともに銃を使えない奴を派遣するのはどうかと思うぜ」

「忠告をどうも。…それで、奴は?」

「家族全員拘束した」

「声をきかせろ」

 リャンがそういうので、トミイはウォンを叩き起こした。意識を取り戻したウォンに、声を出させる。また中国語でなにかを叫んでいる。

「こいつはなにをいっているんだ?」

「命乞いだ。リャンさん、助けてくれってな」

「耳障りな言葉だ」

「まったく同感だ。組織から薬を奪っておいて、よくいえたものだ」

「こいつはなんで薬をくすねたんだ?」

「知ったことか。最近こいつは妙な宗教に嵌まり込んでいた。それかもしれんな」

「妙な宗教? 手がかりを探すか?」

 トミイはリビングを見回した。宗教めいたものは特に見当たらないが、唯一壁にかけられた揮毫が目につく。たとえ天は落ちようとも、正義は為されるべし。漢文ではあったが、それだけは読み解けた。

「…いや、宗教めいた集団を敵に回すのは得策ではない。命を惜しまず、狂ったようにこちらに報復を仕掛けてくるからな」

「なるほど」

「追及はあとからでもできる。それよりも優先すべきことができた」

「街が荒れ狂っている。その件かい?」

「そうだ。その中でも俺たちに関係するのは、政治家の娘が数時間前に姿を消した件だ。その小娘は下層部に迷い込んでいるらしい。その身柄を確保するんだ」

「その娘を捕まえて、どうしようというんだ?」

「我々の祖国を介して、政府と取引する。金と利権を得るのだ」

 つまりリャンは娘を捕えたあとで、中国政府に仲介をさせて、政府と取引するつもりなのだ。身代金だけでなく、下層社会における組織の体制保証を狙っているのだ。

「中国にも、AGWにも、政府にも取引をする。忙しい組織だな」

「本来黒社会のありかたはそういうものだったのだ。政府や治安当局と繋がり、ある程度の秩序を守るわけだ」

「秩序ねえ…」

 トミイは興味なさげにいう。秩序、規範、規律、そういうものにトミイはまるで関心がない。

「で、この裏切り者はどうする?」

「殺せ」

 リャンはいった。

 トミイは電話を切らず脇に置いた。銃を抜き、なんの躊躇もなく母親と子どもたちの頭に銃弾を撃ち込んだ。血と脳味噌が飛び散る。

 ウォンが狂ったように泣き叫ぶ。だがトミイにはなにをいっているのかわからない。ウォンの髪を掴み、バルコニーまで引きずり出した。抵抗するウォンの頭を壁に叩きつけ、その勢いを駆って、バルコニーからウォンを放り投げた。鈍く嫌な響きの衝撃音がきこえた。

「お前が天から落ちていけ」

 トミイはそういって室内に戻った。

「片づいた」

「家族も殺したのか?」

「ああ。報復の可能性を残しておきたくはないだろう?」

「悪魔のような男だ」

「ある男の話を教えよう。そいつは暗黒街の始末人で、若いころに殺しの対象の子どもを生かしておいた。情けをかけたんだ。だがあとで組織に子どもが生きていたことが知れた。男は追及を受け、殺されかかった」

「なにがいいたい?」

「こういう仕事に情けはいらんのだよ」

「忠告をどうも。なら私からも忠告をしておこう」

「なにかな?」

「ゴトーが怒り狂っているそうだ」

 ゴトー。市場の仲介人であり、洗浄人。官僚の身分から犯罪社会に堕ちてきた男。

「どうして奴がキレているんだ?」

「奴が関与する取引の一つが立ち消えになった。二週間ほど前、ガキどもで結成された強盗団が姿を消した。AGWに捕まったらしい。ゴトーは誰かがAGWに情報を売ったといっている」

「誰がタレ込んだんだろうな」

「お前が疑われている。ガキに容赦がないからな」

「さあね」

「奴に気をつけるといい」

「買い被り過ぎだ。奴はただの元官僚だ」

「特殊工作部門に奴はいた。そしてとにかく頭が切れる。侮る理由はない」

「忠告をどうも」

「…小娘の情報を送る。すぐにでも動いてくれ」

「ウォンの殺しの報酬は?」

「もう手配している」

 リャンはそういって、電話を切った。

 トミイは首を回した。またしても錠剤を噛み砕く。ここしばらくまともな睡眠をとっていない。錠剤の力で不眠不休を続行するしかない。

「殺しの次は小娘の誘拐か。まともに眠れやしない」

 愚痴を零す。靴の裏にへばりついた血を擦り落としながら、部屋を出た。他の住人たちが惨状を覗き込みにきている。

 トミイは彼らににこやかに微笑みかけた。だがその目は冷酷そのものでしかない。

 トミイに笑いかけられた住人たちは無言で自分たちの部屋に戻っていく。


【注釈】


「たとえ天が落ちようとも、正義は為されるべし」:有名な法格言"Fiat Justitia, Ruat Caelum"のこと。結果いかんに関わらず正義は実現されるべきだ、という法の姿勢を現した諺。


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