12 Kuroki - Information on Alice
百万の塔。煌く夜景。決して消えることがない光がそこにある。
内務省の廊下の窓から、クロキは街の景色を眺めていた。窓ガラスに色がついているのか、景色はやけに青みがかっている。街がより一層冷然として見える。
長く続いていた会議に、一度休憩が設けられた。あと数分で、会議は再開される。
クロキは男たちの噎せ返るような臭いが満ちた会議室に戻った。続々と他の出席者も戻ってくる。フジイ大佐、ハギノ少佐、フクシマ参事官。彼らの補佐役たちも部屋に入ってくる。
クロキは冷たくなったコーヒーを口にしながら、出席者たちが全員戻ったのを確認すると、会議の再開を告げた。
内務省幹部と軍特殊部隊指揮官による会議は、昨日のウガキ急襲作戦の総括と今後の作戦の検討を行っていた。
休憩の前に、昨日の作戦の総括は終わっていた。ここからは、次の作戦、セガワ大臣より指示のあったAGWの軍事統括スギヤマの暗殺について、作戦立案を行う。
クロキはある書類を片手に、口を開いた。
「AGWに潜伏している諜報員より、スギヤマの行動習慣につき詳細な報告がきている。君たちの手元にもあるはずだ。スギヤマは軍事統括としてウガキ以上に前線視察に出向くことが多い。特に政府側との小競りあいが絶えない第十四、第十三地区には毎週のように訪れて、指揮を行っている。奴が前線視察に出向いたときを狙うのが得策ではないか」
「昨日の作戦の場所も第十四地区だった。おそらくスギヤマがウガキの視察のお膳立てをしたのだろう。ともかくも、スギヤマがそれらの地区に出向く確率は高い」
フジイ大佐が、クロキの発言に補足する。
「前線に出向いた際に暗殺するというのは同意する。問題は奴がそれらの地区のどこに現れ、いかに確実に奴を消せるかだ」
書類を眺めながら、片方の眉を吊り上げ、フクシマ参事官はいった。
「残念ながらこの報告にはそこまでの詳細は記載されていない。前回の失敗もある。我々は確実にスギヤマを暗殺せねばならない」
「それではどうするかね?」
クロキがフクシマに尋ねた。
「潜伏する諜報員により詳細な情報を求めます。前線視察の詳しい位置、時間、警護の状況も含めて、あらゆる有益な情報です」
「警護の状況については、報告書内にまとめられています。最大二十名前後の警護部隊がついており、正規の軍事教育を受けた兵士が選ばれているとのことです」
ハギノ少佐が発言した。
「要するに手練れということですな。ならばなおさら情報が必要です。実働部隊に損害を出させるわけにもいかんでしょう」
「我々は成果のためには損害を惜しみません。ただ、より情報が必要というのは、フクシマ参事官のおっしゃる通りです」
フジイ大佐はクロキ、フクシマ双方に目配せをしながら、いった。
「諜報員には指示を出しておく。次の報告を待て」
「申しあげにくいことですが、こういった作戦の場合は、彼ないしは彼女からあがってくる情報がすべてを決します。情報の正確性が低ければ、昨日の二の舞になるのは必然です」
フクシマがやや語気を強めていう。
「それはわかっている」
フクシマのものいいにクロキは少し苛立った返事をした。
「諜報員もぎりぎりのところで情報をこちらに送っている。昨日の襲撃に関する情報も、ウガキや幹部たちが集結した場所、時刻、警護の状況まで、かなりの部分で正確かつ有益なものだった」
「しかし結果は失敗に終わりました。私は、今回の情報はある種のブラフではないかとも考えています」
「なんだって?」
「我々は敵が仕かけた陥穽にまんまと落ちてしまったのかもしれない、それを懸念しているのです」
「どういうことかね?」
「つまり、私は彼ないしは彼女が二重スパイ行為をしている可能性も考えています。でなければ、こちらの特殊部隊を総動員させたあれだけ大規模な作戦で、あのような結果になるわけがない」
「しかし君、そんな馬鹿な…」
「もちろん可能性の話です。しかし、政府内、いや政府中枢にさえ敵の諜報員が潜んでいるのは、もうわかり切ったことだ。そして我々はそのもぐらにこれまで何度となく苦い思いをさせられてきた。立案した作戦の露見と頓挫、仲間や内通者の処刑。それだけではない。もぐらは仲間や上司の情報を漏洩させ、我々に対する襲撃と暗殺を繰り返してきた。今回の件にしても、我々の諜報員が敵に通じている、その可能性をどうやって否定できましょうか」
「過剰な猜疑心は抑制すべきだな。私は諜報員たちを信じている」
「私もそう信じたい。ですが、審議官以外は、誰もAGW中枢に潜伏する諜報員の素性を知らないのです。それは審議官のみに権限のある管轄事項ですから。率直にいって、我々は審議官が管理する諜報員の情報に従って作戦を立てる他はないのです。そうした立場の我々が、諜報員に対して、緻密かつ正確な仕事を要求するのはある意味当然のことではないでしょうか?」
フクシマの鋭い目が、クロキを見据えた。くたびれ果てた中年男といった風貌だが、目つきだけが鋭い。それがこの男の印象を奇矯なものにしている。
フクシマ参事官は自他ともに認めるクロキの腹心であったが、その皮肉っぽい発言と上司同僚へ意見具申することをもの怖じしない性格のため、省内では彼を敬遠する者も少なくなかった。クロキは彼の有能さとその性格を気に入っているが、時折彼の発言に苛立つこともあった。
省内では敬遠されがちのフクシマだが、省外の人間、たとえばフジイ大佐やハギノ少佐からの評判はよかった。フクシマは現場主義的で、常に現場を庇う意見を行うからだ。
現にフクシマの発言に対し、フジイ大佐もハギノ少佐も無言ではあったが、深く頷いている。
「…参事官の意見は承知した。諜報員には、より確かな情報を寄越すよう私が責任をもって指示伝達する」
苦い顔を残しながら、クロキはいった。
「議論をまとめよう。それでは、スギヤマが第十三、第十四地区に視察に赴いた際に攻撃を行う、それは我々の共通見解ということでいいな?」
クロキの言葉に、一同が頷く。
「スギヤマの前線視察のより詳細な情報は諜報員より報告させる。フジイ大佐とハギノ少佐はそれをもとに作戦案を立案しろ」
「承知しました」
フジイとハギノは口を揃えていった。
「AGWの報復開始まで、時間的猶予はさほどないと考えていい。酷な話ですが、諜報員には至急の報告を願います。同様に、大佐と少佐にも、迅速な作戦立案と実行を願います」
フクシマがいう。
「それは私からもお願いする。必要な情報は必ず手配する」
「こちらこそよろしくお願いします」
フジイ大佐はいった。
「では、会議は以上だ」
クロキは出席者全員に告げた。
出席者たちは書類をまとめ、会議室を退出していく。
「フクシマ」
クロキはフクシマに声をかけた。
「別件で用がある。大臣室までつきあえ」
「大臣室まで? あまり気は乗りませんが…」
「そういうな」
クロキとフクシマは会議室を出て、大臣室のある階を目指しエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが上昇を始める。
二人以外に同乗者はいないことを確認すると、フクシマが口を開く。
「別件とはどういうことです?」
「どの程度正確なのか掴み切れていないが、懸念すべき情報がある」
「それは一体?」
「詳しくは大臣室で話す」
「セガワ大臣の裁量が必要ということですか」
「そういうことだ。ところで、君は警護課に人脈があったかね?」
「警護課? かつて管理官として短期間席を置いていました。古巣といえなくもないですが」
「場合によっては、警護課の全面的な協力が必要となるかもしれん。警護課長にあらかじめそれとなく連絡を取ってくれ」
「フジイ大佐たち部隊の人間では対応が難しいのでしょうか?」
「厄介な事情があってね」
「それも大臣室で説明ということでしょうか?」
「そうだ」
エレベーターが止まり、扉が開いた。
大臣の取次役の姿がすでに見えていた。
「審議官のクロキだ。大臣に報告すべきことがある」
「かしこまりました」
取次役が一度大臣室に入り、その後すぐにクロキたちを部屋に通した。
セガワ大臣はクロキとフクシマの姿を見ると、顔を綻ばせた。フクシマに対しては、単刀直入にまた老け込んだなと声をかけてからかう。
「君たち二人を見ると、君たちがとんでもなく跳ねっ返りだったあのころを思い出すよ。私も若く、尖っていた」
クロキとフクシマは苦笑した。二十年近くも前の話だ。まだ二人が駆け出しの官僚で、当時大臣政務官だったセガワは、彼らを含めた若手官僚たちを厳しく指導していた。
「あのころの人材がいま思えば一番楽しい奴らだったね。一癖も二癖もある者たちばかりだったが。コダマ、ノヅ、ゴトー、それからあの男でさえも」
セガワ大臣は懐かしむように彼の机の上に立てかけられた写真を眺めた。若かりしセガワと彼を囲む部下たちの写真。内務省と軍からセガワにより選抜された面々だ。その中にはクロキもフクシマもいる。他に、政府とこの部屋にいる全員がいまでは憎悪する、ウガキも写真の中に混ざっている。
「コダマさん、ノヅさんが亡くなられてもう十年。ゴトーさんは杳として行方が知れず。チームの大半が、いまはもういなくなりました」
フクシマが珍しく感傷的な言葉を吐く。
「そうだな。十七年、いやもっとそれ以前から殺しあいをやっていれば、そうなるだろう」
大臣は嘆息する。
「生き残るというのは、ある意味で耐えがたい悲しみを背負い続けるということなのかもしれんな」
大臣の言葉をきいて、クロキは少し俯いた。ふと思い出せば、闘争で死んでいった仲間や上司の姿が浮かんでくる。耐えがたいというよりは、心が千々に乱れて仕方がない。
「セガワ大臣、大臣にご相談が」
過去への思いを断ち切るように、クロキは切り出した。
大臣の双眸がクロキへ向けられる。すでに大臣の目は過去を懐かしむそれではない。その目は冷たく怜悧な色に切り替わっている。
「どこまで正確かは不明ですが、お嬢様の身の危険に関する情報が、私の元に上がってきております」




