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アナザー・グリーン・ワールド  作者: ENO
第1部 誘拐
16/87

15 Iwama - Sister in Law

 巨大な内務省庁舎のほぼすべての階で、いまだ煌々と明かりが灯っていた。

 時刻は夜九時になろうとしている。

 イワマとフクダは内務省内の駐車場に警護用の車を停め、警護課に立ち寄った。警護課長に業務報告を行うためだった。

 警護課の部屋にはほとんど人は残っていなかった。他の課員たちは任務に出たか、帰宅したのだろう。

「課長は?」

 フクダが、部屋に残っていた課員に尋ねた。

「いま来客対応中です」

 課員がそう返事すると、イワマは訝しんだ。

「来客? こんな時間に?」

「ええ、さっきから打ちあわせ室に籠ってますよ」

 イワマとフクダは、課内の打ちあわせ室に視線を向けた。ここからでは霞ガラス越しの人影しか見えず、話し声もなにをいっているのか判別がつかない。

 イワマはフクダに尋ねる。

「課長はなにをやってるんですかね?」

「俺にきかれてもわからんよ」

「なにか悪だくみでもしてるんじゃないですかね? 課長、悪人顔してますし」

「馬鹿いえ。公務員が悪さをしてどうする」

「権力の側が悪さをするって、なんかわくわくしませんか?」

「公僕にあるまじき発言だな」

 フクダは呆れてため息をつく。

 ガラス越しに見える人影が立ち上がり、打ちあわせ室から出てくる。中背で肉のついた体に、不健康そうな顔をした男。イワマたちが視界に入っていても、彼は無視を決め込み、警護課の部屋から足早に立ち去る。

 一見するとただの疲れた中年男だが、目つきの悪さは印象的で、一度見たら忘れられない顔だ。

「フクダさん、あれは誰だか知っていますか?」

「…大物だよ」

「大物? 誰なんです?」

「公安のフクシマ参事官。公安課の実力者だよ。公安課長を差し置いて、幾つかの部署を取り仕切っていると噂だ」

「一介の参事官が、どうしてそんな権力を持っているんです?」

 イワマは率直な疑問を口にした。

「彼は大臣のお気に入りらしい。セガワ大臣が政務官だった時代から、彼はその下で重要な公安の任務に携わっていたらしい」

 フクダはいった。

「そんな人がなぜ警護課に? 警護課も支配下にいれるつもりですかね?」

「そこまではわからんよ。課長にきくしかない」

 課長が打ちあわせ室から出てきたときに、イワマたちは課長に声をかけた。フクダがアリスの警護任務につき簡潔に報告を行った。報告を終えたとき、イワマはさりげなく課長に尋ねた。

「課長、先ほどの来客の方はどなただったんですか?」

「ああ、公安の知りあいでね。旧交を温めていた」

「フクシマ参事官、とお見受けしましたが」

 フクダはいった。

 課長は少し驚いたような顔をする。

「なんだ、君はわかっていたのか。まあいい。彼は警護課にも席を置いていたことがあってね。古巣訪問だったのだ」

「警護課と公安の密会ですか、嫌な予感がしますね。また急な任務が降ってくるような気がしてなりませんね」

 イワマが冗談をいった。

 隣のフクダが馬鹿をいうなといわんばかりにイワマを睨みつける。

「ふん、せいぜい激務が降りかかるよう期待していてくれ」

 課長は冗談に対して特段怒るわけではなかったが、痛烈な皮肉で応答した。

「しかし課長、公安の人間がわざわざこちらにくるということは、なにかあったのでしょうか?」

 フクダは真面目に課長に尋ねた。

「公安の人間と話をしていたからなにかあるというのは、まさに勘違いに他ならない。我々はただ情報交換をしていたまでだよ。かつての先輩後輩として。それ以上でもそれ以下でもない」

 課長はそう答えた。

「本音をいえば、イワマ、貴様にそれこそ急な任務を振ってやりたかったが、現段階ではそれもできなさそうだ」

 またしても課長は皮肉をイワマにぶつけた。

 イワマはばつの悪そうな顔をした。

「妙なことを尋ねて申し訳ありませんでした」

 フクダは課長に頭を下げた。

「まあいい。それよりもう夜も遅い。私も帰宅しようと思う。君たちも早く帰りなさい」

 課長はそういって、帰宅した。

 フクダとイワマは日中の騒然さを忘れ去り、不気味なほど静まり返った職場に取り残された。

「課長に業務報告も終わりましたが、どうします? これから軽く一杯でも?」

「いや、俺はいい。まだ少し仕事が残っている」

 イワマの誘いをフクダは断った。フクダはいつもそうだ。常に仕事中毒気味で、飲みの誘いもこうして残務があるといって断ってしまう。そこまでして片づけなければならない残務とはなんなのかと追及する勇気はイワマにはなかった。

「そうですか。そうしたら、お先に失礼します」

 そういって、イワマは内務省を出た。

 内務省の建物内にある酒場で、一人でも酒を飲もうかと思ったが、次の日の任務を思って結局止めた。

 内務省を出てすぐの高架鉄道の駅で、缶ビールを一本買った。自分の家の最寄り駅まで列車に揺られながら、そのビールを飲んで時間をやり過ごす。

 窓の外に広がるのは、光の街。街の歪な発展が、鉄道や道路の歪な発展を生む。空を横断して巨大な建築物を繋ぐ高架道路と高架鉄道。人々はそれを使って、各建築物の間を行き来する。わざわざ劣悪な環境の地上及び下層部に赴く必要はない。

 たとえ異形の街であったとしても、この景色の美しさは誰も否定できないだろう。冷たく凍った都市に灯る鮮やかな光が、闇夜に沈みゆく景色を掬い上げ、言葉を失うほどの美を作り出す。

 ぼんやり口を開けながら、イワマは外の景色をずっと見ていた。

 やがて列車が最寄り駅に到着し、イワマは快い酔いに包まれながら列車を降り、自分の家のある建物へ入っていく。

 築年数の経過したいささか古い賃貸住宅。鈍色の重たい玄関扉を開けた。

「お帰りなさい」

 妹のエリカが、扉の先に立っていた。

「待ってくれていたのか」

「そんなわけないじゃない。たまたまよ」

 エリカはいった。寝間着姿で、どうやら風呂から上がったばかりのようだった。

「父さんたちは?」

 狭いリビングに入って、小ぶりなソファの上にネクタイを投げる。

 エリカはイワマのあとについてくる。

「朝が早いからもう寝たわ」

「お前は寝ないのか?」

「夜更かしをしたい気分だったの」

 遠足にいくかのような弾んだ声でエリカはいう。十四歳らしい幼さというべきなのか。

「お前も学校があるだろう。寝坊するぞ」

「大丈夫よ、目覚ましはちゃんとセットしたから」

「俺は寝坊しても知らないからな」

「せっかく兄さんを待っていたのに、ひどいわ」

 エリカは口を尖らせ、不満を表明した。

「おいおい、どっちなんだよ」

「夜更かしのついでに兄さんを待っていたの」

「まったく、俺を待つよりも夜更かしが優先じゃないか。ひどい妹だよ」

「ふふ。ねえ、兄さんも夜更かしにつきあってよ」

「俺も朝は早いんだ。風呂に入って、ぐっすり眠るつもりだったよ」

「なんだ、つまんないの」

「遊び道具ならいくらでもあるだろ」

「お喋りの相手が欲しいのよ。同級生は彼氏とずっと夜話をしてるんだって」

「…思春期だな。けど、兄貴の俺じゃ、意味ないだろ?」

「相手がいないよりましよ。…それに」

 その先をエリカはいわなかった。

「それに? なんだ?」

 黙るエリカにイワマはきく。

「兄さんと私は、血は繋がってないじゃない」

「馬鹿野郎。血は繋がってなくても、兄妹は兄妹なんだよ」

 イワマはいった。

 エリカは義理の妹だった。十年以上前に、両親が知人に頼み込まれ、エリカを養女として引き取ったときいている。

 血の繋がりはまったくないが、イワマと両親は、幼いエリカの成長をずっと見てきた。それこそ家族として。だから、遺伝学上は他人でも、エリカは家族であり妹なのだ。

 エリカは目を輝かせた。

「なら、兄として、話し相手になってよ」

「面倒だけど、わかったよ。とりあえず、冷蔵庫から水を出してくれ」

 イワマはエリカに頼んだ。

 エリカは嬉しそうに冷蔵庫目がけて走る。

 イワマは小さなソファに寝転びながら、エリカの姿を見つめた。当たり前だが、容貌はまるで似ていない。髪の色さえも違う。

 エリカの髪は、燃えるように赤かった。


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