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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
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2 Nate - The Robber

 そこは下層部にある、かつての銀行の跡地だった。大金の山があった地下の金庫は、いまはAGWの物資庫となっていた。

 政府とAGWの前線に近く、ときおり遠くで両軍による戦闘の音もきこえる。

 歩哨は六名。それぞれツーマンセルで警備に当たっている。

 少年は無線で合図を送った。銀行の周囲に隠れていた仲間たちが、制圧行動を始めた。

建物の正面にいる歩哨二名に、冬だというのに露出の多い少女が近づく。娼婦だと勘違いした歩哨たちが気を取られる。側面から四名の少年たちが躍り出て、銃把で殴りつけ、卒倒させ、速やかに縄で縛りあげた。

 他の歩哨二名が異常に気づき、建物正面に向かう。先ほど無力化させた兵士たちに、少年たちは銃を突きつけていた。

 歩哨と少年たちが睨みあう。歩哨の背後を、別の少年たちが迫り、銃を突きつけた。

「銃を捨てろ」

 歩哨たちが銃を捨てた瞬間に、彼らの股間を蹴りつけ、地面に倒した。すぐにまた縛りあげる。

 残りは建物内の地下金庫前の二名。襲撃に気づいていないのか、少年たちの前に出てこない。

 少年たちの一人が様子を窺おうと、地下への階段に近づいた。

 その瞬間、銃火が飛び散る。

「伏せろ」

 少年たち全員が床に伏せ、銃撃をかわそうとした。

 少年たちは即座に反撃に出て、銃声が飛びかう。

 いままで物陰に身を潜めていた少年が、無線を外し、煙幕弾を手にする。遠回りをしながら、誰にも気取られず建物に潜入し、地下階段で応戦している歩哨たちに近づいた。煙幕弾を投げ込む。微小な炸裂音とともに、煙が立ち込める。少年はバンダナを鼻と口に巻くと、すばやく煙の中に飛び込んだ。警棒で兵士たちの股間を狙った。一人は卒倒させたが、もう一人と乱闘になった。体格差と格闘の技量の差は明らかで、乱闘の末に警棒を弾き飛ばされ、組み敷かれた。首を締めあげられ、もうだめかと思った瞬間に、仲間の少年ジュンが駆けつけ、兵士の後頭部に銃をつきつけた。

 状況の不利を悟った兵士は銃を捨て、両手を上げた。

 バンダナを巻いた少年は自身も煙幕に激しく咳込みながらも、兵士の手足を縛った。

 その作業の途中、兵士に突きつけられている銃口が不自然に揺れるのが、バンダナを巻いた少年の視界に入った。

「よせ、ジュン。撃つな」

 バンダナを巻いた少年は仲間にいう。

「どうしてだ」

 興奮した様子のジュンが尋ねる。先ほどの銃撃戦が、彼に異様な昂りをもたらしている。

「撃てば、次からはこいつらも俺らに容赦をしなくなる」

 仲間の問いに、少年は冷静に答えた。

「落ち着け、冷静になれ。人が死ぬ必要も、殺す必要もない」

 少年はその澄んだ目で、ジュンを見据えた。ジュンは数秒逡巡したのち、落ち着きを取り戻し、銃口を下げた。

「ちっ、わかったよ。鳩の大将には敵わねえや」

 そんな皮肉をジュンはいう。鳩、つまりは平和主義、あるいは臆病者の比喩。

 縛りあげて無力化した兵士全員の武器を奪い取り、少年たちは物資庫にあった物資を、必要なものだけ袋に詰め、すばやくその場を立ち去った。それぞれ異なる経路で逃走した。集団で動けば、AGWの検問に引っかかる。

 三時間後、少年たちはアジトに集結した。戦闘で設備が損傷し、使われなくなった臨海部にある下水処理施設だ。政府とAGWどちらもが支配を確立できていない地域に施設はある。少年たちは奪った物資を確認し、山分けにする。

 八名の少年、二名の少女で構成される、強盗団だった。全員身寄りはなく、政府には見捨てられ、AGWからは逃げ出した者たちの集まりだった。

 リーダー格の少年、ネイトは、先ほどから頻りに無線を確認している。ネイトの手元には、仲間の少女が兵士を誘惑して奪った政府の無線と、AGWの無線がある。

 今朝方から始まった戦闘が半日経ってようやく終息したらしい。政府軍の急襲で、AGWの拠点の一つが陥落、幹部数名が負傷したとのことだ。

 急襲を契機として両勢力から発せられる慌ただしい無線で、反政府軍の各拠点警備が手薄になることはすぐに推測できた。物資庫の歩哨がわずか六名だったのも、この朝の急襲のためだ。時間がなく荒っぽい手口にはなったが、誰も殺さず、死なさず、物資は奪うことができた。

 激しい戦闘のあとは、次の戦闘まで時間が必要だ。どさくさ紛れの盗みはできなくなるが、同時に、盗んだ物資を闇市場で売り捌く時間ができる。

 ネイトは無線で、両勢力の動向を確認していた。この無線も、そのうち使えなくなる。それまで情報はなるべく収集しておく。それが次の盗みに役に立つ。

 政府とAGWは巨大な都市の東西で対立している。貧困層や移民が多く、反政府的気質の強かった都市の東部地区でAGWが蜂起して制圧、その後西へ勢力圏の拡大を図るも、政府が対抗し、衝突状態が続いている。

 つまり、この国は事実上の内戦状態にある。両勢力の前線付近では治安が崩壊し、犯罪が多発する地域になっている。両勢力の手がなかなか及びにくい都市下層部もまた、暴力団やならず者集団が実質的に支配しており、日々無数の非合法取引が交わされる闇市場が存在するなど、犯罪窟と化している。

 ネイトたちは犯罪の温床となっている前線付近や都市下層部を行き来しながら、物資を盗み、闇市場で転売することで金を稼ぎ、日々を生きている。

 無線に耳を澄ましているネイトに、仲間の少女、レナが近づき、話しかけてきた。歩哨の注意を逸らした少女だ。妹のレオナも強盗団に加わっている。

「ねえ、ネイト、あんた、今日も銃を使わなかったんだって?」

 煙幕弾を投げ込んだあとのことをいっているのだろう。確かに銃を使えば、兵士二名に手こずり、首を締めあげられることもなかっただろう。

 これまでのすべての盗みで、ネイトは一度も銃を使わず、そして誰一人として殺害をしていない。仲間たちにも威嚇射撃以外は許可していない。

「俺は殺しはやらない。銃も極力使わない」

 ネイトはそれだけいった。

 しかし、それは嘘だった。

 事実は、殺しができない、銃を使えないのだった。銃を握ると、手が震える。まともに狙いをつけることさえできない。人殺しは、いままで一度もない。人を死に至らしめることに、吐き気を催すほどの重圧を感じてしまう。

「何人かがいってる。こんな盗みは、長く続けられないって。誰一人死なさない盗みなんて、続けられるわけがないって」

 レナがいう。

 その通りだと、ネイトも思う。だが、ネイトにはそれができないのだ。

「だったら、そいつらだけで盗みをすればいい。俺のやり方が気に入らないなら、俺たちから抜ければいい」

 ネイトはいった。

「ごめんってば、ネイト」

 怒られたように感じたレナがそういった。ネイトの隣に腰かけ、顔を覗き込んでくる。陽に焼けたレイの首筋から、乾いた石鹸の匂いが漂ってきた。

「怒ってるわけじゃない。俺のやり方は、殺さない、銃もなるべく使わない。殺せば、政府もAGWも、俺たちを容赦なく殺すだろう。このやり方を通していれば、命までは奪われない」

 ネイトの言葉に、レナは頷いた。

「わかったよ。ネイトがそういう方針なら、私は従う。もう同じことはきかない」

「わかってくれたら、それでいい」

 ネイトはいい、レナの目を見つめ返した。レナの目は、兵士たちを誘惑するときと同じ目になっていたが、ネイトはあえて意識しなかった。

「ネイト、この物資はいつ闇市場に捌こうか?」

 仲間の少年セイジがネイトに声をかける。

「食料以外はできるだけ早くゴトーに渡したい。手元に残しておくと、いろいろ面倒だ」

 ゴトーは闇市場の仲介人で、物資を持ち込めば、金と引き換えてくれる。相手がネイトたち子どもであっても取引に応じる、珍しい男だった。もっとも、ネイトはゴトーに直接会ったことはない。ゴトーはいつも代理人を立て、取引を行う。

「明日、闇市場で物資を捌く。今日のうちに、準備をしておくんだ」

「わかった」

 セイジは、さっそく準備に取りかかる。

「AGWの連中は、いまごろ怒り心頭だろうね」

 隣でレイはいう。

「ああ。だけど、俺はせいせいしてる。あいつらも政府と同じくらい無茶苦茶さ」

 ネイトは政府もAGWも憎んでいる。どちらに大義や正義があろうと、どちらともがこの時代の膨大な死者と深刻な荒廃の原因であることは間違いがない。盗みを働くことで、両勢力に損をさせるなら、それはネイトの願うところでもあった。

 だが、ネイトが両勢力以上に憎んでいるものがある。それはこの超高層化した都市そのものである。かつての二十三区と隣接自治体の土地という土地をすべて超高層建築に転換させ、できあがった巨大都市。人間の際限なき欲望、傲慢さと愚かさの象徴であり、成れの果てでもある。都市の超高層化が大義名分を得る契機となった世界的な放射能汚染の以前から、超高層化そのものは始まっていたとされる。裕福な者ほど高層部に住みつき、貧困層は劣悪な下層部に押し込められ、汚染によって都市からの脱出は許されず、経済状況や自然環境の好転もままならぬまま、階層の固定化が進んだ。

 高層部に住みつく者たちの傲慢な目をネイトは思い出すだけで憎悪が湧いてくる。劣悪な環境をなにも知らず生まれ育ち、現状の改善になんら手を貸そうとせず、むしろ下層部の住民たちを嘲笑う者たち。彼らも確かに憎いが、真に憎むべきはこうした構造を維持し続ける都市そのものだ。すべてを固定化させ、挙句には内戦まで生むこうした都市構造など、壊れてしまえばいいとネイトは思う。

 仮にAGWが政府を打倒したとして、連中がこの都市構造を変革しなければ、次の反体制組織は必ず生まれるだろう。都市構造の破壊こそがこの国と社会にとって重要なのだ。

「憎い、なにもかもが憎い」

 ネイトは呟く。都市への憎悪と怒りが体を満たす。こんな思いを、上層部の人間は誰も理解できないだろう。

 そんなネイトの肩に、レナは優しく手を置いた。

 ネイトは目を閉じ、明日のことを考えた。ゴトーとの取引をどう速やかにすませるか。それから先のことはなにも浮かばない。この社会に未来や希望などなにもなかった。身寄りも社会的身分もなく、状況の改善すら見込めない現在、この先の人生などなにも描けなかった。ネイトたちにそう強いているのが、この都市そのものなのだ。

 ネイトは疲労感を覚えた。未来のことを考えると、疲れしか覚えない。

「仕事のあとだから、ゆっくり休んだら」

 レナはネイトに休息を勧めた。睡眠をとったほうがいいという。

 ネイトはその言葉に従った。盗みで緊張を強いられた反動か、あっという間に眠りに落ちた。

 数時間かたったころに目が覚めた。周囲はまだ暗かった。

 目を瞬かせ、伸びをする。深い眠りから覚めると、眠気はほとんど感じなかった。

 そのとき、一発の銃声が響いた。

 続いて、仲間たちの悲鳴がきこえた。


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