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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
26/87

25 Nate - Intrude

 潜入する。

 夕方を過ぎた大学前の大通り。大勢の人が通行できるよう設けられた空中通路で、分厚いガラス窓の外には、車両通行のための空中通路も並走している。周囲は夕闇に沈んだが、人の数はそれなりに多い。談笑する者、ダンスや演劇の練習に熱中する者、学生たちはみなそれぞれに時間を過ごしているが、帰宅する者が多いように見受けられる。

 コートを着込んだネイトたちは、帰宅する学生たちの流れに逆らって、大通りの奥へ進んでいく。冬場で誰もがコート姿のため、ネイトたちの姿はまったく目立たない。

 内通者が用意した経路は、エマの先導もあってか、驚くほど安全でなんの困難も存在しなかった。閉鎖されたはずの高層建築の老朽エレベーターで都市上層部へ入り込み、いくつかの検問と警備の網をすり抜けた。内通者の情報は、政府と謀っているのではないかと疑いたくなるほど、正確かつ無謬だ。

だが、ここからは障害と困難だらけになる。政府領域の中心部、警備の目が光る中で、セガワアリスを誘拐せねばならない。

 死の影がちらつく。死の匂いがする。全身が緊張している。

 無邪気な顔をした学生たちとすれ違っていく。警備員たちは特段の警戒をしているようにも見えない。

疑いが腹の中で渦巻く。ここは本当に現実の世界なのか。悪夢ではないのか。誰かがしかけた罠にはまり込んではいないか。あまりに平穏過ぎて、むしろ不安が募る。歩みを止めたくなる。逃げ出したくなる。

囚われたレナの顔が浮かび、逃走を思いとどまる。

 ふと後ろを振り返ってみた。暗く落ち窪んだ目をしたケイジとショウがいる。そして、なに食わぬ顔で周囲を見ているエマがいる。エマと視線があう。

「どうした、死相が出ているぞ」

 にたりと笑いながら、悪意ある言葉をぶつけてくる。

 ネイトはエマを睨みこそしたが、返事はしなかった。都市下層部のごみ溜めに生きる人間同士であっても、この女の粗暴さには呆れるしかない。

 大学の巨大な校舎の前に立つ。最初のセキュリティチェック。警備員に身分証を提示する。いともたやすくすり抜ける。

 校舎の大部分は講義がもうないからなのか、照明が落ちて闇に沈んでいた。大学前の大通りとは対照的な静けさと侘しさで、本当にパーティが行われるのか疑わしく思えた。

 エレベーターで会場に向かう。校舎の最上階で、式典専用のフロアになっている。

 扉が開く。高級ホテル並みの煌びやかな内装と敷きつめられた赤い絨毯が目を引いた。広いフロア内には庭園も設けられている。特権階級の子弟が通う大学らしい、金を注ぎ込んだ派手な設計。

コートを脱ぎながら、エレベーターから降りる。

 二度目のセキュリティチェックが待ち構えていた。警備員がネイトたちを検める。手荷物検査、金属探知、書類検査。最大級の警戒。

 ネイトは周囲に目を配った。自分と同じように硬い表情の警備員たち。内通者の事前の情報と異なり、警備の数が増えている。警備員の装備も、重装備化している。

 検査をまたしてもすり抜ける。偽造した身分証は有効性を保っている。平然とした顔でクロークにコートを預ける。

 ネイトは隣にいるエマに小声で話しかける。

「事前の情報と違う。警備が強化されている」

「そのようだ」

 あまりも素っ気なくエマはいった。

「このことを知っていたのか?」

 怒りを抑えながら、エマに尋ねる。

「そんなことはどうでもいい。計画通りに動くんだ」

 エマはネイトから離れる。

 所定の計画。ホール前の検査をすり抜けたあとで、内通者が会場の各所に隠した武器を回収する。植栽の中、豪奢な造作の内部、壁掛け絵画の裏。派手な設計は武器の隠し場所も作り出してしまった。

 ネイトはトイレの手洗い造作の内部に隠されてあった拳銃を回収した。四十五口径のその拳銃を握り締めた瞬間、手の震えが始まった。

「銃を握ることさえろくにできない無能だとしても、持っておくがいい」

 ここに潜入する前、エマがネイトに向かって吐き捨てた言葉が蘇る。

 撃てない、撃ちたくない。心の悲鳴を押し殺すために、ネイトは服の裏に銃をしまった。

 それぞれが武器を回収し、集合する。会場となる大ホールに入り込む。警護担当者らしい背広の男たちの横を通り過ぎていく。男たちはネイトたちに気づいていない。

 所定の計画。アリスの位置を確認、ネイトとエマの二人で接近、身柄を確保する。ケイジとショウは周囲の警戒、援護を担当する。アリスの身柄を確保し、会場の外へ連れ出す。そこからは実力行使。非常用エレベーターまで辿り着き、下層階へ移動。都市下層部の闇に紛れて姿を消す。

 レナの顔が脳裏に浮かぶ。ネイトに触れた手の感触を、いまになって思い出す。

 やるしかない。やらなければ、レナが殺される。

 吹き抜けの空間に豪勢なシャンデリアが吊るされた大ホール。数百人の学生たちと教員たちが入り乱れている。会はもう始まっている。人々の賑やかな話声と杯を交わす音は止むことがない。

 改めて憎しみを燃え立たせる。血走った目で、あの女を探す。

 エマが指示を出す。二組に分かれろとの合図。互いの行動が確認できる距離で、二組に分かれて動き出す。

 アリスの姿をまだ捉えていない。ごった返す人の中に入っていく。エマはアリスの姿を捉えているのか、迷いなく人波を押し分けていく。

 ネイトはエマの顔を見た。エマは憎しみを燃え立たせてはいなかった。それは獲物を追う狩人の顔か、もしくは恋人を探す女の顔。憎しみではない、純粋な感情に突き動かされている。

 ネイトは目をこらした。アリスはどこにいる。

 人波をかき分ける。舞台の近くのテーブルに、学生だけでなく、教員からも絶えず声をかけられている女がいる。群青色のドレスに、知的な立ち居振る舞い。一瞬だけ視線があう。

 アリスだ。


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