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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
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17 Sugiyama - Time Throbbing

 街灯は煌々としていて、喧騒は止む気配がない。夜の街を潜り抜けて、部隊は続々と集結していた。

 極彩色の光に包まれた雑然とした街区を抜けると、闇は一段と濃くなった。膨大な量の瓦礫の山が次々と現れる。爆撃、砲撃、銃撃で多くの建造物が破損し、荒廃し切った街並みが広がる。荒廃した街に踏み込むということは、前線に踏み込むと同義だ。

 暗視装置を使わずとも、闇に目が慣れればわかる。膨大な数の人が動いている。膨大な数の兵士が、自分の命令によって集められている。

 スギヤマは副官や護衛の兵士たちとともに、司令部が置かれた高層建築の中層階から集結する部隊を見下ろしていた。視線を別の方角に向ける。西側、川の向こうには、政府側の支配領域が見える。

 部隊長たちは司令部に次々と入ってくる。みな一様に表情が硬い。夜間の招集と会議は、戦闘が間近に迫っていることを示す証だからだ。部隊長たちは、どのような作戦で、いつ行動するのか知りたくて仕方がないという様子だ。

 スギヤマは彼らの心情がわかり過ぎるほどわかっていた。

 対岸は闇に沈んでいる。ぼんやりと風景は捉えられても、敵の動きはまるでわからない。自分たちの動きはどうだろうか。対岸からはわかるのだろうか。なににせよ、目視で確認はできずとも、諜報員や内通者によって、部隊が集まりつつあることを遅かれ早かれ政府は察知するだろう。夜が明ければ、政府も部隊を動かすかもしれない。

 夜風の音がきこえる。風は差し込まないが、ひどく寒い。建築物の空調が作動せず、暖房が入らない。外と変わらない寒さを味わっている。

 スギヤマは部隊の動きを眺めながら、いまという時間が過去に溶かされていくのを感じた。目の前の現実は遠くに去り、眼前に過去という時間が天使のように舞い降りて、スギヤマを包み込む。

二十年以上も前の、あまりにも遠くへ過ぎ去った時代。あのころのスギヤマも、いまのように対岸を見つめていた。軍の一士官として、敵の襲撃を警戒するために。だがあのころはまだ内戦も始まっていなかった。ただ、明確な敵は現れることはなくとも、危機が間近に迫っていることは誰の目にも明らかだった時代。反政府運動の激化、官憲と中流以上の階級を狙うテロの頻発。都市超高層化に伴う行政再編によって現世に蘇った内務省の権限は拡大の一途を辿り、国際的な非対称戦争に否応もなしに巻き込まれた反省から再編された軍部隊が緊急事態の号令のもと常時都市の警戒任務に出動せざるを得ない状況。都市では反政府を叫ぶ声がこだまする一方で、軍の部隊が粛々と展開し、敵が現れないにもかかわらず警戒に当たっていた。

 奇妙な時代、奇妙な時間だったとスギヤマはあのころを振り返って思う。スギヤマの眼前に脅威はない、戦闘もない。ただ宿舎に戻ったときのニュースで、どこそこの地区でテロがあった、反政府運動が起こっていたと知る。一つの都市の中で起きている出来事なのに、まるで現実感がない。でたらめや憶測も含まれた情報のみが独り歩きし、人々の間と街を駆け巡って不安と緊張を醸成する。

 無限に上昇し続ける不安と緊張に、スギヤマは厭いていた。敵との戦いを待ち望んでいた。銃火、銃声、砲撃、戦塵、それらに身を浸したかった。それがなければ、自分が自分でいられなくなると思った。少なくない数の同僚や部下も、スギヤマと同じ気持ちで任務に当たっていただろう。

 だが、とうとう敵は現れなかった。

 十七年前の事件。反政府運動の指導者、リョクノ元教授の殺害。内務省がリョクノ元教授らによる大規模なテロ計画を察知し、彼の居所を内偵活動により特定、内務省指揮下の部隊が襲撃を行った。激しい銃撃戦が起こり多数の死傷者が出たものの、リョクノ元教授の殺害には成功、テロ計画は未然に防がれた。

リョクノ元教授は反政府運動に身を投じる以前はサイバネティックオーガニズムの権威であり、その知名度や求心力を生かすことで、反政府運動及び組織を急拡大させた人物だった。内務省白書にも彼のために頁が割かれ、反政府運動の旗頭と記載されるほど、内務省からは警戒視されていた。彼はスギヤマが待ち望んでいた明確な敵、その筆頭候補だったのだ。その彼が殺害された。それはすなわち、敵の消失、戦いの機会の消失を意味した。

 敵は現れない。敵となるうる人物も消された。スギヤマが待ち望むものは、現れない。それを悟ったスギヤマの心には、大きな空洞が生まれた。現れもしない敵を警戒する任務は続く。時の遁走、残酷に過ぎ去る時間、偉大なる生命と青春が浪費されていく。

 名もない存在であり続けるしかない恐怖。家族も、親しい友人も、麗しい過去も持たない自分は、これからも記号のような存在であり続けるしかないのか。

 スギヤマが恐怖と苦悩に苛まれる日々は続いた。そんなある日、運命は風向きを変えた。

 あの男が、自分の前に現れたのだ。

 男はいった。

「お前が待ち望むものを、私は与えてやろう」

「偉大なる戦いの機会を与えよう。躍動する時間を、命が燃え盛る瞬間を、私はお前に与えよう。緩慢に過ぎゆく時の影に、身を搦めとられるな」

 男の言葉は天啓に等しかった。時の遁走と生命の浪費に焦燥していたスギヤマにとって、男は運命が遣わした使者のように思えた。スギヤマは一つ返事で男の誘いを承諾した。スギヤマは軍を離れ、陽射しの届かぬ非合法の世界に身を潜めて、壊滅しかけた運動を再び蘇らせようとした。

 あれから十七年の月日がたった。

 あの男はいったとおりのものをスギヤマに与えた。国家を分断する規模の戦い。国家を再構築するための、血を血で洗う戦い。そして、その戦いの中心に身を置くことで、生命と時間の輝きを見出した自分。

 あの男とスギヤマが始めた戦いは規模を拡大し続け、長期化したものの、いまだ終わりが見えていない。

 対岸の景色。かつての自分がそうであったように、政府の兵士たちが警戒を続けている。自分はその兵士たちの命を奪うべく、景色を眺め、作戦を練っている。

 背後のぼんやりと暖かみのある灯の下で、部隊長たちが地図を広げ、自軍の配置、敵軍の状況、どの地点に攻勢をかけるべきかについて議論をしている。スギヤマは彼らに背を向けながらも、彼らの議論に耳を傾ける。

 事態はハタとの取り決め通りに進展している。数日後には政府への攻撃準備が整う。ハタの動きにあわせて、こちらも動けばいい。

 時は動き出している。それも自分の意志に従うかのように。かつては残酷に思えた時の流れだが、いまはそうは思わない。時の流れに逆らうかのようにスギヤマは生き、戦い、命を燃焼させている。これほどの充足感を抱くまでになるとは、過去の自分には想像もつかなかった。自分の指揮によって無数の命が躍動し、都市は鳴動する。ひいては国の在りようが揺らぎ、歴史は回転する。かつては時と世界において塵芥にも等しかった自分自身を、自身の振る舞いによって大いなる存在へと変えていく。それはスギヤマにとっての無上の喜びであり、充足なのだ。

 スギヤマは部隊長たちの議論の場に加わった。地図を見つめ、明日視察する予定の拠点を確認し、副官にも予定を伝達する。

 部隊長たちの議論は、夜通し続くだろう、とスギヤマは思った。

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