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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
25/87

24 Kuroki, Nakiri - Assassination

 四機のヘリが飛び立つ。二機が上空からの攻撃を担い、残り二機が兵員の降下を担う。

 轟音と強風を身に受けながら、クロキはヘリが飛び立ち、やがて屹立する高層建築の陰に消えていくのを見守った。

 襲撃地点は第七街区、直線約九百メーターに渡る大通り。通りの両側は環境建築がまさしく隙間なく建っており、車両は脇道に逃れることができない。

 スギヤマの乗る車両が通りに進入したとき、諜報員から合図が出る。その合図で襲撃を開始する。ヘリ二機で敵の車列の前後を挟み込み、足止めを行う。その間、別のヘリ二機で兵員を地上に降下させ、速やかに敵を排除する。

 諜報員の情報によれば、スギヤマが乗る車両は通常だと列の真ん中、諜報員は最後列の車両に乗るとのことだった。クロキは最後列車両への攻撃には十分注意しろと指示は出していた。

 スギヤマを殺害する手筈は整ったといっていい。

 次はセガワ大臣令嬢の件だ。

「内通者に動きはあったか?」

 司令室に戻ると、クロキはフクシマに尋ねた。

「この数時間で、秘匿回線で会話をしていた関係者が二名。それから、一般回線でも不審な会話が九件確認されています。まったく非合法な盗聴のおかげでね」

 フクシマの皮肉を、クロキはあえて無視した。

「内通者はカットアウトを通じて動いている。間違いないだろう」

「一般回線の会話内容はわかりましたが、どれも暗号めいた会話ばかりで、分析には時間がかかるでしょう」

「時間がない」

「どうします? すぐに襲撃者たちを取り押さえるか、令嬢を完全に避難させるか」

「茶番劇は続けるさ」

 クロキは皮肉な笑みを浮かべた。

「こちら側の諜報員をAGWに潜伏させ続けるためにも、襲撃者たちは直前まで取り押さえるな。むしろ連中が動き出してからの方がいいくらいだ」

「しかし、それですと学生たちや大学に被害が出ます」

「その被害を抑えるために、警備を増強したのではないか。警備を担う者たちには、彼らの役割を全うしてもらう」

「…被害を出さぬではなく、抑える、ですか」

 フクシマは顔を顰めてそういった。

 クロキはフクシマの皮肉をきき流した。AGWとの駆け引きで良心やまともな倫理観はなんら役に立たない。むしろ害悪といっていい。良心や倫理性を意識したせいでこれまで政府の対応は後手に回り続け、痛手を被ってきたのだ。

「で、その秘匿回線を使っていた内務省職員とは?」

 クロキは話題を変えた。

「一名はワタナベという総務部在籍の中堅職員です。半年前まで警備局総務課に在籍。令嬢の護衛任務に関わる会計処理を担当。彼が立場を悪用すれば、令嬢の護衛に関する情報はすぐに収集と漏洩が可能です」

「もう一名は?」

「令嬢の警護官です。こちらも当然ながら令嬢に関するほぼすべての情報を把握できる立場にあります。警護官の名前は、イワマ。二十代後半の若手職員です」

 イワマの名前が告げられたとき、クロキの表情は凍りついた。


 前線司令部が置かれた高層建築の前に、装甲車両が並んだ。車両のガラスが、冬の午後の柔らかな陽射しを跳ね返している。

 ガラス張りの高層建築が陽射しを反射させているせいか、周囲がやけに明るい。風もなく、気温は低いが穏やかな日だった。こうも静穏だと、ともするとここが前線ということを忘れてしまいそうだった。

 視察に出かける前に、護衛の兵士たちを集めた。スギヤマの護衛には十名の兵士がつくことになっている。装甲車両三台を使い、前線を視察する。

「全員揃ったか?」

 隊長のアマノが隊員に尋ねる。

「ナキリさんがまだです」

「奴はなにをやっている?」

 アマノは苛立ったようにいう。

「おそらく煙草かと」

 ナキリという兵士が走ってこちらに駆けよってくるのがわかった。よほど煙草が好きらしい。ナキリは片手に煙草の箱を握り締めていた。

「集合時間を守れ」

 アマノがナキリを注意する。

「申し訳ありませんでした」

 ナキリは姿勢を正して、アマノとスギヤマに謝罪した。

「よほど煙草が好きらしいな」

 スギヤマはナキリに微笑みかけた。

「申し訳ございません」

 ナキリはいまだ神妙な面持ちで返事をする。

「気にするな。責めるつもりはまるでない。こんなご時世だ、煙草を無性に吸いたくなったって仕方がないだろう」

 スギヤマはナキリ以外の兵士たちにも語りかけるようにいった。

 他の兵士たちも笑みを浮かべながら、頷きを見せていた。

「君はいつもその銘柄の煙草を吸っているのかね?」

「はい、中国製の安物ですが…」

「なにか思い入れでも?」

「特には。ただ私には、中国人の血も流れているそうです。もはや祖父より上の代の話らしいですが」

 ナキリはそう答えた。この時代では、様々な人種、国籍の混合は珍しくないが、ぱっと見ただけではナキリに中国人の血が流れているかなどわからない。

「それが中国製を選ぶ理由か。それではどうだろう、たまには高級品を吸ってみたいと思わないか? 私はキューバの葉巻を嗜む」

 スギヤマは軍服の胸ポケットから葉巻を摘み出し、それを兵士たちにも見せた。キューバ産の葉巻。いかがわしいロシア人の密輸業者に金を掴ませ、こっそりと仕入れている葉巻だった。

 アマノも含めた周囲の兵士たちが、ナキリを羨むように、あるいはからかうように声を上げた。

「どうだね? 君は中国産の煙草に忠節を誓ったわけでもあるまい」

 スギヤマがいうと、ナキリは少し困惑しながら笑った。

「いえ、そんなことはありません」

「なら試してみるといい。君は私の隣にくるといい。そこで葉巻を試そう」

 スギヤマはいった。ナキリに車両の運転を任せ、同時に葉巻を薦めるつもりだった。

 ナキリは困ったようにアマノを見た。アマノはそのまま従えと顔で合図する。

「わかりました。ご好意に預かり、大変恐縮です」

 ナキリはいった。

「よし、それでは出発するとしよう」

 スギヤマは護衛の兵士全員に向けてそういった。

 三台の装甲車両に兵士たちは乗り込んでいく。ほぼ予定通りの出発となった。三台の車両は一つの縦列を作って走り出した。スギヤマの乗る車両は列の真ん中である。

 スギヤマは上機嫌に葉巻に火をつけた。ナキリにも葉巻を手渡し、火をつけてやった。かつて二十世紀の偉大な革命家カストロが愛用した葉巻だ。

「どうだ、葉巻は?」

「いつも吸う煙草とはまるで違います」

「それはそうだ。質が違う。金もかかっている」

「煙草より葉巻がお好きですか」

「葉巻を吸い始めたのは、憧れがあったからだ。ゲバラ、カストロ、憧れの革命家は葉巻を愛飲していた」

 にこやかに微笑みながら、スギヤマはいった。

「大昔の革命家がきっかけとは思いもしませんでした」

「意外に思うか? しかし我々も革命家といえなくはない。私が葉巻を嗜むのは、先人を敬う意味もあるのだよ」

 得意気にスギヤマはいう。自分の嗜好を誰かに語ることは、これまであまりなかった。普段はもっと大勢の部下に囲まれているせいもあるだろう。今日のようなわずかな人数での視察だと、部下に対してもいろいろと話しかけやすかった。

 座席に深く凭れながら、スギヤマは紫煙を吐き出した。上質で渋い香りが漂う。安物の煙草の俗悪さとはまるで異なるものだ。

 運転をするナキリは葉巻を数回吸ったあと、すぐに火を消していた。いまは運転に集中していた。

「葉巻を味わったあとだと、こんな安物が嫌に思えてきますね」

 ナキリはそういって、片手に握っていたほぼ空になっていた煙草の箱を窓から投げ捨てた。

 スギヤマはナキリの言葉に満足し、にやりと笑った。

 車両は第七街区の直線約九百メーターの道路に差しかかろうとしていた。

 高層建築の谷間に、光が降り注いでいる。冬場のからりと晴れた空さえ、その谷間の底から仰ぎ見ることができそうだった。

 ゆったりとした速度で、車両は進んでいく。

 そのとき唐突に、黒い影が建築物の谷間を覆った。影の正体は、轟音を発する黒々とした機体。旋回音が四方からきこえる。一機だけではない、複数機が展開している。

 黒い機体の両翼が、不気味に回転するのが見える。その回転音は獣の凶悪な唸り声を思わせる。

 スギヤマの全身に悪寒が走る。わずか一瞬で大量の汗が噴き出す。敵に包囲されたのだ。

 そしてヘリの両翼に搭載された機関砲から、無数の砲弾が雨のように降り注ぐのをスギヤマは見た。


【注釈】

カストロ:キューバの政治家、革命家。キューバ革命の立役者で、同国に社会主義政権を樹立し、長年指導者の立場にあった。葉巻愛好者としても有名。高級葉巻ブランドであるコイーバを愛飲した。


ゲバラ:アルゼンチン生まれの革命家。カストロと並ぶキューバ革命の立役者。その高いカリスマ性で多くの人々を魅了した。カストロと同じく彼もまた葉巻愛好者であった。

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