高橋和夫氏
しばらく車を走らせると、一軒の家にたどり着いた。
「さ、上がりなさい」
と言ったが、皆呆然とそのおじさんの家を眺めた。
良英さんの家も年季が入っていたが、このおじさんの家…いや、アパートと言った方がいいか。このアパートはかなり年季が入っている。
良英さんの家は古きよき家と言えるところはあったが、このアパートは…どう見ても幽霊屋敷と勘違いされそうなほど荒れている。
庭の草はボーボー、窓ガラスは所々割れているし壁なんて隙間どころか穴が開いている箇所もある。
「えっと…ここに住んでるんですか?」
「いいや?」
俺が遠慮がちに聞くと、おじさんは振り向いてあっさりと否定した。
「じゃ、誰の家なんですか!」
あかりが思わず突っ込むように聞き返した。
「いやあー、私の家はもっと別の所にあったんだけどね」
おじさんはガサガサと足で草をかき分けながら進んでいく。
俺はあかりや康孝、勝忠の顔を見渡すが、なぜか一様に皆の目が「お前が先に行け」と言ってくる。
そりゃそうか。俺があのおじさんの車を追いかけてまで引き留め、車にのってここまできたのだから。
「あの変な発令聞いてから、こんなのおかしいって授業や街頭で講演や演説してたんだけどね。あ、私一応、大学の准教授やってます。専ら経済学を教えているんですけどね。いやー教授への道のりは遠くてねー」
おじさんは後ろの俺たちのやり取りなど一切気づく素振りもなく話を続けている。
「そうしたら、家まで変な人たちが押し掛けて来て、身の危険を感じたので一旦ここに避難してるんですね」
「もしかしてそれ、サウザント・ダースの人たちじゃありませんでした?」
俺がそういうと、おじさんは振り向いた。
「いいや?どこかの政党の一派みたいでした。ところでなんでサウザント・ダースの名前が出てくるんです?何か関係でも?」
俺が答えようと口を開きかけると、おじさんはすぐさま前を向いて、
「やっぱり中に入ってから話しましょう。立ち話もなんですから」
と幽霊屋敷のようなぼろアパートの中へと入って行った。
俺が再び皆に顔を向けると、先ほどと同じく「お前が先に入れ」という視線が返って来る。
俺は恐る恐るそのアパートの中に入ったが…、
「おお…」
入った一室は思いの他片付いて、ちゃんとした一室だった。
広さは六畳ほどの畳と台所という1LDK。
…とは言っても、窓ガラスは汚れているし壁も木の壁が割れていてやはり人が住めるような家でないことは確かだが…。今地震が来ない事を願うばかりである。
「この一室が一番綺麗だったんだ」
その准教授は中に靴のまま入って行って、新聞紙を畳の上に広げた。
「こんな場所で悪いね。私の家はさっき言ったように張られてるみたいで帰れなくて。ところで、さっきの話の続きを聞かせてくれるかい?サウザント・ダースがなんだって?」
准教授は床が抜けるのではないかと思うような勢いで畳の上に座った。それだけで屋根からほこりがパラパラと落ちてくる。
勝忠と康孝は普通に新聞紙の上に座ったが、あかりはものすごく嫌々といった感じで新聞紙の上のほこりを手ではらい、おずおずと座った。
「それは…」
俺は今まであった事をかいつまんで話した。話を聞き終わってから少しの間沈黙が流れる。
「…ふーん、あの大手企業のサウザント・ダースがそんなことをねぇ~」
准教授がどこか間の抜けた伸びのある声で考えを巡らせるように呟き、黙り込んでから後ろの段ボール箱をガサガサと漁りだし、一冊のノートと鉛筆を取り出してガリガリと何かを書き込み始める。
「で、他には?」
「他?」
「そう。次はどこに行くとか、狙いは誰の子孫とか、他になにかやろうとしてる事とか…」
「…実は」
あかりが自分のバックを開けて、ゴソゴソと何かを取り出した。
「サウザント・ダースの奴が落としていったものです」
俺はそれを見て驚いた。そうだ、これはあのサウザント・ダースの佐々木という奴が見ていた紙だ。
その紙の表面に妙な染みがついているとおもったが、恐らく血が赤茶色に変色したものだと察した俺はゾッとして、
「あかり、お前どうして…」
と、思わずあかりを責める口調になってしまった。
あかりはそれを准教授に渡しながら説明した。
「荷物を持って家を出る時に落ちてたから拾ったの。あいつの弱み握れるかなって思って。
本当は警察に渡そうと思ったんだけど、警察の対応が腹立ったし、見せたら見せたでこれは誰の血だ、どうして付いたって始まりそうだったし、忙しいとかそんな理由でろくにこれ見ないままどっかにしまわれるんだろうなって思ったら渡す気が無くなったから私が持ってた」
あんな出来事があってそこまで頭が回るものか。
俺はまじまじと、あかりの顔を見た。
俺は火事になった時は必要最低限の物を持って逃げる、程度しか考えてなかったし、警察に色々聞かれた時の事なんていっぱいいっぱいで質問されたこと以外の事になんて頭が回らなかった。
あかりは俺より年下であるが、非常時の冷静さと度胸は俺より上なのかもしれない。
「私もまだろくに見てないんですけど…」
渡した割には自分も見たいらしく、あかりは伸びあがって覗きこむように背筋を伸ばした。
「ほーう、なるほどなるほど。こうやって戦国武将の子孫を集めてね…。効率悪いような気もするけどねぇ。
それなら現役のスポーツ選手集めた方がファンもたくさん集まると思うけど。スポーツ選手のファンなら体も動かせる人もある程度いるだろうしね」
確かに…。
と俺が内心納得しかけると、准教授のおじさんは顔を上げた。
「あ、そういえば私は高橋和夫だ。今更ながらよろしく」
その一言で、俺から順に和夫さんに軽く自己紹介をした。
「本多勝忠です」
不愛想に勝忠が言うと、和夫さんは紙をめくって爆弾発言をサラリと言ってのけた。
「ああ、君もリストに載ってるね。これ、君のお爺さんかお父さん?本多正志って?」
「親父っすね。爺はとっくに死んでる」
その爆弾発言に驚くこともなく、勝忠はあっさりと肯定した。
「いやいやいや、驚こうよ!自分とお父さん狙われてるのに驚こうよ!」
俺は自分でも驚くほど俊敏に片膝を立ち上げて勝忠にツッコんだ。
「そうだよ、勝兄ぃ。もしかしたらお父さん、あぶないかもしれないんだぞ」
康孝が勝忠に非難がましい声で忠告する。
しかし当の勝忠は特に表情を変えることなく俺たちの方へ少し顔を動かした。
「ま、な。危ねぇかもな。後で電話の一本入れとくわ」
まるで今日の帰り遅くなるからあとで電話しよう、とでもいうようなノリだ。
「電話できるなら、今のうちに伝えたほうがいいと思うよ。あいつら、断ったら何しだすか分からないし勝忠はここにいるからまだ安全だろうけど、お父さんがそこに居るんだったら危ないよ」
あかりも心配そうな顔で勝忠を諭すように言った。
「…人のいう事簡単に聞き入れるような奴じゃねぇけどな…」
勝忠は渋々と携帯(あかり曰くスマホ)を取り出して電話しだした。最近は中学生も携帯持ってるんだな…と俺は感慨深く思ってしまうが、今はそんなものなのだろうか。
そう考えると俺も年くってんだなぁと余計なことまで考えてしまう。
勝忠は「もしもし」と話しながら携帯を持って外へと出て行った。
「…それで」
和夫さんが口を開いて、皆の視線が勝忠から和夫さんに移った。
「君はなんでこうなったのか理解できないとか言ってるけど、どうしてそう思うのかな?」
和夫さんの視線が俺に向いているので、俺は答えた。
「なんていうか…朝に起きたらいきなり皆が変になってたみたいな…けどテレビでも、外でも皆それが普通って感じで対応してるし…」
「じゃあ、おれ、ヘンなの?」
康孝が妙に真面目な顔で俺を見る。
俺はその顔に吹き出しそうになったが堪えて、
「なんていうんだろうなぁ…。朝起きたらいつも通り自分の知ってる世界だけど、確実にいつも通りじゃなくて、けど他の人はそれが普通って思ってるっていう…そんな感じだな。
最初は皆がおかしいって思ってたけど、段々俺がおかしいのか?って思って…けど最近じゃそんなのあんまり考えないな」
実際、家から追い出されたり良英さんの事件などで毎日に追われてそんなこと考える余裕なんて無かったのだ。
すると和夫さんが、
「いいや、考え続けなさい」
と強い口調で言ってきた。
「私は君の状況はよく分からないが、日本経済はこのままだと確実にすごいことになる」
「すごいこと…って?」
あかりが聞くと、和夫さんは頷いた。
「とりあえず東京のことで考えてみようか。東京にはどれくらい農家が居ると思う?」
「え…」
あかりは黙り込んで考え始めた。
「畑は?田んぼは?」
和夫さんが続けて質問するが、あかりは困った表情で黙り込んでしまった。
「はい!すくないです!」
代わりに康孝が元気よく手を上げて答える。
「そうだね。他の都道府県で考えたら少ないね。その割に人数は多いとなると、食べ物が足りなくなるね。どこか別の県と仲良くして食べ物が運ばれてくるならいいだろうが…。
東京から人を出さない、他の県からも東京に人を入れないというなら、物の流れがストップしてしまう。そうなったらどうなるかな?」
和夫さんは小学生の康孝に合わせた口調になっている。
「はらがへる!」
「そうだね。そうなったら沢山の人がお腹がへって動けなくなってしまう。ね?今の状況は無駄だし馬鹿くさいだろ?
それにそうなったら外国との物流はどうなる?ストップするのか?そうなら外国製の食べ物や日用雑貨品も少なくなるね。スーパーで買い物なんてろくにできなくなる。
そうなったら普段普通に買っていた物が高くなる。そうなったら物を買う行為が少なくなる。そうしたら最終的にはお金が回らなくて皆貧乏になっちゃう。分かるかな?」
「うん」
「ま、今言ったのはあくまでも最悪のパターンですが。ここまで考えるといいことなんて見当たらない。だから私は今回、政府の発表したこの案は全く意味がないものと考え、止めた方がいいと思っている。
それに今まで散々観光客を呼ぼうと躍起になっていたのに、急にこっちに来るな入るなのオンパレードで意味不明でしょう?」
独り言のような、誰かに問いかけているような、俺たちに教えているような弁舌は続く。
「俺もそういう事考えていたんですよ」
俺が口を挟んだ。
「こうなって、外国はどう思っているんでしょう?今や日本は鎖国もしてない先進国の一つです。
それなのにこんな、国内で戦争っていうか、内紛…?を起こすようなことをして大丈夫なんですか?
特にアメリカが黙っていないと思うんですが、最近テレビも見てないからどうなってるのか分からなくて…」
「そこね」
和夫さんは嬉しそうな顔をして俺を指さした。
「私も諸外国が日本のこの事態に対してどう思ってるのか気になる所なんだよね。
日本にも米軍基地があるから、今の日本がこうなってる事はもう向こうにも伝わってると思うんだけど、新聞見ても基本国内のことばかりで…あ!そういえば」
和夫さんは急に手を叩いて、
「総理大臣の佐藤譲二、亡くなったの知ってる?」
「ええ!」
俺、あかり、康孝全員が驚いて軽く立ち上がった。
「ど、どうしてですか!」
あかりが問うと、和夫さんが答える。
「殺されたらしいよ。秘書に」
殺された。
俺の頭の中にオドオドしていてどこかせせこましそうな顔をした総理大臣が頭によぎる。
別に支持していたわけでも何でもないが、日本のトップで顔も知っているからやはり少なからずショックは受ける。
「佐藤総理はね~、大臣時代にテレビによく出てたから知名度はあったんだけど有能ではなかったからね~。
聞いた話じゃ総理を殺した秘書の方が有能で、その人におんぶにだっこして総理大臣になったようなもんだって言われてたし」
と、立て付けの悪い戸をギィィと鳴らしながら勝忠が戻って来た。
「どうだった?」
俺が声をかけると勝忠は、
「親父の携帯に一通り伝えて一旦家から離れたらどうだっつったけど、ありゃ動く気ねえわ」
「大丈夫かよ…」
良英さんの事を考えると、本気で家から遠ざかった方が良いように思えるが、当の勝忠は涼しい顔で元の位置へと座った。
「で?あなたたちはどうするんです?」
武将の子孫リストをあかりに戻しながら和夫さんは俺たちに問いかけてきた。
「私的には一旦東京から出て地方に移ったほうがいいと思いますけどね。食べ物の件にしてもそうだけど、食べ物が不足すると人も荒れて犯罪も多くなるだろうし、その犯罪を裁く人もいないから無法地帯になるでしょう。
警察も裁判官もいつも通りに過ごしてるけど、ぶっちゃけ肩書だけで無職ですもんね、今」
そうか、警察も裁判官も国家公務員か。
国が無くなったんだから、そりゃ仕事らしい仕事も無くなるか。
「とりあえず、このあかりを家に届けるために岐阜までいこうかと思ってたんですけど…電車もバスも全滅で」
俺がそう伝えると、和夫さんも頷いた。
「ああ、公共機関はそうだろうね。やっぱり個人でどうにかしなくちゃ。ちなみに他の皆は東京の人かな?」
俺が勝忠に視線を向けると、それに気づいた勝忠が「三重」と答えた。
ずいぶん遠い所から東京に来たもんだな…。……三重ってどこだっけ、岐阜より遠いんだっけ。
「良ければ、私の車で途中まで行きますか」
「えっいいんですか」
俺が驚いて言うと、和夫さんは大きくうなずいた。
「実は神奈川に居る友人に電話をしてみたらこっちに来いと言ってくれてね。さすがに岐阜までは送り届けられないけど神奈川までは連れて行ってあげますよ」
東京を無事に抜けられたらの話だけどね、と和夫さんは続けたが、ありがたい申し出なので二つ返事でお願いしますと頭を下げ、俺につられるようにあかり、康孝、勝忠と頭を下げた。