世の中捨てたもんじゃない
「どうした、康孝」
「じーちゃん!」
後ろから年配の声が聞こえ、子供が嬉しそうに振り向いた。
俺と女の子も後ろを振り向くと優しそうな顔立ちの、老人…というにはまだ若いだろうか。白髪混じりの人物が近づいてくる。
「すいません、ちょっと散歩してる隙にこの子がはぐれてしまって」
「あ、いいえいいえ」
俺は首を横に振った。すると子供のお爺さんが俺をジッと見てくる。
「あんた、昼間過ぎからずっとここにいるね。どうしたの」
俺は言葉に詰まった。
この女の子といい、このお爺さんといい、そんなに俺は目立つだろうか。
「えっと、まぁそうですねはい…。ちょっと家を追い出された系で…」
子供の前であまり言いたくない話だが、嘘をついてもずっとここに居るのがバレているようなので、俺は頷いた。
「追い出された、どうして」
子供も追い出されたという言葉に何か不穏な気配を感じたのか、先ほどより真面目な顔をして俺を見上げている。正直、子供には聞いてほしくないので向こうに行ってほしいのだが…。
とりあえず俺は仕事をしたくても会社で色々とあって、働きたくても体が受け付けなかった旨を説明しながら、働かずに家にいたこと、このような事態になって長男不適格と言われ家を追い出されたことなどをしどろもどろに説明した。
「はぁ…」
お爺さんは間の抜けた返事をした。
「それだけで、その年齢まで育てた子を軽々と外に放り出す親がいるもんかね」
「だって、現に中に入れてもらえないし…」
微妙に泣き言のようになってしまった。お爺さんは少し眉毛を下げながら笑った。
「まぁ、親の気持ちも分からないでもないがね。いつまで自分が動けるか分からないのに、子供はずっと家にいて遊んでるのは心配だし、どうにか働いて貰いたいって気持ちはあったんじゃないか?それに客だって三日も居れば、働かざる者食うべからずの教訓がつきまとうもんだよ。それにいくら働きに行くときに体の具合が悪くなるって言っても、親だってその体の具合の悪さがどこからくるものなのか分からないじゃないか。その事はちゃんと説明したの?」
「……言ったって、どうせ働きたくないからだとか…なんとか…」
説明したって、分かってくれるわけない。
父さんは仮病だと思ってるし、母さんは庇ってくれたけど俺が自分で克服しないといけないと思ってるし、弟の清二は働きたくないからだと思っている。
「言わなきゃ家族だって分からないよ。君は家族なら自分の事がすべて分かる超人だとでも思ってるのかな?」
「超人!」
子供が目を輝かせてお爺さんを見て、その後に俺に目を向けた。
ちげーよ、超人じゃねーよ、ただの人間で家を追い出された情けない大人だよ。
内心子供に毒つくが、子供は目を輝かせたまま俺を見ている。
「じゃあ、今夜どうするんだい。まさかこの公園で野宿なんてわけないだろう?」
「…まぁ」
金はある程度餞別としてもらったのがある。何だったらカプセルホテルに泊まってもいいか。しかし、毎日となると出費がかさむ。それを考えると野宿した方が金は減らない。
すると子供が俺の手を掴んできた。
「じいちゃん、可哀想だよ。家に連れて行ってあげよう?」
まるで捨てられた子猫か子犬を家に連れて帰ろう、と言うのと同じ言い方で子供がお爺さんにねだる。
しかし、俺は子猫や子犬とは比べようもない男の人間である。
アホか、この子は。見知らぬ他人をやすやすと受け入れる人が居るものか。
「ああ、そうだね。見捨てられないね」
まるで子猫か子犬を憐れむ孫を慈しむような声でお爺さんは答え、驚いて俺はお爺さんの顔を「正気かこの人」とでも言いたい顔で見た。
お爺さんも俺を見て、お互い目が合った。俺が言いたい事が分かったのか、お爺さんは、
「こうやって関わって話もしたのに何もなかったように去っていくのは後々気持ち悪くなるからね」
と微笑んだ。
「いや…けど…」
俺はチラッと女の子を見てから、お爺さんに頭を下げた。
「実はこの女の子も家が無いんです。地方から来たらしいんですけど、急に仕事をクビになって社宅に住めなくなったみたいで…俺よりこの子を泊めてあげてください。俺は男なんで、まだ何とかなります」
「だったら、二人来ればいいじゃん、な、じいちゃん!」
子供が当たり前のようにお爺さんに問いかけ、そしてお爺さんもそれが当たり前のように、
「そうだね。貧乏暮らしだからご飯はあまりないけど、それでもいいのなら家においで」
と優しく声をかけてくれた。
こんな世知辛い世の中にもこんな人たちがいるのかと、俺は不覚にも泣きそうになった。
そうして俺と女の子はお爺さんと子供の家に行った。
貧乏暮らしと言っていたので、ボロアパートに住んでいるのだと勝手に思い込んでいたら案外と一戸建ての家だった。
しかし、周りの家と比べると多少年数は経ってるかもしれない。壁も所々ヒビが入ってるし、最近はやりの家ではなくて昭和に立てた家、というのが見て取れる。
木材にガラスをはめ込んだ戸をガラガラと開けると、家の中は昭和の香りがしそうな作りで畳の部屋が多いし、廊下の木材もフローリング、といより板材、という言葉が似合う。
そしてリビングより居間の言葉が似合う部屋に案内されて一息ついたころ、
「皆で自己紹介しようか。皆名前もなにも分からないだろう」
とお爺さんが言い、まずは私から、とお爺さんが自己紹介し始めた。
「私は徳川良英、六十二歳。今は派遣でビル清掃の仕事をしている。この子は…」
お爺さんが続けて子供の紹介をしようとすると、子供が口を尖らせて止めに入った。
「おれが言うの!俺は徳川康孝!六歳!今、小学校一年生で、シュリケンジャーが大好きでな、この前みんなでシュリケンジャーごっごしてあそんで、かった!」
お爺さん…良英さんは、子供…康孝の大きい手ぶり身振りと声にも愛情を持った目で見つめている。孫が可愛くてたまらないといった表情だ。
「私は西原あかり、二十一歳。岐阜出身。職業はWEBデザイナーで、センスがいいからと東京に呼ばれたけど、東京のネット環境が今日の午前でダウンしたので初日からクビになりました」
なるほど、その職種なら初日からクビになりかねない。俺は納得して哀れみの目で女の子を見た。それより岐阜ってどのへんだっけ…。
「次、君だよ」
時計回りで俺に順番が回って来た。三人の目が俺に向けられる。
朝も両親と弟と俺でこのような状態で座っていたなぁ、と思いながら俺は口を開いた。
「小国隆康、二十七歳です」
「えー!」
子供…康孝が絶叫して、俺の鼓膜を大いにつんざく。
「たかやすって言うんだ!おれ、やすたか!似てるな!」
康孝が立ち上がって机に手をつき、後ろ足でジャンプを繰り返す。お爺さんは、
「ほら、自己紹介の途中だろ。やめなさい」
とたしなめ、座らせた。
「えーと…元々、ある会社で働いてましたが色々あって辞めて、その後は自由時間です。そうしたら家から追い出されて今現在に至ります」
ざっくりと自己紹介し、頭を下げて終わらせた。
「…色々あったって、何があったの?」
女特有の詮索センサーが働くのだろう。女の子…あかりが興味があるような目で俺を見てきた。
「言わない」
俺はその目から逃げるように目を逸らす。あの会社に居た時の出来事は思い出したくもないし、誰にも言いたくない。
「ふーん…。あ、良英さん」
あっさりとあかりの興味は他へ移った。しつこく詮索されたらいやだな、と思っていたのでホッとする。
「良英さんと康孝くんって、苗字が徳川ですけど…もしかして家康の…」
するとお爺さんはおかしそうに笑った。
「よく言われるんだ、それ」
説明するのがちょっと難しいんだけど、と前置きを置いて良英さんが話し出した。
「確かに徳川家康の血筋と言えば血筋だね」
「ええ、マジですか」
驚いて俺は身を乗り出し、俺の重みで机がズルズルと動いてしまったので、謝りながら元の位置に引っ張って戻した。
「家康の子供っていったら誰かわかるかい?」
「二代将軍、徳川秀忠ですね。あと私が知ってるのは長男信康、結城秀康…亀姫も家康の子供でしたっけ?」
スラッと答えるあかりにもおれは驚く。
「そうそう。そして家康の子だけれどもあまり表舞台に立たなかった人が私の御先祖。だから一応家康の血を継いではいるけど、ウィキペディアだっけ?ネットで検索できるやつ。あれで色々調べても出てこないくらいだから…」
「何を言いますか!」
あかりが身を乗り出して机を強く叩いた。
「徳川家康の子孫であることは変わりないじゃないですか!その事実が凄いことなんですよ!ネットに載ってないくらいなんですか!もっと誇ってもいい事ですよ!」
「あっはっはっ、そうかい?実は自分でも結構自慢なんだけど、家康の子供っていってもあまり有名じゃない人がご先祖だからあまり大っぴらにも言えなくてね」
良英さんは少し照れたように頭をかきながら言い、立ち上がった。
「さて、夕ご飯でも作ろうかな。みんな、手伝ってくれるかな?」
「はーい!」
康孝とあかりはすぐさま返事をして立ち上がって良英さんの後に続く。俺もか、とのそのそと立ち上がって俺も向かった。
しかし、俺は料理をしたことがない。したとしても、卵を焼くか、肉を焼く程度だ。
「給料前だからあまり食べるものがないから、我慢しとくれよ」
「いいんですよ、泊めてもらうだけありがたいんですから」
といいながら、あかりは手際よく良英さんの補助をしながら料理をしていく。
俺は台所の入口でウロウロし、中に入ったり出たりを繰り返していると、康孝が濡れた布を俺に押し付ける。
「テーブルの上ふいて、そんで茶わんとはしを出すんだ。その後、ジャーをこっちに持ってきてー」
と、ご飯の準備の仕方を俺に教えていく。
思わずこんな子供に教わるだなんて、と恥ずかしくなったが、他にすることも無いし、黙って座ってるのも気まずいので俺は言われた通りに動き出した。
そうして俺がせこせこ動いているうちにいい匂いがここまで漂ってくる。
ああー、いい匂いだなー、と思っていると俺の腹が一つなった。
思えば、いつも部屋でパソコンをやりながらお菓子を食べているのにきょうは全く間食していない。そのせいで腹が減っている。
(だけど、泊めてもらう身だし、あまり食材もないって言ってたし…我慢我慢)
俺は自分の肉で構成された腹をボンボン叩いて振り向くと、康孝が戸の向こうからこちらを見ていた。
俺は驚いて肩が跳ね上がる。賑やかな子であるのに、あまりにも静かに後ろに居たため気づかなかった。
康孝はニンマリと笑い、プークスクスと笑う。
「腹の音すげー!」
「やかましい!」
腹の鳴る音なのか、腹をボンボン叩いた音の方を言っているのか分からないが、そんな行動を黙って見られていたのかと思うと妙に恥ずかしい。
「もうちょっとで台所から居間に作った飯、持ってくるからな!」
だんだんと康孝に仕切られているが、まぁここの家の子であるし、いう事は聞いた方がいいだろう。
康孝の後をついていくと、いい匂いがどんどんと強まっていく。この匂いは…。
「焼き魚」
というと、康孝は嬉しそうな顔をして振り向いた。
「うんそう!今日は魚とサラダ!俺マヨネーズ持ってくるから、取り分ける皿持って行って」
台所に入ると、細かく切ったキャベツや細切りにスライスされたニンジン、カイワレ大根などのサラダの入ったボウルと、今まさに食べごろの魚がジュウジュウ音を立てて出迎える。
「ちょっとずつ持って行っちゃってー」
あかりがいつの間にかエプロンをつけて盛り付け終わった皿をこちらの方へ寄せてくる。
一瞬、新婚生活を味わっている気分になるが頭をブンブンと振ってそれを受取って何度か台所と居間を往復した。
そして俺は気づいた。
「あれ?思えば魚も茶碗も足りないんじゃねえの?」
「え?四つ持っていったでしょ?」
「いや、康孝の父さんと母さんの分…」
すると、あかりがシッと口に人差し指を当てた。俺が、ん?と口をつぐむ。
康孝が居なくなったのを確認してから、良英さんが代わりに答えた。
「息子夫婦…康孝の両親はね、どっちも三年前に事故で亡くなったんだ。三歳の康孝を私に預けて、二人は結婚記念日の日にデートすると言って出かけて、そのまま信号無視の車にぶつかられて」
「え、あ…。すみません」
俺は謝って、あかりも「さっき私も同じこと聞いちゃって…」といささか申し訳なさそうな顔をした。
「何、気にしなくていい。あかりちゃんも、隆康くんも、この場に居ない人の事を気遣ってくれる優しい子たちでいいね」
何となく、家に入っても誰もいなかったので奥さんが居ないのだろうと思った。しかしまさか、康孝の親も亡くなっているとは思わなかった。
「あ、ちなみに康孝にもちゃんと事故で亡くなったことは伝えてるからね。伝えてはいるが、やはり幼いから、どこまで分かってるのか分からないし、目の前で両親の話をするのは気が引けてね」
俺もあかりも、頷いた。
なんだ、ただ何も考えてない子供だと思っていたが、案外と苦労してるんだな…。いや、どちらかというと苦労しているのは良英さんか。
もし俺の家でも、両親が亡くなっていたとしたらどうなっていただろう。母方の実家に行くか、父方の実家に行くか。もしそうなっていたら俺の人生はどうなっていただろう。
「ほら、ご飯食べるって時にそんな顔しない。さっきまで通りにしてくれよ」
良英さんはそういうと、俺の背中をポンと叩いた。




