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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
23/87

22 Iwama - Highway Drive and Lecture How to Shoot

 警備の増強は、唐突に課長からイワマたちに伝えられた。

 警護課の別の係が、アリスが参加するパーティの会場内部にも入り込み、警護を行うという。

 一体事態がどうなっているのか、イワマは把握し切れていなかった。

 出社してすぐに課長から警備増強の連絡があり、そこから考える暇もなく、アリスを迎えに出かけねばならなかった。

「どういうことなんです、フクダさん」

 大臣宅へ向かう車の中で、イワマはフクダに問いかけた。

「俺にもわからん。突然の警備増強など、あまりきいたことがない」

 フクダも硬い顔でそう返事した。

 課長も、どうして警備増強になったのかの理由をまったく説明しなかった。

「もともと俺たちは会場内までは入れない立場でしたから、なにか任務が増えたってわけじゃない。ただ、それでもこんなのは…」

「なんだ、自尊心を傷つけられたとでもいいたいか?」

 フクダはいった。イワマはその通りだと答えた。

「せめて状況をもっと詳しく説明してくれないと」

「なにかがあったんだろう」

「テロかなにかでしょうか?」

「わからんよ。課長もまるで詳細を教えない。それでなにがわかるというんだ」

 フクダの言葉は素っ気なかった。そして気だるげに黙り込む。

 イワマとしてはもう少しこの事態について理解するべく、フクダと会話をしたかったのだが、フクダの様子を見てそれを諦めた。余計な会話を嫌う人物なのだ。

 車は大臣宅へ近づいていく。

 アリスは警備の増強を知らされているのだろうか。おそらくそれはアリスに関わることなのではないか。

 もやもやとした気分のまま、イワマたちはアリスを迎えにいく。


 父は仕事へ出かける直前になって、アリスに警備の増強を告げた。

「テロが日常茶飯事の時代だ。こういうこともたまにはある。だが安心していい。パーティを楽しんでおいで」

 それだけいって、父は仕事に向かった。

 あとに残されたアリスは、最初はなんの疑問も抱かず、素直に父の言葉を受け入れていた。ひっそりと静かな家の中で、ぴんと背筋を伸ばし、すっと部屋着を脱ぎ捨てる。部屋の真っ白な壁に自分の影が映り込む。今日のためのドレスを着込んでいく。胸元の開いた群青色のワンピースで、袖の部分は花柄のレースになっている。あまり目立たない落ち着いた印象のドレスにしたのは、パーティの前に講義に出席する必要があったからだ。あまり華やかなものにすると、講義室の中では浮いてしまう。ドレスを着込み、その上にコートを羽織った。

 着替えを終えたちょうどそのとき、呼び出しの音がする。いつもの警護担当者の迎えがきたのだ。

 アリスはバッグを掴み、玄関へ向かった。

扉を開けると、いつもより強張った顔のイワマとフクダがいた。二人はなにか緊張しているような、あるいはなにかに釈然としないような顔をしていた。

 二人と特別親しいわけでもなかったが、アリスは二人の表情を見て、なにか異変があったのかもしれないと悟った。警備の増強という父の言葉が蘇る。パーティに関することなのだろうか。

 いきなり二人になにかあったのかと問いかけるのは気後れがした。アリスは静かに二人に従い、車に乗り込んだ。

 移動中でも、バックミラーに映り込む二人の顔はやはり硬かった。

「もしいえないことならそれでいいのだけれど、今日、なにかあったのでしょうか? 父が家を出る前、パーティの警備が増強されるとききました」

 アリスは遠慮がちに問いかけてみた。

 イワマとフクダ、特にフクダが鋭くミラー越しにアリスを見つめた。それからイワマとフクダは二人で視線を交わした。なにをどう伝えるべきか、無言のやり取りをしているのが表情からわかる。

「我々も警備の増強があると先ほど知りました。ただそれ以上については、我々もなにも知らないのです」

 フクダが落ち着いた声で答えた。

「なにか危険な事態が差し迫っているのでしょうか?」

「それもわかりません。ただ、なにかあれば指示や説明が我々にもきます」

「ただそれはいまのところないのでしょう?」

「はい。上から連絡が入れば、お嬢様にも説明させていただきます」

 フクダはそういった。それ以上はなにもわからないからいえないのだ、といいたげな顔だった。

 アリスはそのときになって、父に細かく質問をしておけばよかったと思った。どうしてなんの疑問もなく父の言葉をきいていたのだろう、といまになって後悔のような感情を覚える。警護の二人の釈然としない顔の理由もわかった。二人も事態を把握し切れていないのだ。

 かすかな不安、胸騒ぎが、車の走行音と同期するように静かに押し寄せてくる。思い悩むほどでもない程度の、胸のざわつき。まるで波のように不安がふっと引いていくときもある。

 フクダもイワマも少なからずアリスと似た思いでいるのだろう。車の中の全員が晴れない表情をしている。その中でもイワマは特に、むしゃくしゃしているといってもいいくらいの顔だ。いろいろと口に出したいことがあるのだろう。ミラー越しのイワマを見て、アリスはそう思った。

 そのとき不意にフクダがイワマに車を停めてくれと指示を出した。

「どうしました?」

「上に連絡を入れさせてくれ。どういう状況なのか確認がしたい。このままだと落ち着いて警護ができんからな」

 イワマは車を避難帯に停めた。

 フクダはすぐ戻るといって、一度車から離れた。上司と会話しているようだ。ビル風に吹かれて、フクダの髪が乱れるのが見えた。

「車内で会話すればいいのに」

 アリスはいった。

「内規上、上との会話は第三者にきかれてはいけないんですよ。それが警護対象者でもね。フクダさんはお堅い人ですから」

「ねえ、イワマさん。あなたはこの状況をどう思われます?」

「私はテロの可能性を思ったのですが、やはり情報が下りてこないので、なんともいえませんね」

「実際テロはあるのかしら?」

「それを言い出したら、きりがありませんよ。いつどこでテロが起こってもおかしくない。ただ今回は、唐突ですが警備強化が為されたので、安全性は高まったわけです」

「誰かがまるで情報を伝えないというのが問題ね」

「誰かというより、上の連中ですけどね」

 イワマは頭の後ろで手を組みながら、そういった。

「父もなにか知っているとは思うけど、口にはしなかった」

「いつもながらの、内務省の秘密主義ですよ」

「身内にさえ秘密主義を貫くのは立派ね。でもいい気分はしないわ」

「まったくそうですね。職員である私でさえそう思います」

 アリスとイワマは節々に皮肉を忍ばせた会話を繰り広げた。前々からイワマは話好きな性格だと思っていたが、会話をしてみると実際その通りだった。そしてアリス同様に皮肉ないい回しを好む。人間的には好きなタイプだった。

「お嬢様と話をしていると、なぜか妹が頭に浮かびます」

 何気なくイワマはいった。

「妹さん? 私と似ているところでもあるのかしら?」

「いや、それがまるでありません。むしろお嬢様のように妹にはなってほしいと思うのですが、どうもお転婆で」

「私のようになっても、暗く地味な性格になるだけだわ」

 アリスは自虐的にいう。

「お嬢様の勉強熱心さや知性には誰もが感服しています。それらは得難く、貴重な徳目であるがゆえに、人生においても重要な意味を持つと私は思います。だが私は学問よりも体を動かすことを覚えてしまった。せめて妹は勉学に打ち込んでほしいと思っています」

「妹思いなのね。でも私は、あなたのような人にも憧れるわ。知性や学があるだけでは駄目だわ。腕っ節の強さがないと、どうにもならないこともあるわ」

「なにか武術や格闘術を学んでみたいと?」

「そこまでは。でも私は誰かに襲われたとして、自分の身を守る術さえ知らない。銃の撃ち方どころか握り方さえわからないもの」

 アリスがそういうと、イワマはにやりと笑う。イワマはアリスに振り向いて、ホルスターにしまっていた拳銃を取り出し、アリスに見せた。

「銃を撃つことと、的に当てることは違う。ただ引き金を完全に引くだけで銃は撃てる。敵に当たりはしないが」

「単に銃を撃つことに意味はあるのかしら?」

「相手や周囲への威嚇にはなる。銃撃は想像以上に、敵味方、周囲へ多大なストレスをかけ、パニックを喚起するものだ」

 イワマはアリスに自身の拳銃を握らせた。ずしりとした重みが伝わる。引き金を引く瞬間、それから銃撃の反動を想像する。女の身であっても銃撃の反動に耐えられるものなのだろうか。アリスは拳銃をイワマに戻した。

「貴重な講義をありがとう。銃を握ったこともなかったから、ちょっと興奮したわ」

「考えてみたらこれも内規違反ですが、参考になってよかったです。もっとも、お嬢様が銃を握る事態は、私たちがなんとしても避けたい事態なのですが」

「それはまったく同感ね」

 アリスは微笑んだ。

 イワマもやや俯きながら、口元を緩めた。

「フクダさんが戻ってくるわ」

 フクダが車に戻ろうと歩き始めるのが見えた。風に乱れた髪型のまま、車の扉を開き、乗り込んできた。

「課長と連絡はつきましたか?」

 イワマは尋ねた。先ほどまでの打ち解けた表情はまるで隠しながら。

 フクダは苦い顔をしていた。

「駄目だ。課長の奴、なにも教えようとしない。長々と無駄な話をしただけだった」

「課長はどういうつもりなんです?」

「わからん。とにかく警護に集中しろ、とだけだ」

「飽くまで秘密主義を貫くわけですか」

「軽口はいい。任務に集中しろ。まったく、俺が課長と会話している間、君らが呑気に談笑しているのはわかっていたのだからな」

 より厳めしい顔になってフクダはいった。フクダは外から二人の様子を見ていたのだ。

 イワマがしまったという顔をする。

 アリスは思わず笑みを零した。

「まったく警護官とあろう者が。車を出せ」

 車は再び動き始めた。


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