どういう状況よ?
俺は角田隆康(27)。今非常に困っている。帰る家が無い。
夕暮れせまる中、俺は家の近くの公園で呆然と地面を眺めてベンチに座っている。
よく文章を読んで瞬間的に頭の回る人は思うだろう。
「家の近くの公園?じゃあ家あるじゃん。さっさと帰れよ」
と。
そうだ、あるんだ。家はあるんだ。帰ろうと思えば帰れるが帰られないんだ。俺もなんでこうなったのか分からないんだ。
それは朝の出来事だった―…
* * * *
「ふああ…」
俺はあくびをしながら重い体をゆすり、二階から一階へと降りて行った。
俺の体重は百キロを超える。歩くたびに階段も廊下もミシミシと音がする。下に降りると、両親と弟がリビングにいた。
(十時か…割と早くに目が覚めたな)
今日は日曜日。
会社勤めの親父と弟も、確か病院の事務職の母さんもシフト休みの日。
俺?俺は毎日がホリデー…いや、家のガーディアンと言ってもいい。俺の仕事は家の中の警備担当だ。
俺は一瞬、三人がリビングにいるなんて珍しいな?と思ったが、三人を後目に朝飯を食べに行く。
「隆康」
親父に声をかけられた。
「んあ?」
俺が野太い声でさも面倒くさそうな声を出すが、親父は構わずに続けた。
「こっちにきなさい」
「朝飯…」
俺がモゴモゴと文句を言うが、三人から有無を言わさない雰囲気が漂ってきて俺はふて腐れた顔をしてリビング方へのしのし歩いていき、崩れ落ちるようにその場に座る。
体重的に重力に従って一気に座った方が膝に負担がかからないのだ。
「テレビは見たか?」
俺の部屋にはテレビがある。が、今起きたばかりだからテレビは見ていない。
俺が頭を振ると、親父がテレビのリモコンを手に取り、テレビをつけた。
すると、ニュースが流れる。
『―というわけでありまして、現代は戦国時代へと変わったのです』
『なるほど、戦国時代とは言いえて妙ですね』
テレビの中では年配のアナウンサーと若い女のアナウンサーが話し合っている。
『つまり、これからは各都道府県に分かれ、そしてその各都道府県が各地を統治する、ということですね?』
若いアナウンサーが言うと、年配のアナウンサーも頷く。
『そういうことですね。廃藩置県以前に戻ったと思えばそれで良いでしょう。しかし違うのは江戸時代のように各都道府県の戦いは禁止されていない、という事です』
『けれど…』
若いアナウンサーが話し始めたとき、電子音が流れてきた。
『国会のニュースが流れてきましたので、画面を切り替えます』
画面が変わり、映ったのは総理大臣だ。いつ見てもせせこましそうなオドオドした顔である。
『本日より公布いたしました、〈日本各地統治権〉について、もう少し私から詳しくお知らせしたいと思います』
「日本各地統治権…?なんじゃそりゃ。まーたくだらねぇこと考えて…」
俺がつぶやくと、親父がシッと口の前に人差し指を当て、俺を黙らせる。イラッとするが、ここで喧しくすることでもない。俺は口をつぐんでテレビを見た。
『これは、各都道府県を治めたい方が治めるというものでございます。都道府県でなくても良い、各市町村でも問題はありません。つまり、国の中心は国家ではなく、各市町村、都道府県を治める方が中心ということでございます』
「はぁ…?」
もしかしてこれ、総理大臣のそっくりの誰かがネタでもやっているんじゃないか、という考えに至った。
『誰がどの地域を治めても問題はありません。もちろん、武力を使って隣町を武力行使で支配しても構いません。人も亡くなるでしょうが、戦なのでしょうがありません。しかし、これにはルールもございます。武器は戦国以前の武器、銃なら火縄銃などを使用。現代の銃を使うと罰則が下ります。もちろん、車などはもっての外。戦国の時にある武器のみを使用してください。それで誰か亡くなられたのなら、各地のルールに従っての罰則は可能です』
「うっわ、ワロス」
俺はwをたくさんつける感覚で呟いた。あまりにも言っていることが支離滅裂だからだ。
「つーかなにこれ、すっげウケる。新手の芸人のネタですかぁ?いや芸人のネタにもなんないほどつまんねぇけど」
俺は馬鹿にしながらテレビを指さす。が、テレビを見ている三人の顔は酷く真面目で、どこか思いつめたような表情だ。
一人冗談を飛ばしてる空間が気まずくなり、俺は黙り込む。
そう、俺は自宅警備員とかガーディアンとか言っているが、ぶっちゃけニートだ。数年前に会社で色々とあって外で働くのが嫌になりずっと家でネトゲ・アニメ鑑賞三昧だ。
最初は会社で色々あったのだから…と三人とも優しく遠くから見守っているという感覚があった。それがあまりにも心地よく、俺はずっとこのままでいたいと思うようになった。
しかし次第に俺への対応が徐々に厳しくなった。
いつになったら働くんだ、何かいい仕事ないのか、などと言われるようになった。俺も働こうとは思った。
しかし、駄目だった。
前の会社での出来事がトラウマになっているのか、面接を受けに会社に行こうとするだけで頭が痛くなる、胃が痛くなる、吐き気がする、熱が出る、腹が下る。
「思い込みだ、仮病だ、働きたくないからって嘘をつくな」と父と弟に言われるが、思い込みでも仮病でもない。自分の意志とは裏腹に体の具合が悪くなるのだから、どんなになじられてもどうにもならない。
病院の事務員で働いてる母だけは精神的なものだからとかばってくれたが、それでも段々と俺への視線が見守る目から哀れみの目へ、そして当初から懐疑的だった父と弟に感化されるように家にいるのに居ない者という扱いに変わっていった。
母は料理は作ってくれる、父はパソコン使用料、携帯使用料も払ってくれる。
しかし俺の存在感は体重百キロという巨漢ではあるが、近ごろでは無いも同然の扱いだ。だが家から追い出されないだけマシ、という考えに至って俺は何事も関係ないという顔で家の中で生活している。
テレビの画面の中で総理大臣は分厚い何かを画面に映した。
『これは国の法律が書かれた、六法全書でございます』
言うが早いか、総理大臣がそれを開いてびりびりに破っていく。
『そしてこれは日本国憲法でございます』
それも同じようにびりびりと破って投げ捨てる。
『これで今までの日本の憲法や法律は無くなりました。これからどうするかは、国民の…いえ、もはや「国民の皆さん」という呼び方もおかしいですね。皆様方の自由でございます。では、これにて最後の総理大臣からの言葉を終了いたします』
頭を下げた総理大臣の後頭部の画面が切り替わり、元のニュース画面へと戻る。
『というわけです。東京各地では、地方へと帰る人の姿も確認されていて、混雑しているようですね』
『実は…私事ではありますが、私も実家へ帰ろうかと思っています。やはり、家の家族が心配なので…』
女子アナの言葉に年配のアナウンサーが痛ましい顔つきになる。
『しょうがないですね。やはりこういう状況になれば家族も心配ですから…。そういえば、ご実家はどこですか?』
『山口県です』
すると、画面の中で年配の男アナウンサーの目つきが変わった。
『そうですか、私は福島県なんですよ』
すると女子アナはキョトンとした目で男のアナウンサーを見る。
『はぁ…そうなんですね』
年配の男アナウンサーはバン!と机を叩いて立ち上がった。
『ふざけるな!戊辰戦争の恨みはまだ忘れてねぇんだぞ!歴史的なことも知らねぇ馬鹿女が!顔だけで選ばれてアイドルきどりだもんなぁ!?いいよなぁ~?頭悪くても女は顔さえ可愛ければ…!』
親父は一旦テレビの電源を切った。
「わかったか?今時代は変わろうとしてるんだ」
「…これ、今朝に回って来た町内のチラシ」
そう言いながら、母さんが紙をスッと渡してくる。
俺はそれを受取って文章を読み始めた。
「今朝公布された事案について
わが町内では、これについて由々しき事態だと思っています。この町内は昔合戦で重要地された土地であり、仮に戦が起こる事態となったら一番に狙われる場所です。
つきましては、この町で長男制度を設けたいと思っております。長男は家長として家を守り、長男以下の男は戦時には出陣していただくことにします。もちろん訓練も受けていただきます
町内会長」
俺は何回か読み返して、意味が分からず三人の顔を見渡した。
三人は俺の顔を黙ってみている。ここまで三人に顔を見られることもここ最近は無かったので気まずくなって目線を背けた。
「…で、なんだよ」
俺は紙をテーブルの上に乗せた。
「家から出ていけ」
「は?」
親父の一言に条件反射の如く俺が返した。
「それに書いてるだろう。長男は家にいて、長男以下の男は徴兵される」
「…っつーかさ、何冗談かましてんだよ、今のテレビとか、この紙きれとか、何なんだよ。なんでこんな風になってんだよ」
そこまで行って、俺はある考えが浮かんだ。
「そうか、分かった。みなまで言うな。きっとあれだろ、ずっと家に居る俺を外に追いだそうとして、こんなまどろっこしいやり方してんだろ。だったらこんな意味分かんねぇことしてねぇで直接俺に言えば…」
「お前みたいな働かない男に、家の家長が任せられるか!」
親父が怒鳴った。思わず身がすくむ。
「お前、父さんと母さんと清二がと外で仕事している間、お前は家で何やってるんだ?」
一旦区切ったので俺は口を開きかけたが、親父は続けた。
「ゲームかアニメを見るか寝ていることが大半だろ!父さんたちが何も言わないのを良いことにそれに甘えて家でゴロゴロしてそんなにブクブク太りやがって!」
親父が怒鳴り散らす。
「お前よりだったら、清二の方が家長によっぽど向いている!家から出ていけ!家に一人しか男が居ないんだったら、清二が徴兵されることも無い!これ以上無駄飯を食わせる訳にはいかん!」
色々言われて面食らって俺は黙っていたが、次第に笑いが込み上げてきた。
「家長とか…。そんな制度、明治だっけ?昭和だっけ?それくらいの時に廃止されたんじゃね?それを今更ひっくり返してくるとか、意味わかんねぇし。そもそも何?テレビも親父が言ってることもよく分かんねぇ」
そういうと、三人とも哀れみの目を俺に向けてきた。
「さっきテレビでも言ってただろ、今までの平和な時代じゃなくて、戦いの時代になったんだ。そんなときに働きもしないでただ食っちゃ寝するだけの奴が家に居たら迷惑だと言っているんだ。父さんの言ってる事、分かるか?」
内心、そう思われてるだろうと思っていたが、面と向かって言われるとかなり傷つく。しかし…
「親父の言ってる事は理解できるけど、戦いの時代ってなんだよ。何でそうなったんだよ。非核三原則どこいったんだよ。憲法9条どうなってんだよ。そもそも戦いなんて起きたら警察に暴力罪とか殺人罪で捕まるだろ。むしろ日本内で戦いが起こったら国連だって黙ってないだろ、日本は一応先進国の一員だぞ?考えろよ常識的に」
すると先ほどより冷たい目線が六つ、俺に突き刺さる。
「家で肥え過ぎて頭も回らなくなったのかよ」
弟の清二が口を挟む。
「もう憲法も法律も日本国内じゃ効かなくなったってことだよ。これから戦いの時代だ。それなのに無駄な食い扶持が居ると迷惑だっつってんの」
その憲法も法律も日本国内じゃ効かなくなった、の部分が意味が分からないんだが。
「あのねぇ」
母さんが口を開く。
「皆、これから仕事どうなるかわからないの。これから必要な仕事も変わっていくだろうし、お父さんも母さんも清二もずっと今のまま働けるかどうかわからないの。分かってくれる?」
今までの親父と清二の言葉より、胸に深く突き刺さった。
つまり、母さんも俺に出て行ってほしいわけだ。その事実にはさすがに堪える。
「け、けど…俺だって自分の小遣い程度は稼いでるし…。本とかフィギュアとかネットで売ったりして…」
「それ、元々誰のお金で買ったの?」
母さんの言葉に俺は何も言えずに黙り込んだ。俺が会社で稼いだ金はもう全て自分で使ってしまっていて、今では両親から金をもらっているのだ。
普段聞こえないような時計のコチコチという音が部屋の中に響き渡る。
「分ーったよ。出て行けばいいんだろ、出て行けば」
俺は立ち上がってのしのしと玄関に進んだ。そして一旦外に出て、ドアを閉め、そしてまた中へと戻ってリビングに顔を出す。
「はーい、ただいまただいま。出て行って戻ってきましたよー」
冗談っぽく俺は言う。しかし、帰って来たのは剣みたいに鋭い目つきが六つだった。
「…隆康」
親父が静かな声で俺の名前を呼ぶ。
「…はい」
「朝飯を食べなさい。だが昼までに必要な物を持って出て行きなさい」
それ以上は何も言わなかったが、完全に俺は見捨てられたのだと分かった。