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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
29/87

28 Nate, Emma, Alice - Falling Down

 気を取られた隙を衝かれた。

 アリスの腕が、ネイトの上着の裏に忍び込み、銃を抜き取る。その直後、額に冷たい感触がする。銃を突きつけられた。

 なんという失態。

 アリスはするりとネイトの背後に回り、体を密着させ、ネイトの身動きを制する。腰のベルトになにか手錠のようなものを引っかけられる。それのせいで振り返ることができず、またアリスから離れることができなくなった。

 一体この女はなにをしようというのか。ネイトは焦った。

 あちこちで悲鳴と怒号がきこえる。会場は混乱を極めている。

 ネイトはエマに目で合図を送る。この失態を伝えようとする。だがエマはネイトと同じように、周囲の混乱に気を取られている。視線が別のところに向いている。

 まずい。


 収拾のつかない混乱。どよめきと悲鳴の交響楽が、会場に流れている交響楽をかき消す。

 複数の銃声が会場の外からきこえる。その散発的な音からして、拳銃の発砲音に違いなかった。

 これは所定の計画にはないことだった。一口に異常な事態といっても、それを上回る自分たちには与り知らぬ事態が起こっている。

 エマは舌打ちをする。一体どうなっている。自分たち以外に誰か闖入者がいるのか。なぜ会場の外で、自分たち以外の人間が発砲をしているのか。状況は混沌としている。それどころか、さらに悪い方向に転がりつつあるのだ。

 銃声を耳にしたアリスの警護担当者たちが、一斉に銃を抜いた。銃声がきこえた方向に視線を向け、銃を構える。

 事情をなにも知らない会の参加者たちが彼らの様子を見て、さらに悲鳴を上げる。人々はもはやまともな精神状態をすっかりと忘れ、狂乱の域に達している。

 こうなってはどうしようもない、手がつけられない。エマにも状況の把握は困難だった。しかし、立ち止まっている余裕はない。対象を速やかに確保しないといけない。

 エマは視線を対象に戻した。ネイトが最接近しているはずだった。

 視線の先で、男女が揉みあっている。いや、女が男から銃を奪い、さらに男の首を後ろから締めあげて、盾にしている。

 アリスとネイト。

 まずい。エマの全身に震えが走った。

 遅れて警護担当者たちの怒号がきこえた。彼らもアリスの異変に気づいたのだ。銃を構ながらアリスたちに接近する。

 同時にエマは視界の端でケイジとショウが銃を抜くのが見えた。彼らもまた状況を察知したのだ。彼らの手が震えている。彼らの目は血走っている。彼らの視線は盾にされたネイトと、銃を抜いて駆け寄ろうとする警護担当者を捉えている。

 まずい。

 エマは声を上げようとした。だが間にあわなかった。

 ケイジとショウが、銃を乱射する。


 二人組の男たちが銃を発砲した。警護の者たちに向けて撃っている。会場が突如として戦場になり、人々が腰をかがめて四方八方に逃げていく。床に伏せる者、あるいは転倒する者が多数いる。皿やグラスが割れ、豪勢な料理が宙を舞い、床にばら撒かれる。

 あちこちで苦悶の声がきこえる。何名かすでに被弾していて、血の海ができあがっている。

 銃撃戦が始まる。警護担当者たちが応戦する。

 アリスは盾にした男のこめかみに銃を突きつけながら、窓際へ移動していく。

 赤い髪の女が、こちらを見た。間違いない。あの女も盾にしたこの男の仲間だ。

 壁際に立つ。イワマの言葉を思い出す。引き金を引くだけで銃は撃てる。銃を撃つことと的に当てることは違う。狙いを定める必要はない。

 アリスは引き金を引いた。発砲時の衝撃を気にもせず、何度も引く。数発で窓ガラスが砕け散る。冷たい夜風が吹き込んでくる。

 悲鳴と絶叫。ドレスを着込んだ人間まで銃を撃ち始めては、もはや人々は恐慌状態に陥るしかなかった。

 それでも警護担当者と赤い髪の女はなんとかしてこちらへ駆け寄ってくる。女の方が自分に近い。

 女の目を見た。互いの視線が激しくぶつかる。妥協のない、強靭な意志を感じる目だった。あの女に捕まったら最後だ。あの女は意地でもアリスを捕えようとするだろう。

 アリスは息を吸った。背中には、緊急避難用の落下傘をかけていた。不審者の動きを察知して、建築物に備えつけられていたものを無理やり奪ったのだ。

 女の手が伸びる。冷静な顔、だがその目はアリスを射抜くように鋭く、粘っこい。

 アリスは床を思い切り蹴った。盾にした男が抵抗する。だが手遅れだった。体が宙に浮く。盾にした男ごと落下する。強制的にタンデムジャンプに巻き込む。

 夜の底へ落ちていく。恐怖で意識が飛ばないうちに、すぐに傘を開く。男の体を両腕で抱きすくめる。たかがベルトに鋼鉄の輪をかけて繋がっているだけだ。下手をするとベルトが千切れて男を宙に放り出すことになる。

 目を凝らす。闇に慣れようとする。建築物と建築物の隙間を滑空する。体勢が安定し、減速が効いてくる。地面が見えてきた。ゆっくりと、慎重に着地する。それでもそれなりの衝撃を受ける。男が呻き声をあげる。

 地に立った瞬間、アリスはそれまでの極度の緊張状態から解放され、激しい頭痛と眩暈に襲われた。体中に張り詰めていた気が抜けて、そのまま意識を失いそうになる。

 へなへなと地面に座り込んで、夜空を見あげた。超高層建築物に取り囲まれて、空などごくわずかしか見えなかった。強い冷気に満ちているのに、空気は淀み切っている。吐く息が白い。

 いったい自分はどれほどの高みからここへ落ちてきたのだろうか。

 アリスは呆然とした状態で、そんなことを考えていた。

 至近距離にいた男が身動きをする。ベルトを外して、自由を得る。アリスの方に振り返る。今度は男がアリスから銃を奪っていた。

 男はまるで襲いかかる獣のようにアリスを組み伏せ、その額に銃を突きつけた。

 男の目はアリスに対する激しい憎しみに燃え立っている。だが、銃を突きつける男の手は、病的に思えてしまうほど、ひどく震えていた。


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