演説おじさん登場
しかし、バスの運転手にあかりが聞いてみたが、どの運転手も難しそうな顔をして答えた。
「あの法令…?が出されてから、東京から外に行きたくないんだよねぇ。どうも東京から外に出ようとすると警察がうるさくて…。なんか東京から外に人を出したくもないし、入れたくもない感じで…」
ともかく、どのバスの運転手も東京都内なら行くが、外へ出るとなると警察が動き出すので、長距離バスは今は運行していないとの情報だった。
「なんで、けいさつは人を東京から出したくねぇの?」
康孝が俺に聞いてきた。
「東京は地方からの人が多いからなぁ。地方の人が出て行ったらほとんど人が居なくなるだろ。だからかな」
本当の所は知らないが、俺はそれっぽいことを言っておいた。
「ふーん」
康孝は納得したのかそれで質問するのを止め、今度はあかりに声をかけた。
「やっぱり、歩かないとダメなんだな」
「うう…」
あかりが心底嫌そうな顔をして唸り声のような、うめき声のような声をたてる。そしてあかりが勝兄に声をかけた。
「そういえば勝兄は…」
「さっきから思ってたんだけどよ」
勝兄があかりの話を遮った。
「俺、勝兄って名前じゃねえぞ」
「え、そうなの?」
あかりが驚いた顔をしながら横目で俺を見てきた。
「てっきり隆康が勝兄って呼んでるからそういう名前だと思ってた」
「いや俺は名前分からないから、康孝が『勝兄』って呼んでるからそう言ってただけで…」
俺がそういうと、康孝があれ?と首を傾げた。
「みんな、知らなかったんだ?勝兄ぃは、本多勝忠って言って、だれだっけ。なんかおれの先ぞとなかがよかった人の子そんだよって、じいちゃんが言ってた」
「本多忠勝!」
あかりが興奮して叫ぶように勝兄…勝忠を指さし、康孝は「あ、うん。たしかそんな人」とうなずいた。
「え、嘘。マジで?忠勝の子孫なの?え、やだ、家康の子孫と忠勝の子孫が今ここにいるなんて…」
あかりはもじもじと体を動かしながらどうしていいのか分からない感じで二人を見つめている。
「誰?ほんだ、ただかつって?名前言いにくい」
俺がそういうと、あかりが信じられないという顔つきで振りかぶった。
「うそ、わかんない?超有名な戦国武将だよ?」
「えっとー…」
俺は困って言い淀んだ。
俺の知っている戦国時代の武将は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信…あとは伊達政宗くらいのものだ。
他に聞けば「ああ~」となる人もいるだろうが、パッと出てくるのはこの程度の知識しかない。
「あのね、本多忠勝という武将はね、すごく強いの!戦で一度も傷を負ったことが無いの!戦国最強って言われるくらい強かったの!家康の臣下なんだけど、気に入らない事や納得できない事があったら主君の家康にも噛みつく度胸もあるの!男らしいでしょう~」
あかりが目を輝かせながら俺に詰め寄って来る。
「…その武将推しなの?つーか思ってたけど、あかりって戦国武将に詳しいよな?歴女ってやつ?」
顔が近くて、俺は少しの気恥ずかしさを感じて少し顔を背けながら聞いた。
「『戦国☆天国』っていうゲームで好きになったんだよね、戦国が」
戦国☆天国…モバイルゲームで今女子の間で大人気の武将と共に天下を目指すゲームだ。そのキャラのイラストレーターが男向け18禁ゲームを主に書いている人が専任でキャラデザをしていて、ネット上でエロゲの帝王が健全な女性向けに手を出したと話題になっていた。
実は俺が特に好きだった18禁ゲームのキャラデザもその人が担当していて、俺も戦国☆天国をやりたかったのだが、ガラケーは対応していなかった。
あかりは続ける。
「私は別に誰推しってわけでもないんだけどね。やっぱ、戦国好きとしては知らないって言われるとどれだけ素晴らしいことかって教えたくなるんだよ。隆康だって、自分の好きなアニメとかゲームよく知らない人って人が居たら、こんな内容だとかこんな良いキャラがいるとか言いたくなるでしょ」
あかりは興奮冷めやらぬ様子で早口でまくしたてる。
うーん、その気持ちは分からないでもない…。まあ、一番好きなのは18禁のエロゲだから、あかりとは話し合えないが…。
と、俺はふと思い立った。
「あれ?じゃあ勝忠さんもサウザント・ダースに狙われてる可能性あるんじゃ?」
俺が勝忠さんにそういうと、微妙な表情になって俺を見返した。
「…言っとくけど、俺、絶対あんたより年下だぜ」
「へ?」
俺は自分より少し高い所にある勝忠さん…いや、年下だから勝忠でいいか。
その顔をマジマジと見ると、確かに肌質を見るに若いような気はする。自分より少し上の三十路かと思っていたが、もしかしたらあかりと同じくらいの年齢なのだろうか。
いや、あかりと並ぶとやはりあかりの方がやはり若い。ならあかりよりちょっと上くらいの年齢か?
俺がそう思いながらどこかムスッとした勝忠の顔を見ていると、康孝が俺のズボンを引っ張りながら言った。
「勝兄ぃはな、今年で十四だよ」
その一言を聞いて、一瞬その場の空気が止まったような感覚を覚えた。
康孝の言葉が耳から脳みそに達し、脳みそがその意味をじわじわと理解し、俺が叫ぶ前にあかりが叫んだ。
「ええーー!嘘、十四歳!?中学生じゃん!ちょ、中学生じゃん!」
俺の分もあかりが驚いたので、俺は呆然と勝忠の顔を見た。
どう見ても老け顔、どう見ても三十そこそこの年齢の顔にしか見えない。おそらくそう見えるのは、うっすらと無精ひげが生えているせいもあるのだろうが…。
「俺の年齢なんてどうでもいいだろ。それよりそのサウザント・ダースって何なんだよ」
先に年下だとか年齢に関わる話をしてきたのは勝忠の方なのだが、と思いながら俺は良英さん宅に押し入って来たサウザント・ダースの営業マンのような佐々木という男の話をした。
最初は黙って聞いていた勝忠であったが、次第に表情が険しくなり最終的には肩をいからせて俺がその佐々木であるかのような目つきで睨みつけてきた。
「つまりはだ、その会社、ぶっ潰してやりゃいいんだな」
俺が潰されそうなほどの剣幕で勝忠は俺に詰め寄って来た。俺は勝忠の恐ろしい目線から逃げるように離れ、軽く押しとどめた。
「いや…そりゃ無理だよ。相手は大企業。それに守衛や警備員だっているし、ナイフを持ったいかれた奴もいる。俺らみたいな女子供デブが行ったってどうにもできねえよ」
勝忠は一瞬押し黙ったが、
「警察…はあてにならねぇだろうしな」
と、言ったきり黙り込んだ。
そう。
俺らもサウザント・ダースの企業の者によって良英さんが殺害され、家も焼かれたと警察に事情聴取を受けている時に訴えた。そして佐々木という男が残した名刺を渡したのだ。
しかし返って来る言葉は、至る所で事件や事故が勃発していて、企業に乗り込むほどの人員が割けない。だがその企業のことは一応留めておいて、追々調べてからその男を探し出して取り調べをするしかない、というものだった。
もっと食い下がろうと俺は思ったが、今は警察もそれほど暇ではない、と、まるでクレーマーをあしらうかのような対応をされた。
あかりもこれには腹を立て「警察なんてあてにならないね!」と憤慨していた。
「で?結局岐阜まで歩く羽目になるんじゃねーの?」
勝忠がそういうと、あかりは嫌な顔をして、
「うう…」
と喉から絞り出すような声を出した。
あかりは歩いて帰る、という単語が聞こえるたびに唸り声のようなうめき声を出す。
そりゃ、俺だって東京都内をくまなく歩けと言われたらいやだし、それなのに県外まで歩けと言われたらもっと嫌だ。
しかし…。
「腹くくらねぇと、いけないんじゃないか?」
俺はあかりをさとすように声をかけた。
「分かってるんだけどさー、岐阜って遠いよ?電車で二時間半以上だよ?歩いていくらかかるの?一日以上は歩きどおしだよ?疲れるよ?」
康孝は一日以上歩きどおし、の部分でええっ、と声を上げ、すぐに黙り込んできりっと顔を引き締めた。
何となく、一瞬家に帰りたいと思ったのだろうと察しがついたが、誰も何も言わずに黙っていた。
そりゃ誰だってそんな遠いところまで歩きたい訳がない。しかし、あかりの実家は岐阜であるのだから行かなければならない。
そんな葛藤が少なからず、俺たちの中に生まれていた。
バス停で立ち尽くしてお互いがお互いの足元を見ている中、スピーカーの電源を入れたようなゴゴッ、ピーガーという音が聞こえてきた。
『あー、テステス。マイクのテスト中。本日は晴天なり、本日は晴天なり』
音のする方を見ると、バスが行き交う中心にワゴン車が止まっていて、そのワゴン車の手前に中年のおじさんがスピーカーを持って立っている。
周りの人は何事かと、ざわめきながらも静かにそのおじさんの方向を見ていた。そのおじさんは軽く会釈してから話し始める。
『あー、みなさんこんにちは。私、本日は言いたい事がありましてこの東京駅へとやって参りました』
おじさんが話し始めると、皆の視線が自然とおじさんの方へと向けられる。
『みなさん、今この日本は、憲法も法律も、全て無に帰してしまいました。だがしかし!これは本当の事でしょうか!?』
その問いかけに皆が驚いたように目を丸くしている。
『私は考えます!これは何者かの陰謀ではないか!なぜなら、憲法も法律も無に帰してまで各地が戦うようにと、そそのかす体制はおかしいからです!』
その演説に、まわりのざわめきは大きくなってさらに人を集めていく。気づけば俺たちの周りにも人が集まって演説を聞いていた。
『みなさん、おかしいと思いませんか!?なぜこのような事をすると政府は決めたんだと思いますか!?無駄な行動だとは思いませんか!?なぜみなさんは甘んじて今の状況を受け入れているんですか!?』
おじさんは変わらずに演説を続けている。俺は、ちょっとした期待に胸をふくらましていた。
もしかしたら、俺と同じく何故このような事態になったのか分からない人なのではないか。
一瞬、ネット上の知り合いであるルーさんかとも思ったが、ルーさんは割と飄々とした人で、あんなに熱い演説をかますような人ではない。
すると、演説しているおじさんに守衛の制服をきたガタイの良い男数人がバラバラとそのおじさんに駆け寄った。
そして何事かを話しかける。おじさんは、何度か頷いて守衛たちに何度か頭を下げた後に、
『えー、迷惑だといので、この辺でやめておきます』
というなりスピーカーをワゴン車の運転席に担ぎ込んで、そのまま運転席に入ると車のエンジンをかけた。
「あ、いっちまう!」
俺は他の人を押しのけ、走り出した。
人を押しのけるには便利な巨体であるが、走るとかなり体の肉がユサユサと揺れるので走りにくい。
後ろからあかりの「ちょっとぉ!」とか康孝の「どこ行くんだー!?」という叫び声が聞こえるが、俺はそれでも走り続けた。
急に演説が終わったので、残された人たちはあっけに取られた表情でその場をさりつつあるワゴン車を見送っている。そんな群衆を押しのけ押しのけ、俺は走り続けた。
っていうか、走るのなんて何年ぶりだろう。
百メートルも走ってないのに息も上がるし、汗がとめどなく流れていく。
と、そのワゴン車は進んでいくとすぐの赤信号で止まった。
俺は走り寄って、そのワゴン車の窓をコンコンとノックする…つもりだったが、勢い余って割と強めにゴンゴンと叩いてしまった。
ワゴン車のおじさんは俺の姿を確認して少し驚いたような表情をしていたが、少し窓を開けて声をかけてきた。
「守衛さんですか?他に何か?」
「違います、違います」
俺はまるでフルマラソンを完走したかのような息の荒さと汗の量で首を横に振った。
「あなたも、この制度がおかしいと思ってますか」
俺がそういうと、おじさんは目を見開いて、俺の顔を覗き込むように体を乗り出してきた。
「きみもおかしいと思っていますか」
「っていうか、なんでこんな戦乱みたいなノリになってるんだか、さっぱり分からないんです。なんか俺が世間から置いてけぼりにあってる気分で…」
そのおじさんは、ふむ、と言いながらしばらく考えこみ、俺に顔を向けてきた。
「車に乗りなさい。きみと話しがしたい」
「えっと…」
俺が後ろを振り向くと、あかりたちが俺をおいかけて追いついて来つつあった。
「俺のほかにも人がいるんですけど」
おじさんは俺が見た方向をバックミラーを見ながら「一二三…」と確認すると、ニカッと笑い、
「構わんよ、みんな乗りなさい」
とすすめてくれた。
作者は本多忠勝推しです